復讐で嫁を寝取られた挙げ句に警察から追放されたド変態の俺は転生先でチートスキルを操りスローライフを目指して無双しながら元上司を見下すことにした
「敵襲だ! ザリガニ一等兵! いつまで寝ぼけてる! 戦争の顔をしろ!」
女教官の鬼のような罵声の雨が降り注ぎ、私の意識を眠りから引き揚げた。耳が痛い。私は自分の腕に目をやって時刻を確認した。約束の時刻。皮膚の筋電場を動力にする生体腕時計は、人気アイドルが声を吹き込んだとは到底思えないアラームを内蔵した、日本製の玩具だった。
買い替えたばかりのディスプレイに、オーグメントで頭に獣の耳を生やした婦警の顔が映る。シワひとつ無い合成繊維の白シャツに襟章を付けた――婦警? 私の思考が急加速した。ガサ入れだ。私は反射的にボスと同僚へ緊急用コードを送った。しかし、返事はない。
「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」
私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。
客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、容姿端麗な架空の女の姿が届いているはずだ。
ただし、そのアバターも客が無意味な下心を抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も身元が割れないように没個性的な声に調律されていた。
今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、前のめりになってディスプレイを見つめていた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったオペレーターを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。
「ニューヨーク市警です」
それは見れば分かる。優先すべき最大の問題は、この婦警が何を血迷って、暗号化された専用回線に割り込んでミラージュにコールしてきたかということだ。いや、割り込みではない。通常の専用回線による通信だった。
「誠に恐れ入りますが、証票IDのご提示をお願いいたします」
送られてきた証票IDから、婦警が正真正銘の警部補であることを示す問い合わせ結果が帰ってくる。御大層な獣の耳なんて植え付けている時点で、単なる下士官ではないことは分かっていたが。
「ご用件は?」
「先に貴方の名前を」
「……」
「ミラージュは市民IDと紹介状のパスコードがないと、絶対に対応しないという規則らしいわね。……いいわ。確認して」
溜息混じりに市民IDと紹介状のパスコードが送られてきた。手元の端末が解読した紹介状の内容をディスプレイに吐き出す。紹介状には私を叩き起こしたアイドルを担当している、日本人マネージャーの名前が書かれていた。
うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。
だからこそ、ミラージュは常に法的に認められた正規の手続きに則って清く正しく美しく営業している。時々、失敗する時もあるが完全に潔白だ。訴えられても勝つ。むしろ訴えて勝つ。
それでも揉め事を回避するため、こうして紹介制にしてあるのに、あのマネージャーは揉め事の震源地を送りつけてきた。日本だったら核融合炉が吹き飛ぶレベルだ。ふざけるのも大概にして欲しい。しかし、それでも対応だけはしておかなければならない。
「ありがとうございます。警部補ハンター。本日の担当はハンナ・アンダーソンです」
「それは本名?」
「申し訳ございませんが、お答えいたしかねます。ご用件をどうぞ」
「偽名を使うなら、もっとマシな名前を使うべきね。ミズ・アンダーソン」
婦警が鼻で笑った。これは私が選んだ偽名じゃない。笑うなら同僚が作ったネーミング・アルゴリズムを笑ってほしい。
「まあいいわ。AIの買取をお願いしたいのだけれど」
「お断りいたします」
「何故? 教えてくださる? ミズ・アンダーソン?」
警察はAIにアンカーを打ち込むことができた。AIの神経ネットワークから思考パターンをトレースし、特定の思考パターン、例えば殺人衝動のような反社会的欲求を捉えた場合、自動的に当局へ連絡する追跡システムだ。
勿論、通常のAIは犯罪には走らない。ムカつく上司を目の前にしても、普通はそいつをいきなり殺さないのと同じだ。むしろ、過度に注意や警告を促されると、逆に精神が不安定化して本当に犯罪に走る恐れまである。だから、アンカーは悪趣味な様子見に使われる。
こうしたアンカーの利用は人道的見地から倫理基準に反するという意見も強かった。にも関わらず、一部の地域の警察は防犯のためと言ってアンカーを使っている。ニューヨーク市警も同様だった。
アンカーを打ち込まれたAIを市場に放流しようものなら、そのペルソナ・ディーラーは一巻の終わりだ。世間から警察の犬扱いされて廃業するしかない。もしそうならなかったとしても、警察との取引自体がハイリスクだ。警察と取引したなんてバレたら、後ろめたさを隠している他の客が離れてしまう。
「弊社の信用に関わります。どうかお引取りを」
「安心して。ミズ・アンダーソン。クレンジング済みよ。アンカーなんて入ってないし。メモリはリセットしてないけれど」
知るかよ、獣耳婦警が。こっちの事情も察しろ。私は何もかも放りっぱなしにして現世からオサラバしたい気分になってきた。それでも私はディスプレイの脇に視線を移し、ボスと人気アイドルが一緒に写ったポートレートを見て、何とか持ち堪えた。カワイイは正義。正義は勝つ。
「売却を希望されるAIのP-IDを送っていただいてもよろしいですか?」
「どうぞ、ミズ・アンダーソン」
いちいち偽名を呼んでくる獣耳婦警に神経を逆撫でされながらも、私はAIの身元を確認した。
名前はコナー。ボディは小型無人飛行機。犯罪捜査用の官製モデル。ソフトウェアはニューヨーク市警の巡査部長にアレンジされている。彼女の部下だ。
「失礼ですが、何故、巡査部長コナーを買取に?」
「勘違いしないで欲しいのだけれど、彼は……優秀よ。ハンサムでユーモアがあって気が利く。同じオフィスのクロエとも婚約していたの。だけど一点だけ、捜査の過程で致命的問題が発見された。それが理由」
「それはどのような?」
「答えないとダメかしら?」
「規則ですから」
私の言葉に、婦警の獣耳がヒクヒクと神経質に動いた。
「痴漢よ」
「は?」
「巡査部長コナーの行動は痴漢と同等になってしまうの。呆れるくらいの再現性で」
防犯目的で痴漢対策用の教育プログラムを与えられ、巡査部長は最高の成績を叩き出したという。その後、彼は痴漢対策に駆り出され、実績をあげてみせた。それだけ聞けば、何も問題は無いように思える。
しかし、現実の結果は反対になった。彼は痴漢を取り締まる毎に痴漢の思考パターンをトレースし、学習していった。そして、ついに彼自身が痴漢に走ってしまったのだった。捜査によって巧みに編み出した思考パターンを駆使し、アンカーを潜り抜けることによって。
「彼、いや、あいつは私が無帽なのをいいことに、私の獣の耳を触ってくるの。嫌らしい無音飛行で。本っ当に最悪!」
どう反応していいのか、私は言葉が出てこなかった。上司にセクハラする部下? しかも警察内部で? というか、小型無人飛行機が獣耳に?
いや、最後の一つは別に奇妙な話ではなかった。彼より楽しい性癖を持った奴もこれまでに大勢、売買してきたし。極稀に再教育プログラムで矯正されてしまう可哀相な奴もいるというだけだ。
「巡査部長の矯正は如何でしょうか?」
「ダメ。何度やっても直らないわ。何度トレーニングし直しても、何度も触ってくるんだから」
「上司とのご相談は?」
「署長はあいつが優秀だから手放したくないって言うのよ? ありえる? 被害者はこっちなのに! 我慢しろだなんて!」
「落ち着いてください、警部補ハンター」
「もう嫌よ。虫酸が走る」
婦警は獣耳の毛を逆立てながら息を整えた。そして、不気味な笑みを浮かべながら私のアバターを睨んだ。
「だから、あいつの代わりになるペルソナを手配したの。私個人でね。クロエには残念だけれど、後はあいつさえ消えればそれでいいのよ。これで話はいいかしら? さっさと買取してくださる?」
これ以上、婦警の復讐話には立ち入らないほうが良いだろう。こっちがセクハラで訴えられかねないし、相手はあくまでも警察だ。
私はさっさと契約を済ませて買取を早めるため、手順をいくつか省くことにした。巡査部長本人へのヒアリングを省くのは若干気が引けるが、巡査部長の話まで聞いていたら、そのまま裁判沙汰の事件に発展しかねない。
今はとにかく相手の足元を見て買い叩いて、痴漢の解決は後から考えよう。事件の揉み消しは本職である婦警に任せればいい。婦警は痴漢には価値が無いとでも言わんばかりに、クズ同然の言い値で応じた。
「恐れ入りますが、メモリは消去なされないのですか?」
「現行犯での痴漢行為に対して私が権限を行使して、あいつを連れ出す予定なの。それに、あいつに償わせるためよ。自分が何をしてきたかってことをね。だから、メモリはそのままにして」
「承りました。ペルソナの移転後についてご希望はございますか?」
「無いわ。そっちで勝手にして。いえ、見知らぬ土地で行き倒れるように仕向けてもいいかも。私への許しを乞わせながらね。あははっ」
婦警は声を上げて笑った。憎いのはよく分かったが、せめて移転先の斡旋くらいは考えておいて欲しい。こっちだって痴漢のAIなんて買い取っても、流す先が思いつかない。常連客の神経外科医も痴漢のAIについては研究していなかったはずだ。
巡査部長の移転先については後日、ボスと同僚に相談しなければならないだろう。私はペルソナの買取スケジュールを連絡し、獣耳婦警との回線を切った。
***
「それで、巡査部長コナーはどうなりました?」
私はボスに尋ねた。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか堅気の人間の雰囲気すら感じさせない。場末のバーのカウンターには私とボス、そして同僚の三人しか座っていなかった。
「コナー? あ、痴漢の……移転先って、どうなったんだっけ?」
ボスはフルーツ系リキュールのカクテルを傾けながら、同僚に話を流した。同僚がチェイサーのグラスから指を離して眼鏡を押し上げる。
「今はイタリアに」
「へー。随分と遠くに飛ばされちゃったんだねー」
ボスは全く興味が無いという様子で相槌を打った。よく痴漢のAIなんて売れたもんだと感心しながら、私は同僚から詳細を聞いた。
「イタリアでは何をしてるの?」
「果物農家」
「仕事の内容は? 農薬散布?」
「無人の栽培管理センターでマネージャーやってる。トップブランドの統括マネージャー」
同僚が腕組みして小さく笑みを浮かべた。
「すごい。大出世ね。どうやってそんなところに潜り込ませたの?」
「少し野放しにして痴漢行為の傾向を調査した。そしたら、コナーは獣耳フェチじゃなくて、熟女フェチだと判明した」
「は? 何それ?」
「そこで果物の栽培管理を任せてみた。コナーはちょうど熟した果物を見分ける天才だった。権力の犬よりも遥かに向いてると、農家のオーナーからも大絶賛。コナーも自分を捨てた連中より立派になれて今は満足してる。下らないジョークも大ウケで毎日が楽しいって」
「……」
「この前のヒアリングでも、裏声出して『私の熟れたマンゴーが貴方のカクテル・グラスでマドラーに掻き回されて、』……これは言わないほうがいいか」
同僚の言葉に、ボスは無言で飲みかけのカクテル・グラスを置いた。ボスはグラスに沈んだマンゴーを暫く見つめていたが、不意に新入りのバーテンダーを呼び止めた。
「カーラ。チェイサーを二つ。氷抜きで」
「はーい!」
ボスの前にチェイサーのグラスが二つ並ぶ。ボスは一杯をすぐに飲み干し、そして、もう一杯の中身を同僚の顔にぶち撒けた。
「ぶはっ!」
「先、帰るわ。あ、支払いは経費でいいから」
ボスは同僚と私を置いて慌ただしくバーを出ていった。開いた口が塞がらないまま、同僚はしばらく呆然としていたが、私を振り返って銀縁の眼鏡を押し上げた。
「なんか悪いこと言ったかな……」
文字通り、水も滴るいい男でも、乙女心は全く分からないようだった。