おどろ1
それまで 動かなかった野良犬が
気だるく立ち上がり ゆっくりと歩き始めた
咽び吹いてた なま暖かい風が 澱み
朽ちた小屋の 周りを覆う泥が
流れること無く 異臭を放ち続ける
泥の中から 目だけを出している蛙は
もう何年も 鳴いてはいない
代わりに 男が泣いている
小屋の外で 壁に凭れ 尻を濡らし
何年も鳴いている 涎を垂らし
おうぅ、おうぅ、と おうぅ、おうぅ、と
朽ちた 小屋の中で
爺と婆が 背を丸め 食事をしている
台は無く 箸も無く 碗は欠けている
中の物を 手で掴み
どろりと 糸を引かせ 口に運ぶ
爺は いつまでも 咀嚼し続け
婆は 僅かな量を 舌で捏ねている
動きの少ない二人の膝には
時折 足の長いのが 這っている
剥がれそびれた 屋根のトタンが
ゆるい風に暴れて ながく 哀しく 音を出し
黒く染みた天井に張られた
古い蜘蛛の巣が揺れる
一匹の足の長いのが 天井を這う
糸が絡まり 陰から蜘蛛が走り寄る
婆が碗を置き その中に タラタラと吐き出す
爺は咀嚼し続けている
ねちゃり、ねちゃり、くちゃり、くちゃり、と
婆が立ち上がり 襖を開ける
襖は歪み 音を出す
ギィ、ギギギ ガタ、ガタタ、
何度も動かし 婆が 隣の部屋へと 消える
その部屋は 暗く 湿り 腐臭が漂う
何かの獣が 部屋の片隅で
忘れ去られて 骨となっている
畳は 擦りきれ 何かの液体で カビて滑っている
藁を敷き 幾許かの藁を敷き
その上に 赤子が眠る
その部屋には 赤子が眠る
婆が 吐き出したものを
指で 掴み 赤子に与える
赤子は 喜び バタバタと 手足を振る
足の長いのが 赤子の顔を 過る
赤子は 咀嚼している
ねちゃり、ねちゃり、と口を動かす
口だけを動かす
赤子には 口しかなかった
赤子には 目と鼻と耳がなかった
婆が部屋を出て 襖を閉める
ギィ、ギギギ、
赤子は 咀嚼し続けている
小屋の外では 壁に凭れ
男が 泣き続けている
おうぅ、おうぅ、と
おうぅ、おうぅ、と






