3mg. 巻き込む者と巻き込まれる者
放課後、真面目に授業をこなし、部活動に参加していない俺とツキは夜の繁華街に来ていた。俺は実家の手伝いがあるし、ツキは家での習い事とこっちのバイトで部活動には入っていない。
昔、俺はサッカーとかやっている普通の少年だったのにな。特に俺はフリーキックの神様としてそこそこ名蹴だったんだぞ。こう右足のインサイドからインフロントにかけて擦り上げて、地を這うような軌道から急激に変化するその球はまさに魔球。いかにキーパーの反射神経がよかろうと到底取れるものでは……
「どうでもいいわそんな話。そもそもフリーキックなんて誰でも出来るんじゃない? そんなドヤ顔されても」
「……帰りたい」
数少ない俺の青春時代の甘い思い出くらい語ってもいいじゃないか。昔は俺も無邪気にボールを追いかけていた純粋な少年だったんだ。
今は煙がかって若干灰色だし。
「あら? 隣に私がいても灰色なのかしら?」
「それは別……ってか俺の心情を勝手にテレパスするのやめてもらっていいかな?」
「あなたの表情から読み取ったのよ」
それならテレパスよりは読顔術の方がまだリアリティがあるな。超能力だし。
「それで……なんでここから動かないの?」
「待ち人がいるんだよ。もう少しだからおとなしく待ってろ」
「子供扱いしないで頂戴。年上だからって調子に乗らないで」
調子に乗った要素がどこにあったんだよ。
棒付き飴をポケットから取り出し咥える。いつもの癖でコロコロと飴を動かす。飛び出た棒で丸描いたり、三角描いたり。
そこでこちらを見つけ近づいてくる気配を感じた。
待ち人であると思った俺は顔を向けると――
「いやはや奇遇でござるな葦束殿!」
そこにはグルグル眼鏡と赤いバンダナと指空きグローブを見につけ全体的に一般人とは違う雰囲気を醸し出している――、一昔前のオタク風な外国人女性がこちらに向かっていた。
「……待ち人ってアナスタシアさん?」
「……いんや違う。むしろなんでここにいるかわからん」
「むむっ! そこにいるのはツキ殿か! 二人の仲は恋麗しゅうございますなあ!」
日本語がおかしいのは日本に来てから2年ぐらいしか経ってないからだ。突如登場して俺らの周囲をドン引きさせているこの女性はアナスタシア・サイワー・ルドニルフ。恥ずかしいことにうちの従業員である。
彼女が初めて日本に来て、右も左もわからない時に俺が声をかけたのが付き合いのきっかけだ。この国の文化を知りたいと言った彼女に秋葉原を紹介したのが運のツキ……ではなく運の尽き。日本文化を立派に勘違いした女性になりましたとさ。
「んでなんでアナがここにいるんだよ?」
「葦束殿! そのアナというのは卑猥だからやめてくださいとおっしゃったでしょうに!」
おめーが今着てる半裸の女の子が載ってるTシャツの方が卑猥だろうが。
「んんっ! 今日は『聖処女少女・アマンドクリスティ』がアニメ化して一周年ですからそれのお祝いオフですぞ! 拙者が参加しないでどうしますか!?」
「いや知らねーよ」
「それは良くないですぞ葦束殿! もしよろしければ限定フィギュアを贈呈しますので……」
そういうとリュックをゴソゴソやりだした。
こいつも出会った頃はマトモだったんだけどなあ。
『貴方は…………何だ?』
初対面の一言。……いや出会った頃から変だったか。何だはなかったよね何だは。
「お待たせしました! こちら聖処女少女・アマンドクリスティの主人公、アマンドの限定フィギュアになります」
「いや、いらねーよ」
「そ、そんなことおっしゃらずに! 困った時にはこの人形を握りしめ、『聖処女少女・アマンドアナスタシア!』と叫んでいただくと世界の裏側にいようと拙者が駆けつけますぞ!」
そう叫ぶと無理やり俺の手にほぼ裸の美少女フィギュアを握らせ風のように去っていった。
残ったのは静寂とフィギュアと奇異の視線。完全に変人扱いされている。
「おい」
「?」
ツキを見るとソッポを向いていた。
「お前完全に他人のフリをしてただろ」
「……お前はやめて。さて、何を言ってるのかしら? あなたがフィギュアを手に入れて喜んでいるところしか見てないわ」
喜んでねーよ!
完全にいらないものだとはいえ、折角貰ったものをダストボックスにシュートできない律儀な俺。開き直って胸ポケットに入れる。
「お待たせしました…… 浩也さん? 胸から美少女の……首? が飛び出てますよ」
「気にしないでください」
そんな事をしていたら声をかけられた。声のした方向を見ると一日振りに会う美女。昨日『ピース』に訪れた依頼人である皐さんだ。今日もばっちりスーツを着こなしている。
一方俺らの服装は上着の胸ポケットに美少女フィギュアを入れている大学生と……
「そちらの方は初めまして。あなたが浩也さんの相方ですね……学校の制服はまずいでしょう。夜の繁華街ですよ? 少し近くの刑務所で凶悪犯が脱走したと言うのに……警官が増えているので補導されますよ?」
ツキの服装を見た皐さんが苦言を呈す。
「何と言うかこれがこいつの仕事着なんですよ。特に決めたわけじゃないけどなんとなくこんな感じ。まあ警官が来たら皐さんがなんとかしてください」
「ちょっと……」
何が気に喰わないのか口を挟んでくるツキ。しかしその顔は不満というか疑問が浮かんでいた。
「その人が今回の依頼人かしら? そもそもなんで一緒に行くの?」
「あーそれはこの依頼人である皐さんが自分も同行するって言って断れなくてさ」
その瞬間、シャツの胸元を掴まれて引き寄せられた。思わず咥えていた飴が落ちる。近くで見たツキの瞳は空に浮かぶ満月のように輝き、見るものを引き付ける。……が、よく見るとこめかみの方に怒筋が浮いていた。思わず目を逸らしてしまいそう。
「現場に依頼人を連れて行くなんて愚直を犯すなんてあなたらしくないわね」
「ハハハ……そんなことないよー」
皐さんに聞こえないように小声だが殺気が溢れていた。眼で殺されそうなので目線を逸らす。
こいつは文字通りに眼で人を殺せる眼力持ちなのだ!
……ホントだよ?
「相手、美人よね」
「……ハイ」
「……そして年上よね」
「……ハイ」
「見た感じ気が強くて人を引っ張っていくタイプでスタイルも申し分ない。…………正直に答えなさい。この人は浩也君のタイプど真ん中かしら?」
「……………………ハイ」
たっぷり五秒を待って返事をする。ちなみに悩んでいた理由は本当の事を答えて許してもらうか、嘘を吐いた挙句結局バレて蔑まされるか、どっちがこの先ツキとの良好な関係を築けるか考えていたのだ。
「まさかとは思うけどあなたが愚かにもこの人の色香に騙されて、依頼人の言われるがままに現場に連れてきたというのなら今日限りであなたとのパートナーは解消させてもらうわよ」
「そそそそんなことないぞ!」
結論:どっちでも蔑まされる。しかも状況は最悪。
心なしかツキに見つめられている両目がチリチリと痛くなってきた。
なんという眼力!!
生と死の狭間で揺れていると死因が助け舟を出してくれた。
「私を置いて話をしないでください。そもそも私のミャーちゃんを探すんです。私も同行するのが当然でしょう?」
「……じっ、実はこういう言う事」
「……そうなのね」
皐さんの口から『ミャーちゃん』なんてファニーな言葉を聴いた瞬間俺とツキは噴出しそうな口を必死に押さえた。この人も例に漏れずキリッとしているのに可愛い物が好きというテンプレ女性。ツキと愛称が良さそうだ。
というか笑いを堪えているけどお前も同好の土だぞツキ。
しかも皐さんは飼い猫を溺愛しているらしく、「同行させないと逮捕しますよ?」なんて脅してきたのだ。だから俺は決してこの人の色香に負けて同行を許したわけではない。
「ねえ、浩也君」
気づけばツキが笑いを抑えて真っ直ぐに目を射抜いてきた。
「どうしてその人を巻き込むの?」
「――」
その瞳に浮かぶのは詰問でも軽蔑の色でもない。ただ純粋に俺の真意を探ろうとしていた。真剣なツキに眼を離せない。離さない。
「逮捕なんて本当の所全く問題ないじゃない。色香に惑わされたとも思っていないわ。だから――あなたの本心を教えて」
全く……普段は素直じゃないくせにどうしてこういう時は正面から来るのか。その真剣な眼差しに応じて俺も笑顔を引っ込める。
「……皐さんをこれから巻き込むんじゃない。だって彼女は既に巻き込まれているだろ。ミャーちゃんが俺達の予想通りのニャンコならこれで終わりじゃない。その真実は否が応でもでも皐さんをこちら側に引き込む。なら……先の道に明かりを照らすのが俺達の役目だろ?」
この世界は深くて暗い。手探りで進むには闇が濃すぎる。導き手がいないまま飛び込むと悲惨な現実が待っている。
そういうやつを何度も見ているだろ? ツキ?
俺の言葉を聞いた瞬間、ツキの顔から強張りが解けた。そしてシャツを掴む手が緩む。――かと思ったら一気に絞められた。
「がっ! おまっ、喉……」
「わかったわ。……でもシリアス過ぎて少し臭いわ。そして真面目な話なのに『ミャーちゃん』と『ニャンコ』はないんじゃない?」
「お前な……」
どうしよう、羞恥による怒りのあまり煙出そう。
シリアスな空気が一転、コミカルになってしまった。
まあ俺も皐さんの前でシリアスを維持するのは恥ずかしいからいいけど。
……昔、母さんが猫のことをニャンコと呼んでたから移ったんだよ。
「……私は目の前でイチャついてるカップルを補導すればいいんですか?」
結局恥ずかしい。
◇◇◇
「とりあえず状況を整理しよう」
場を整えた後にツキと皐さんの紹介を軽く終えた。
では、プレイバック!
『花蹊皐です。よろしくお願いします』
『……御影月子。名前は嫌いだから呼ばないで』
『……は、はい』
『……』
『……』
以上、心温まるやり取りでした。
自己紹介を記憶から消して持ってきた資料の三枚目を捲る。
「探し猫のミャーちゃんは三日前、家で皐さんの帰りを待っている時に行方不明になった。ちなみにこのミャーちゃんは自分で鍵の開け閉めが出来るから一人で外に出かけられる。おそらくこの時に外に出かけて消息を絶ったと」
「……なんか凄いわねその猫。その時に野良猫の縄張りに誤って入ってしまって帰れなくなったってことはないのかしら?」
あーニャンコにありがちな事ね。野良ニャンコは自分のテリトリーを持っていて、そこに他のニャンコが紛れ込んで追い出され、また他のテリトリーで同じ事をして結局帰れなくなることはよくあるらしい。
「それはないですね。うちのミャーちゃんはこの前街のボス犬を瞬殺してましたか、そこら辺の野良猫には負けるわけがないです」
なにそれ怖い。
「うちのミャーちゃんは可愛くて頭も良いだけでなく、腕っ節も強いんです。外に出すとその可愛さからモデル猫としてスカウトされるから余り外に出したくないんですけど、ミャーちゃんが『外に出たいニャ』って言うから仕方なく鍵を渡していました……それがこんなことになってしまうなんて……」
……実はミャーちゃんは唯のニャンコで、皐さんが過大に捉えているだけな気がしてきた。明らかに喋ってたよね今?
これが雅遊さんの紹介じゃなかったら絶対断ってたな。いや、皐さんの依頼なら受けてたか。
美人だし巨乳だし、あのお淑やかな態度が凄くいいよね!
「んで資料の四枚目」
ペラリとめくる。
「これは皐さんに俺らを紹介した雅遊さんからもらった資料。どうやら最近この街ではペットの消失事件が多発している……しかも特技の範疇を超えた技を持つペットばかりが。そして消失されたと思われるペット達が目撃されたのがココ」
手を広げ、繁華街を示す。この繁華街はお世辞にもガラがいいとは言えないし、真っ白なニャンコがいたら浮いてしまう。だから悪い人に攫われたか……事故に遭って帰ってこれないのかだ。
「それで、これがミャーちゃんがよく使っている寝床のタオルです。こんなもの何に使うんですか?」
おそらく高級そうなバッグから使い古されたタオルを取り出した。
と言うか直で入れてたんですか?
確かにこういう所は男らしいかも知れない。
「このタオルに残されている情報を元にミャーちゃんを辿るんですよ。ツキ?」
受け取ったタオルをツキの前に広げる。
彼女は真剣な眼でタオルを見つめ、
「繁華街は余計な物が多すぎるわね……でも、大丈夫」
街に向けて歩き出した。その視線は雑踏を捉えながら中心は虚空を見ている。見ているのに見ていない、そんなあやふやな状態なはずの彼女の足取りはしっかりとしていた。
「えーと……彼女、月子ちゃんでしたか? どうしました?」
歩き出したツキは皐さんの呼びかけに振り向き――
「――私をその名で呼ばないで」
ナイフのような視線で皐さんを貫いた。
それは職業柄犯罪者に慣れている皐さんをたじろがせるような鋭さである。
皐さんを一瞥したツキは何の感情も残さず再び前を向いて歩き出した。その隙に呆けている皐さんのフォローに回る。
「すみません皐さん。あいつ名前で呼ばれるの嫌いなんです。苗字もしくは『ツキ』って呼んでください」
「そ、そうですか……とてもカタギには見えなかったです」
おっと鋭い。でも普段は真面目な学生ですよ。ツキも俺も。
「まあ色々あるんで。とりあえずついていきましょう」
夜の街を歩くツキを指差して後を追う。水の臭いが強い夜の街をツキがモーゼのように歩いている。居酒屋の呼び込みや水商売のキャッチやナンパ、声をかけられないのが難しい状態でも彼女の足を止める者はいない。学校の制服を着ていることを差し引いても彼女の美しさがそうさせている。
つまり……ツキの顔立ちが際立ちすぎて声をかけるのが憚られるのだ。まあ、たまに自分に自信があるやつと空気が読めないやつがツキをナンパしてボコボコに心を折られているシーンを見るが。
「ここね……」
俺が街を往く綺麗なお姉さんに見惚れていると気づいたら路地裏にいた。そして目の前には古臭いビル。
「いかにもだな」
「なぜここに来たのですか? ここにミャーちゃんがいるのですか?」
何も説明していなかった皐さんが急かすように質問してきた。
説明してもいいんだけど、今言っても絶対に信じてくれないからな……
とりあえず入るか。
「まあまあ」
結局真実を見せた方が早いので先に進むことにした。
◇◇◇
「――で、こうなるのか」
入って三十分後。
俺達は目隠しと手錠をされて床に転がされていた。




