012 授業
教室の中からざわざわとした声が聞こえた。人がいるみたいだ。アウレイアは戸惑いなくドアを開いた。アウレイアの目の前にはこちらを驚いたように見つめる令息、令嬢と剣を構えている護衛達がいた。使用人はいないようだ。護衛の中にはリリアージュの護衛のアーヴェンもいた。
「お姉さま!?」
声のした方を見れば、妹のリリアージュが周囲に花を咲かせているような笑みでこちらに近寄って来た。アウレイアは教室の中に入り、後ろ手で扉を閉めた。ようやく我に返った令息・令嬢・護衛達はこちらを観察しながらも次の授業の準備へと入って行く。
「ルルアージュお姉さま。よかったです。馬車で一緒に来ましたのに、姿が見当たらないのでどうしたのかしらと心配しておりました」
安心したように息を吐き、可愛い微笑みでこちらを見つめるリリアージュにアウレイアは女子力で負けていると感じた。なんとか笑みを浮かべリリアージュに言葉を返す。
「まあ、私は散歩をしていてこのように遅くなってしまっただけですわ。お気になさらないで」
「ルルアージュ。リリアを心配させておいて、謝りもしないのか?」
突然少年が光に反射して輝くように綺麗な結える金髪を揺らして真意を見極めるような赤い瞳でこちらを睨みつけながらやって来た。彼はリリアージュを庇うように立ち、ルルアージュを見据える。庇われる形になったリリアージュは戸惑うように口を開いた。
「る、ルロスト殿下?」
その言葉からアウレイアはこの少年についての情報をまとめる。どうやら少年は第何位かわからないが王位継承者らしい。それから、ルロストという名前はルルアージュの日記にも書かれていた。まあ、見るからにルロスト殿下はリリアージュに首っ丈だとわかる。アウレイアはこの偉そうな殿下には逆らわず従うことにした。
「リリアージュ、ごめんなさい」
「もっときちんと」
「ルロスト殿下。私は大丈夫です。お姉さまを許してあげてくださいませ」
「ぬ…」
リリアージュがルロストに声を掛け、アウレイアにお辞儀をして席に戻って行く。そこでこの流れを読んでいたように先生が教室に入って来た。慌てて他の人も自分の場所へと席に着く。護衛はどうやら壁際に立っているようだ。壁際でずっと立っているのはきついということを知っているアウレイアは彼らに同情の目を向けながら、自分の席を探す。ここにいる全員が席に着いたので空いている席は一番後ろの真ん中の列の席のみであった。アウレイアが席に着くと同時に鐘が鳴る。
ライネルが言っていた通りだと次は術式学である。術式は前世の知識で知っている。アウレイアとその数少ない友人たちの遊びのひとつに術式ゲームというものがあった。お題を決めて、より優れた術式を考え出したほうが勝ち。シンプルなルールであったが実に色々なアイデアが出てきてとても面白かった覚えがある。教科書を出しながらも当時の自分が遊び心で書いた術式たちを思い出す。
「では、術式の授業を始めます。まずは前回の復習から。火に対する魔方陣には必ず入れなければならない魔法文字があります。…レイグリットさん、どうぞ」
先生が話し始めたのを聞いていると右隣の席の人が小さな声で話しかけてきた。
「散歩をして堂々と授業をさぼるとはいい度胸をしていますね」
どうやら隣はベルン・マキドシュだったようだ。朝の朗らかな笑顔とは違い、鋭い目つきでこちらを刺すように睨んでくる。朝が表の顔、今が裏の顔とでも呼べるような表情の変化だ。やはり、ルルアージュは婚約者にも嫌われていたようだ。アウレイアはため息を静かに吐いた。
その溜息はベルンにとって不快に感じるものであった。いつも機嫌を伺うように下から見つめてくると言った様子はなく、今日のルルアージュはいつもより冷めて見えた。単純に彼女が本性を現したのか。なにか嫌なことがあったのか定かではないが、ベルンはルルアージュと関わるのが好きではなかった。では、どうして今自ら皮肉を言うなんていう行動を起こしたのかは自分でもよく分からない。皮肉なんて言ったら隣の令嬢はヒステリックに喚き散らすとでも思ったのだろうか。
しかし、ベルンの言葉に対してルルアージュは溜息を吐くだけで終わった。ベルンは肩透かしを食らったような状態であった。教師の理論をノートに記入しながらも、リリアージュを見るために前を向く。リリアージュは座っている姿も美しく、気品があった。比べて自分の婚約者を見る。彼女は偉そうに腕を組み前を見据えている。机には紙が一枚で教科書もノートも広げていなかった。まるで喧嘩を売っているようなものだ。すぐに教師の目に入り、注意と共に無理難題な質問をされるだろう。
ルルアージュはそこで私にはわかるわけありませんわと言って他人事のように視線を伏せるのだ。貴族の何人かがそこでこそこそと笑うのもお決まりのパターンだ。そして、溜息を吐いた教師はリリアージュを指す。リリアージュが完璧な回答をして褒められるのが流れである。
どうして、自分がリリアージュの婚約者ではなく、ルルアージュの婚約者なのだろうか。リリアージュの婚約者であったなら、よかったのに。何度もそう思いながらもベルンはまだチャンスがあると思っていた。幸い、リリアージュの婚約者はまだいない。ベデルギス家の人に認められれば、リリアージュを婚約者として認めてくれるかもしれない。ベルンはそう考えている。
「ルルアージュ嬢。教科書もノートも出さずに私の授業を受けるとは喧嘩でも売られているのですか?」
「す、すみません。今すぐ出します」
その言葉に教室が凍る。ルルアージュはそのことに気が付かず、バッグを取り出し、教科書とノート、筆箱を机に並べた。
「わ、わかればいいのです。で、ルルアージュ嬢に質問です。この魔方陣は水に関する魔方陣なのですが、このままでは水が魔方陣から飛び出るという魔法しか起動できません。どの様な魔方陣を付け足せば飛び出す以外の魔法ができるか答えてください」
教師は気を取り直していつものようになかなかに考えないと解けない問題を出す。ふと、リリアージュを見れば、リリアージュはノートを見つめ必死に考えている。問題を出されたルルアージュはぽかんとこちらを見ていた。やはり彼女のような低能な脳みそでは答えを練りだせないのだろうか。
一方のアウレイアは先ほど思い出していた術式ゲームを思い浮かべていた。もし、アウレイアが実際に水を魔方陣を用いて操るなら、どのように使うか。アウレイアは歩く水の竜巻を思い浮かべていた。掌に魔方陣を書き、水を大量に出す。そして、水を風魔法で浮かべて、永久的に循環させる式を入力すれば歩く水の竜巻の完成だ。
「えっと、先生。それは黒板に書かれている魔方陣に手を加え書き換えればいいのでしょうか?」
「はい。…もう解けたのですか?」
教師が驚きでそう尋ねると、ルルアージュは返事をして立ち上がる。立ち上がる音に反応して必死に頭を巡らせていたリリアージュは後ろを振り向いた。姉が、姉が立っているではないか。授業ではわからない、できない、の一点張りで椅子から不動の姉が今、初めて立ったのだ。まだ解けていない魔方陣にペンを喰い込ませてしまうほどにショックであった。
ルルアージュはクラス中の視線を集めながらも黒板に立ち、チョークを手に取った。迷わずに魔方陣に少しの付け足しを行う。教師は魔方陣を見て頷いた。
「…ルルアージュ嬢。これはどのような魔方陣なのか口頭で説明をお願いします」
「これは、ここに飛び出た水を制御し、放つという動作を行う魔法陣です」
アウレイアが今回黒板に書いたのは初歩的な魔方陣だ。どうやら、この学園では魔方陣をわざと複雑に書く方法を教えているらしい。ならば、郷に入っては郷に従えという言葉がある通り、この複雑な魔方陣に合わせて自分の知っている魔方陣を変えてみれば何を入れればいいかが自然に分かるというもの。
「ちゃんと予習ができているようですね。席に着いてください。では、次の魔方陣に入りましょう。次は雷の魔方陣です」
教師は水の魔方陣の隣に雷の魔方陣を書きはじめる。アウレイアは言われた通りに大人しく席に戻る。席に着くとベルンが不思議そうな顔でこちらを見て小さな声で口を開いた。
「貴方は魔力がないため、魔法系の授業が大嫌いだったではありませんか。いきなりどうしたのですか?」
また嫌味かと思いアウレイアは呆れた目でベルンを見るが、先ほどの時の冷たい眼差しではなく、興味深げな眼差しへと変わっていることに気が付いた。
アウレイアは当然、ルルアージュは魔力がなくて魔法系の授業が嫌いなことを知らなかった。魔力に関しては女神までの人生と変わらずバンバンと使っている。この体自身はルルアージュのものなのでもしルルアージュが魔力を持っていなければ、魔法を使えずにアウレイアは困り果てているはずだ。
アウレイアは苦肉の策として言い訳した。
「…偶々昨日に教科書を開いて眺めていた所が今日の授業でしたわ」
「…そうでしたか」
疑い深げな視線を向けてベルンは言葉を返し、興味を失くしたように前を向いた。アウレイアは溜息を吐きながら、教科書を眺めた。
とうとう書き溜めが切れてしまいました…。そのため、次回から二日置きの投稿になります。次回は3/26 12:00に投稿します。