疑惑の香
岡本が自宅に戻り、コートハンガーに上着を預けようとした時だった。――鼻腔にピリピリと摩るタバコの香りが気になった。
玄関口でほっと肩の荷を降ろせたのにも関わらず、眉根を寄せて、頬を強張らせていた。
岡本は喫煙家ではない。妻の洋子もそうだ。子ども二人は未だ十歳にも成っていない。ヤンチャをするにしても早すぎる年齢だ。――では、なぜタバコの匂いがする。
ネクタイを外して、靴下を脱いで――。岡本がふらりと歩きよったのは、洗濯籠のある洗面所――の奥に置受けられた風呂場であり、トイレだった。収納スペースを開きながら、撫でるような視線でチェックを入れていく。次は寝室のベランダ。膝を折って、床の汚れを検めようとするも、午後8時を過ぎた夜中である。いくら眼を凝らしても、闇に浸されてよく見えない。ついと指先でなぞって、土埃が着くだけだった。灰の残りは見つかりそうにない。
――妻か、あるいは……。捜索結果とは裏腹に、岡本の思考は大股で進んでいく。透明純水の溜まった器に、一滴でも墨汁を落とせば、忽ちに淡くも黒い影を帯びていく。岡本の心内に広がりゆくものがあった。
喫煙家ではない。匂いに敏感ではあるが、嫌煙家ではなかった。マナーやルールを守っていただけるのならば、どこで吸うにも構わない。それが岡本のスタンスだ。ただ、嘘や隠し事があるのならば話は変わってくる。
頭を掻きながら歩を進めていき、台所に立った。妻の洋子が晩飯の仕上げにとりかかっていた。――ここにも換気扇がある。岡本は一瞥を送って確認をする。しかしここは洋子の領域。迂闊に手を出せない。
「どうしたの? ぼうっと突っ立って」
洋子が訝し気な視線を束の間だけ寄越してから、声をかけてきた。「いやあ、まあ」とどう切り出せばよいかを逡巡する岡本を見向きもせず「そういえば、さ」と言葉を続けた。
「昨日着ていたジャケット。やっぱりタバコの匂いが染みついちゃっているからさ、クリーニングに出すからね。ホント、昨日は何処に行っていたの?」
「――え?」間の抜けた声が出た。確かに昨日は会社で飲み会があった。一次会は広い居酒屋で催されたが、上司が先頭になって流れ込んでいった二次会のクラブは、身を窄めなければならないほど狭かった。上司も席に着いた女性も愛煙家のようで、深いスリットの入ったドレス姿で、艶やかな腿を見せつけるように脚を組むと、紅を射した唇でタバコを咥えて、幾本も吸っていた。酒が入って頭痛を覚えていた岡本に、さらに脳を突かれるような心地であったのを思い出した。
「あ、まぁ、その――判った。よろしく」
バツの悪くなった岡本が歪に唇を曲げての苦笑いを浮かべて台所を去ろうとするも、「で、さあ」と洋子の冷たい声が背筋を刺してきた。
「タバコの匂いの中で、微かに香水の匂いがあったんだけど――、アナタ、何か隠し事していない?」
妻の眼差しは酷く怜悧だった。