2 急行志摩
第2話です。よろしくお願いします。
急行志摩
記念すべき…ではないか?(笑)2回めの投稿です。
我々三重県の自慢の1つが伊勢神宮だ。神宮参詣のために戦前より整備されていたのが参宮線である。有名なのが「参宮快速」ではなかろうか。姫路〜鳥羽へ山陽本線、東海道本線、草津線、紀勢本線、参宮線と複数の線区を経由して参宮のために設けられた列車である。その後を受け、準急「鳥羽」として京都〜鳥羽で運転を開始、名称変更で「志摩」となり、のちに急行化された。
私の記憶の中では「志摩」に乗ったのは1度、まだまだ小さかった頃京都の叔母の家に訪問時だ。とにかく揺れた記憶しかない。多分草津線だと思われる。
この列車に注目したのは高校生の頃だった。伊勢方面に通っていた私は近鉄の横を走る普通列車のキハ58を見て、「参宮線に優等列車はなかったのか?」と思い調べた。昔は複数の急行が走っていた。東京から来る夜行の「伊勢」、和歌山から来る「きのくに」、名古屋から来る「いすず」、「伊勢」の後継の「紀伊」の鳥羽編成…どれも1970年代前半までには廃止されていた。このころすでに近鉄に押されまくっていた参宮線は赤字線に指定されていたようだった。
しかし、そんな逆風の中で「志摩」と、鳥羽〜紀伊勝浦の急行「はまゆう」は生き残った!新婚旅行客対応の「はまゆう」と参宮快速の末裔の「志摩」だ。
様々な困難を乗り越えて走り続けた参宮線の急行だったが、過去1番の巨峰である国鉄の消滅には逆らえなかった。分割民営化に向けて負の遺産を残したくない国鉄は赤字線の参宮線の急行達をこの世から消してしまった。1985年に「はまゆう」が廃止。1986年には最後の最後まで逆風の中、愚直にひたすら古都と神都を結んできた「志摩」にも終焉の時が訪れたのである。
急行志摩
設定当初 京都⇔鳥羽(準急鳥羽として)
廃止時 京都⇔鳥羽
廃止時停車駅
京都、大津、草津、貴生川、柘植、亀山、津、松阪、多気、伊勢市、伊勢市〜鳥羽間普通列車
高校通学時の普通列車を見て想いを馳せた急行「志摩」。最後は4両だったようだが、宮川橋梁を渡る古写真を見るたびにキハ58のたくましいエンジン音を響かせて駆けている「志摩」を思い浮かべる。見捨てられそうな赤字線で誇らしげに掲げた急行の文字、由緒ある神宮参詣路線を走る重み、参宮快速から脈々と受け継がれていた伝統…それらを一身に背負い近鉄に戦いを挑んだ「志摩」…満身創痍で力尽きた「志摩」にいつまでも想いは尽きない。急行「志摩」よ、永遠なれ!