悪い大人と恐い人
マンモス高校なんだから大丈夫!なんて楽天的な考えは、すぐに覆された。
「ねえ、新澤さんて片倉君とどういう関係?」
その前にあなたたちはどちら様なんでしょうか。
登校して教室へ入り、鞄を置いて席に着いたところで、何十人という女子のグループに囲まれた。その表情はみな固く、楽しいおしゃべりといった雰囲気ではないことはすぐに察せられた。
昨日の事は多くの女子に目撃されていたらしい。ここで誤解を解いておかないと、入学して二日目で暗黒の学園生活になるだろうことが容易に想像出来た為、私は無い頭をフル回転させて円満な回答を導き出した。
「知り合い、ではないんだけど、片倉君の知り合いに私、似ているらしくって。一度だけ話しかけられたけどそれきりだよ。
私は昨日友達を待っていて彼のクラスの前にいたんだけど、まさか私いるとは思わなかったんじゃないのかな、それともまたその知り合いと間違えてのかも、驚いてこちらを見ていたみたいだけど、ただそれだけの話だよ」
「ふうん…」
納得してくれたかどうかはわからないが、おそらくリーダー格の派手な子が私を上から下まで二往復ほど見回すと、鼻で笑って踵を返した。ええ、私は特に特徴のない存在ですよ!その様子に憤りを感じたが、ぞろぞろと私の机から離れていく彼女たちを私はおびえた風を装って黙って見送った。面倒事には首を突っ込まないのが一番である。
「大丈夫?なっちゃん、助けてあげられなくてごめんね」
「大丈夫だよ、そもそも全ては片倉君の勘違いなわけだし、これ以上なにか起りようがないよ」
むしろ私より泣きそうな美織の手を取ってあやすように左右に振った。二日目にして怖~い女子に囲まれたが、いい友達もできたなあと私は一人感動していた。
「なあなんで今うちのクラスからめっちゃ女子が出てきたんだ?そしてなんで石村は泣きそうなわけ?」
「多嶋ぁ、空気読もうぜ、空気」
「なんか他の奴らも固まってしよ、俺なんか惜しいもん見逃した?」
「美織、多嶋をご覧よ。こいつがいる限りこのクラスは平和だよ」
「…ふふっ、そうだね」
「なあ!なんで勝手に納得してんだよ!俺を見て穏やかに笑うのやめろよ!」
なおもしつこくこちらに向かって何か喚いている多嶋を無視して私たちは放課後の計画を語り合った。今日はおいしいケーキ屋にいくのだ。甘いものを食べて全てを忘れようということになった。
「俺もケーキ食いたい」
「食えば」
「なあなあ、一緒に着いてっていいか?」
多嶋が提案すれば、おそらく美織目当ての馬鹿な男子どもが俺もおれもと群がってくる。それを奴がなんやかんやまとめて、なんと、放課後うちのクラスの親睦を深めようと全員参加での親睦会があれよあれよという間に決まってしまった。
その様子をいつの間にか来ていた菅先生が見ていたようで、楽しそうに放課後の計画を語る多嶋の頭を捕まえ、にやりと笑って宣告した。
「多嶋はすっかりクラスの中心だな。そんなお前を学級委員に指名してやろう」
「え!絶対やんないよ俺!つーか無理だと思うけど。難しい事わかんねーし、考え続けることとか出来ないし」
多嶋よ、よくうちの高校に入れたね。そんな生温かい空気に包まれた教室の中で多嶋はきょろきょろと視線をさまよわせて戸惑っているようだ。菅先生はそのにやついた口元そのままに多嶋の頭に軽く手を置いた。
「成績足りなさそうならなおさらやっとけ、いい内申点つくぞ~」
「まじ?なら入っとくかぁ」
コイツは大丈夫なんだろうか。将来悪い大人に騙されやしないだろうか。いや現在進行形で騙されてはいるが。
「そして女子は新澤な。部活も入りそうにねーし、多嶋と仲良いみたいだしな」
「ちょっ、HRできちんと決めて下さい!こんなの横暴です!」
菅先生は憤慨した私の瞳に自分のそれをぐっと近付けると、真剣な眼差しでこちらを見る。先程とは打って変わった態度に困惑していると、周りの喧騒(主には多嶋である)に紛れる程の声でそっと呟いた。
「味方は多く作っとく方がいいぜ、“時の人”」
「えっ…」
「ほらてめぇら席着け~、HR始めねぇと俺が早く帰れねぇだろうが」
言葉の真意は先程のゴタゴタを心配してなのだろうか。眠そうな瞳からは、これ以上の推測は難しかった。
どちらにしろ、悪い大人のずるい言葉に私も踊らせる事となった。
「なっちゃん大丈夫?菅先生ひどいよね、しかも多嶋くんと一緒だし」
「『しかも』て!黒い黒い!
いや、さっきぽそっと味方は多い方が~とか先生に言われてさ、あの噂の事で一応気にかけてくれたのかなって」
確証は無いがわざわざ私だけに聞こえるように言った辺り、菅先生にも片倉くん絡みの噂は届いているのだろう。弱みに付け込まれた気もしないでもないが、事実外部生の私には味方がいない。
友達を増やすという意味でもいいと思う事にした。前向きであることは大事だ。
「う~ん、ちょっと怪しいけど、確かに味方は多い方がいいかもね。学級委員の子達なんかはそれなりに発言権のある子だろうし」
「新澤聞いてたか?スガセンが放課後12時15分から委員の集まりあるってよ」
「えっケーキは!?」
「な~、食いたかったなあ。今度また改めて行こうぜ。俺時間あるしパン買ってこよっかな」
多嶋の暢気な声で前向きな心が急ターンする。
委員会とはかくも面倒臭いものであるのだというデメリットを思いだし、ぐるりと視界を巡らせて菅先生を探すと奴はもう教室を出ていく所だった。
「ちょ、先生!」
「遅れるなよ、学級委員長」
にやりと笑ったその目元には、食えない光が滲んでおり、私はやられた、とひとりごちた。
机に両手をついて項垂れる私を横目にクラスメイト達は親睦会に心躍らせながら教室を出て行く。
「なっちゃん、私は待ってるよ」
「………いいよ、美織がいないとケーキ屋の場所わかんないだろうし、私は大丈夫だからさ」
「でも…」
なおも心配そうに私の肩に添えられた織の手をそっと外して、私は精いっぱいほほえんだ。美織越しに「おい新澤空気読めよ」といった男子諸君の目が向けられていた為だ。他クラスの友達を増やす前に、クラスメイトの高感度を下げるのは利口ではない。
何度もこちらを振り返り、終わったら連絡頂戴ね、と言い募る美織を見送った私は、多嶋を見習って購買部まで食料を調達するべく歩を進めた。
午前のみということもあって食堂はしまっていたが、パンやおにぎりを売る自動販売機は稼働していた。自動販売機の横に併設されたテラス席にはぽつりぽつりと人が座っていたが、やはりほとんどの生徒は楽しく帰宅したのだろう、その姿は少なかった。
私は自動販売機でメロンパンとチャーハンおにぎり、紅茶を買って教室へ戻った。ちぐはぐな組み合わせだが他の選択肢は右に傾き曲がっているペラペラのサンドイッチかオムライスおにぎりだったのだからしょうがない。
クラスに戻るとペラペラのサンドイッチとオムライスおにぎりを咀嚼する多嶋の姿があった。どこまでも期待を裏切らない奴め。
私は多嶋と隣同士だ。並んでお昼を食べているとまた妙な誤解を受けそうだと感じたため、一つ席をあけて自分の机に荷物を置いて左隣の渡部くんの席を借りた。テラスに戻ろうかとも思ったが残り時間とまた移動する面倒さを考え、大人しく座った。
「なんで渡部の席に座ってんの」
「いやだってこの教室で二人並んでご飯とか気まずいでしょ」
「ふーん、よくわかんね」
思春期のアレとかソレとかってコイツには通用しないようだ。メロンパンの封を開けてもぐりと食らいつく。モソモソとして全然おいしくなかった。パンを食べ終え、チャーハンおにぎりを手に取ったところで背後から異常な殺気を感じた。ちらりと教室の入り口を見やると、あの片倉くんが恐ろしい形相で立っていた。目が思い切り合ってしまったが、あまりの目つきに思わず前に向き直る。ぶわりとあらゆるところから汗が噴き出した。
脂っこいがパサパサなチャーハンの味なんてもはやどうでもよかったし、分からない。視線の端に私の様子の変化に気付いた多嶋がぐるりと後ろを向いた。
「あれ?入学式の…、名前なんだっけか。まいいや、そんな所でどうしたんだよ」
「……君たちがこのクラスの学級委員?先生から委員会の場所を伝えるように言われて来たんだけど、お邪魔だったかな?」
「は?何が邪魔なんだよ?わざわざ場所教えにいてくれてんだろ、ありがとな」
片倉君の言葉の端々から憎々しいといった雰囲気がにじみ出ているが天然男多嶋には通じていない。それが更に彼をいらだたせるのか、それとも後ろを振り向きもしない私にいらだっているのか。片倉君は私たちの背後まで足早にやってきた。後頭部に視線の槍が突き刺さっているが、もう私はヘビに睨まれた蛙である。
「僕は1-7の学級委員になった片倉光景だ、よろしく。これから何かと顔を突き合わせる機会も多いと思うけど仲良くやっていこう」
「おー。俺は多嶋貴一だよ。よろしくなぁ。なんか片倉としゃべってるなんて変な感じ、ゲイノウジンに会ったみたいな感覚だな、俺別に会ったことないけど」
「多嶋君て面白いんだね」
ハハハと笑っているその能天気さを分けてほしい。多嶋が自己紹介をした今、私もしなければならないだろう。意を決して振り向くと絶対零度の微笑みを浮かべた片倉君がそこにいた。はたから見ればそれはそれは麗しい笑顔に見えるのかもしれないけど、私には魔王の微笑みだと思った。
「…どうも、新澤奈津です。よろしく」
「知ってるよ。だって昨日もおとといも会ったしね」
「え?知り合いなのかよ、新澤。そんならなんでそんな下向いてんだよ」
振り返ってみたもののその顔を見続けることが出来ず私は今自分の上履きのつま先を見つめている。ていうかなんでそんなこというの、この人。いやこいつら。
「知り合いっていうか人違いっていうか…」
「ふふっ、『人違い』。…委員会は5組の教室でやるみたいだから、またあとでね」
「お、おお。ありがとな」
片倉君の靴音が聞こえないほど遠ざかると私は大きく息を吐いて渡部君の机に突っ伏した。
「お前らケンカでもしてんの。最後片倉全然笑ってなかったぞ?新澤大丈夫か?」
「…なんか誤解が誤解をよんで、こんがらがっているみたいなんだけど、どこから解いていいものやら、というか取りつく島がなくなす術なしというか…」
「新澤片倉の事追っかけてこいよ。こういうのはズルズル伸ばしたら余計ややこしくなるんだし、行ったら委員会は出なくていいからさ。スガセンには俺からなんとか言っとくよ」
「はあっ?無理無理無理無理。しぬよ、殺される」
「じゃあこれからずっと委員会の度に片倉から逃げんのかよ。終わったら明日ケーキ食いに行こうぜ」
「…………」
鞄は教室に置いたまま私は棒のようになった足を叱咤して七組の方向へと足を進めた。7組は半階上にある為階段を上ろうと角を曲がったところ、そこにはまさかの片倉君が立っていた。これなんてホラー。
「多嶋君と仲いいんだ」
「えっ?べ、別に、席が近いだけっていうか…。先生に委員に無理やり任命されただけだし…」
何故会話が浮気を咎められている風なのか。私は恐る恐る顔を上げてみる。間近で見た片倉君の表情は魔王のような憤怒の形相ではなく、感情のない冷淡なものだった。
その瞳になぜか心臓がばくばくと鼓動のスピードを早めるが、私はここで長々と話をするわけにはいかない理由がある。今日知り合いでないと言い切ったばかりなのにこんな姿を誰かに見られでもしたら今度こそやばい。
私は思い切って一歩彼に詰め寄りその腕を取って階段の死角になる場所まで引っ張っていくと、意外にも抵抗されず簡単に移動が出来た。片倉君の顔を再度みるとその顔は今まで見た怒りや冷たいといった類のものではなく、呆ける、というのが一番当てはまる顔をしていた。
なんだかよくわからないが、隙のある今が一番のチャンスだと感じた私はたたみかけるように、しかし声の音量は落として片倉君に詰め寄った。
「あのね、まず大前提に、私とあなたは初対面なんです。誰と間違えてるのか分からないけど、悪意のこもった目で見られるのはこ、怖いし、やめて欲しいんです。これから委員会で会うことも多いし、仲良くなんて、おこがましい事は言わないけど、普通に、普通の同級生の感じで、ええと…」
「確かに俺とは初対面だよ。だからと言って今まで会っていないとは言えない」
「え、え?」
詰まった私の言葉を遮るように発せられた言葉は予想外で、意味のわからないものだった。私が片倉君の腕から手を離すと、今度は逆にこちらの腕が掴まれてしまった。もう、逃げられない。
「ごめんなさい、意味が…」
「言いたくなかったけど、多嶋とだって俺たちは初対面じゃない。俺の方が奈津を先に見つけたのに、さすが天然はずるいよな。でも俺はアンタを許す気はないし、約束は果たして貰うつもりだ。意味がわからない?上等だよ。教えてなんかやんないし、無視なんかしてやんない。裏切った代償は払ってもらう」
「裏切りって…しかもなんで多嶋まで…、代償って、何?」
カラカラに乾いた喉をなんとか震わせたがやはり掠れた声しか出ない。片倉君の言っていることは、一言も理解が出来なかった。噴き出した汗がつう、と背中を伝うが、私は彼の瞳か視線を逸らせず固まったように立ちつくす。そんな私を見て満足そうに笑うと、名残惜しげにその手を離して彼は階段の上に消えていった。
教室になんとか戻ると入口の所に心配そうな多嶋が立っていた。その手には私の鞄が握られており、なんだか泣きそうになった。
「新澤大丈夫か、頑張ったな。結果は、様子見た感じ微妙だけど、言うこと言ったんだし、俺もこれからは気を回すようにするから」
「多嶋って、私や片倉君と会ったことある?会ったことあるのに今回は初対面てどういう意味?」
「なんだそれ、謎かけか?だって新澤九州にいたんだろ?おれそっち行ったことねえもん」
「…ですよね、ごめん、私帰るね」
「おお、気をつけてな。それとも送ろうか」
軽く手を突き出して否定の意を伝えると多嶋から鞄を受け取ってふらふらする頭のまま歩きだした。
下駄箱にて菅先生会ってしまい、気まずかったが、私の顔色を見て察したのかいつものニヤケ顔ではなく真剣な瞳で声をかけてくる。
「おい大丈夫か。無理すんな、帰って寝ろ」
「…はい、すいません。お先に失礼します」
軽く二回私の頭を叩くと校門まで私の鞄を持ってくれた。オヤジの癖に意外と紳士だなこの野郎。別れ際にお礼を述べると困ったように頭の裏を掻いて菅先生は言った。
「お前たちにとっていい方向にいけばなあと思ったんだが、逆に悪いことしちまったな、悪かった」
「いえ。後はなるようになりますよ、では」
その後どうやって帰ったのか記憶がないが、気付くとベッドの前に立っていて、そのままダイブするように倒れこむ。安いベッドはスプリングが固く、きしむ音が煩かったが目を閉じるとすぐに視界と思考は暗転した。