03 あさ
部屋の中は人が出入りしていたからか、埃もゴミも見当たらない綺麗な部屋であった。白い壁に綺麗なフローリングは買ったばかりのように新しく見える。そこには棚と裏返しになっている絵と、机が置かれていた。アウレイアは部屋に入るとすぐに棚の中に大量の睡眠薬が瓶詰されているものを見つけた。嫌な疑念が再び深くなる。
机の上には手紙が置かれている。この部屋の中で唯一古く見えるそれはやはり貴族らしくきれいな字で書かれている。
『我が血統よ、この部屋は代々血統の優秀な者に与えられる。優秀であることを自覚し、日々の研鑽に努めよ。 初代 デイモンド・ベデルギス』
アウレイアは顔を顰めながらも裏返しになっている絵をひっくり返した。
「…やっぱり」
そこには紫色の髪の毛に紫色の瞳を持った少女が緊張した面持ちでいる絵が描かれていた。絵の額縁にはタイトルが小さく書かれていた。
『ルルアージュ・ベデルギス 十歳』
アウレイアはこれで自身の疑問が解決した。疑問というのは実は自分はルルアージュ・ベデルギスではないかという考えだ。アウレイアが寝ていた部屋の主は日記からしてルルアージュ。そして、彼女は日記で自殺を仄めかす文を書いていた。さらに、『詳細』では昨日まで彼女が普通に部屋にいたことが分かる。そして、極めつけは血統智慧とこの肖像画である。
自殺とはもっとも神から離れた行為である。アウレイアはこの言葉を初めて神界に行った時に主神から言われた。自殺した魂は下界のさらに下の地獄で永遠と苦しみ続ける。そこに終わりはない。
ルルアージュは睡眠薬をたくさん飲み、死んだ。そして、魂は地獄へ送られたのだろう。彼女の体は幸運なことに神界から追放されたアウレイアの魂が入った。よって、ルルアージュは傍から見れば死んでないという扱いになっているのである。ただし、容姿も似ている所かほぼそっくりであることからもしかしたらアウレイアがルルアージュになることは運命だったのかもしれない。…考えても分からないことだ。アウレイアは首を振って考えるのをやめた。
ただ、一つの事実だけはどうしても納得いかなかった。ルルアージュが悪役であるのは間違いなしだった。
隠し部屋から出て後ろを振り向くともう入口は消えていた。アウレイアは再び日記を手に取り、この家でルルアージュが関わっている人物について書いていないか調べることにした。
結果、ルルアージュを毎朝起こしに来る使用人についてがわかった。彼は孤児であり、二年前にルルアージュが気まぐれに拾ったそうだ。名前をライネルと言うらしい。日記を閉じて、外を見ればすっかり太陽が昇りきっていた。ふと、トントンという控えめなノックが響く。
「失礼します。ルルアージュお嬢様、朝で…」
.返事を待たずにドアを開けた少年は柔らかそうな金の髪に優しそうな碧眼であった。全体的にふにゃりとしていそうな少年はルルアージュと目が合った途端に大きく目を見開いて固まった。
アウレイアはベッドに腰掛けながら少年を眺めていた。恐らく彼が毎朝起こしに来るライネルという使用人であろう。今後、私はルルアージュとして生きていくことになる。態度はどうするべきだろうか。しばし悩んだ後、アウレイアは決めた。アウレイアはアウレイアだ。他人には決してなれない。自由に気ままに振る舞おうと。
「ももも、申し訳ございません!起きていらっしゃるとは思いませんでした。ですから、お怒りにならないでください」
再起動したライネルは深くお辞儀をし、主の許しを待った。この後に待ち受けるのは鞭打ちか、罵りの刑かどちらにしてもライネルには苦痛であった。けれど、今回の主の言葉はいつもと違かった。
「別に怒ってないわ。レディの部屋に返事無しでドアを開けるのはいただけないけれど、それはいつも私が起きていないからでしょ?明日から返事を待って入るのなら構わないわよ」
そう言って微笑む主は十二歳とは言えない程の妖艶さと色気を醸し出していた。呆気にとられながらも気を取り直し、お礼を言う。
「ありがとうございます。ルルアージュ様。して、お支度は…」
アウレイアはライネルの後ろをふと見た。どうやら、支度を手伝うためのメイドが何人か後ろで待機しているようだ。わざわざ来てもらって申し訳ないわと思いながらもアウレイアは断りの為に口を開く。
「申し訳ないけれど、支度を済ませてしまったわ」
それを聞いたライネルは口をポカンと開けてしげしげとルルアージュを見つめた。後ろではメイドたちが信じられない、嘘をついているのかしらと小さく呟いているのが聞こえる。もちろん、その声はアウレイアにも聞こえていた。ライネルは横を向き彼女らに咎めるような視線を向けると、頭を下げて部屋へと一歩踏み入れた。
部屋が広いのとベッドに腰掛けている様子しか分からなかったのだが、ルルアージュは身綺麗な格好をしていた。青いシンプルなドレスはルルアージュの髪と綺麗な色合いを生み出し、彼女を大人に見せていた。また、いつもとは違う見たことのない髪型をしていることですっきりとした印象を見せている。まとめられた髪の耳元には青い綺麗なイヤリングがしてあり、華やかさを演出していた。いつもは褒めろと言われてもお世辞しか出せないが、今日は心から褒めることができそうだった。
「とてもすっきりとした印象でお嬢様の美しさが滲み出ております。可憐な花々のように可愛らしいお嬢様も好きですが、バラのように綺麗で美しいお嬢様もとても良いと思います」
ルルアージュお嬢様は毎日ライネルに服やセンスを褒めることを強要していた。言われた通りの日課を行ったライネルはルルアージュの顔をふと見つめた。彼女は紫色の瞳を細め、とても嫌そうな雰囲気を纏っていた。
アウレイアはお世辞というものが大嫌いであった。美の女神だとか美の化身だとか、前世の時から言われていたが、モテないし、男は寄り付かないし、お世辞だと考えている。美の女神になったのもなにかの間違えだと思い、美しくない自分が恥ずかしくなり、家の中に毎日閉じこもっていた。だから、ライネルにお世辞を言われた時には思わず嫌悪感を出してしまった。この体は幼い時の自分にそっくりの見目をしている。よって、美しいわけがない。そう思ったアウレイアは少し低めの声でこう言った。
「そういうの、もういらないから。もし、事あるごとにしているのならもうやめていいわよ」
アウレイアは断じて怒っているわけではなかった。ただ、言った後に少し棘のある言い方をしてしまった気がして申し訳なくなった。
ライネルはその言葉を素直に受け止めた。ルルアージュは気分屋なのだ。今日は褒めてもらいたくない気分だったのかもしれない。なんにせよ、叩かれたりしないでよかった。
「かしこまりました。お嬢様、ふと思ったのですがそちらのドレスをいつ手に入れられたのですか?」
ルルアージュの趣味からかけ離れたそれはこの公爵家においても、国内でライネルは一度も見たことがない。悪魔と呼ばれるルルアージュの趣味はかなり偏っていた。彼女はフリフリのゴテゴテのドレスが大好きで、部屋も彼女の趣味で目がおかしくなりそうになっている。だが、今は全く真逆の飾りもない素朴なドレス。まさに晴天の霹靂、山と海がくっつくような晴れの日に飴が降るようなことである。
「このドレス?私、刺繍習っていたでしょ?その延長でドレスを作ったの」
明らかなる嘘である。アウレイアは日記でルルアージュが刺繍を習っていることを把握していた。彼女は刺繍が下手で、いつも妹のリリアージュと比べられて嫌だったらしい。刺繍が嫌いということと、刺繍は刺繍であり、裁縫ではないことから、明らかな嘘であるとライネルは理解するだろう。そこは目が笑っていない笑顔でごり押しをする。
「しょ、承知しました。…ところでそのイヤリングは…」
「あそこに綺麗な石っころが入っているでしょ?あそこから取り出して自分で作ったわ。丁度いい具合に綺麗な石が二つあったの」
両手を合わせて素敵でしょとでも言うように語るアウレイア。ライネルは顔をひきつらせながらもそうだったんですかと声を振り絞っていた。追及の手をあきらめたのかライネルは話を変えることにしたようだ。
「今日のスケジュールをお教えいたします。本日は朝食後、リリアージュ様と共に学園へ行くことになっております。朝食後には少し休憩がありますので、その時に本日の授業は確認なさいましょう。放課後は特に予定はありませんので好きな時間に学園の馬車にてお帰り下さいませ」
学園…。アウレイアが生きていた時には聞いたことのない言葉であった。恐らく授業という単語が出てきたので、勉強するなにかなのだろう。そう考えたアウレイアはライネルに頷いた。
「では、朝食に向かいましょう」
ライネルは扉を開けてルルアージュを促す。ルルアージュはライネルに促されるまま扉を通り抜ける。しかし、ルルアージュの足はそのまま止まってしまった。
「ルルアージュ様?」
ライネルが疑問に思いながらも扉を閉め、進行方向へと促す。気づいたルルアージュははっとして進行方向へと歩き出した。ようやく進みだした主に対して微かな疑問を抱きながらも後ろに付き従う。
アウレイアといえば、かなり焦っていた。朝食というわけで恐らく食堂にでも行くのだろう。けれど、場所が分からなかった。なにか魔法でこの屋敷の見取りを知ることもできるだろうが、人がいる手前、ばれるかもしれないのでできない。せめて、ライネルが先導してくれればいいのに。幸い、ライネルは行き先をさりげなく促してくれた。扉から右手に歩いていると赤い髪に赤い瞳の剣を腰に帯びている青年が立っていた。アウレイアの視線に気づいたのか、青年はこちらを向くと一瞬驚いた表情を浮かべたもののすぐに険しい顔を向けてきた。
態度的にあの日記に書いてあった鈍間な護衛とは彼のことだろうか。そう思っていると扉が開いた。
「あら、お姉さま。おはようございます」
鈴の鳴るような綺麗な声で透き通るような蜂蜜色の髪を揺らしてサファイアブルーのような瞳を優しげに揺らして彼女はそう言った。まさに、妖精。お姉さまと言われている辺りから妹のリリアージュであろう。コンマ数秒でそう判断したアウレイアは柔らかく微笑んでおはようと返した。その瞬間、その場にいた全員が固まった。
ルルアージュ。彼女は悪魔と言われるほどに恐れられていた。それが今目の前で爽やかな笑みを浮かべている。リリアージュと似たような美しい笑みを浮かべたルルアージュを見たことがあろうか。やはりなにかがおかしい。そう思ったライネルは顔を引き締め、ルルアージュに話しかけようとした。しかし、リリアージュの方が口を開くのが早かった。
「お、お姉さま。今日はいつもとは違う雰囲気を纏っていらっしゃるのね。もしかして、このドレスやイヤリングでかしら?すごく美しいわ」
褒められたルルアージュは爽やかな笑みから目が笑っていない笑みに変化した。
「ありがとう。あなたも妖精みたいで可愛らしいわ」
リリアージュは薄いピンクのドレスを纏っており、レースが幾重にも編み込まれ、背中で一つにまとめられている、可愛いドレスを着ていた。背中に羽があったなら妖精であっただろう。お礼を言ったリリアージュは忘れ物があると言って部屋へと戻って行った。残された護衛は居心地悪そうに扉の横で待機する。三度ほどルルアージュの方を見て息を吐いていた。
アウレイアは食堂へ向かって歩く。よくわからない位置にある食堂だが、リリアージュの部屋から少し歩くと左への一方通行となっており、ほっと息を吐きながら曲がり、足を止めた。
急に主人が立ち止り、驚いたライネルは急いで止まり、一歩後ろへ下がった。
「お、お嬢様?どうかなさいましたか?」
声を掛けるとルルアージュは後ろを向き、ライネルに話しかけてきた。
「ライネル。私、後ろを歩かれるのあまり好きじゃないのよ。前を歩いてくれないかしら?」
それはライネルにとって、無茶なお願いであった。使用人には使用人規則というものがある。『主人が間違った方向へ進みかけた時は身を挺して間違いを正す』、『有事以外は主人の前を歩かない』、『主人のプライベートに踏み込まない』主な規則はこの三つであるが細々と他にも規則があった。ルルアージュのお願いはこの規則に触れるものであった。
「お嬢様、申し訳ありませんが、規則によりそれはできないのです」
それを聞いたルルアージュは残念そうな顔をした。
「そう…。じゃあ、せめて私の隣を歩いてくれないかしら?」
嫌?と言わんばかりに悲しそうな目をするルルアージュ。ライネルは慌ててそれなら大丈夫ですと返し、ルルアージュの隣を歩き出した。
アウレイアはライネルが自分の隣を緊張したように歩き始めたのを見てほっとした。題して、食堂を知ったかぶりで行こう作戦である。場所がわからないアウレイアはライネルに先導してもらおうと思ったものの断られてしまった。ならば、と横を提案したら彼はあっさり了承してくれた。この先、左手の階段、右手の扉、まっすぐの廊下の三択に分かれている。ライネルはいつもの習慣で道を進むだろう。この動作さえ分かれば、アウレイアは食堂へと進める。
結果、一階の方に食堂はあった。アウレイアは自分の部屋の反対側一階と覚えて、ライネルに促されるまま食堂へ入った。
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