ドラゴンの冬ごもり
第十六等史官 ペトロング・アーシュ 誌
本日は私が出会った、ある一匹のドラゴンについてご紹介いたしましょう。
それは私がまだ、現王立魔法博物館の末席に、着任の栄誉を賜る前。一介の冒険者として、世界各地を回っていた時分のことです。
私は、とある森で迷子になってしまいました。
そこは冬の王都よりもずっと寒い、極寒の地にある森で、方位魔法も効かない不思議な場所でした。
見渡す限り枯れ木の森。
あちらこちらに古い魔力の痕跡がありましたが、歩くのに目印になりそうなものなんて、ひとつもありません。
せめてもの救いは、まだ雪が降り始める前の季節だったということでしたが、私はほとほと困ってしまいました。
このままでは、いつかお腹が減り過ぎて死んでしまいます。
魔法で一時は空腹感を誤魔化せても、根本的な解決にはならないのです。
しかし、やはり行けども行けども、辺りは枯れ木ばかり。
丸一日探し回りましたが、とうとう食べられそうな物は、見つけられませんでした。
なぜ、食糧を多めに持っていかなかったのか、今でも奇妙ですが、私は
「ここで死んでしまうのか……」
と、そう覚悟したものです。
ですが、そこへ突然ーー
森の奥から一匹のドラゴンが飛んで来たのです。
私は驚きました。
それは今まで読んだ、どの書物にも載っていない緑白色の鱗を持つドラゴンでした。
そして、その巨大なドラゴンは、まっすぐこちらに向かってやって来ると、私の目の前に降り立ち、こう言ったのです。
「冒険者よ。お前はこの地に、何をしに来た?」
と。
私は思わず身構えました。
ご存知の通り、ドラゴンというのはとても恐ろしい生物です。
かつての誇り高き魔王、その直系の眷属である彼らは、魔族の獰猛さと同時に、人間をも上回る深遠なる知恵を持っています。
そして時にその知恵をもって、残忍なまでに人をいたぶり、殺すのです。
少なくとも私は幼い頃からずっと、そう教わってきていました。
私は
「逃げなければ」
と思いましたが、恐怖で足が竦んでしまい、その場から身動きがとれなくなってしまいました。
ドラゴンの大きな口と鼻からは、白い湯気がモクモクと立ち昇り、今にも私を食べてしまいそうです。
しかし、抵抗しようにも、私の魔法などその堅牢な鱗には、かすり傷ひとつ付けることもできないであろうことは、十分知っていました。
さて、どうしましょう?
私は思案しました。そして、ふと思ったのです。
どうせ、このままではいつか飢えと寒さで死んでしまうのだ。だったらいっそのこと、このドラゴンに森の出口までの案内をお願いしてみようじゃないかと。
そう思うと私は、ドラゴンに事情を説明し、最大の礼を尽くしてお願いをしてみました。
「偉大なるドラゴンよ。まずは無断でこの森に立ち入ったことをお詫び申し上げましす。私はアーシュという者です。冒険者として、また魔道士として、こちらの森に探索に参りました。この辺りでときどき見つかるという、珍しい魔法鉱石を採集するためです。しかし、道に迷ってしまったので、それはもう諦めます。ですので、ドラゴンよ。どうか、私を森の出口まで連れて行ってくださいませんか? もし、私にできることがあれば、何でもいたします」
私は跪き、言いました。
すると、どうでしょう。
ドラゴンは、しばし私の顔をじっと見下ろした後、意外にもあっさりと私の願いを叶えてくれると言ったのです。
「よかろう。ただし、三つ条件がある」
「はい。なんでございましょう」
「まずひとつは、この森にあるものは何一つ森の外に持ち出さないことだ。そして次に、この森のことと、ここで私を見たことは絶対に他言しないこと」
「はい。かしこまりました。して、三つ目は?」
「私の冬ごもりの準備を手伝え。そうすれば、お前を森の外に帰してやろう」
聞くと、その冬ごもりの準備というのは、この森の枯れ木に生っている、小さな小さな茶色い実を、渡された麻袋いっぱいに集めることでした。
それは「ポラーノの実」といって、とても小さいけれども栄養がたっぷり入った実で、毎年の冬ごもりには欠かせないものなのだそうです。
しかし、それを集めるのには、ドラゴンの手はいささか大き過ぎました。毎年、大変な苦労をするらしく、私がいてちょうどよかったと、ドラゴンは何回も言いました。
私はドラゴンの指示通りに、枯れ木に登り、その一番てっぺんに数個ある実を見つけ、麻袋に次々に入れていきました。
まさか、こんなに近くに食べられるものがあっただなんて。私はまたひとつ勉強しました。
ドラゴンに見つからぬよう、試しに一つ食べてみると、ポラーノの実には強烈な渋みがあり、とても人間が食べられるものではありませんでした。でも、それを食べた途端、私のお腹はパンパンに膨らみ、すっかり満腹になりました。
そこからまた丸一日ほどかけて私は、渡された麻袋をポラーノの実でいっぱいにしました。
それを見たドラゴンは大変満足そうに頷きました。
そして、
「では、約束だ。お前を外に出してやろう。だが、その前にこの麻袋を巣に持ち帰らねばな」
そう言うとドラゴンは、私の体をその大きな手で掴み、空高く舞い上がったのです。
私は驚きのあまり、心臓が止まるかと思いました。
ドラゴンに掴まれて行った空の上は、肌が切れるのではないかというくらい寒く、灰色のぶ厚い雲がどんよりと垂れ込めていました。
見下ろせば、視界いっぱいに枯れ木の森が広がります。
私はいまさらながら、この森の広さに目を見張りました。これは迷うはずです。
そんな広大な森をドラゴンはどんどん奥へと、飛んでいきます。
すると、次第に前方に大きな山が見えてきました。
そして、その麓には大きな街が。
私は思いました。
「こんな場所に、街などないはずだが」
しかし、その疑問はすぐに解けることになります。そこは、巨大な廃墟だったのです。
おそらく、気の遠くなるほどの昔。そこには、豊かな文明を育んだ街があったのでしょう。
でも、今はただ荒廃に身を任せる、ただの石の街に過ぎません。
それを見て、私はなぜこの森のあちこちに古い魔力の痕跡が残っているのかを悟りました。
しかし、ここでのことは他言せぬ約束です。私はその事実をそっと胸に仕舞いました。
ドラゴンの巣は、その山の中腹にぽっかりと開いた穴の中でした。
「ここだ。その袋を持って、中に入れ」
私は少し躊躇いましたが、言われた通りに中に入りました。
すると、なんということでしょう。
そこには、大きな魔法鉱石の原石がゴロゴロと転がっているではありませんか。
ドラゴンは私の驚く顔を見て言いました。
「ここは昔、魔法鉱石の採掘場だった所だ。そして、麓の街はこの鉱山によって、あそこまで大きくなり、やがて破滅した」
「どうして破滅したのでしょう」
「ここの魔法鉱石にはな、毒性があったのだ。生物を凶暴にする毒性がな。確かに、ここの鉱石は強力なものだが、人間が扱うには少し危険なものだったな」
「ドラゴンよ。あなたは平気なのですか」
「私はこの程度の魔力などいくら浴びても平気だ。むしろ、ここは人間がいないから静かでいい」
私はそれを聞いて、ドラゴンが私をここに案内した意味を知りました。ここの魔法鉱石は採集などしてはいけないと、そう私に教えてくれたのです。
私は礼を言いました。
「ありがとうございます、ドラゴンよ。私は、もうそんな過ちは犯さぬよう、周知に努めて参ります」
しかし、それを聞いたドラゴンは笑いました。
私はドラゴンのその笑いの意味がわからず、しばし呆然とドラゴンを見上げ
「何がおかしいのでしょう?」
と問いました。すると、ドラゴンはこう言ったのです。
「私が本当にお前を生きて帰すと思ったのか? ここを見てしまったお前を。周知などされては困るのだ。どうせお前達人間は、ここの鉱石のことを知ったら、私を殺しにやって来る。そして、私を殺した後、ここの鉱石の毒を喜々として世界中にばらまくのだ」
「そんなことはいたしません。少なくとも私は、そんなことのために周知するのではございません」
「信用できんな。人間という生物は、非常にずる賢く、残忍で、自分勝手なものだと、そう教わってドラゴンは育つのだ。実際に、今まで何人もお前のように助けてやったが、それらの人間はことごとく、私の元へ戻って来たぞ。鉱石目当てに、大軍を引き連れてな」
「私は違います」
「くどい。お前は冬ごもり前の最後のエサにしてやる」
私は真っ青になりました。
体もガクガクと震え、何も考えることができません。
しかし、私は心から真実を訴えているつもりでした。
私は違うと。私はここの鉱石には、もう絶対に近づいたりなどしないと。
「私はもうここには来ません。どうか、ドラゴンよ。ご慈悲を」
ドラゴンの牙はもう私の頭のすぐそこまで来ていました。
が、私がじっと耐えていると、そこでドラゴンは動きを止めてくれたのです。
「ふむ、よかろう。なら、お前を試してやる。この鉱山の中で、私と一緒に冬を越すのだ。それでも、なおお前がここの鉱石の毒に負けず、正気を保っていられたならば、私はお前を信用し、無事に外に帰してやろう」
私はその提案を、喜んで受け入れました。
実に奇妙なことですが、私はそのドラゴンと共に、一冬を過ごしたのです。
食料はドラゴンが用意していた魔物の干し肉と、ポラーノの実、そして少々の葡萄酒だけでした。
あとは、ひたすら寒さに耐え凌ぐのです。
私はドラゴンに、なぜドラゴンの種族は、冬ごもりをするのかと訪ねました。するとドラゴンは
「冬は大地から貰える魔力が減るのだ。だから、あまり活発に活動しては体を保てなくなる。お前達人間は、体が小さいから、そんなに感じないだろうがな」
と教えてくれました。
私が一番鉱石の毒に犯されかけた時期は、一ヶ月が経過した頃でした。
おちおち夜も眠れないのです。眠ってしまったら最後、私の心は欠片だけを残して、あとは全て魔物になってしまうかもしれないと本当に思いました。
そんな私の様子を見てドラゴンは心配そうに
「心を平静に保つのだ。アーシュよ。魔力というものは、生物の心のさざ波を大波に変えようとしてくるものなのだ。ただ心静かにあれ。自分の中に大海があると思うのだ。波のない、穏やかで広い海だ」
と言いました。
私はその言葉をよく覚えています。が、それ以上に、その時ドラゴンが初めて私のことを「アーシュ」と名前で呼んでくれたことを、今でもよく覚えています。
そうして、私はついに春を迎えることができたのです。
それは、まず大地から湧く、魔力の量でわかりました。
私は一冬中、強力な魔力の中で過ごしたために、魔力の変化に敏感になっていたようでした。
ドラゴンと共に外に出ると、太陽の光が暖かく射し、枯れ木には微かに蕾が膨らんでいるのが見えました。
「よく耐えたな、アーシュよ。今度こそ、約束通り、お前を信用しよう」
そう言うとドラゴンは、私を掴みました。
そして、なんと今度は私を自分の背中に乗せ、飛んでくれたのです。
私はその背中の大きさと、空の美しい春の気配に胸がいっぱいになりました。
ドラゴンは、約束を違えず、ちゃんと私を森の外まで連れて行ってくれました。
「人間の中にも、信用に足る心を持つ者がいるものだな」
そして別れ際にそう言うと、ドラゴンは自らの手の甲の鱗を一枚剥がし、私にくれたのです。
「これをずっと肌身離さず持っていれば、この冬に受けた魔力の影響もそのうちに消えるだろう。無茶をさせた詫びだ」
「ありがとうございます。助けていただいたのは、私の方ですのに」
「礼はいらん。私の方こそ、久しぶりに有意義な時間を過ごせた。礼を言うぞ、アーシュ」
「はい、あの……」
私はそう言われると、急に別れが惜しくなりました。
しかし、私がその言葉を紡ぐよりも前に、ドラゴンは大きな翼をはためかせ、また森の奥へと消えていってしまいました。
それから、私はもう二度とその森には近づきませんでした。もちろん、ドラゴンのこともあの森のことも、他言していません。
しかし、この機関誌をご覧になっている皆様は疑問に思っていらっしゃると思います。
他言しないと言いながら、今まさに、ここに書いているではないかと。
確かにその通りです。
でも、それには理由があるのです。
私は、先日その知らせを新聞で知り、大変驚きました。
なんと、あのドラゴンは、隣国の騎士団一行の手によって、ついに討ち取られてしまったというのです。
私はショックのあまり、新聞を取り落としてしまいました。
今は冬。
それも例年にないほどの寒さです。大地から貰える魔力も乏しかったことでしょう。タイミングが悪かったとしか言いようがありません。
それに、あれからもう40年は時が経っています。
ドラゴンにも、やがて衰えというものはやってくるのでしょう。全ての生物はいつか死ぬのですから、それは仕方のないことなのかもしれません。
しかし、わからないのは、いったいなぜ騎士団はあそこに住むドラゴンのことを知ることができたのかということです。
願わくば、それが人間があのドラゴンを裏切った結果によるものでないことを……。
私は信じ、祈っています。
しかし、私は祈ってばかりもいられないと思いました。
私にはまだ、やるべきことが残っているのです。
それは、今度こそ、あそこにある魔法鉱石の危険性を全世界に周知させることです。
それが、今回、この機関誌にドラゴンのことを紹介している、大切な理由です。
確かに、ドラゴンは死んでしまいました。
しかし、だからこそ、今度は私がドラゴンの担ってきた役目を引き継いであげたいと、そう思うのです。
そろそろ紙面が尽きますので、本日のお話は、これでおしまいです。
いかがだったでしょうか?
興味のある方は、是非、王立魔法博物館をお尋ねください。いつでもお待ちしております。
ちなみに、あの時ドラゴンからいただいた鱗は、その後、何度も私を助けてくれました。
そして今は、この平民出の老骨を快く雇い入れて下さった、若き姫の胸元でペンダントとして輝いております。
私の言葉をいち早く受け入れて下さった賢明なる姫様に、どうかドラゴンの御加護があらんことを。
ーー王立魔法博物館機関誌『オウル』に寄せてーー