相談
「学校、行きたくない…」
眠りすぎて痛む頭を抱え腫れそぼった目を無理やりこじ開けた。ただでさえ顔面偏差値は高い方ではないのにこんなみっともない状態を世間様にさらすのは憂鬱だ。しかし私は叔父との約束により学校を休むわけにはいけなかった。というのも東京の学校へ進学するにあたり一人暮らしと相成ったわけだが、それでは身の回りに大人がいない事になる。誘惑の多い東京でズル休みをしないよう、無遅刻無欠席を義務付けられたのだ。一度でもそれを破れば学校から叔父へ連絡が入ることになっている。
本当に体調が悪い時は這ってでも学校へ行き保健室へ行けというのが叔父の厳命だった。それはズル休み防止というだけでなく、一人で子供が休むよりも一度保険医に判断を仰げという意味も含まれている。なんだかんだで優しい叔父だ。
その優しい叔父を裏切る訳にもいかず、ゆるゆると朝食を取った。制服を着込むと少し気持ちも落ち着いて、鞄を取って家を出た。登校の最中片倉ファン背後から袈裟切りされたらどうしようという恐怖に怯えながらなるべく道の端っこを選んで歩く。恐怖から丸まった私の背中に衝撃が来た。
「わあっ!!」
「わあっ!ごめん!そんなに驚くとは思わなくて!」
聞きなれた声に慌てて振り向くと、私より驚いた様子のゆずが立っていた。今日は前髪を上げてピンで止めている。可愛い。見知った友人の姿に体の強張りが自然と解れていく。ほう、と息を吐いた私をゆずは面白そうに眼を細めてニヤリと笑った。
「奈津って案外ビビリなんだ。弱点発見しちゃったな~」
「ほんと勘弁してくださいまじでっ」
「奈津に話しかけるときは背後からそっと、だな。うん。これは周知徹底しなければ」
「このことは二人だけの秘密…でしょ?」
「お前の可愛いところは俺だけのものだ…だが面白い弱点は別なのである!」
可愛いこぶりっこで小首を傾げて見せるもゆずはイケメンスマイルを見せた後意地悪く笑って軽く私の肩を叩いた。そんな明るい彼女の様子に私はなんだか救われた。これぞ正常な女子高生のあるべき姿だよね。
ひとしきりふざけあった所でゆずが心配そうに私をじっと見、顔を近づけてきた。その真剣な瞳にどきりとしたがこの浮腫みきった顔だ。言われることは分かっている。彼女は片倉と同じクラスなのだ。
「学級委員になったんだって?美織に聞いた。ケーキ屋はまた今度三人で行こう。
…昨日なんかあった?目、腫れてるけど」
「いや、これは寝すぎで。でも何かあったのは…あったかな。放課後美織と一緒のときにまとめて話すのでもいい?まだ頭混乱してて、今話しても全然要領得ないと思う」
「わかった、でも放課後じゃなくて昼までにまとめといて。校内にさ、内部生の間でもそんなに知られてない庭があって、あんまり聞かれたくない話をするときに使ってるんだけど、奈津のこの話が片倉くん絡みだっていうなら状況を把握しておくのは早い方がいいし。そこで聞くのでもいい?昼に迎えに行くから」
「…ゆずイケメンすぎる、なんか感動した」
「馬鹿、友達心配すんのは当たり前でしょうが。美織にも言っといて、あたしからもメールしとくけど」
「わかった。ありがと」
学校に近付くにつれ生徒の数も増えてくる。この中に片倉がいるかもしれない思うと身がすくんだが、ゆずの溌剌とした笑顔を見ていると気持ちが楽だった。校門を過ぎて下駄箱で一旦別れ靴をいつもの倍の速度で履き替える。右足の踵を納めたところで入口の方から誰かが結構なスピードで駆けてくるのが視界に入った。なんとなく顔をあげると走ってきた所為なのか、寝癖なのか、ぼさぼさの髪を揺らした多嶋と目が合った。
お礼を言わなければ。なんだか悔しいが、昨日は多嶋に丸投げしてしまったし、少し心配そうな様子が申し訳なかった。
「新澤、大丈夫か?なんか顔がいつもと違うぞ」
「なんか他に言い回しないの?さすが多嶋なんですけど」
「ははっ、元気そうだ、よかった!昨日は顔合わせだけでさ、すぐ終わったからお前の事追いかけたんだけどそもそもお前んち知らない事を思い出してさ、しょうがなく家帰ったんだ」
「なにその残念ほのぼのエピソード…。でも昨日はありがと、迷惑かけてごめん」
「いいよ、相棒だしな!」
「勝手に認定やめてください」
「なになに奈津さ~ん。紹介して下さいよ~」
多嶋と話し込んでいた所為でゆずが立っていることに気が付けなかった。このニヤニヤは、いやなニヤニヤだ。こういう場合は変に焦った対応でなく普通にしていた方がいいってもんだ。私は慌てず騒がずぼさぼさ頭の多嶋を指差して簡潔に紹介した。
「これ多嶋。学級委員、隣の席、馬鹿でうるさい」
「おい新澤、失礼だぞ!俺はうるさくない」
「他は認めるんだ。美織と言ってたうるさいのってコイツね。よろしく、七組の村山ゆずだよ」
「おう、よろしくな。てか新澤他クラスにもう友達できたんか、はえーな!」
「あたし内部生で美織と友達なんだ、てかこんな所でたむろしてても邪魔だし、遅刻する前に教室行こう」
ゆずがさり気なく私と声のでかい多嶋の肩を押して階段へと導いた。ゆるりと視線を周りに巡らせるとそれなりに人も多く、こちらを見て何か話している女子のグループもあり私はぞっとした。多嶋は声がでかいしこの内部生だらけの学校の中で外部生というのはどうしても目立ってしまうようだ。身を縮こまらせていると横を歩いていたゆずが力強く私の肩を抱いてにっこり笑った。本当にイケメンすぎる。
ゆずは七組のため半階上となるので二階に上がったところで別れた。
多嶋とともに教室へ入り机に鞄を置いたところで前の席の楢崎さんと目が合った。薄い笑みをうかべながら挨拶をすると顔をずいと寄せて彼女は言い放った。
「やっぱり二人、付き合ってるんでしょ?」
冗談も程ほどにして欲しいと真顔で答えていると視界の端にザ・心配顔、な美織がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。そういえば昨日美織からメールが来ていたが確認もしないまま布団にもぐってしまった。朝もぼうっとしていたので携帯に触ってすらいない。これはまずい。
「なっちゃん!」
「わかってる、メールごめん。実はまだ見てないです」
「メールなんてどうでもいいんだよ、さっきゆずこからのメール…」
「美織、こっち」
左から二番目の列で前から三番目という微妙な位置取りで話すのはまずいと美織の背中をおして教室の隅に移動する。そんな私たちの様子を楢崎さんが興味深げに視線で追っていたが無視した。
顔を近づけ、声のトーンを落として話す。
「心配かけてごめんね」
「ううん、というより何があったの?ゆずこからはお昼になっちゃんと三人で裏庭に、ってだけしか聞いてないんだけど、裏庭を使うなんてよっぽどの話だと思うし…。やっぱり、片倉君絡みでなんかあった?誰かに何かされたとか…」
「待って、この通りの顔だし、心配したと思うんだけど何かされたりっていうのは無いから安心して。これはただの寝すぎだから。
…ただその原因は確かに片倉君絡みであるってことはそうなんだけど、話すにはまだ私自身も整理出来てなくって、お昼までにまとめるから、ちょっと待ってて。ごめんね」
「…わかった。待ってる。でも何かあったらいつでもすぐに言ってね!私今日はなっちゃんとずっと一緒にいるからね!」
入学三日目、友達歴もまだ三日目なのにこんなに心配してくれる友達を持てて私は幸せ者だ。この酷く浮腫んだ顔でどの程度表情筋が仕事をしているのか自分ではわからないが、私から自然に笑顔が零れると美織も目じりを緩めた。
そんなほのぼの青春ストーリーの一場面を破ったのは気だるげな担任の間延びした声だった。
「お前ら席付け~、さっさと出欠とるぞ~」
「じゃあまた後でね、美織」
「うん」
私の袖を名残惜しげに美織が掴んだが、するりと外して通路側一番端の席へと戻って行った。なんかみんな女子Lvが高すぎて驚く。
菅先生のなんともめんどくさそうな出欠確認がなされている間、気休め程度にしかならないだろうが親指でリンパの流れをよくしながら今の自分の状況について考えた。
昨日は登校した途端に片倉のファンクラブに囲まれたが今日はそれがなかった。それを考えると昨日彼と二人で会話をしているところは誰にも目撃されていなかったのではないか、と推測できる。あの手のタイプは近くにゆず(内部生)や多嶋(男子)がいようと問答無用で私を引き離すに違いない。
そこまで考えて私は単純な結論に至った。このまま片倉と近づかなければ私の平穏は守られ、あのナゾトキ電波発言に悩まされて浮腫み顔を晒すこともないのではないか、と。同じ委員会に入ってしまった以上接点は残ってしまうが委員会内でのやり取り程度であれば条件は他のクラスの委員と同じだ。これは名案、希望が見えたぞ!とテンションが上がった所で名前が呼ばれた。
「新澤~」
「はあいっ!」
「…元気なのはいいがおっさんには朝からそのテンションはきついから、明日からはちょっと控えめによろしくな」
再び私は絶望に身を染めた。
一限目からお昼休みまでの間、おとといや昨日のような妙な事件も体育館裏への呼びだしもないままただただ平和に時は過ぎた。解決策が見つかり浮腫みもいくらかマシになった私とは反対に中休みの度に心配そうな顔をしている美織をチャイムと共にゆずが迎えに来た。やはり微笑んでいてもその表情は硬かった。
「美織、奈津、お昼行こう」
「うん、今行く」
裏庭なんて聞いた事がなかったので、私はひたすら二人の後ろについていった。それなりにあった会話も一階の渡り廊下から中庭に出た所で完全に途絶えてしまった。中庭から特別教室棟と中等部校舎の間を抜けて裏門方向へ出るとそこは関係者用の駐車場があった。そこは金木犀の高い生垣で囲まれており、裏門から入ってくる人には見えないようになっている。二人は迷いなくその中に入ると生垣に沿って進んでいく。このままだと道路に出てしまうのだが、もしや校外に行くのか?と思ったところで二人はくるりと方向を変え、生垣へ突っ込んだ。慌てて後を追うと端の部分に人が一人入れる程度の隙間があいており、私も意を決してその中へ足を踏み入れた。
中はまさに裏庭といって遜色ない程草木が生い茂っていた。表はきれいに整えられていた金木犀も好き放題に枝葉を拡げていたし、白雲木やケヤキ、トチの木が森のように並び立ち日の光を遮る程自由に伸びている為とても薄暗い。果てが見えないほど生い茂ったその中を進むと少し古ぼけたレンガの壁が見えてきた。近付くにつれその建物は大きく窓がないことに気づいた。
「ここって…初等部はもっと正門よりだし、なんの校舎?」
「これは校舎じゃなくて芸術館。ちょっとしたホールやスクリーン付きの視聴覚室なんかが入ってて、二年に一回劇団や演奏家なんかを招いて劇やコンサートすんだよ。去年はナントカ合唱団とっかてのが来て、爆睡だったなあ」
「ゆずこはその前の劇のときだって寝てたでしょ。後は文化祭のときに演劇部が使ったり、吹奏楽部が定期演奏会を行ってるホールなんだけど普段は滅多に使わないから人気が少なくて内緒話には持って来いなんだよ。特に裏手はさっきの駐車場側からしか入れないようになってるし、内部生でも知ってる人はそんなにいないから」
「へえ…秘密基地みたいだね」
そのまま芸術館の壁まで歩くと森の中よりは少し明るく、腰ぐらいの高さの建物の基礎部分の出っ張りに私たちは腰かけた。お弁当を広げるも二人は一向に口を付けずこちらを凝視しているので一番右端に座った私は一つ溜息をついて口火を切った。
「ええと、まあ順を追って話すと美織たちが帰った後購買でお昼を買って多嶋と食べてたんだけど、片倉くんが委員会の連絡でまわってきて、その時なんか敵意が半端なくってさ。なんとなくその時は流したんだけど多嶋がズルズル先伸ばしにしても仕様がないんだからさっさと決着付けて来いって言うから教室を出た片倉君の後を追ったのね」
「…多嶋くん、超余計なんだけど」
「いやっ、でもあいつはあいつなりに考えてくれたというか、私もさっさと誤解を解きたかったし…ね、怒んないで美織」
黒いオーラが漂いだした美織をゆずと共になんとか宥めて、私は単語に気をつけようと思いつつ二人の急くような視線を受けつつ続ける。
片倉から言われた、初対面だけど会った事がないとは云々、どうやら多嶋も関係しているらしい事を二人に伝えた。
「よくわからない事も多いけどそれってやっぱり奈津と片倉君は会ったことがあるって事だよね、あと何故か多嶋。本当に覚えはないの?」
「うーん…。私は両親が亡くなって叔父さんに引き取られてるんだけど、両親とおばあちゃんとの二世帯暮らしだった所に叔父さんが来てくれた形になるから地元は変わってないし関東に出てきたのもつい一週間前ぐらいが初めてなんだよね。多嶋に私に昔会ったことあるか聞いてみたんだけどあいつは九州の方には来たことがないって言うし…。
言ってなかったけど正確に言うと片倉くんと初めて会ったのは校内じゃなくって4日前なんだ。コンビニ行く途中でいきなり片倉君に『会いたかった』とかなんとかで絡まれて、でもすっごいテンション高くて学校での様子と全然違うからはじめは別人かとも思ったんだけど、本人が肯定したから人違いじゃなかったみたいで…」
「うーん…。じゃあなっちゃんが忘れてるだけか、片倉君が電波だった、ってことかなぁ」
美織の言い放った単語にぎょっとした。思わず誰もいないと分かっていてもゆずと二人で周りを見回してしまう。ファンに聞かれでもしたら呼びだし所の騒ぎではないだろう。そんな私たちの様子を見て美織は大丈夫と愛らしい笑顔で手を振っている。可愛い顔して豪傑すぎるよ。
しかし電波か…。そういえば出会った時も百年待ったとかなんとか、電波的発言が聞かれた気がする…。しかし彼が電波だろうとなんだろうと私にはもう関係ないのだ。解決策はすでに出ている。私は得意げにふふんと鼻をならして腕を組むと左を向いて二人の顔を順番に見た。
「でももういいんだ。解決した。ようは片倉君と関わらなければいいんだよ!美織の言葉を借りるなら、あいつは電波なんだって思えばナゾ発言も気にならないし、接点さえ持たなければファンクラブに囲まれることもないしね。委員会は一緒になっちゃったけど、なあ一応多嶋もいるし、フツーにしてれば大丈夫だよ!」
「それはちょっと安易すぎる気もするけど、そうだね。気にしないのが一番かもね。近づかれすぎないよう気を付けていればいいし、私たちも気にかけていくし。奈津は2組で教室も離れてるから行事や合同体育なんかで一緒になることもないしね」
「なっちゃんがそれで大丈夫っていうんならいいけど、何かあったらすぐに言ってね。私なんかじゃ頼りにならないかもしれないけど、出来ることはするから!」
「うん。ありがと、美織、ゆず。へへっ、ご飯食べよ!昨日の夜から食べてないからさすがにおなか空いちゃった!」
じんわりと熱くなる目頭を誤魔化すように大げさに笑って箸を手に取った。二人も先ほどまでの硬さはない笑顔で私に応えると楽しい昼休みがようやく始まった。
食事と色々な雑談で昼休みを終えて教室に戻り午後の授業を受け、帰りのHRが終わると教室でゆずを待った。菅先生のやる気のなさからどこよりも早く終わる2組だが、ゆずと美織が7組にはもう無闇に近づかない方がいいというので帰りはゆずがこちらに来てくれることになった。
待っている間多嶋がこちらに鞄を持って寄ってきた。
「おーい石村ぁ、俺と新澤だけケーキ食ってないから連れてってくれよ!俺は甘党なんだ!」
「え~、昨日みんなで行ったからもう男子達も場所知ってるし、そっちと行けば?」
「あれ?石村ってそんなキャラだったか?それに男だけでケーキ屋なんて入れないだろ、普通!新澤だってどうせ行くんだろうからその時は俺も一緒に連れてってくれよ」
「美織つめたっ。…いいじゃん多嶋くらい。うるさいけどまあ、荷物持ちってことで、さ」
「なっちゃんがそういうなら…」
多嶋には一応昨日世話になったし、仏心だ。楢崎さんが再び猜疑的な視線をこちらによこしているが無論そんな色っぽい理由はない。いつ行く!?としつこく聞いてくる多嶋がいい加減うざかったので明日行くことを約束してやると奴は満足そうに笑って帰って行った。
それと入れ違いにゆずがやってくる。ケーキ屋の事を説明し、多嶋も加わることに了承を得た。
「もう奈津あいつと付き合えば?」
「やめてよゆずまで。私のタイプはさわやかな長身イケメンだよ」
結局何事もなく自宅についた私は夕食を食べ、宿題を終えたのちテレビ見て十一時に就寝した。うん。普通の生活である。