うまくいかない
「おっはよーみおりん!今日はえらくギリギリだったね!寝坊?」
「う、うん。そんなとこ、かな……」
「珍しいね。体調悪いの?」
「あの、その、す、少し。だからごめんね、私ちょっと、その、トイレ!」
「あっ」
結果から言おう。美織は来てくれなかった。
朝のHRが始まる時間ぎりぎりに入って来た美織は、HRの終了と共に群がった楢崎と千夏ちゃんから逃げるように教室を出て行ったきり授業が始まるこれまたギリギリまで帰ってはこなかった。
避けられているんだろうな、これは。
事情を知らない二人は美織の体調を心配しながら首を傾げている。うん、これは地味にへこむ。
昼休みに声をかけてみようと心に決め、そわそわしながら午前の授業を過ごした。
授業の終わりと昼休みの始まりを告げるチャイムと共に席を立って後ろを振り返る。しかし美織は鞄と共に消えていた。
こうなったらメール攻撃だ!と朝の事は気にしてないから、とか、むしろこっちが謝らなきゃいけないから云々と長ったらしいメールを送って教室の入り口を気にしながら待ったが、美織はやはりチャイムギリギリに教室に滑り込んで来たため話す事が出来ず、ならば放課後に全てをかけようと脳内で先に美織が教室を出て行った場合のシミューレーションを何度も行った。走ってでも追いかけて捕まえて見せる。
六時間目の科学が終わり、再び教室を出て行った美織を追いかける為、私はトイレや階段の方を覗いてみたがその姿は見つからない。そろそろ帰りのHRも始まる時間なのでとぼとぼと一人教室へと体を教室の方向へと向けた所で階段を登ってる片倉と目が合った。
「あ」
「あ……!」
片倉にも逃げられた。それはもう脱兎のごとく。というか別にあいつのことは追いかける気も無いしそもそも追っていないのだが、奴は失礼にも私の顔を見るなりその美しい顔面を青ざめさせ私の横をすり抜けて階段を駆け上がっていったのだ。なんなんだよ、もはやどうでもいいけど。
菅先生の気だるげな号令と共にシミュレーション通りに私は立ち上がり鞄を持って後ろを振り向く。私があまりにも必死な顔をしていたのか、後ろの席の根森さんがびくっと肩を揺らしたがそんなことには構わず前の楢崎に適当な別れの挨拶を告げると私は既に教室を出てしまった美織を追って廊下へと飛び出した。
「わあっ!」
「ご、ごめんなさい!!」
前方を碌に確認もせずに出た所為で入り口付近にいた誰かに事ぶつかってしまい、慌てて頭を下げる。相手の子は少し驚きながらも手を振って大丈夫だよ、と言ってくれほっと息を吐いた。
「本当にごめんね、私の不注意で」
「ううん、大丈夫。私こそ丁度教室から死角になるとこに立ってたのも悪いし……。
あの、二組の子だよね?申し訳ないんだけど、私内部で、まだこのクラスに知り合いいなくって、呼んで欲しい子が居るんだけど……、お願いできるかな?」
「う、うん。誰?」
正直今はそれどころじゃなかったが中に居る誰かに託すよりここでサクッと呼んでしまった方が早いだろう。
内心やきもきしながら申し訳なさそうにペコペコしている女生徒を促す。
「あの、“新澤”さんって人なんだけど……」
「………えーと、“新澤奈津”、ですか?」
「う、うん。ごめんね」
まさかの私。どう考えても私。新澤という名字はうちのクラスに私一人しかいないし、同じ学年内にもいないはずだ。
しかも目の前のこの子は私が誰か分からずに聞いている様子だが、一体何の様なんだろう。しらばっくれてしまう事も考えたがそうする訳にもいかず、私はおずおずと手を上げて示して見せた。しかし意味が分からなかったのであろう目の前の彼女は「えっと……?」と首を傾げながら困った顔をする。
「あの、私が新澤奈津です。何のご用でしょう?」
「え、ええっ!?なんかごめんね!それに突然……。
実は私も人に新澤さんを呼んでくるよう頼まれただけで、詳しい事は知らないんだ。同じクラスの市原さんて子なんだけど」
「市原さん…?」
市原、市原、市原、脳内を検索するもどうにも該当する人物がいない。ファンクラブの子だろうか。うーんと唸って眉間に皺を寄せた私に、その謎の人物から呼び出しを託された彼女は焦りながらつらつらと外見的特徴とあげていった。
「ほら、市原佐奈ちゃんて小柄で、髪の毛がこうくるってしてて、目がぱっちりしてる…。昨日の放課後の事でって言えば分かるって言われたんだけど……」
「昨日の放課後?」
ますますもって意味が分からない。
昨日の放課後は多嶋と一緒に菅先生に呼び出しをくらってその後美織と気まずい別れをし片倉となんやかんやあった訳だけど、その中にそんな容姿の人間は登場していない。それにもしもそのどこかを目撃していたとしても弱みになるような事はなにもないし、呼び出される理由もない。片倉のファンクラブの子だとしてもあんな話をしていた私達に嫉妬する場面など一つも無いはずだし。
更に渋面になってしまった私に、彼女も困った顔で「えっと」とか「あの」などと言い募るもそれ以上の情報は持っていないようで揺れる瞳は不安げだ。
本当に頼まれただけなんだろうなあ、と困る彼女が可哀そうになってきたので私は仕方なく頷いて呼び出しに応じる返事をした。美織のことは取りあえず明日だ。今日帰った後にまたメールしてみよう。
ようやく頷いて見せた私にほっと息を吐き、伊村さんと名乗った彼女は「じゃあ体育館裏に……」と言って向かって歩き出した。じゃあってなんだ。場所的に悪い予感しかしないんですけど……。しかも体育館裏と聞いて真っ先に思い出されるのがあの悪夢の告白大会だ。やっぱりそっちの人間からの呼び出しなんだろうか……。
体育館へ向かう渡り廊下を渡る私達を呼びとめたのは聞き覚えのありすぎる奴の声だった。
「にーいざわー!ちょっと待てよー!どこ行くんだー?」
「たったじまくん!」
伊村さん、何故多嶋を見て焦る。そんな怪しい彼女の様子を横目で窺っている間に多嶋が走ってこちらにやって来た。右手で余計な人物の左腕を掴んだまま。
「はっ放せ!」
「お前すぐに教室出て行くんだもん、焦った焦った!」
「……一体みんなして私に何の用なの」
「放せって!多嶋!」
「いやさー、片倉から相談受けてさー」
「な、なんでそれを奈津に言うんだよ!!馬鹿じゃないのかお前!!」
「俺に話したって仕様がないだろ?本人に確かめてみるのが一番だって」
「に、新澤さん!あのっ、あのっ」
「だからってこんな急に……!」
「片倉は色々考え過ぎなんだってば」
「あのっ、市原さんが待ってるし、あのっ」
カオスである。
この二人が揃うといつもこうなる。巻き込まれた伊村さんが少し可哀そうだがここで立ち去った所で追って来ない訳がない二人だ。多少市原さんとやらを待たせたとしてもさっさと話とやらを聞いた方が後々面倒臭くなくていい。そもそも市原さんとかいうよく知らん人間の呼び出しに応じてあげている時点で多少待たせるだけの権利を私は持っているだろう。
うん、私は苛ついていた。
だって午後の間何度も何度も何度も何度も脳内シュミレーションしたのに、思わぬ呼び出しが入り、こうして立ち止まることを余儀なくされ、どうでもいい人間のどうでもいい我儘を聞く羽目になっているのだから。
「というかお前誰だ?隣のクラスの奴?新澤の友達?」
「えっ?私は伊村優香って言って、新澤さんとはさっき知り合って」
「俺はもう帰るから!さっさと放せってば!」
「さっき知り合ってどこ行くんだ?俺たちも新澤に用があんだけど一緒に行ってもいいか?」
「俺はないって!!」
「えええ!?た、多嶋君と片倉くんが!?だ、だめだめ!今日はだめ!」
「なんでだ?聞かれたくない話なら俺たち適当に隅っこの方にいるしさ、頼むよ。こいつ、結構切羽詰まっててさ」
「奈津の前で変な事言うなよ!!切羽詰まってなんかいない!」
「昼休みに今にも死にそうな顔で来たのはどこのどいつだよ。こういうのは先延ばしにしないほうがいいんだって」
私、帰っていいかな?
中途半端な青春群像劇を見せつけられたところでああそう、良かったねという感じだし。伊村さんは固まっちゃったし。
「だからなんでそんな事奈津の前で言うんだよ!もういい!お前には相談しない!と、友達だって言うから言ったのに!もう信用しない!」
「……お前俺の事友達だと思っててくれたんか!新澤!俺たち友達なんだ!」
「茶化すな、馬鹿!それにもう友達じゃない!」
片倉の口から何の含みもない“友達”なんて言葉が出た事に私は驚いていた。
だって、片倉だ。片倉は忌々しそうに左腕を振って多嶋の手をふりほどそうと奮闘しているが、その頬は赤い。
足元がぐらぐらする。嫌な感じだ。これは、この感情はなんだろうか。
「あの、新澤さん」
「……え、あ、ごめん」
伊村さんにブレザーの裾を引かれ、私はハッとして彼女を見た。申し訳ないが完全に存在を忘れていた。未だかみ合わない言い合いをしている二人組に背を向けて私は伊村さんの背中に手を添えて体育館裏へと促す。なんだかこのままここにいたくなかった。一刻も早く家に帰りたい。面倒事はさっさと終わらせて帰ろう。
「あっ、おい!新澤!」
「あんたたちは明日。こっちこないで」
振り返らぬままそう告げて私はさっさと体育館の角を曲がった。
視線を巡らせて“市原さん”とやらを探すも、その姿は見えない。まだ来ていないのだろうか。人を不躾にも呼びだしといてなんて奴だと内心悪態をついて隣の伊村さんに目を向けるも、彼女もきょろきょろとあたりを見渡していて市原さんがいない事に驚いている様子だった。
「あれ……?ごめんね、ちょっと電話してみる」
「いや、待てないからもう帰るよ。突然の呼びだしだったし、悪いけど」
性格の悪い奴って思われたかもしれない。でもそれもどうでもいい。
後ろから私を引き止める声が聞こえたけど聞こえないフリをして前を向き、家に帰るべく歩を進める。
校門を抜けた所で目の前を歩く多嶋と片倉の後ろ姿を見つけ、私は少し遠回りになる迂回ルートを即座に選択した。見つからぬうちにと少し小走りで帰宅する他の生徒の影に隠れ、俯いて進む。
私は己の内なる感情を振り払うように、人ごみを抜けた途端に走った。




