025 天使
その日の夜、アウレイアは一人、湖畔に来ていた。夜の闇に一筋の白い光が走る。月の微かな光の下、アウレイアが剣を握り、素振りをしているのだ。その光は最初ゆっくり、次第に激しく動きだし、最終的には光の線になっていく。そして瞬きをしている間に光は終息し、素振りをしていたはずのアウレイアは息一つ乱さず構えの姿勢へと戻っていた。
アウレイアが剣を握っていたのは彼女が生前生きていた時。護身の為にと習わされた剣術は彼女の興味を引いた。剣を振れば振るほど上達していくという才能もあったからかもしれない。気が付いたら彼女は周囲の声も聞かずに武道へと進んでいた。帝国は軍国主義なため、女子でも軍に志願すれば入れてしまう。蝶よ、花よと可愛い娘を育てたかった両親は剣術を習わせたことに後悔を感じながらも彼女の選択を笑顔の仮面で受け入れた。
剣を振るうことで過去を思い出し、自然と笑みがこぼれた。今の体は昔の体ほど引き締まっているわけではないが、頭に思い浮かべた動きをぎこちなさげだが再現できている。剣術の才能はありそうであった。
剣を振るっては少し休み、再び振ってまた休むを繰り返し、夜は流れていく。次第にルルアージュの体は息切れを始め、体の動きが鈍くなってきた。そろそろやめ時かもしれない。そう思ったアウレイアは剣を鞘に納める。
しかし、収めたのも束の間、彼女は剣を再び握りしめ、後ろに剣を振るっていた。キイインと甲高い音が響き、静寂の湖畔に木霊する。心なしか、湖の水が波打ち、空気が震えている。張りつめた空気の中、アウレイアの見つめる先には白いローブをまとった人間がいる。白いローブはなぜか光り輝き、透明な短剣を持っている。剣と剣が触れ合うと、その透明な剣は白く輝いた。ローブの人間はしばらくした後に力を抜き、後ろへとステップし、アウレイアの攻撃をひらりと避けた。
「さすが、かつての帝国を支えていたと噂されるアウレイア様です。肉体が変わっても、その力は劣らないのですね」
初めて、ルルアージュではなくアウレイアと呼ばれアウレイアは内心で動揺した。ただ、顔にはそのようなことは出さず、頭を何とかして動かす。
かつて帝国を支えていたと噂される。この言葉からアウレイアがかつて帝国の軍に所属していたことを知っているとわかる。また、肉体が変わってもということはアウレイアがラジアンによりルルアージュの体に入ったということを知っているということだ。そして、ルルアージュをアウレイアだと知っているのはあきらかに神界の者である。
「…ラジアン様が追っ手を出したということですか?」
きっ、と白いローブの人間を睨みつける。一体、どうしてここまで執拗にラジアンはアウレイアを責めるのか。全く関わったことはないが、何か実は関わっていてものすごく恨んでいるのではなかろうか。
「ああ、アウレイア様はご存じないのですね?いまやラシアン様は下界に追放された身。私が使わされたのは主神の命によってです。申し遅れました。私は主神に仕える天使、ユーリファ。主の命により、あなたを神界へお連れする任務を受けました」
ユーリファは名前を名乗ると白いローブを光らせた。ユーリファの周囲が昼のように一瞬明るくなる。あまりの眩しさにアウレイアは目を瞑った。目を開けるとそこには白い翼に虹色のオーラを纏ったユーリファの姿があった。上半身は裸で下半身は白い腰巻を纏っている。白い翼とは対称に優しい夜の色をした黒髪が腰まで流れている。仮に、ユーリファが神の使いとして地上へ降りてきたとしたら、人々は本当に信じてしまうだろう。そこまでの美しさと輝きをユーリファは持っていた。
「で、アウレイア様。今すぐその肉体を捨てて神界へ戻って下さいますか?」
天使、に圧倒されながらもアウレイアはユーリファの質問を反芻する。もし仮にアウレイアが神界へ戻ったとしたら、ルルアージュの肉体はどうなるのであろうか。彼女の家族は?ミルやオウガストは?アウレイアは先ほど、ミルやオウガストが強くなれるようにすると決心した。彼女は気が付いたら言葉を発していた。
「戻りません。仮に、あなたが昨日に来ていたとしたら、私はあなたに付き従い、神界へ戻っていたでしょう。しかし、今は戻りたくありません」
真っ直ぐにユーリファを見つめながら出た言葉はアウレイアの心からの本心であった。ユーリファは射抜くような眼差しでアウレイアを見つめた。
「主神の命に逆らうというのですか?それほどまでになすべきことがあるのですか?」
今、自分の決心から逃げたなら、アウレイアは後悔するであろう。神界で今まで以上に引きこもり、毎日すすり泣く日が来るかもしれない。下手したら、悲しみの女神とでも呼ばれるかもしれない。なら、決心を通すまでである。仮にこれで後悔したとしても、何もせずに後悔するよりましである。
「はい。ですから、今は戻れません」
その言葉を聞き、ユーリファは自身の剣を下げて、にこやかに笑った。
「それを聞いて安心しました。主神はあなたが戻りたいと言うならば、この剣で殺せと申されました。この剣は魂を神界へと送る剣。ですが、あなたは天寿を全うして再び神界へ戻ることができるでしょう。ならば、私はその日まであなたを見守らせていただきます」
アウレイアは今まで張りつめていた空気が消え、湖畔がいつも通りの雰囲気になったことで肩からそっと力を抜いた。
「で、なぜあなたに迎えが来たかと言いますと、なんか悪魔の大群がそろそろ来るかもしれないのです。地上では新たな聖女と呼ばれる存在が生まれ、お祭りモードですが、神界はピリピリとしています。もしかしたら、その余波がこちらへと来る可能性もあります。悪魔が地上へ来るかもしれません」
『悪魔』という単語を聞いてアウレイアは眉を潜めた。物騒な名前のそれは天使のなれの果てであり、主神を憎んでいるらしい。いずれは地上を悪で染めようと企んでいる。それが来るかもしれない。
これはあまりにも恐ろしいことである。
「わかりました。気をつけます」
心を引き締め、アウレイアはそう言った。
「私もあなたの身を守らせてもらいます」
ユーリファが真顔でそう言った。
アウレイアはその言葉を聞き、神界からアウレイアの動向を見守らせてもらうという意味として受け取った。その考えは裏切られた。一旦アウレイアは家に戻り、お風呂へと入った。その後、屋敷が静かになったのを見計らい、湖畔の家の中へ入れば、おいしい匂いとご飯を美味しそうに頬張るユーリファがいた。翼は消せるのか、消えていて、白い服でパンとシチューを食べている。アウレイアが夜食として用意していたものである。アウレイアはあまりの衝撃にドアの段差に気付かず、躓いた。
「わ、私のパンとシチュー…」
「あ、アウレイア様。帰って来られたのですね。それにしても私の為に美味しいご飯を用意しておくなんて感心しました。それにしてもふわふわなパンに心安らぐ甘みと旨みのあるシチュー。人間はこんなおいしい物を食べておられるのですね。感心しました。私の部屋は二階の階段すぐの所を借りさせていただいております。明日から、傭兵としてなり、なんなりとお使いください。死に物狂いで頑張らせていただきます」
天使が無断で人のご飯を食べる。あまりの衝撃的な光景にアウレイアは思考を停止させた。なぜ、彼はここにずっといるのか。なぜ無断で人のご飯を食べるのか。自分の幻覚か、と思いながらも、現実を直視せざるを得ない。あまりにも意味の解らない現状にアウレイアはさっさと転移して屋敷のベッドで一夜を明かすことにした。
次回は5/19 12:00に投稿させていただきます。
最後の厳格化⇨幻覚か
でした!指摘くださった方、ありがとうございました。




