一話 宗教勧誘
そこは仄暗く球体を中心で輪切りにしたような空間であった。曲面になっている壁は濃い灰色、床には石畳が敷きつめられていて静謐な雰囲気が漂っている。しかし、そんな静かな時が流れる空間に似つかわしくない轟音が鳴り響く。
空間の中心で争う者達がいた。剣、刀、斧、杖、短剣、槍そして両剣を携えた七人の戦士達がいて、その中でも一際目立つ剣を携える者がいた。その者は穢れのない白の甲冑を纏い、右手には白く輝く大剣を握り白いオーラを迸らせていた。そして、七人の戦士達は黒い者と対峙していた。黒い者は輪郭が黒い靄でぼやけていて姿形がはっきりしていなかった。そして、黒い者からは紫と黒の禍々しいオーラが辺りにまき散らされていて、一目でその者は邪悪な存在であることが分かる。
白の甲冑の者が凄まじい速さで黒の者に向かうと、それに合わせて他の六人の戦士達も動き出す。杖の戦士が手をかざすと、目を覆いたくなるような光が空間に生じて、黒い者は真っ白に輝く稲妻に焼かれる。その間に他の六人の戦士は黒い者を囲うと、六方向から一斉に武器を突き出す。しかし、あれ程の雷に打たれても黒い者は無傷で、黒い者を覆うように禍々しいオーラを醸し出す障壁が現れる。六人の戦士が武器を障壁に叩きつけると光と闇のオーラがぶつかり合い、轟音とともに空間全体が揺れる。
黒い者が空中に躍り出ると、無数の黒い突起が床から次々と勢いよく飛び出して七人の戦士達を串刺しにしようとする。七人の戦士各々が攻撃を回避する中、白の甲冑の者は跳躍して、そのまま黒い者に向けて剣を振るう。光のオーラで形成された剣は光の柱と形容していいほど、太く、長くそして光り輝いていた。黒い者は凄まじい熱量と光量に飲み込まれ消滅したと思われた。しかし、光の奔流が収まると黒い球体が空中に鎮座していて、そこには無傷の黒い者がいたのだ。
その後も、黒い者からは黒い雷、黒い炎、禍々しい衝撃波が飛び交い、七人の戦士達は巧みな連携と卓越した技量でそれらを悉く防いでは反撃する。その度に空間が軋むように悲鳴を上げる。超常の現象である魔法と人間離れした武技がぶつかり合う戦いは現代社会の戦闘とは一線を画し、空想上の神話の戦いを彷彿とさせる。そして、黒い者と七人の戦士達はいつまでも戦い続けるのであった―――
白い部屋のベッドで色素の薄いパジャマを着た青年が薄く目を開ける。
(また、あの夢か……)
青年は古川健一26歳。小学校から大学まで何事もなく卒業して、今は化学系メーカーの開発職で働いている。見た目は黒髪の短髪で美しい顔立ちでもなく、かと言って醜い顔立ちでもなくこれといった特徴がない顔であった。健一には仲の良い友達は高校や大学でもそれなりにいたが、就職してからは年に一度会うかどうかだ。両親との仲は新年に帰省する程度である。古川健一という人間は何の変哲もない本当に普通な人間なのであった。
扉が開き看護師が入ってくる。
[古川さん体の調子はどうですか?]
[いやぁ、結構体痛いですね。できれば薬が欲しいんですけど]
[そうですか、医師に鎮痛薬を出してもらうように申請しますね]
健一はヘラヘラと笑いながら礼を述べる。
普通だと思っていた健一の人生に転機が訪れた。ある時胸が痛かったので診察を受けたところ末期の若年性癌であることが分かった。医者には余命は僅かだろうと健一は言われたのである。当初困惑した健一であったが、『まぁ人生こんなもんだろ』と素直に納得してしまうのであった。健一の人生は確かに普通であったかもしれない、しかし健一はそんな人生を十分に楽しんでいたし、なんだかんだ毎日を全力で過ごしていた。そんなこともあり、健一は余命僅かと宣告されても慌てふためくことは無く、妙に落ち着いていたのである。
(心残りと言えば彼女ができなかったくらいか? ちくしょーやっぱ彼女欲しかったなぁ。息子に先立たれる親には申し訳ないと思うが、こうなったらしょうがないよな)
少しの未練と親不孝者であることを心の中で親に謝罪しながら、健一はふと独り言を零した。
[最近見る夢あれなんだろうな]
健一は入院してから黒い者と白の甲冑の者が戦っている夢を何度も見ていたのだ。初めて夢を見た時はあまりにもリアル過ぎて現実だと健一は思ったくらいだ。
(ただの夢だと思っていたけど、実は俺は心の奥底では理不尽な死の宣告に対して抗いたいと思っていて、それが夢に現れたのかもしれない。黒い者は死の象徴で七人の戦士は抗いたい俺の気持ちみたいな?)
そんなことを健一は考えるが、流石に考え過ぎだろうと思いフフッと小さく笑う。そうこうしていると看護師が鎮痛薬を持ってきてくれたので、健一はそれを服用する。
(これ効くけど眠くなるんだよなぁ)
そう思いながら健一は目を瞑ると全身を苛む痛みが引き、眠気が訪れて健一はそのまま眠ってしまった。その後、容体が急変した健一は危篤状態になり、二度と目を覚ますことは無かった。
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[すみませーん。起きてますかぁ?]
くぐもっているが女性だと思われる高い声が聞こえてきたので健一は意識を覚醒した。そして、周りが真っ暗で身動きがとれないことを認識する。
(なんだこれ? 俺が寝ている間に新しい医療装置に入れられたのか?)
声をかけてくれているのは恐らく医療関係者だと思われるので、健一は状況の説明を求めることにした。
[あのー、なんか周りが真っ暗で身動きもとれないんですけど。これどうなってます? 新しい治療ですか?]
[良かったぁ。意識はあるようですね。安心してくださいね、今棺を開けますから]
『棺?』と健一は疑問に思ったが、目の前の蓋が開けられ女性が下をのぞき込むような体勢で健一と視線が合う。その女性は微笑んでおり、慈しみのある眼差しを向けている。その顔は完全な黄金比を体現するかのような均整のとれた美しさがあった。黒髪は肩にかからない程度の長さで、現代風で言うならばショートボブの髪型である。のぞき込んでいるためか邪魔にならないように髪を耳に掛かる仕草が艶めかしい。
[立てますか? 慌てなくて大丈夫ですよ]
女性が手を差し伸べる。健一は恐る恐る華奢で小さな女性の手を握る。そして、棺から完全に起き上がって、女性の真正面に立った。女性のつま先から頭のてっぺんまでまじまじと見ると、人間離れした美しさに息を呑む。顔は小さくモデル体型でありながら胸は明らかに大きい。にもかかわらず、いやらしさは感じずすべてを包み込んでくれる慈愛を感じる。身を包むのは黒の格式高そうなドレスで肩や胸元を大胆に露出しているつくりは妖艶な雰囲気を醸し出していた。その美しさは神々しいの域に到達しており、健一は膝を着いて拝みたくなるほどであった。
これ以上女性を観察するのは流石に失礼だと思い、健一は辺り一面を見まわした。大地に水気はなく荒涼としていて、生物がいる気配は全く感じられない。枯れた草や木が所々に生えているが、それらすべてが炎で燃えている。不思議なことに草や木々から煙は出ておらず、健一は匂いや熱さを全く感じなかった。空は夕暮れの様相を呈しており、血のような真っ赤な色から上にかけて真っ黒な空に変わっていく景色は不気味であった。そんな空の真上を見ると星のような小さな光が無数に揺らめいているのであった。非現実的な光景を目の当たりにして健一は状況を把握しきれず、冷静さを失う。
(どうゆうことだ? ベッドで寝てたと思ったらすごいきれいな女の人に起こされて、世紀末な場所にいたんだけど!!)
健一は口を半分開けた放心状態で固まってしまう。
[いきなりこんなところに来て困惑なさっていますよね。私はこの世界アイシアの女神アンリと申します。信じられないと思いますが、あなたは地球という世界で亡くなりこのアイシアの世界に転生したのです]
アンリという女神の声を聞いて、フリーズしていた健一の頭が回り始めた。
(あれか今はやりの異世界転生っていうやつか? いや、ありえない。俺はまたしても夢を見ているのだろうか?)
夢か現実なのか区別がつかない健一は、未だに放心状態で固まったままであった。そんな様子を察してか、アンリは再び声を掛ける。
[どうやら、まだ混乱されているようですね。ここは夢ではなく現実の世界なのですよ。今一度ご自身の体を確認してみてください]
アンリは微笑を浮かべながら言った。健一は言われた通りに自分の体を検めてみる。右手を振ったり、声を出してみたり、屈伸をしたりと。
(自由に体を動かせるし、こうして冷静に思考することもできる。夢でここまでリアルに動けるものだろうか? それに、服装は病院で着ていたパジャマのままだ。本当に現実なのか……)
いよいよ今の状況が現実であると認識し始めたところで、健一はいくつか疑問が浮かんだので、アンリに質問してみることにした。仮にこの状況が現実であるならば、この状況を引き起こしたアンリは超常の存在である。こちらの態度一つで何をするか分からないため、健一は慎重に言葉を選びながら口を開く。
[女神アンリ様、一度死んだこの魂をこの世界に再度生を与えてくださったこと真に感謝いたします。もし、許して下さるならいくつか教えて頂きたいことがございます。どうかこの卑しい身にーー]
健一が恭しく述べていると
[もう、そんな他人行儀な態度をされると私悲しいです。友達と会話するくらい気軽に話してほしいです]
少し頬を膨らませながら、拗ねたようにアンリは言うのであった。
[それなら遠慮なく。周りを見る限りここに生命体がいるように見えないんだが、アイシアってこんな不毛な世界なのか? アイシアってどんな世界なんだ? どうして、俺は転生者になったんだ? 他の人ではダメなのか?]
健一は矢継ぎ早に疑問の説明をアンリに求めた。
[一気に遠慮が無くなりましたね]
[気軽に話せとアンリが言ったんだ。これで不敬と言われても俺は悪くない]
[そんなこと言いませんよ。むしろこうして心の距離が近くなって嬉しいです。そうですね、順を追って説明します]
[まずアイシアについてですが]
アンリによるとアイシアはアンリともう一人の女神アウラによって創造され、地理 (海、山、川、森など)や生物は地球に似ているらしいが一つだけ大きく違う点があった。それは魔法の存在である。そのため工業や科学は発展しておらず魔法を基盤としたいわゆる剣と魔法の世界なのであった。そして、アイシアには平均的な能力を有する人間、身体能力に優れた獣人、魔力に優れたエルフの3つの人種がいるそうだ。
[それでここがどうして不毛な場所かというと、ここは現世で生命活動を終えた末に魂が行きつく場所地獄なんですよ。実は私、地獄を管理する死と輪廻を司る女神なのです]
[つまり、地獄の支配者であられると。それは女神ではなく邪神なのでは?]
健一は訝しんだ。
[邪神じゃないですよぉ、女神です! それで、私は今大変困っていることがありまして]
(うわぁ、この流れは確実に困りごとを解決するように仕向けるやつだ。『困りごとはなんですか?』って聞き返したくねぇ。それも、地獄を管理する邪神なんかに……。この状況で話を聞かなかった場合どうなることやら。最悪、そのまま二度目の人生に終止符を打たれることもあり得るぞ。見た目は優しそうだけど、相手は地獄を支配する邪神なのだから)
そんなことを思う健一であったが、健一を転生させたのはアンリなのだ。従って、殺すも生かすもアンリ次第なのである。そう考え、健一は意を決する。
[それで、お困りごとは何でしょうか?]
健一は半ばやけになって聞き返した。
[良くぞ聞いてくれました! 現在、私の力が弱まってしまって存在を保つのもやっとの状態なんです。このままいくと私消えてしまうかもしれないのです]
そのまま消えてしまえと思ったことを健一は何とか頭から追い払う。
[なるほど。それで、俺にやってほしいことがあるんだろ?]
[話が早くて助かります。あなたには私を地獄から地上に連れ出して、地上で信者を増やしてほしいのです。信者が増えれば私の力も戻るはずなので]
[女神なら自由に地上に行けるんじゃないか? なんか超常的な力を使って]
[それがそうもいかなくて……。女神の力の源は信者の信仰なのですが、実は私を信仰する宗教は邪神教として非難され滅ぼされてしまって……。今私に信者は一人もいないので大きな力はほとんど使えない状況なのです。そもそも地上と通じる門には門番がいますので私一人じゃ抜けられないんです]
(やっぱ、邪神じゃねぇか……)
ラーゼスは密かにそう思ったが何も言わない。
[そこでアイシアのお隣の世界地球の神様に相談したら、『アイシアに波長の合う人間をそっちに転生せるから頑張って』と言われまして]
(おい! 地球の神様、何勝手に転生させちゃってんの! そういう大事なことは本人に伝えような。しかも転生先が地獄ってどんな罰だよ。俺はそんなにも罪な人間だったのか?)
[そういうことであなたはここに転生したのです。ちなみにあなたは私の最初の信者にしちゃいました。洗礼名はラーゼス・グレンバック、すごく良い名前じゃないですか?]
手を合わせてニッコリとほほ笑むアンリ。どうやら、健一は死を司る邪神を信仰するもの好きにすでになっていたらしい。
[勝手に地獄に転生させて、勝手に信者にして、勝手に名前も決めやがってまさに邪神の所業だ]
[すみません。怒っていますよね。本来ならあなたは地球で安らかに眠るはずでしたのに……]
アンリは悲しい表情をして、顔を伏せた。
[いや、別に怒ってはいない。むしろ感謝しているくらいだ]
確かに状況の変化に大きく混乱したが、一度死を経験したせいか健一は不思議と今の状況にワクワクしていた。夢にまで見たファンタジー世界を冒険できるのだ。それに、折角頂いた命である。邪神だったとしても健一には恨みなんてものは無かったのである。
[あの、本当に怒ってないんですか? 私地獄の管理者で人間達に嫌われてて、信者もいなくて、勝手にあなたを転生させた張本人なんですよ?]
[怒ってないって言っただろ]
健一は誠意を表すために、現時点で考えられる最上の礼として片膝をついて跪いた。
[私は女神アンリの最初の信者であり、洗礼の証としてこれからはラーゼス・グレンバックを名乗ることそして命尽きるまで永遠の信仰を貴方に捧げることをここに誓う]
[本当に、本当にありがとうございます。私の愛おしい子ラーゼス。これから厳しく苦しい旅路になると思いますがどうかよろしくお願いします]
アンリは涙を浮かべながら言った。
[アンリとは一蓮托生だ。こちらこそよろしく頼むぞ]
こうして前世の古川健一は死んで異世界アイシアの地獄に転生した。そして、女神アンリの信者ラーゼス・グレンバックとして新たに生きることになったのである。地獄からのスタートは前代未聞であり、アンリが言っていたようにこれから厳しい苦難が幾度も訪れることになるだろう。それでも健一改めラーゼスには不安は無かった。一度死んで多少の事では動じなくなったこともあるが、何となくこの女神とならうまくやっていけそうだと思ったからである。
(前世が普通な人生だったんだ。邪神教を広めるために、地獄からスタートするなんてむしろ新鮮で面白いじゃないか)
前世は平和で楽しい生活を送っていたが、毎日がルーティンと化していてこの生活が一生続くんだと当時のラーゼスは思っていた。しかし、これからは何が起こるか分からない異世界を冒険できると思うとラーゼスの胸は高鳴った。そんなことを考えながらラーゼスは不敵な笑みを浮かべるのであった。
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