046 怒り
「ふー…」
ゴブリンの脳に突き立てたナイフをミルは溜息を吐きながら抜き取った。数回行って慣れた血振りを行い、ナイフを鞘に戻す。そして、同じ行動を行っていたオウガストのところへ向かい、両手で両肩を掴んだ。肩を掴まれたオウガストは「うっ」と驚いた声を上げ、ミルを見つめた。彼女は静かに怒っているようだ。鍋のようにふつふつと。
「ねえ、オウゼリア。あなた、私が大変な時によくも傍観していたわね。ああいうときは物語の勇者のように危険を顧みず、剣を振り回して私に傷一つつけることもなく、助けるべきでしょ?違う?」
ミルの冷え切った視線に耐えられず、オウガストは目を逸らした。
「…傷一つついていないけどな」
小さく思ったことを口に出してオウガストははっとした。そして、恐る恐るミルを見る。どうやら、沸騰して鍋から水が溢れ出たらしい。満面の笑みでグーパンチをするミルの姿が見えた。痛みに耐えるように目を閉じ、体を強張らせる。
「死ね!」
もはや平民と比べても遜色のないほどの暴言を吐きながら、ミルはオウガストをパンチする。すると、どうであろうか。ミルと同じ現象が起きた。彼のギリギリに透明なバリアが貼ってあるように触れるようで触れない。ミルの拳はオウガストにダメージを与えなかった。
「…オウゼリアにもかけてあるの?ってことは、このバリアを掛けたのって…アウレイアか!」
ミルはそう言って、その辺りにいるであろうアウレイアを探した。ミルの声を聴いて、自分がミルと同じ現象になったということに疑問を覚えた。
「待て、ミラージュ。本当に俺にもそのバリアが発動したのか?悪いが、俺はゴブリンに棍棒で殴られて血が出たぞ。アウレイアに治してもらったが」
「え?じゃあ、私の勘違い?…もう一回殴るから、よく見てて、オウゼリア」
「えっ、顔面じゃなくて、違うところじゃないと目を開けられな」
「よっし、やっぱり攻撃は当たらないじゃない。オウゼリアの勘違いなのでは?ところで、アウレイアを知らない?」
ミルの攻撃に思わず目をつぶってしまったオウガストはミルを睨んだのち、視線を彷徨わせてアウレイアを探した。
「…いないな。さっきまでは俺らを見ていたのにな」
しばらく、無言でアウレイアを探していれば、木陰からメディアが現れた。
「無事だった?」
「メディアさん。メディアさんは大丈夫でしたか?」
ミルがそう尋ねれば、メディアはにこりと微笑み、無事にオーガを倒せたことを2人に伝えた。ほっとした表情のミラージュとオウゼリアを見て、とりあえず怪我がないか、2人の服や体を確認する。
「あら、オウゼリアの服、血が付いてるじゃん。治そうか?」
「あ、大丈夫です。アウレイアに治してもらったので」
「…回復魔法も使えるんだね。ところで、そのアウレイアはどこへ?」
「…いなくて、探していたんです」
ミルがメディアにそう答える。
「私たちはパーティーとして来ているんだから、自分勝手な行動はチーム全体を危うくさせる。もし、彼女が無事であって、また話す機会があるなら、そのことをきつく言っておいてね。急に消えたってことは別の魔物に襲われていて死んでるかもだけど」
メディアはミルの話を聞くや、冷たい眼差しでこう話した。冒険者は一人一人の足りないところを補い合って、一つの依頼をこなすのが基本である。そこに勝手に行動する人物が入れば、パーティー自体が崩れて、死者が出る可能性もある。メディアは依頼を幾つもこなし、このようなパーティーを何度も見てきた。だからこそ、勝手に行動するアウレイアが許せなかった。…私怨もあるのだが。
メディアのきつい言葉を聞いて、ミルとオウガストは黙り込む。「自分勝手な行動」に思い当たる節がある。バリアがあったからよかったものの、これがなければ、命を落としていたであろう。アウレイアの意見も聞かず、勝手に3対2という不利な状況を作り出し、戦いを挑んだ行いは明らかに自分勝手な行動であろう。
一方のメディアは沈黙する2人の様子を見て、話を変えるように大きな声を出した。
「さ、さあ!あとはラジーとミゼルがやっつけているワイバーンの援護に行こう!きっと、あとちょっとで終わるよ!」
メディアがそう言って、歩き始めてすぐに、スピアというオーガをやっつけたメンバーの1人がメディアを呼んだ。
「メディア!ちょっと来い!」
切羽詰まったその声にメディアは嫌な予感を覚えた。2人についてくるように言い、走り始める。すると、大きな衝突音と、剣で弾く音が聞こえ始めた。
ラジーは苦戦していた。今戦っている敵は本当にワイバーンなのであろうか。ラジーは前にワイバーンを倒したことが2度ある。どちらも、彼の実力と比べると劣るものばかりであった。しかも、今回はミゼルもいる。彼は、赤札の冒険者だが、実力は銀まであると、ラジーは感じている。彼が自分の実力を発揮できれば、の話であるが。金と赤の冒険者ではワイバーンは余裕のはずだ。なのに、今苦戦している。
「ミゼル。大丈夫か?」
息を乱しながらも武器をワイバーンに向かって構えるミゼルが心配でラジーは話しかける。
「…だ、大丈夫ですよ。ラジーさん、あれやっちゃってください」
あれとは『纏火』のことであろう。ラジーは頷いて集中し、魔力を練る。そのラジーの様子に危険を覚えたのか、ワイバーンは翼を振り下ろし、足で敵を掻っ切ろうとする攻撃から、毒のある尻尾を振り回す攻撃に切り替えた。ほんの一瞬『纏火』に集中し、魔法を発動させたラジーに尻尾が襲い掛かる。
「危ない!」
ミゼルが叫びながら、ラジーをかばうように身を投げ出した。ミゼルの胴体を大きな尻尾が吹き飛ばす。大きな衝撃音とともに、ミゼルは木にぶつかり気を失った。
「ミゼル!!」
ラジーは大剣を構え、ワイバーンに向かって怒涛の攻めを始める。ミゼルを心配する余裕はない。しばらくして、オーガを倒し終えたのか、こちらにこそこそやってくる、メンバーの姿が見える。折れ曲がった木とミゼルに驚愕しているのだろう。ミゼルが治療してもらえることに安堵しながらも、ラジーは気を引き締め、ワイバーンと戦うのであった。
呼ばれたメディアは慌てて、スピアに駆け寄る。スピアの横には治療をしているシェルラと、横たわっているミゼルがいた。彼は浅く呼吸をし、苦しそうだ。
「ミゼルがやられて、シェルラが治癒をかけているのだが、全く効果がない。薬草を使ってみても駄目だ。ポーションも使ってみたが駄目だ。毒も解毒薬や、最上級の治癒魔法で取り除けない。何か案はないか?ここのままじゃ、ミゼルは死ぬ」
“死ぬ”。その言葉を聞いて、メディアは顔を青白くさせた。解決方法…そんなものはわからない。怪我や毒に一番精通しているのは、今治癒を施しているシェルラだ。メディアの顔で悟ったのか、スピアは落ち着かない様子で辺りを見回している。なにか、ないか。焦っている様子が見て取れる。
「あの」
そこで今まで姿を消していたアウレイアが姿を現した。
「アウレイア!?どこにいたの?」
ミルが大きな声でアウレイアに声を掛ける。アウレイアはさっと、メディアに向かって敬礼を取った。
「メディアさん、先ほどは自分勝手な行動で困惑を招いてしまい、すみません。で、ミゼルさんはどうしたんですか?」
「あんた…さっきの言葉を聞いて…?ってそんなことどうでもいいわ。今、ミゼルは虫の息よ。ワイバーンの尻尾の毒と攻撃の傷が治癒で治せない状況なの」
メディアは戸惑っていた。ミゼルの細かい状況を言ったところで、新人のアウレイアになにか対応できるはずがない。…なのに、なぜだか口が勝手に開き、ミゼルの状態をぺらぺらと話し始めるのだ。…そうに違いない。彼女ならなにかをしてくれる、と期待している訳では決してないのだ。ラジーの恋敵として手を貸すわけにはいかないのだ。
メディアの言葉を聞き、アウレイアは静かにいろいろな治癒魔法を試しているシェルラに向き直った。
「シェルラさん、ミゼルさんを任せてくれませんか?」
自信満々でそう口にしたアウレイアに戸惑いつつも、今自分にできることが思いつかなくなっていたシェルラはミゼルをアウレイアに預けた。アウレイアは自分の太ももにミゼルの頭を乗っけて寝かすと、バックから、オレンジ色の薬草とピンク色の薬草を取りだした。
「そ、それ、雑草よね?」
アウレイアが雑草を歩きながらむしり取っていた様子を思い出してミルが呟く。どうするの?と言わんばかりの顔でアウレイアを見守っていると、アウレイアは雑草の根っこの部分数センチをちぎって、ミゼルの口に薬草を二つ生け花のようにぶっ刺した。
「は!?」
まさかの行動にオウガストは大きな声を上げた。
「アウレイア!正気!?ミゼルは花瓶じゃないよ?しかも雑草をなんて、邪道だよ!?」
「ミラージュ。大丈夫。これは、立派な薬草よ。草の苦い液が体内に流れることで、毒をやっつけてくれるの。昔からこの手の魔法が効かない毒は悶絶するほど苦い薬草を直に飲むことで治してきたの。だから、大丈夫」
アウレイアのウインクにミルは肩を震わせた。悶絶するほど苦い液…それは、地獄なのではないだろうか。ウインクされて大丈夫と言われても、全く大丈夫ではなさそうである。現に薬草を口にぶっ刺されたミゼルは全身で痙攣を起こして顔を真っ青にさせている。
「!悪化したわ!」
シェイラが動揺したように叫んだ。ミゼルは拒絶反応からか、薬草を吐き出そうとする。
「させるか!」
それを見たアウレイアがミゼルの口が開かないように手で閉じる。
「ブフォッ、ゴホッ」
ミゼルが咽て暴れている様子をミルとオウガストは青ざめた顔で見ているしかなかった。
「…これはひどい」
メディアは見ていられなくなったように視線を逸らす。ふと、ミゼルの口を押えていたアウレイアはメディアとスピアを見た。
「手の空いている人はワイバーンを倒すことに手を貸さなくて大丈夫ですか?ラジーさん、1人で苦しいのでは?」
その言葉を聞いてスピアが気まずそうに視線を逸らした。
「…本来は手伝う予定だったんだが、俺らより強いミゼルがやられたのを見て、うかつに手を貸すとラジーの足を引っ張りそうで手伝えないんだ。かと言って、ラジー1人も心配だ」
「なるほど。では、スピアさん、ミゼルさんの口を一生懸命に抑えていてください。新人ではありますが、私が行ってきます」
アウレイアがそう言って、ミゼルの顎を片手で押さえながら、スピアを手招きする。
「はあ!?俺らでさえ、足手まといになりそうなのに、新人のお前が行ってどうするんだ?」
「手はあります。必ず助けになる自信があります。さあ、暴れん坊のミゼルさんの口を持ってください」
ツッコみどころが満載なアウレイアにスピアは溜息を吐いた。アウレイアは間違いないと言わんばかりに自分を見つめている。恐らく、ラジーはいずれ崩れる。その時に自信のない自分よりも自信がある彼女が行った方が力になれることがあるかもしれない。アウレイアに賭けてみてもいいのかもしれない。
「わかった。行ってこい」
スピアはアウレイアとミゼルを抑える役を交代する。アウレイアはスピアがしっかりとミゼルを抑えたのを見て、自身の手を引く。
「っ!?」
スピアはその瞬間、アウレイアが暴れ馬と言っていた意味がわかった。ミゼルは全身のバカ力をフル活用して暴れているのだ。手を揺さぶられつつも、口を押えることに注力する。アウレイアは簡単と言わんばかりに抑えていたが、これは相当な力がなければ抑えられない。スピアはなんとなくアウレイアの実力について察した。
「スピア!あんた正気!?アウレイア!あなたのような新人に手助けができると思えない。やめときな」
「いや、メディア。賭けてみよう。アウレイア、ラジーさんを頼む」
スピアの言葉にメディアは大きな声で抗議した。
「はあ?賭けとか何言ってんの?もしラジーがやられたら、あんたのせいだよ?」
「…どうとでも言え。お前はお前の出来ることをしていろ。ラジーさんの手伝いをしようにも足手纏いになって何もできないと手伝いもしないで、別の奴が行くと言ったら反論してひたすら足止め。そして、探知の魔法も今日は役立たず。なんなら、新人の3人の方が余程役に立っているだろう。メディアはメディアにできることをしていろ。人の足を引っ張らずな」
「え、偉そうに言わないで。確かに今日のあたいは役に立っていない。でも、やっぱりラジーの足を引っ張りに行こうとしている奴を止めないのは間違っていると思う」
「じゃあ、ラジーさんは見殺しでいいんだな?もし、ここでアウレイアを止めてラジーさんの援護を誰も行わないでラジーさんが死んだ場合、それはメディアのせいでいいんだな?」
「な!?」
スピアの言葉にメディアは反論できなかった。メディアが言葉を探していると、「あの…」という声が聞こえた。
「なに?」
思わず棘のある声でメディアが反応すると、その声の持ち主は首を縮こませながらも勇気を出して声を発した。
「あ、あの、アウレイアなら…、もう行きました」
その言葉にメディアは動きを止める。
「もう…行った?…そ、そうなんだ」
アウレイアの動きの速さにメディアは先ほどの怒りがなぜか急に引いていくのを感じた。
「メディア、お前今日おかしいぞ?」
スピアは溜息を吐いてそう口にすると抱えているミゼルを見た。味に慣れたのか、青い顔をしながらも暴れることはなくなった。そして、頬に赤みが増してきたのがわかって少し緊張して張り詰めた肩の力を静かに抜いた。
「そんなの、わからない」
メディアは自分が取り憑かれたかのように無性にイライラしていた理由は何だったのか。1人そう呟き、彼女は静かに疑問を胸に秘めた。彼女の勝手な行動は冒険者として許せなかった。それに、颯爽と現れてミゼルを介抱してラジーを助けに行った。1人行動はパーティーの和を乱す。けれど、今回パーティーを乱したのは自分であるように感じた。嫉妬…。その言葉が浮かぶのはもう少し後になってから。
とても難産でした。今回、とても書くのが難しかったです。遅くなり、申し訳ありません。いつも読んでいただきありがとうございます。読者様にはとても感謝しております。