その奥にあるもの
教室に戻ると、そこには微妙な雰囲気の美織と片倉がいた。
いきなりの鬼門にビビりつつ、困った時のお気楽男の不在を心の中で嘆く。奴はまだ生徒指導室で原稿用紙と睨み合っているのだ。
ちなみにヒロくんへの電話を阻止する事は出来なかった。今日の夜は心して電話を受けなければなるまい。
じっと私を見たまま声をかけて来ない二人の異様な緊迫感に私も生唾を飲み込みふよふよと視線を迷わせる。
さて、どうしようか…。
「…お疲れ様。なっちゃん、大丈夫だった?」
先にこのうるさいぐらいの沈黙を破ってくれたのは美織だった。少し眉を下げて私を伺っている。
「うん、心配かけてごめんね。サボりに関しても、ごめん。何も言わなくて。
…ていうか、いろいろ言えてないね、私」
このタイミングで言ってしまおう。
丁度ここには片倉もいる事だし、全てを美織に話すんだ。
「あの、」
「俺も、心配したよ。どうせ多嶋が無理に連れ出したんでしょ?
さぁ、帰ろうか」
こちらの声を遮り席をこちらに近づいて来る片倉の目は昏い光を宿していて、私は思わず続けようとした言葉を見失ってしまった。
「奈津?」
「で、でも、私、今日は美織と…」
「だったら三人で帰ろうか。
石村さんも、いいよね?」
「……悪いし、私、先に帰るね」
言うや否や飛び出していってしまった美織を追いかけようとした私の腕を片倉が掴み、その強さに前につんのめる。
「美織!」
パタパタと駆け出す音は遠のき、やがて聞こえなくなる。
何するんだ、と未だ強い力で私の腕を掴んだままの男を振り返ると、片倉は感情の見えない瞳で私を静かに見下ろしていた。その瞳には目の前の私すら映っていないんじゃないかと思うほどの、昏い色の宿る瞳で。
「だめだよ」
「片倉…」
「“寂しいから、行かないでほしい”。
とっても簡単で単純な友人の願い事だ。石村さんは奈津に何も望みを言ってない。それって望んでないのと一緒だよ」
「それは違う、違うよ。言葉にするだけが全てのほんとうじゃない」
「じゃあ本当って何?正しいことってどういう事?奈津は結局、どうしたいの?」
「私は…」
私は、私がどうしたいなんかなんて馬鹿みたいに単純な事、考えた事無かった。
私は普通の高校生が送るみたいな普通の生活を送りたいだけで、その為には片倉と関わってワーキャー周りに騒がれたくない。だからって片倉の存在全てを否定したい訳じゃないし、知ってしまった以上は奈津と光景の事も無かったことにして無視は出来なかった。どうしたいかなんて、今でも分からない。
じゃあ、片倉は?彼の考えの根底にあるものって何?
「片倉は、どうしたいの?」
「俺の望みは最初から一つ。前にも言った通り、約束を守って欲しい、それだけだよ」
「ううん、違う。なんで約束を守って欲しいの?そこにある感情って、何?」
「それは………」
はっとした顔で固まった片倉を私は下からじっと見上げる。
過去の妄執、連鎖の代償、現在の執着。
この男をここまで駆り立てる理由って、なんなの?
「俺、おれは…」
ふ、と強く握られた腕が解放され、熱がゆっくりと離れる。
戸惑いに揺れるその瞳を見て、私は少し恥ずかしくなった。
猛烈な勘違いをしてしまった。この片倉は過去の奈津への恋心そのままに私を見ているのだ、なんて。
でも違う。違った。
この男はもはや奈津に恋心なんて淡いものを抱いてはいないのだ。そんなものはながいながい時のなかで削ぎ落され、残ったのが約束を果たすと言う目的だけだった。
だから片倉の行動は単純で、短絡的で、私を見ていなかったのだ。
「奈津すらも、見てはいなかったんだね」
「………!」
傷つけたかもしれない。
片倉の顔がみるみる色を失い、にじんだ汗が頬を滑っていく。
「ごめ、ごめん…!」
数歩後ずさった後、片倉は風の様なスピードで私の横を駆け抜けていく。私は、振りかえらなかった。
鞄から携帯を出して美織にかけるも、コール音の先にいつもの声が聞こえる事は無かった。
自宅へと歩みを進めながら何度もかけた。家に着く頃には電池がもうギリギリで、これはもう家に行ってみるしかないのかもしれないと思ったが、そういえば私は美織の家を知らない。
「あした、謝らなきゃ…」
それで、全部話すんだ。
話して、謝って、だめだったら、終わりだけど、それでも美織には知って欲しいから。
部屋に着いて鞄を置いた私は携帯を握りしめて膝を抱く。すると、着信を告げる長めのバイブレーションが私の手の平に伝わった。
すぐにボタンを押して“もしもし”も待たずに私は叫んだ。
「ごめん!美織!」
『なんだ、どうした!?番号間違えたか!?』
少し焦った声には聞き覚えがある。言わずもがな、菅先生から連絡を受けたであろうヒロくんのものだ。
これから怒られる事を思うと間違い電話という事にして切ってしまおうかとも思ったが、発信履歴を見ればで一発でバレるだろうし説教の時間を長引かせる要因を自ら増やすことはない。大声で怒鳴られる事を想定し、少し携帯を耳から離して私は素直に謝ることにした。
「ごめん、間違えた。奈津だよ、番号合ってます…」
『おま、なんだよ!電話掛けたらいきなり大声で、焦らせるんじゃねえよ!』
「ごめんなさい」
『…たく、そんなことより、なんで電話かかってきたか分かってるよな?』
「もう二度と致しません」
『致しませんのは当たり前だ。なんでサボった。理由をきちんと説明しろ』
ここで多嶋と話してたなんて言ったら殺されるな、多嶋が。
「…友達と、色々あって。別の友達に相談してた」
嘘は言ってないぞ、嘘は。
『…だから“ごめん、美織”か。
その年くらいには色々あるだろうがな、授業はきちんと受けろ。約束だろ』
「……ごめんなさい」
『………分かっているならいい。俺からは以上だ。さっさとメシ食って寝ろ』
「え?もう終わり?」
姿勢を正して身構えていたのに拍子抜けだ。三十分コースは覚悟していたのに、体調でも悪いのではないかと心配になる。
そんな私の心の声が透けていたのか少しイラついた声音でヒロくんが言った。
『言っておくが俺は至って健康だし、お前を一時間と言わず寝るまで説教するぐらいの時間も語彙もたっぷりある。
…だけどな、お前には説教聞くより先にやるべきことがあんだろ?
高校生でいられる時間ってのは三年間しかねえ。友達は、大事にしろ。それだけだ。
じゃあ、切るからな。風邪引くなよ』
「うん。ありがと、ヒロくん」
なんか、元気が貰えた。やっぱり父親の力ってすごい。ヒロくんって、すごい。
貰った気持ちを噛みしめながら、私は美織にメールを打った。
送信した後ドキドキして食事をしている時もテレビを見ている時もお風呂に入っている時ですら携帯が手放せなかったが、その日美織から返信は届く事は無かった。
でも、明日美織が来なくても、私は聞いてくれるまで待つから。
美織が待ってくれたように。
今度は私の番だ。
『美織へ
今日は追いかけられなくてごめん。今まで大事な事全部話せてなくてごめん。
薄情なやつだと思ってるかも知れないし、もう友達じゃないって思ったかもしれない。でも、今更で本当に遅いかもしれないけど、全部話したい。
滅茶苦茶で、みっともなくて訳が分からない話だけど、話すから、話したいから聞いてほしい。
明日、七時三十分に教室で待ってます』
翌朝、私は強い気持ちを胸に学校へと向かった。




