洞窟のドラゴンと少年
オカザキレオ様主催「君とドラゴン企画」参加作品です。
その森の奥にある洞窟には一匹の大きなドラゴンがいた。
小さな家一軒ほどの大きさがあるドラゴンは、漆黒の鱗と鋭い爪をもっていて、額には透明の石が埋め込まれるように存在している。だがその金色の双眸はとじられたままだ。
ドラゴンはもう何年もここで眠っていた。
森の動物たちもドラゴンの強大さを恐れてか近寄ってこないので一人静かに眠っていることができた。
「うわっ、ど、ドラゴン……?!」
ところがある日、そんな声で起こされた。薄目を開けると、洞窟の入り口から小さな影がこちらを覗いている。人間の子供だ。
ドラゴンは気が付かないふりを決め込むことにした。無視していればあんな小童のことだ、さっさと逃げ出すに違いない。
が、世の中は予想外の出来事で満ちている。
「あ! けがしてる?」
ぱたぱたと走り寄る軽い足音がした。
たしかに怪我はしている。だがそれは十年も前のもの、近くで見れば古傷とわかってこの小童も興味を失うだろう。
そう思っていたのに、その予想も外れてしまう。
「痛そう。ねえ、大丈夫?」
もう一度薄目を開けると人懐っこい緑の瞳がじっと自分を見上げている。少しの間お互い押し黙っていたが、結局根負けしたのはドラゴンの方だった。
「これは古傷じゃ。とっくに塞がっておる」
「そうなの? でもずっと寝てるでしょう、痛むんじゃ」
「そんなことはない。さあ、昼寝の邪魔じゃ。早う帰れ。今なら食わんでおいてやる」
鋭い牙を見せれば子供はピッ!と硬直して、慌てて洞窟を出ていった。
「やれやれ」
ドラゴンはもう一度丸くなり目を閉じた。これでのんびりできる。
だが翌日。
「ドラゴン、いる?」
あの脅しでもう近寄ってこないだろうと思ったのだが、少々甘かったようだ。
とりあえず狸寝入りを決め込んでみたが。
「あのね、僕あなたがおなかをすかせているんじゃないかと思って」
どさどさと目の前に何かが置かれる気配、そして食糧の匂いがする。
「僕を食べるって言ってたから、お肉は食べるのかと思って。でも、母上が肉も野菜もバランス良く食べなさいって言うからほら、お野菜と果物も」
薄く開いた目の端に結構な量の食糧が置いてあるのが見える。
今度こそドラゴンは深くため息をついた。
「いらん。持って帰れ」
しょぼしょぼ帰っていく後ろ姿を意識から外しつつドラゴンは再び目を閉じた。
ーーーーが。
「まだ何か用か」
まだ帰らずに洞窟の入り口からこちらを窺い見る男の子にドラゴンはため息混じりに声をかけた。
「そのぅ……僕がここに来たら迷惑?」
「はぁ?」
ドラゴンはつい素っ頓狂な声を上げてしまった。自分は強大で恐れられる存在のはず。おまけにあれだけ脅したというのに。
「ーーーー何が目的だ、小童」
低い声で問いかけた。欲深い人間は時折貴重な素材となるドラゴンを求めてやってくる。それが嫌でこんな山奥に引き籠っているというのに。
それを冒すなら子供でも容赦はしない。
だが子供は少し顔を赤くして言った。
「ぼ、僕、あなたと友達になりたくて!」
「はあ?!」
ますます大きな声が出てしまった。
「な、なぜ我がお前のような小童と友達にならねばならぬ!」
「だって、ずっと憧れてたんだ! 強くてかっこいいドラゴンに!」
あまりにも純粋な返答にドラゴンは面食らってしまった。ましてや相手は人間、ドラゴンとはむしろ倒し倒される間柄。素直に好意を受け入れ礼を言うことなどできるわけがない。
なのでつい口が滑ってしまった。
「何の試練も乗り越えず我と友誼を結ぼうなどと、ずいぶん強気じゃな」
「え、じゃあ試練を乗り越えればあなたと友達になれるの?」
「うっ」
すぐにドラゴンは自分の失言を悟った。
「な、ならば! 我の名を当ててみろ!」
「名前を?」
「そうじゃ、名を当てることができたら友達になってやろうではないか」
「本当に?!」
「じゃが答えられるのは一回だけじゃ」
ドラゴンが鋭い爪のついた指をぴん、と一本立ててみせた。
「よいか、どれだけ時間がかかっても構わんが答えられるのは一回きり。外れたらもうここには来てはいかん。どうじゃ?」
実のところこの提案は苦肉の策だったが、案外悪くないかもしれない。ドラゴンは内心にやりと笑った。
これならあと一回来ればこの小童は二度と来ることがない。何しろドラゴンの名を当てることは不可能に近いからだ。そうしてまた平穏な日々を取り戻すのだとドラゴンは考えた。
だがそうは問屋が降ろさない。
それからというもの男の子ーーーールーカスと名乗ったーーーーは、足繁くドラゴンの元へ通ってきた。
名前を一生懸命考えながらも最近の出来事を話して聞かせたりして楽しそうに過ごしている。
「小童、まだ当てんのか」
「もう少し考える」
そんな会話が当たり前になっていく。
そうしていつの間にか八年が過ぎたある日。
いつものようにひょっこりドラゴンの洞窟を訪ねたルーカスがポツリと言い出した。
「ねえドラゴン、俺はしばらくここには来られないんだ」
ほう、とドラゴンは首を持ち上げた。
「それは朗報だ」
「ひどいな、俺は君に会えなくなって淋しいのに」
「なに、うるさい小童が来なくなれば静かに昼寝もできようものぞ」
くわあ、と大きく欠伸をするドラゴンに小さく苦笑してルーカスは呟いた。
「王都へ行くんだ。騎士になる」
「――――騎士、じゃと?」
のんびりとした空気がその時突然変わった。ドラゴンのまとう雰囲気が剣呑なものへとうつろい、視線もきつくなる。
「小童、おまえは我を狩るのか」
「狩らない」
「だが騎士は我らドラゴンを討伐するものだ。わかっていて騎士になるというならそれは我を狩るつもりがあるからであろう」
「違う、聞いてドラゴン」
「何が違う!」
ドラゴンは雷のような声で吠えた。大音量で洞窟の壁がびりびりと震える。
「貴様は我と友になりたいと言った! それは我を油断させて狩るためか!」
「違う! 聞いてドラゴン、俺は」
「ええい、うるさい! もう二度と顔を出すな!」
あまりの急な怒りにルーカスはなすすべもなく「また来る」と小さく告げて帰って行った。
だが仕方のないことだった。まだほんの雛だった頃、ドラゴンは親兄弟を人間に殺され、自身も騎士に追われたことがあったからだ。
その時ドラゴンに挑んだ騎士はドラゴンの額に輝く宝石を狙い自分の名声を高めるためだけにドラゴンを屠りにきた脳筋男だ。
殺すことはいやだった。だが殺されることはもっといやだった。
ドラゴンに負けた騎士が気を失い倒れているのを後目にドラゴンはずっと山奥のこの洞窟へ逃げ込んだのだった。
ドラゴンの体の傷はすぐにふさがったがもう人間とは会いたくない。
戦いで傷ついた体を癒やし、もう人間に会わないようにとずっとこの洞窟で眠っていたのだ。
あれ以来ルーカスは姿を見せなくなった。
最初はルーカスに怒っていたドラゴンだったが、数ヶ月も経って心の落ち着きを取り戻した頃には何か物足りない気分になっていた。
風がふいて物音がすればハッと洞窟の入り口を振り返り、そこに誰の姿もないことに落胆する。
(静かだな)
静かすぎる、とドラゴンは思った。やっと訪れた静かで平穏な時間のはずなのに何かが足りない。
いや、もうドラゴンにはわかっていた。
自分は寂しいのだと。
「やあ、ドラゴン」と笑顔で細められるあの緑の瞳が見たい。成長して少し低くなった声で話を聞きたい。
だからこそ騎士となったルーカスがここへ攻め込んでくる恐れがあるというのに、この洞窟から動けなかったのだ。
ドラゴンは未だに彼を友達だとは認めていなかったが、ルーカスは八年もの間あきらめずこの洞窟へドラゴンに会いに来てくれた。
――――ひょっとしてそんな自分に愛想を尽かしてしまったのだろうか。
そう考えるとひどく胸が痛んだ。
のそり、と起き上がりドラゴンは洞窟から外へ出た。抜けるように青い空が木々の間に見える。その空に向かってドラゴンは一声鳴いた。
オオ――――……ン
寂しそうな声が森にこだました、その時だ。
「だめだ、ドラゴン! 隠れて!」
聞き慣れた少し低い声がして男がひとり駆け寄ってくる。
ルーカスだ。ドラゴンはびっくりした。
「小童」
「麓の村の猟師が君を見かけたらしい! 騎士団で討伐隊が組まれてここへ向かってる。早く逃げて」
「おまえ、我を討伐するためにここへ戻ってきたのか」
「だから違うって! 俺が騎士団に入ったのは、ドラゴンが見つかっちゃったら逃がすためだ!
ここ数年時折大きな生き物らしい声が森で聞こえるって噂になってたんだ。だからいつか見つかるんじゃないかって不安で。 騎士団に入ったのはその情報がいち早く掴めると思ったから」
「小童……おまえは我を助けるために騎士になったというのか……?」
「だからそう言ってるじゃないか! 大事な友達を死なせるわけにいかないだろ? ああ、まだ名前を当ててないから友達じゃないかもしれないけど」
その言葉にドラゴンの胸が痛んだ。ルーカスを疑ったこともそうだが、ドラゴンは彼にひとつだけ嘘をついていたからだ。せめてそれだけは告白したい。
だって、ドラゴンにとってもルーカスはとっくにかけがえのない友達だったから。
「ルーカス、我はひとつ謝らねばならぬ。我はおまえに嘘をついていた」
「え?」
「いくら考えたところで我の名を当てることはできぬ。なぜなら――――」
ひと呼吸おいて八年前のあの日ついた嘘を白状する。
「なぜなら、我には名前がないからじゃ」
「へ?」
そう、ドラゴンには名前がなかった。だからルーカスがどれだけ知恵を絞ろうとドラゴンの名前を当てることは不可能だったのだ。
「すまんのう。ドラゴンに名を与えられるのはこの世で唯一ドラゴンが『片割れ』と認めた者だけなのじゃ。そして我には『片割れ』はいない。だから名前はないのじゃ」
「え、ええ? その『片割れ』っていうのは、ドラゴンのつがいのこと?」
「さてな、魂の根幹でつながった唯一無二の相棒と聞いておる。互いに相手を大切に思い思われる相手とな」
「だったら――――」
そのとき遠くから物音が聞こえてきた。たくさんの足音、金属のこすれる音。
討伐隊が近づいてきているのだ。
「いかん、ルーカス、おまえが見つかったらまずいだろう。逃げるのじゃ」
「いや、逃げるのはドラゴンの方だろう」
「我は大丈夫じゃ。我がここでちょろっと討伐隊とやらをいなしている内におまえは逃げるのじゃ」
「い、や、だ! ーーーーそうだ、例えばドラゴンって姿を消したり変身したりできないの?」
「『片割れ』のいるドラゴンはできるようになるらしいがの、我には無理じゃ。さあ、おまえは逃げて達者に暮らせ」
だがルーカスはその場を動かなかった。
「『片割れ』がいればいいんだね? なら俺が君に名前をつけるよ」
「何を――――」
「俺にとっては君は誰よりも大切な友! だったら俺が君の『片割れ』になれる可能性だってあるはずだ!」
ルーカスはドラゴンの真正面に立って前足に優しく手で触れた。
「さあ、人間に変身して――――『ディアマンテ』」
迷うことなく呼ばれた名前を聞いた瞬間何かが体の奥底で解放され、自分が人間の姿に変われることがわかる。
ルーカス、彼こそが自分の『片割れ』なのだと全身で理解した。
そしてドラゴンーーーーディアマンテの体がぐにゃりと歪み、小さくなっていった。
結局、騎士団から派遣されてきたドラゴン討伐隊は手ぶらで帰っていった。というのも訴えのあった洞窟にはドラゴンの姿がなかったからだ。
洞窟の中には確かに大きな動物がいた跡があったが、それがドラゴンかどうかはっきりしない上、周辺にも見当たらなかったのでもともといなかったかあるいはどこかへ行ってしまったんだろうという結論に達したようだった。
そして討伐隊を境に麓の村ではドラゴンの噂はピタリと聞かれなくなった。
その後、騎士を辞めたルーカスは冒険者となって旅に出た。
彼の傍らには黒い髪に金の瞳の少女がいつも寄り添っていた。その少女の名は「ディアマンテ」といい、ちょっと態度は尊大だがルーカスとはとてもいい相棒だと評判だ。
後にドラゴンの長となるディアマンテとその「片割れ」の、なれそめと旅立ちはこうして始まった。




