時間がループするこの世界で(短編ver)
学校の授業が終わった放課後の夕暮れ時に自転車を持つ俺と幼馴染の女の子は、歩いて家に帰ろうと校門を潜る。
校門から足が出ると同時に俺の目の前は真っ暗になる。
目が覚めると、俺は校門から学校を出る直前に戻っていた――。
確かに校門から出たはずなのに、俺の体はまだ学校側にいる。
俺が足を止めたのが気掛かりとなった様子の幼馴染は、それを指摘してくる。
「どうしたの? 帰らないの?」
まただ……。時間が、巻き戻っている!?
◇◇◇
俺は天野寿史、中肉中背のどこにでもいる冴えない高校一年生。部活もしないでダラダラと高校生活を過ごし、あわよくば何も起きず、何もしないで高校生活が終わればいいと夢見る学生――という所だろうか。
趣味はなんだと聞かれれば、読書と答えるかもしれないが……漫画を読むのが読書になるのかは、人によるだろう。
こんなひねくれた性格をしている俺には、学校での友達が少ない。
数にすれば一人。幼馴染の女の子、九重奈緒のみである。昔は俺を含めた三人組だったが、今は奈緒一人だ。
俺たちの家は、山々に囲まれたド田舎でそもそも同年代の友人が少なかったが、中学、高校と学校が変わったり、学年が上がるごとに更に少なくなった。それに加えて、数年前にあった地震でより少なくなり、今や奈緒以外に友達はいなくなってしまった。
奈緒は、俺と違って人気がある。容姿端麗、才色兼備と完璧を追求した先に到達しうる完成形とでも評せる人物だろう。これは、俺が幼馴染だからひいき目に見ているとかでは無い。俺と奈緒の違いを日頃から味わっているから言えることなのだ。
腰まで届くくらいの長さで枝毛ひとつ無い綺麗な黒髪に、長く凛としたまつ毛、深く透き通った瞳をした清楚に紺色の制服を着こなす彼女は、俺が人生で初めて出逢えた友達だ。
そんな感じで隣からチラチラと何かの小説を読んでいる彼女を観察していると、本当に自分が隣にいていいのか、と思いに耽けるくらいの完璧美少女で自分が情けなくなってくる。
俺たちは、いつも通り学校へ登校する為にバスに揺られ続けている。奈緒は通路側で小説を読み、俺は窓側でスマホのアプリで漫画を読む、といのが日常のひとコマになっている。
俺がチラ見しているのがバレたのか奈緒が急にこちらを向いて話しかけてくる。
「何、読んでるの?」
っ……まさか、見てたのバレたか!?
俺は内心焦っていたが、ポーカーフェイスには自信がある。無表情を突き通し、簡単にスマホで出していた漫画のタイトルを答えた。
「……バケマン」
「新しいの買ったの?」
「いや、これ無料のやつ……」
「面白い?」
「面白い……」
「ふーん」
それだけ言うと奈緒は再び読んでいた小説の方に顔を戻す。
良かった。なんでもないいつもの会話だ……。
このやりとりは、バスの中での俺と奈緒との会話ではいつもしている挨拶くらい頻繁的に行われるものだ。
とりあえずバレてはいなさそうなので俺は肩透かしし、もう漫画の世界に戻ろうとスマホに集中しようとする。
しかし、それは出来なかった。さっきまで考えていたことがぶり返してきたからだ。
奈緒は学校のアイドルそのもので、今の高校に入学してから告白を受けた回数は、もう俺には数え切れないほどだった。
学力では、中学から常に成績はトップ。昔は俺も張り合っていたが、今では差が開いたままだ。
体育でも持ち合わせの身体能力の高さからクラス内で女子が話題にするのが当然なほどだ。
そんな超人と何の取り柄もない俺なんかが、何故隣にいれるのだろうか。幼馴染だから? 本当にそんな理由でこのまま隣に居続けていいのだろうか。
さっきの会話もそうだ。奈緒は俺に話し掛けてくれるが、俺はいつも適当な返事を返すだけ。普通なら、お前つまんねーんだよくらい言われても仕方がないのを俺は自覚している。
俺は恐る恐る奈緒が怒っていないか確認する為にスマホを見ているフリをして奈緒の横顔を窺う。
「何?」
俺が見ていたのに気づいた奈緒がこちらを振り向く。
やべ! 気付かれた!
「べ、別に……なんでもねーし」
俺は瞬時に視線をバスの窓の外に向けて誤魔化す。
「ん?」
こんな感じで、俺も長年奈緒の幼馴染をやっているが、流石に考えていることまでは分からない。
◇
◇
◇
俺たちはバスから降り、バス停近くにある駐輪場へと移動した。バス停から学校までも距離があるのでいつも自転車を使って通学している。
外は快晴とは行かないが、疎らに雲が浮かんでいるが太陽は下界を行く俺たちを照りつけている。心地よい風が吹いているおかげで暑くはなく、丁度良いという感じだ。
このバス停付近にも駐輪場以外何も無く、本当に自分が田舎育ちだなと実感する。
駐輪場といってもそんなに停められる場所はなく、狭い。その為、自分の自転車を見つけるのは簡単だ。
俺はほぼいつもの場所に置いている自転車ーーいわゆるママチャリを見つけて引っ張り出し、籠に背負っていたバックパックを入れる。
「奈緒、自転車あったか?」
いつもなら俺の後ろの列辺りに自転車を置いているはずの奈緒に自転車に跨りながら声をかける。
すると何故か奈緒は自転車を探す様子はなく、俺の自転車のすぐ後ろにいた。
「……何してんだ? どうかしたのか?」
何故か奈緒は俺の質問に答える前に、俺の自転車の後ろの座席に乗っかった。
「んん??」
何のつもりだ? 急に思い付いたギャグかなんかなのか……?
「今日は……一台で行く」
そう言って奈緒は自分の鞄を俺の自転車の籠に入れる。
「いや、これ車じゃないんだけど……。まさか、自転車盗まれたのか!? それなら警察とかに行かないと!」
基本的に奈緒は自転車に備え付けの鍵だけでなく、二重ロックを付けていたはずだった。俺も母さんに言われて最初は付けていたが、最近は面倒になってやっていない。だから奈緒も同じようにして盗まれたのだと思った。
しかし、奈緒は首を振ると風が吹いて靡く髪を抑えながら続ける。
「き、今日は、ひさしの自転車に乗りたい気分……なの!」
奈緒の珍しい我儘だった。数ヶ月に一回ほどこの我儘は発動する。特に誕生日とかではない、ただの気分なのである。
日頃から勉学の面で多大な恩恵を受けている奈緒に対して、いつもなら断らないのが普通なのだか……今回ばかりは他の目もあるだろうし、断らせてもらう。
「それはダメだ、俺が漕ぐのが苦しくなるし……俺たちの関係が怪しまれかねない!」
俺がその言葉を発した瞬間、目の前が急に真っ暗になる。
…………は? どうしたんだよコレ……。
俺は目なんか瞑っていなかった。その証拠に自分がその場に立っている姿はよく見えるし、自分の手が自分の体に触れた感触も確かにある。寝ているわけじゃないし、夢を見ているわけでもない。
俺は怖くなってきた。自分がなんかの病気なのではないかと悪寒が背筋を凍らしてくる。
「奈緒! どこにいるんだ、奈緒!」
奈緒に助けを求めるのは、男としてどうかと思い口にはしなかったが、助けて欲しさで溢れていた。
「っ――」
俺がもう一度「奈緒」と叫ぼうとする前に視界がクリアになった。俺の目の前には自転車があり、俺はその前に立っていた。確かに俺は駐輪場の中にいる。
元に戻った……? でも……俺、自転車に乗らなかったっけ? そういえば視界が暗くなった時も、俺は覚えはないが立っていた――。
今のは何だったんだ……?
考え込むとまた怖くなるので考えるのを止め、俺は再び自転車に跨る。
すると、俺の自転車の後部座席に誰かが乗ったのが分かった。後ろ振り返れば、当然のように奈緒が座っている。
俺が座るのを待っていたのだろうか。それにしては何の反応もなく座ったけど……。
「何してるんだ……?」
「今日は……一台で行く」
さっきと同じフレーズを言うと、奈緒は俺の自転車の籠に鞄を入れる。
な、なんだ……デジャブ?
「いや、さっきもそれ聞いた……」
俺の言葉に予想外の反応をする奈緒は意味不明のような顔をし、さっきと同様に風で靡く髪を抑える。
「さっき……? いつの話?」
「ついさっきも言って――」
もしかして、さっき見たのは俺の予知夢みたいなものだったのか? でも、俺は寝た覚えはない。どうなってんだ……!?
「ねぇ、そんなことはいいから早く行こうよ」
……まぁいいか、夢だったことにしてさっさと学校へ行こう。ここで悩んだとしても、無駄に時間を割くだけだ。
「……自分のに乗れよ、あるんだろ? もう結構時間が押しているはずだし、二人乗りは効率悪いって――」
その時、再び俺の視界が真っ暗になっていった――。
その暗闇の中は、俺一人突っ立って、まさしく自分一人しかいない孤独な世界だった。
「っ――なんだコレ……? また同じことになったぞ! なんなんだ!? もしや怪奇現象!? 宇宙人襲来!? 二次元的策略の始まり!? 重い病!? 天変地異!? も~う、どうしろってんだよっ!!」
俺は困惑しきると、疲れ果てて溜息を吐く。
「はぁ……。マジでなんなんコレ?」
俺が俯いているといつの間にか視界が戻り、駐輪場の自転車の前に立っていた。
またデジャブ……。
……デジャブ二連続……。これってまさか、時間が戻ってる!?
「ねぇ、乗らないの?」
俺のが自転車に乗るのを待ちわびたように奈緒が俺の後ろに立っていた。
俺は確認の為に恐る恐る奈緒に質問を投げかける。俺の予想が正しければ、奈緒の返答は一つのはずだ。
「ど、どうしたんだよ……」
奈緒は再び吹く風で靡く髪を三度抑えながら返答を返してきた。
「今日は……一台で行く」
やっぱり! 俺だけ時間を巻き戻っているんだ!
本当か? それなら今の時間はどうなって――
ここまでのやり取りで時間が戻っていないなら、もう10分くらいは経っているはずだった。それなら、もう急ごうと俺は慌てて自転車を素早く漕いでいる時間帯だ。
俺は左手に着けているデジタル式の時計を確認する。
時刻は――7時50分になっていないくらい。だから少しだけ余裕はあるし、10分も経っている様子はない。
これで俺の時間が巻き戻っている、という仮説が真実味が出てきた。
さっきのバスは俺たちが降りたバス停に7時42分ほどに到着する予定になっていて、いつも客が疎らなあのバスでは、凍結が無い限りほとんど遅延なんてしない。バス停から駐輪場まで2、3分掛かるとしても大体45分から50分。長く見積もっておよそ5分の間にさっきのやり取りプラス、俺が暗闇の世界に囚われた時間を合わせるのは不可能に近い……。本当に俺は、怪現象にあっている!
俺の中でほぼ確実視された怪現象。
しかし、それに対して俺がどうすればいいのかという解決案というのは存在しない。
「ねぇ、早くいこうよ」
俺が頭で考えているのを奈緒の声で現実に引き戻される。
あ、奈緒のこと忘れて考え込んでいた。だけど、この時間が巻き戻る現象に対して俺はどうすればいいのだろうか。これを解決しないことには、時間が巻き戻って学校に行けない。
まず、怪現象に遭っているのが本当なのか確かめよう。
今の時間が7時51分。時間が巻き戻っているなら、また暗闇の世界に行けばそれより前に時間が巻き戻るはず。では何が時間が巻き戻る要因となっているかだけど……まぁこれしかないか。
「お前は自分の自転車に乗れよ。子供じゃあるまいし、なんでも俺に頼るな」
まぁ、いつも頼っているのは俺なんだけど。
俺の予想は当たり、また視界が暗くなる。
よし! 要領は分かったぞ、奈緒の願いを拒絶することが時間が巻き戻るファクターになっているんだ。
さて、時間はどうかなっと――。
俺は暗闇の中で時計を確認しようとする。しかし、俺の時計は表を見ても裏を見ても真っ暗で、時間なんて分からなかった。
時間が巻き戻っている最中は時計を見ることができないのか。
まぁいい、目が覚めれば分かることだ――。
俺の視界は元に戻る。目の前には自転車、俺の後ろには奈緒。
さっきと一緒だ。
俺は直ぐに時計を確認する。見てみると、思った通り7時48分だった。
これで時間が巻き戻っている証明はできた。さて、奈緒の願いを拒絶するのがファクターなのであれば、このループを抜け出すことができる方法には見当がついている。確証があるわけじゃないからこれも実験だな。
俺は奈緒の方を振り向くと、自然な感じで奈緒を誘う。
「奈緒、今日は俺のチャリで一緒に行くか?」
奈緒は俺の言葉を聞いて最初は驚いた様子を見せたが、直ぐに幼馴染である俺でも見惚れるほどの可愛い笑顔をして答える。
「――うん」
俺はその表情にあてられ、視線を逸らして口元を手で覆った。どんな顔をしているか自分でも分からなかったからだ。
っ……それは予想していなかったっ……!!
「どうしたの? 早くいこ♪」
機嫌のいい奈緒は俺に更に近寄って来て自転車に乗るよう促してくるので、俺は顔を見られないように自転車に跨る。
奈緒が自分の鞄を俺の自転車の籠に入れたので、俺は早速無言で自転車を漕ぎ始める。今何かを言おうものなら、緊張が相まって滑舌がどうなるか予想できなかったからだ。
なんとなく駐輪場から道路の脇道へ出て初めて、俺はループを抜け出したことに気が付いた。
あっ……やった。怪現象から遂に抜け出した! よし!
俺は嬉しさのあまり、口元が緩んだ。
結構長く駐輪場に囚われていたけれど、抜け出す方法があんなにシンプルだったとは……。いや~ちゃんと抜け出せる怪現象で良かった!
――でも、もうあの駐輪場に近づきたくないな。
そんなことを考えている俺の後ろから奈緒が抱きしめるように俺にしがみ付いてきて、俺の思考が奈緒の体にシフトする。昔は意識しなかったが、中学から奈緒の体に変化があって俺も困惑した時期もあった。そんな変化の一番である凹凸がはっきりした胸が今、俺の背中に押し付けられているのだ。
か、考えるな俺! これは奈緒、いつもの奈緒。俺が何を考えようとも、後ろにいるのは奈緒なんだぞ!
俺は考えないように運転に集中しようとするが、風は後ろに吹いているはずなのに奈緒のふんわりと広がるような良い匂いが漂ってきて、思春期の成り立ての高校生男児にこの状況に耐えるのは不可能だった。
俺は体を丸めて学校を目指した――。
良い匂い……じゃなくて! ぼ、煩悩退散……!!
◇◇◇
俺たちは先生に見られると厄介に思い、学校に着く少し前で自転車から降り、歩いてこの私立薙沢高等学校の校門を通る。
この学校はこの辺ではそこそこ有名で、毎年そこそこの大学へ生徒を進学させている。
スポーツにも力を入れているらしく、特にバスケが強いらしい。
俺は近いところの学校を選んだつもりだが、結局家が田舎だから遠かった。
俺は学校の駐輪場に自転車を停め、付いて来てくれた奈緒と共に下駄箱の方に歩いていく。
奈緒は恥ずかしいからか少し頬を赤くしながら俺にお礼を言ってくる。
「ありがとう……」
俺はそれに対して自然な感じで答える。
「別にいいよ、俺たち幼馴染だろ」
「う、うん……」
内心では、俺の方が何度も「ありがとうございます」と「ごめんなさい」を繰り返し言っていた。
俺、奈緒に対してなんであんなこと考えたんだろう……。自分が情けない。
奈緒がそれ以降無言になり、俺も正気に戻れたことで、教室に着くまでにさっき起きた現象について考えることにする。
何故、俺にあの現象に陥ったのか……。
時間が巻き戻るだけなら、奈緒と一緒に時間が巻き戻っていてもおかしくはないはずだ。だけど、奈緒にはそんな様子はなかったし、むしろ意味不明って感じだった。だからあの時に時間をループしていたのは俺だけということになる。
俺限定の怪現象……俺の病気という線もまだ無くなったわけではないけれど……。
そして、ループの原因も奈緒っぽかった。奈緒に対しての俺の反応が着火剤となって現象が起き、抜け出すことができたのも俺の反応がそれまでと異なっていたからだった。
だから、ループを起こしているのは奈緒である可能性が高い……。もしそうなら、何の為に?
――わっかんねー……! 俺、こういうの別に得意とかではないんだよなぁ。漫画を読みあさっているからって、分かるわけないし。
とりあえずは、奈緒が怪しいってことで。それ以上は、また何かあれば考えれるでいいでしょ。
っても、俺が奈緒について知らないことなんてあるか?
確かにスリーサイズとかは知らないけど……。こいつ、結構胸あんだよな。さっきも自転車に乗ってた時当たってたし。
うん、柔らかかったよな、多分。
俺はかなり煩悩に負けていた。
そんなことを考えている内に俺たちは教室に到着する。
俺と奈緒の席は近い。最初は名前順で席は遠かったが、席替えをして今は俺が窓側一番後ろの席、奈緒はその隣の席だ。だから分からなかった授業があれば簡単に聞けるし、聞いてなかった話があれば教えてもらえる。俺にとっては素晴らしい席順だ。
俺は無言で自分の席に腰を下ろしてバックパックを机の隣に置くが、奈緒は席に着くと同時に一人の友達に話し掛けられる。
「おはよう、奈緒ちゃん! 今日も天野君と仲良く一緒に登校?」
「うん」
奈緒が高校で初めてできた友達の瀬川千歳だ。短髪の見た目通り明るいコミュニケーション能力の高いスポーツ女子、俺とは対照的な人物。
しかしおかしい。今日はハイタッチというものをしていない。いつもはノリノリで食ってかかって挨拶と同時にやりにいくものを……。
まあ、いつもテンションが高い奴なんかいないか。あれでも、俺からしたらテンション高く見えるくらいだけど。
「天野君もおはよう! 今日も寝癖がきまってるね!」
千歳さんが俺にも挨拶をしてくるので、俺はいつもしている素っ気ない挨拶を返す。
「どうも」
「……ひさしの寝癖はかっこいい」
張り合っているのだろうか、奈緒は「フンスッ」と胸を張って俺の寝癖を褒め称える。
そんなに寝癖が出てんのか!?
俺は席を立つ。トイレで寝癖をなおしてこようかと思ったからだ。
「ひさし、どこ行くの?」
なんだ? いつもは気にしないのに珍しい……。
「別に……トイレだよ」
「寝癖、直さないでね」
「え……なんでだよ?」
「それ、かっこいいから」
奈緒の無表情から出た言葉だから冗談だと思った。けれど、俺はチョロい男だなとつくづく思う。こんなちょっとした言葉を嬉しく感じてしまうんだから。
俺はトイレに行くのを止めて椅子に座り直す。
それを見た千歳さんは疑問に思ったのか
「どうしたの? トイレに行くんじゃなかったの?」
とニヤニヤしながら聞いてくる。
俺は机に肘をつき、窓から外を眺めながらそれに答える。
「別に……気が変わっただけ」
俺は多分、場を考える余裕もなく結構ニヤケていたと思う。俺の心に奈緒の言葉がいい具合に突き刺さったものだから。
「へぇ〜」
千歳さんが微妙な反応をしていると、たった今登校してきた女の子二人組が二人にいつもの挨拶を掛ける。
「っはよー!」
「おっは~、チーに奈緒たん♪」
一人は渡部三春。茶髪の平行ボブでワンポイント花の飾りが施されている赤いカチューシャを頭に着け、ブレザーの中にカーディガンを着ている割と人気のある女の子。
前はそのカチューシャがポリシーと言っていたが、それはトレードマークのことじゃないかとツッコミたかった。そんなこともあってバカっぽいってのが俺の印象だ。
二人目は杉内遥。黒髪を後ろから見るとリボン型になっているシュシュで纏め、顔の横から触覚のように髪が垂れている。今はブレザーは着ていなく、シャツを捲ってカーディガンを腰に巻いている。この人に対する俺の印象は、可憐で頭が良く、おまけに面倒見がいいというところだろう。尊敬もできる素晴らしい人材と考えたこともあるくらいだ。
この四人組が奈緒にとってのイツメンということなんだろう。いつも仲良く話しているのを俺は横で見ているのが日常となっている。
チーは、千歳さんが友達から呼ばれる時のニックネームみたいなものだ。でも、何故か奈緒だけは誰もニックネームで呼ばないけれど。
「何話してたん?」
「ん? 奈緒ちゃんと天野君がいつも仲良いねってさ!」
ぐっ……黙秘だ、俺は知らん。
「そう?」
「ねぇねぇ聞いて、奈緒た~ん」
三春さんが奈緒に抱き着いて演技のような悲し顔をする。
「うち、このまえのテストで赤点あってまた親に怒られたの~!」
「……それじゃあまた今度わたしの家で勉強会する?」
「するー! 奈緒たん大好き♡」
「またこの子は……あたしも手伝ってあげるよ」
「じゃあウチも!」
「いいよ」
三春さんの我儘を受け入れる奈緒と遥さん、それに便乗する千歳さん。いつもと変わらぬ日常風景だな。
「皆大好き♡ あっ、でも天野君はダメだよ? ここはうちの女の園なんだからね!」
「いや、俺何も言ってないし、行く気もない……」
その時、何故か遥さんが俺を見ていたようで目が合った。すると、遥さんは俺から目を逸らす。
なんだ? また寝癖か……?
◇◇◇
今日最初の授業である国語が始まったが、俺はというと駐輪場で起きた怪現象が気になって授業に身が入らなかった。
まず第一にあれは俺だけに起きた現象で、時間が巻き戻るという事象を引き起こす。奈緒が時間を巻き戻る度に同じことを言っていたから。
第二に怪現象を起こす引き金となっているのが奈緒、もしくは俺の言動だということ。現に俺が奈緒の提案を了承した途端に怪現象は起きなくなった。
第三にあの時は俺と奈緒以外の人が近くにいなかった。人の少ない場所というのは、神隠しなどの怪現象が起きやすいという考察はあった気がする。まだ分からないが、周囲の状況も怪現象を引き起こす要因になっているかもしれない。
第四に今日初めて起きた現象だということ。これまでは奈緒の提案を断っても同じことになった経験はない。昨日今日、もしくはここ最近に怪現象を引き起こすスイッチをどこかで踏んでいるかもしれないということ。
まぁでも、もう一度同じことが起こらないと何も確かめようも無いんだけれどね……。
「――の。おい、天野」
誰かの声が前の方から聞こえて俺は現実に引き戻される。
「ん?」
「ん? じゃない、早く読め」
国語の授業中に怪現象の考察に夢中になっていて授業の内容を聞いてなかった俺は立ちあがり、慌てて開いていた教科書のどこを読めばいいのか探しだす。
しまった! 聞いていなかった! 読め? どこだ……!?
俺が焦って教科書を凝視していると隣から小さな声が飛んでくる。
「ここ」
その声のする方を振り向くと奈緒が教科書を開いて見せてくれ、これから読むであろう文章の箇所を指差して教えてくれているようだった。
俺は奈緒の顔を見て、さっきまで考えていたことを思い出す。
奈緒が怪現象の原因だとすれば、全ての仮設が全部はまるんじゃないか? 俺に影響を与える人物とすれば、奈緒が一番適任だ……。
「天野ー?」
再び聞こえる先生の声で我に返り、奈緒の指差した場所を上から読んでいく。
◇
◇
◇
「はーい、そこまででいいよ。じゃあ次からを……」
教科書の文章を読み終えた俺は席に腰を下ろすと安堵して肩を下ろす。
ふぅ……。先生も何ページの何行目の箇所を読めとか言って欲しいな。
「良かったよ」
奈緒は先生の目を盗んで俺の方を見て言うので、俺も小声で奈緒に感謝し、もう授業に集中しようと黒板を見る。
「あ、ありがとう……」
恥ずかしさもあったが、奈緒に見られるのは慣れている。
俺の言葉を聞いて奈緒は笑っているように思えた。
……やっぱり奈緒でも恥ずかしい…………。
朝二人乗りしたことを思い出して余計にそう思ってしまっているんじゃないだろうか。
「ふふふっ、可愛い」
やっぱり奈緒は笑っているようで俺の顔を見てそんな言葉をこぼしていたのを聞いていた俺は、恥ずかしかった為に教科書で顔を隠す。
◇◇◇
今日の最後の授業が終了して放課後になると生徒達は帰る準備をしたり、部活に行く準備を始める。
俺も授業が終わってホームルーム終われば、ぱっぱと帰る準備を始める。俺は部活には入っていないし、運動にも興味がない為これ以上今日は学校に用は無い。
今日は怪現象にもあったし、それについて考える方が大分充実した時間を過ごせそうだ。しかし、こんな人がいる場所で考察しようにも俺がどんな顔で考察するか分からない。考えるならベッドの上の方がいい、そのまま眠ったりしてもいいわけだし――我ながら怠惰だな。だけどそれがいい! それこそが俺だっ!
「今日もまっすぐ帰る?」
友達と別れを済ませた奈緒が隣の俺を向いて話しかけてくる。しかし、その友達の中には何故かいつもいるはずの千歳さんはいなかった。
最初は色んな所に勧誘を受けていた奈緒だったが、結局は俺と同じ帰宅部となっていたが、千歳さんは俺たちと違って陸上部で部活がある。しかし、それでも毎日奈緒には何か言って部活に行っていたから珍しく思った。
「千歳さんは、いなかったのか……?」
「うん、もう教室を出てたみたい」
奈緒は千歳さんの机を見て話す。奈緒も何か気掛かりがあるのだろうか。
あいつが奈緒に何も言わないで帰るなんて初めてなんじゃないか?
「また後ろに乗せてよ」
奈緒のこの頼みを俺は断ることができない。また怪現象が起きるのは面倒だからだ。
起きるという確証はないが、だからといって試しに断ってループに入ったとして絶対に抜け出せるなんて確証もない。
「……いいよ」
◇
◇
◇
外はまだ明るく、朝よりは肌寒くなかった。
校内で二人乗りをすると教師がいたら怒られるので俺は自転車を引いて学校を離れてから奈緒と二人乗りしようとしていた。
自転車を持ってくると校門のすぐ横で鞄を持った奈緒が待っている。その奈緒をガン見する生徒達が見惚れた様子で眺めながら校門を潜って行っていた。
「なんだあの子……あんな子がこの学校にいたのか!?」
「か、可愛い……」
「顔ちっさ!」
「名前なんていうのかな……?」
「お前知らないのか? 一年で学年一の成績だったっていう九重奈緒さんだ。頭も良くて、あの美貌ってすごいよな~」
「うんうん」
奈緒ってやっぱ傍から見ても評価がすごいんだよな……。入学してからずっと告白をされ続けているみたいだし、俺が隣に並んで帰っていいものなのかな。
奈緒は俺を見つけると俺に所に歩いて寄って来るので、恥ずかしくなった俺は足を止めて視線を逸らす。
「ひさし、遅い!」
「……う、うっせ。――帰るぞ」
色々考えたが、今答えを出すことができなかった俺は、問題を先送りにしてとりあえず学校から離れることを選んだ。
「うん♪」
俺は自転車のハンドルを握りながら奈緒の顔を見ずに並んで一緒に校門を出る。
その瞬間、俺の目の前が暗くなる。朝と同じ、自分以外視認できない真っ暗な世界に入り込んだ。
は?
なんでだ……!? 俺は何も言っていないし、むしろ二人乗りを了承したはずだ。意味が分からない!
何かを言っていないとか? 今回も何か俺か奈緒に原因があるはず……。
暫くして目の前がまた明るくなると、俺がいた場所は校門のすぐ前でほんの2、3秒前の光景だった。隣には奈緒もいる。
時間が巻き戻ったのはこれだけ……? ここで何をすればいいんだ?
もしかしたら、俺は関係無い?
少し先に行っていた奈緒は、歩くのを止めてその場に留まった俺に気付いたようで振り返る。
「どうしたの? 帰らないの?」
「い、いや……」
俺に関係が無ければ、このまま校門を出ていいはずだ。どちらにしろ、学校は出るつもりなんだ。実験ついでにもう一度学校を出てみよう。
「勿論帰るに決まってんだろ」
俺は再び歩き、奈緒と一緒にもう一度校門を出る。
しかし、俺の想定とは違って俺はまた目の前が暗くなって目が覚める。怪現象の再発が起きたのだ。
っ――どうしろってんだよ……! こんなのムリゲーだろ。
なんかあるのか……? それなら何か考えるしかないが……。
奈緒がその場に止まった俺に気付いてさっき聞いたセリフを言う。
「どうしたの? 帰らないの?」
奈緒が原因だと考えて褒めてみるか。朝はこいつが嬉しそうになったからループを抜け出したのかもしれない。
奈緒の褒められるところ……あり過ぎるな。
「奈緒ってかわいいよな」
「へっ!?」
奈緒の顔は一気に赤面し、驚いた様子を見せる。
顔が赤くなったか? もう一押しだけしておくか。
「奈緒ってスポーツも万能で料理もできて本当になんでもできるよな!」
「なっ、何、急に……?」
これくらい言えば大丈夫な気がする。これ以上は何か企んでるとも思われかねないし、そろそろ出るか。
「いや……帰るか」
俺は再び自転車を運びながら校門へ足を進める。
「ど、どういうこと!? ちょっと、ねぇ! ひさしってば――」
俺たちは、三度目の正直で校門を出る。
しかし結果は変わらず、俺はまたループして校門を出る前の時間に戻っていた。
なんで……っ!!?
奈緒からまた三回目のあのセリフを俺は聞くことになる。
「どうしたの? 帰らないの?」
どうしたのじゃねーよ、帰れねーんだよ! 俺は帰りたいんだよ……。
落ち込んで反応しない俺を心配する奈緒は俺の所に戻って来る。
「ひさし?」
もう自棄だ! 別の言い回しで褒め倒す!!
◇
◇
◇
その後、俺は精神を削って何度も言い回しを変えては、奈緒を褒めて校門を出るという行為を続けた。
「奈緒って皆に人気があってすごいよな!」
「めちゃめちゃ可愛いぞ奈緒!」
「美しい! ヴューティフォー!!」
「お前、アイドル、やらないか?」
「お前、運動やってる時の汗とか、なんか聖水みたいに輝いてるよな!」
成功は無く、それがかれこれ十回を迎えた頃だった――。また時間が巻き戻ると、俺は自転車に寄りかかって俯く。
もう無理、諦める。汗は出ないけど、心が……精神が疲れ切ってるよ。
てか、俺何言ってたんだ? 最後の方は、我ながらもう気持ち悪かったな……。
俺は帰ることを諦めた。
今思えば、朝のループも言い回しを変えても拒否していたことに変わりなかった。褒めるのは一回やった時にやめるべきだったんだ……。今更だけど。
俺の精神時間だけがずっと進んでるっていうのに、無駄な時間を過ごした……。
「どうしたの? 帰らないの?」
何度目だろうかという奈緒のこの言葉。それに俺は溜息をしながら別の返答を返す。
「はぁ……。やっぱ、まだやることあった」
「何するの?」
「わからない。だけど、なんかあるみたいだ」
「…………」
奈緒は困惑しているようだった。当然だ、俺もこんなことを言われれば返答に困る。
「だから俺、探してくるよ。帰るなら自転車貸すけど」
原因が奈緒と分かった今、奈緒と一緒にいる必要はないはずだ。
「いいよ、一緒に行く。じゃないと、ひさしが歩きになるでしょ」
「……そうか。じゃあ俺に付いてきてくれ」
「うん」
◇◇◇
俺たちは校門近くにある駐輪場に自転車を置くと、とりあえず校庭にでることにした。
校庭ではサッカー部と陸上部が部活をしているのが一番に目に留まる。サッカー部がサッカーのグラウンドの中で活動している周りのトラックで陸上部が走ったりタイムをとっている。奥では野球部が部活をしているようで、顔が見えなくなるくらいの場所で声を張って野球をしているようだ。
しかし、これといって不可思議に思うような何かは無い。朝のループを抜け出せた原因を考えると、不思議なものを見つけるようなことでもないようだけれど。
「あれ? 千歳、いないな……」
奈緒は陸上部の方を眺めていたようだが、俺は血眼になって必死にループに関する何かを探していた。
ここら辺に何かないのか……? ループを抜け出せる何かが……。
「それで、何をするの?」
そんなの分かるわけないだろと言いたいが、それでは俺がおかしくなったと思われるので、俺は無言でやり過ごす。
「…………」
「……なんで急に部活なんてやろうと思ったの?」
「別に、部活なんてやりたいなんて思ってない……」
「ふーん」
サッカーゴール後ろにある緑色のネットのすぐ後ろにある通路を歩きながらそんなことを話していると奈緒に気が付いた生徒達がまたざわざわしだす。
「おい、あれ見ろよ……スゲー可愛い子いるんだけど!」
「ああ? どうせまた冗談――やば、マジじゃん!」
「えっ、まって天使!?」
「ああ、奈緒さんですね」
「おい後輩、知ってんのか!? 俺に教えろ! 紹介しろ!」
奈緒と一緒にいると目立つ……。いや、俺は見られてないからいいか。
俺はざわざわし始める前に奈緒と少し距離を取りながら誰かを探すように歩いていたので関係ないと思われたのか、はたまた奈緒が輝きすぎて俺に目が留まらなかったのか俺について話す者はいないように思えた。
当の本人はまるで気付いていないようだった。
「?」
◇◇◇
次に向かったのは天井が高く、柱のない所謂学校の体育館のだった。俺たちは外から体育館のギャラリーへと上っている。
中ではバスケ部とバレー部が体育館内を半々で分け合って使い、部活をしていた。
しかし、それ以上はやっぱり何もなく、部活をしている人達の声が響いているだけだった。
「なんか、部活の見学みたいになっているけど……」
それは俺も思ってたけど……。
「……違う」
「本当に部活に入りたいわけじゃないんだったら、何しに来ているの? もしかして……誰か可愛い子とか探してるとか?」
奈緒は俺にもじもじしながらそんなことを聞いてくるので、俺は慌てて否定るする。何故か誤解だけはされたくなかった。
「そ、そんなわけないだろ! 俺がそんなことするとでも思ってんのか! あり得ない! 違うね!」
「ふ、ふーん?」
俺は奈緒から視線を逸らす。何故こうも俺が奈緒に否定しているのか分からなくて、恥ずかしくなった。
俺が少し大声で話していたからか下で部活をしている生徒達に気付かれ、また奈緒が目立つ。
「おい、あれ誰だよ……めっかわなんだけど!」
「ちょっと、誰のこと見てんのよ!」
「数多の男どもから告白を受けるも、誰にも靡かない絶世の美女だって話だったけど、本当に可愛いや」
「でも今誰か男子と一緒にいなかったか?」
「は? どこにもいないじゃないか」
「こら! 集中しろ!」
奈緒に目が留まって足を止める者もいて、先生がその生徒達に注意を促している。
俺はというとバスケのゴールに隠れるように腰を下ろしていた。そんな俺に付いて来るように一緒に屈む奈緒がこちらを見ていた。
奈緒には悪いな、関係ないのに付き合わせて……俺が奈緒の姿を世間に知らしめているみたいだ。
「本当に先に帰ってもいいんだぞ? お前だって、俺に付いて来るのは疲れるだろ?」
「ううん、そんなことないよ、楽しいし。次はどこに行く?」
奈緒は笑顔で俺に答えてくれる。
その言葉は素直に嬉しかった。客観的に見れば、俺が奈緒を振り回して意味も無いことをしているようにしか見えないのに、奈緒だけは俺のことを分かってくれている気がしたのだ。
「お前、いいやつだよな」
「何、急に。おだてたって何もしてあげないよ……?」
そっぽを向いて赤面する奈緒は俺の目から見ても本当に可愛かった。
ったく、皆がこいつを見てしまうのも分かる気がするよ。確かに、奈緒ってかなり可愛いからな。
奈緒の顔を眺めているのに浸っていた俺の目の前が再び暗くなっていった。
え……? どういうことだ? 時間制限があったのか!?
今俺が言った言葉は校門前で何回も言っていた言葉だった。じゃあ何かが終わったからというのが考えられる。
…………くそっ、わっかんねー!
「俺はどうすればいい! ここに誰かいるなら教えてくれよ! 俺は何をすればいいんだ!? 俺はこんな時間をつぶしている暇なんてないんだよ!!」
俺は初めて暗闇の世界の中でそこにいるかも分からない誰かに向かって訴えた。
すると、俺の頭の中に声が響いてくる。
「――もう答えはあるよ」
聞いたことのない自然と頭に残る、澄んだ女性の声だった。
「は?」
◇
◇
◇
また目の前が明るくなると今日何度も見た放課後の校門の少し前だった。
もう答えがある?
「どうしたの? 帰らないの?」
何度も聞いたセリフ……前にいる奈緒が俺を見てそれを言っていた。
答えってなんだ? ある? 持っている?
落ち着け……今日を思い返すんだ。俺は今日何が違っていた?
朝に奈緒が二人乗りしようとしたこと、ループが起きたこと、授業中に考えごとをしていて授業を聞いていなかったこと――。
でも、これは全部今からじゃどうにもできないし、ループが置いていたから授業中に惚けていたこと以外回避不可能だった。
視点を変えよう……。
もし、俺に原因がなかったとしたら? 何か見落としているもの――。
「ひさし?」
奈緒が心配した様子でこちらへ寄って来る。
『――もう答えはあるよ』
「あった!」
「え?」
「確証がるわけじゃない。でも、今の俺にはこれ以外思いつかねぇ!」
俺はその答えを見つけたかもしれなかった。しかし、ヒントが微弱すぎて絶対にそうだとは言えない。でも、暗闇の世界で女が行ったことが本当なら――。
校門を出ることはできない。つまり、まだこの学校内にはいるってことだ。
「何が?」
俺は自転車を倒して置いておく。
「え、どうしたの? ひさし?」
奈緒は俺が変なことをしていると思ったのだろう、困惑しているようだった。
「奈緒、俺に付いて来てくれ」
奈緒がカギだ。このループはおそらく奈緒がいないと終わらない!
「どこに?」
「いいから、行くぞ! 時間が無いかもしれないんだ!!」
「ちょ……」
俺は他人の目は気にせずに奈緒の手を取って走る。
「ホントどうしたの、ひさし?」
さっこ校庭と体育館は見たが、その時にあの人はいなかった。つまり、それ以外のどこかだ、どこかにいるはずだ。
俺たちは校舎内の下駄箱に着き、それと同時に俺は走って疲れ、呼吸を荒くしながらも奈緒に聞く。
「奈緒――」
「……何?」
このループの原因は、俺の考えが確かならあの人だ。
おかしいとは思っていたのに、気付いていたのに、朝は普通に見えたから別に何も無いだろうって決めつけちまってたんだ。
でも、原因が本当にあの人なら、何かあったんだ!
「奈緒、あの人――はどこにいる?」
「えっ、なんで?」
状況が分かっていない奈緒に俺は肩を掴んで諭す。
「あの人が今なんかなってんだよ、多分。お前はそれをなんとかしろ!」
「なんでそんなこと、ひさしに分かるの?」
「説明している暇はないんだ、このままだったら――」
!!
俺の悪寒が何かを捉えた気がした。
時間切れがあるんだ、つまりはあの人が手遅れになるということ。そんなことあるか、と思ったけれど……あるじゃねーか。
あそこだ、俺はバカだから今はそれ以外思いつかねぇ!
「居場所が分かった、外だ。行くぞ、奈緒」
俺が奈緒に訴えかけると奈緒も俺の言っていることを信じてくれるようで頷いてくれた。
「うん!」
◇◇◇
一人の少女と、その親と思われるスーツを着ていた男の人が一人職員玄関から出て来る。少女は寂しそうな顔をしていて俯いていた。
そこに俺と奈緒が歩いて近づいていく。
「千歳さん……」
「っ!!」
俺たちに気付いた千歳さんは、顔を上げると驚いた様子を見せている。
それは彼女だけでなく、奈緒もだった。俺が言っていたことが本当だったことに驚いていた。
「本当に、いた…………」
「なっ、なんでいるの? なんで帰ってないの……!?」
千歳さんがゆっくりとこちらへ移動するのを見て、スーツの男の人は学校の駐車場にある車へ無言で向かったようだった。
千歳さんは、元気な表情に戻るといつものように俺たちをからかってくる。
「――どうしたの、二人共? こんな所でラブラブですかぁ? ニヒヒ!」
「ひさしが教えてくれたんだ」
「天野君?」
俺は聞く。何かを始めるとしたら今しかない、やっとたどり着いた糸口を開くんだ。
「千歳さん、どこ行こうとしてんの? 部活はどうしたの?」
「……別に……今日はちょっと体調が悪くて」
千歳さんは俺から視線を逸らすと思い詰めたように答える。
「そうだな、体調は悪そうだな……。
でも、それってどういう意味で言ってんだよ……?」
「えっ? 何言ってんの? 意味わかんな――」
「お前、転校でもすんのかよ」
「――え?」
千歳さんが固まったようで、俺は図星だと確信する。
「ひさし、何言ってるの? 千歳が転校なんて、そんなことするわけ――」
「なんで、知ってるの……?」
「っ――え?」
奈緒は本当に驚いていて、何も知らないということが分かった。
いつ転校するかでもない、転校すること自体知らなかったんだ……。
「千歳さん、今日に限って奈緒に挨拶をしないでどっか行ったよな?」
「そ、そんなこと、今までだってしたことくらい――」
「ないよ、俺は知ってる。これでも奈緒の近くにいつもいるんだ、俺が見逃す訳がない」
「そ、そんなストーカーみたいな……」
「うん、初めてだったよ。千歳は、私とこの高校で出会ってから、一度も何も言わないで帰った時なんてなかったよ」
奈緒も状況が分かってきたようで、下を見ながら言っていた。
「本当は別れたくなかったんだろ? だから別れの言葉は言わなかった。じゃなきゃ、千歳さんが奈緒に何も言わないでどっか行くなんてらしくないもんな」
「…………………そうだよ。だって、それを言ってしまったらもう……もう会えなくなる気がしたから!!」
少しの間を空け、どんどん声が小さくなっていくその言葉を漏らすと同時に千歳さんはいつもの明るい瀬川千歳ではなくなっていた。
目から溢れるほどの涙が湧きだし、頬を伝ってその雫は地面に落ちていく。
「あれ……? なんだろ。
もうっ! 二人が言葉にするからさー……勝手になんか、出てきちゃったじゃん」
千歳さんはそれに気が付いて手で拭うが、目から零れ落ちる水を止めることなんてできなく、泣いているところを見られてくなかったのだろう俺たちに背中を見せて顔を隠す。
「もう……何も言わないでよね、二人共。ウチは、明日も……この学校に……」
別れが辛いものだと俺と奈緒は良く知っている。
俺たちが小学生の頃に遭った地震による土砂崩れのせいで近所の家が崩壊したこともあって転校していった友達が何人もいて、その時に辛さを散々味わっている。
俺たちと仲が良かった女の子も転校していった。
それがアイツだった――。
もう名前も忘れてしまったアイツは、俺と奈緒が特に仲が良く、いつも一緒に遊んでいたんだ。
俺たちは元々三人組だった。
それなのにアイツは俺たちに別れの言葉も無く、気付いた時にはいなくなっていた。
そんなことをしている暇がないのは今となっては理解できるけれど、アイツの家がそんな状況なんて知らなかったから突然の別れに奈緒は俺の前で何日も泣いてた。
俺は奈緒の為に泣かず、必死に我慢して奈緒を慰めた。
今じゃ何もかもアイツのせいにするなんてのはおかしいことだと思えるけど、それでも俺にとってアイツは奈緒を泣かした張本人だ。
だから――俺は、このままこいつらを別れさせるのは嫌だった。あの時の繰り返しなんてのは、もう嫌だったんだ。
「お前、それでいいのかよ」
「っ――」
千歳さんの背中が鼻を啜る音と共に上下する。
これは俺の問題じゃない。千歳さんの問題で、奈緒は関わっているかもしれないが、俺は関係ない。俺は、奈緒を連れてきただけ。
それでも何故か千歳さんの背中は、あの時は見ることは叶わなかったけれど、俺が想像した昔一人で離れていったアイツの背中な気がして気持ちを抑えることができなかった。
「そんなんでお前の気持ちに蓋をして、悲しい気持ちからおさらばなんてできやしないのに、奈緒たちに何も言わずに、奈緒たちから何も聞かないで……そんなんでお前、本当にいいのかよ! 本当にお前はそれで納得して、奈緒たちから離れて行けるのかよっ!!」
千歳さんは、こちらを振り返ると涙でくしゃくしゃになった顔で思いの丈を綴る。
「――いい訳ないでしょっ!
いつも一緒にいて、色々なことをして笑い合って楽しくて、今も離れたくないって心の底から思ってる! それでウチは離れ離れになるって自覚して泣いて辛いのに、それを奈緒ちゃんたちにまで押し付けるなんて――そんなこと、ウチはしたくないのっ!!」
っ……ふざけんじゃねぇよ。そんなの、お前の勝手な妄想じゃねぇか……! 勝ってに離れていくお前らの勝手な想像だろうが! 苦しいのはどっちも同じなんだよ!!
「……いいだろ」
「え……?」
「奈緒にも、他の友達にも、悲しい気持ちを背負わせてやれよ! お前ら友達なんだろうがっ!! ずっと一緒に思い出を共有してきたんだろうが……。
なんで! 悲しい時の気持ちも同じように共有しようと思わないんだよ!!」
「ひさし……」
「友達なら悲しみ分け合って、気持ちを共にするもんじゃないのかよ!
それじゃあ後で一人で泣くお前も、奈緒も、他の奴らも……惨めじゃないか……!!
お前は、奈緒たちの気持ちを考えてやれないのかよ!」
「ちが……ちがう……」
俺は、昔のアイツに言えなかったことを千歳さん相手に吐き出しているだけだ。これは、今頃に爆発したアイツへの想いだった。
「結局、このままだったら……奈緒たちがそう思うんだよ。相手が思っちまったら、それはもうそういうことにさせられるんだ」
「…………」
言い過ぎているだろう。小学生の時のことなのに、俺はあの時の来るしさを今になって引きづって、八つ当たりをしているんだ。
「ひさし……ここからはわたしが話すよ」
奈緒は熱くなっている俺の肩に手を乗せて言うと、前へ出る。
千歳さんが奈緒が近づくのでまた背中を見せるも、奈緒は千歳さんの悲し気な背中に後ろから抱き着いた。
「奈緒ちゃん?」
「わたし、嬉しいよ。わたしたちの事を考えてくれたんだもんね……。でもね、何も言わずにどこか行くとか……それはないよ。悲しいし、嫌だよ」
「ごめ、ごめん……」
また溢れ出す涙を両手で拭う千歳さん。その涙は奈緒が回す腕にも落ちているようだった。
「ううん、今日千歳が何か変だったのは気付いていたの。それをよく考えてあげられなかったわたしも悪いよ」
奈緒もいつの間にか泣いていた。
千歳さんは、俺が見る限り強がりが得意だ。何かが変だと気が付くのにも目を凝らさないといけない。
奈緒が見落としたのは、そういう千歳さんの性格があってこそだったんだろう。誰の本音も他人の知る余地なんてのはほとんどない。それが例え、親や親友だったとしても……。言葉にしないと伝わらないんだ。
「奈緒ちゃ……」
「だから、わたしの方もごめんだよ」
「そ、そんな……悪いのはウチなのに……なんで…………」
「ううん、悪いのはどっちもだよ。だから千歳の本当の気持ち、聞かせて?
わたしはどうしても聞きたいんだ。なんで一人で全部、背負おうとしたの?」
奈緒が抱きしめるのを止めると、千歳は奈緒の方を振り返り、溢れる涙目を合わせて言葉を叫ぶ。
「そんなの……別れが辛くなるからに決まってるじゃんっ!! ウチはずっっっと、卒業までずっと奈緒ちゃんたちと一緒に、いたかった……っ!!」
再び千歳さんは奈緒に抱き着き、泣きじゃくる。
「うぐ……えぐ…………うぅううううう」
「そんなのわたしもだよ。わたしも千歳とずっと、一緒に最後までいたかった。もっと色んな思い出を作りたかったよ、笑い合いたかったっ!!」
「わぁああああああああああ!!!」
千歳さんは号泣し、涙を滲ませる奈緒の肩で泣いていた。
千歳さんの拳は痛いくらいに握りしめられている。
悔しいだろう、後悔しているだろう。
その気持ちにもう少しだけ早く気づいて欲しかった。
別れで苦しい思いをするのは、本人だけじゃない。それまで共に過してきた友達も同じ思いでの強さだけ涙を流して悲しむんだ。
それは、たとえ別れを告げたとしても告げなかったとしても同じだろうけど、それでも何も言わずに消えるなんて、それは違うと思う。
もしこのまま奈緒と千歳さんが別れていたら、奈緒はどうなっていたか分からない。
裏切られたと思うだろうか。寂しくて寝込んだだろうか。
俺は、悲しい別れが二度目になる奈緒の涙を拭ってあげられただろうか。
友達は成ると同時に失うリスクも背負っている。
今回のループが二人の助けになっていたのだとしたら、俺も苦労した甲斐はあると思える。ループが無ければ、奈緒も千歳さんも悔しい思いを残して離れ離れになっただろうから。
二人が泣きながら抱き合って別れを告げている時、奥からスーツの男がやってこちらにやってきた。おそらく千歳さんの父親だろう。
お迎えが来た。
俺たち三人共そう思っただろう。
しかし、その人から出る言葉は気の抜ける内容だった。
「千歳、悪いんだが……今電話がきて、転勤が無くなったんだ」
「……へ?」
涙を拭って聞き返す千歳さん。
「ん?」
「は?」
もうさっき体育館でループしてた時間は過ぎているはずだし、これが原因で間違いないはず。だから転校はするはず……なのに、しないのか!?
「え、どゆこと、お父さん!?」
困惑してする千歳さんだったが、本当に状況が分からないのは千歳さんのお父さんだったようだ。
「俺にも良く分からないんだ。課長から電話があって、いきなり言われたもんだから。と、とりあえず転勤も転校もなしという方向に……」
「それって、本当!? ホントにホントにホント!!?」
「本当だ」
千歳さんのお父さんが転勤するから、それに付いて行って千歳さんも転校しようとしてたってことは話の内容からして推測できるけど……。
「やった、やったよ奈緒ちゃん!」
「うん、千歳は転校しない! 思い出も一杯作れる!!」
二人共両手を上げると抱き合って嬉しさを前面に表し、テンションがおかしくなっていた。
それに対し、俺は唖然している。今までの事はなんだったのか……。
俺たちがここに来たから転校がなくなった!? なんで?
「あはは……天野君もありがとね。なんか、天野君が奈緒ちゃんを連れてきてくれたみたいで、本当にありがとうだよ」
千歳さんの涙は止んでいなかった。
しかし、表情は明るかったのでその涙が嬉し涙だと悟った。
「い、いや……俺も言い過ぎた。今になって冷静になったよ、ごめん千歳さん」
「ううん、天野君は正しかったよ。おかげで奈緒ちゃんとまたいい思い出ができた。
転校はもうしたくないけど、もう一人で抱え込むのは止めにする」
「そ、そう……ですか…………」
これ、俺が恥ずかしい状況じゃね?
その後千歳のお父さんが再び校舎の中に入っていき、その後を俺たちに別れを告げた千歳さんも付いて行った。
現実味がないその状況に追いつけなかったが、俺たちはその後の帰路につく。
校門を出るのになんの障害もなく、バス停近くの停留所も通ったが、二人して帰りのバスに乗り込むことができた。
腑に落ちなかった。
もしかしたらループをしている時に聞こえた声の主が千歳さんを転校させないように何かしたのではないかと疑う以外に終着点が見つからなかった。
それなら最初からそうしろってんだ。散々振り回して、結果がああなら俺は何もしなくて良かったじゃねーか。
そんな考え事をしながらバスに揺られていると、俺の肩に頭を乗せてくる奈緒が呟く。
「今日のひさし、かっこよかった」
「……は?」
こんなことを奈緒が言うのは珍しくなかったが、さっきまでの事があったので意表を突かれた感じで恥ずかしくなった。
「ありがとね。離れ離れにはならなかったけれど、もしあのまま本当に別れてたら絶対後悔してた。最初は訳分からなかったけど、ひさしを信じて良かったって思えた。やっぱり、ひさしはわたしのヒーローだよ」
俺はループがあったからやっただけだって、そんなことは言えない。信じられないだろうし、笑えない。
だけど、奈緒にそう言ってもらえるのは嬉しくて、少し得意げになってしまう。
「……それなら、良かったよ」
俺には達成感があった。
こんなループなら、偶にはいいかもしれないと思う。本当にもしかしたら、あのまま離れ離れになってしまったかもしれないから。
最後のは腑に落ちなかったけれど、奈緒の言葉が相まって俺はいいことをしたと思えた。
だからだろうか、バスの横から射す夕日が俺たちを称えてくれているきがしたんだ。