生徒指導室の変
「お前ら職員室だってよ」
結局泣いていたら放課後になってしまい、急いで教室に戻るや否やニヤニヤと笑いながらクラスメイトの男子が多嶋の肩を叩きながら言った。まあ呼び出しについてはサボった以上覚悟していたが多嶋との関係を誤解されるのは避けたい。すぐさまそんな関係では無いと弁解の意を示したかったのだが、クラスメイトのなんだか生温かい空気が居たたまれずに私はすぐにヤツの手を取って職員室へと速足で向かった。
「スガセンんとこ行くならちょうどいいや」
「何が、ちょっと、何考えてんの?」
「べっつにー」
私が多嶋を引っ張る形がいつの間にやら逆転し多嶋が私の腕をぐいぐいと引っ張って私達は職員室に向かった。
「おー来たか、不良少年少女。取りあえず移動すんぞ」
そう言って壁にかけられた鍵を一つとって指先でくるくるとまわして遊ぶ菅先生の後ろについて職員室から出た私達は、階段を下りて少し歩いた先にある教室の前で足を止めた先生に視線で促されるままその場所に足を踏み入れた。
「生徒指導室によーこそ。ま、そこ座れや」
「…失礼します」
「すげー。なんもねー!スガセンカツ丼出ねーの?カツ丼!」
「取り調べじゃねえよ」
はしゃぐ多嶋にはあっと溜息を吐いた菅先生が席に着いたので私達も向かい側に座った。
妙な居心地の悪さに手の平にじっとりと汗をかいてしまい握りしめたスカートが少し湿ったのが太もも越しにわかる。隣の多嶋は物珍しそうにきょろきょろと周りを見渡していた。全くのんきな奴だ。
「で。サボりはだめってそんな当たり前のこと多嶋はともかく新澤は分かってるよな。お前らの青春にケチ付ける気は更々ねーが授業中くらいは迸る若さを押さえこむ努力くらいしようや」
「そんなんじゃありません!ただ、少し話込んでしまっただけで…」
「うーん、わっかんねえなー。ちっともピンとこねえ。記憶に掠りもしねえ」
「多嶋や。お前は状況分かってんのか?今一応担任教師が説教してんだぞ」
こっちが真面目な顔をしているというのに多嶋は唸りながら眉間に皺を寄せて先生の顔を凝視していた。
「家臣の…、いや、おっさんばっかだったがこういう系じゃないしな…。博嗣、宋俊…、違うな、葛西んとこの…うーん」
「だからさっきからお前は何を言ってんだ。真面目に説教聞け」
「ちょっと、多嶋!」
こいつ絶対先生が誰だったか思い出そうとしてる!
何故このタイミングでしかも声に出して言うのか!やっぱり馬鹿なのか!
ハラハラしながら二人の顔を交互に窺う。多嶋が上下左右に首を動かしてあらゆる方向から菅先生を観察しだした事にさすがの先生もこめかみをピクつかせてイラついた声で「多嶋」と注意した。
「いい加減にしろ。うちの初等部のガキ共の方が真面目にしてんぞ。なんなら幼稚園からやり直すか?」
「いい加減にすんのはお前だろ。どこの誰だか知らねえけどこれ以上新澤を揺さぶって引っ掻きまわすなよ」
ブチ切れ寸前の先生に先ほどまでののんきな空気を一変させて多嶋が噛みついた。
ひえ、と私の口から小さな悲鳴が漏れたが確実に今の多嶋は彼の雰囲気を纏っていていつものように止めることが出来ない。
睨みあいながら先に口を開いたのは先生だった。
「それが教師に向かってきく口か」
「おれは今スガセンに言ってんじゃねえ。お前に言ってんだ。
おれはこいつと片倉を見届けるって決めたんだ。横から余計な茶々を入れるんじゃねえよ」
「…何を言ってるんだかさっぱりだな。訳の分からない事で貴重な時間を無駄にするな」
「ああ、無駄だ。おれはもう新澤から聞いているしお前が記憶を持ってる事だって知ってる。この無駄な問答をさっさと止めてお前の本音を言えよ」
剣呑な瞳を宿した二人は再び睨みあい、私はバクバクと嫌な鼓動を刻む心臓の辺りをぎゅっと握る。
だんっ、と大きな音がして私は文字通り飛び上がった。
机に叩きつけた拳を白くなるくらいぎゅっと握った先生は顔を伏せて小さく何事か呟いたが耳に反響する自分の鼓動の音が邪魔で上手く聞きとれない。
やがてゆっくりと顔を上げた先生はにやりと不敵に笑って真っ直ぐに私を見た。
「俺は真実を言ったまでだよ、なあ、新澤。俺は新澤に“こうしろ”なんて一言も言わなかった。お前の旦那に言ってやれよ。つまんねえ嫉妬で人に八つ当たりしてんじゃねえって」
ばんっという音が今度は音が私の右側から上がる。
私から逸れた先生の視線をそのまま辿るとやはり机に叩きつけた多嶋の手の平に行きついて私は今すぐこの場所から消え去りたいと心底願った。
「それが揺さぶってるって言ってんだよ。お前がコイツに言ったっていう真実ってのはお前にとって都合のいい部分だけだろ。
新澤、見ただろ。あれがこの男の本性だ。こんな奴のよく分からん目的の為にお前が利用されてやる必要なんてないんだからな」
「で、でも…、先生は、わた、私の所為で」
「所為で、なんだよ」
やはり、言うのか。多嶋に。
私の作りだしたカルマを、光景に言い放った奈津の呪いを。
不安で指先が震える。全部自業自得なんだと知れて多嶋に嫌われて、嫌われるならまだいい。軽蔑されたくなかった。
そんな私の葛藤を嘲笑うかのように先生が緩慢な動きで机に頬杖をつくとその一連の動作を多嶋が私を守るように睨みつける。
「だめだなあ、新澤。相談するなら包み隠さず、だ。俺が代わりに言ってやろうか」
「自分で言う!自分で言うから!」
「全部お前の所為なんだって。お前の所為で俺と光景は幾度とない輪廻の中に囚われ苦しみを味わったんだってな。
酷い女だよなあ。果たす気も無い約束を交わした上で呪いの言葉を吐いて光景を縛りつけた」
「やめて!」
「やめろよ」
愉しそうに言葉を紡ぐ先生を遮ったのは多嶋だった。
ぐしゃりと強い力で髪をかき乱され、私は情けなくも瞳に涙を溜めたまま隣の男を見上げる。その表情は嫌悪でも、侮蔑でもなくいつものニッと笑った多嶋の笑みで、折角まつ毛の手前でとどまっていた涙がぼたぼたと机に落ちた。
「奈津が光景に何を言ったのかは知らねえ。その言葉の所為で今の状況が出来て、ここに来るまでにお前と光景は苦しんだのかもしれない。
でも、新澤は奈津じゃねえ。
おれだって違う。お前だってそうだ。お前は誰でもない、おれたちの担任の菅正仁先生、だろ。苦しんだ記憶も感情も簡単には消えてくんねえかもしんねえし、奈津を憎んでいるかもしれない。でも、こいつを負の輪廻に巻き込んでそれで何が変わるんだ?それでお前の復讐心ってやつが多少は満たされるのかもしんねえけどな、そんなことまったくもって意味ないし、何の解決にもなんねえんだよ」
「……………」
「…たじま」
多嶋が立ちあがった勢いでイスががったんと後ろに引っくり返ったがそんば事は全くお構いなしに多嶋はまるで選挙演説をする政治家のように両手を広げた。
「だあーーっ!どいつもこいつも面倒くせえ!言いたいやりたい事があるならハッキリ言えよ!そんでもっと自分を大事にしろよな!
大事なのは今だろ!新澤!おれたちはまだ16歳だ!やれる事も沢山あるし将来には自分次第でいろんな可能性が掴める!スガセン!アンタは教師だろ!陰湿に自分の教え子変な方向に導いてねえで清く正しい方向に軌道修正させるぐらいの事しろよ!それが教師の仕事だろ!」
言いたいことを言いきった多嶋は、いつもの多嶋に戻っていた。はあはあと肩で息をしながら先ほどとは違う、でも真剣な瞳で私たちを見ている。呆然とヤツを見上げていた私だったが机を挟んだ向こう側から聞こえるクツクツという笑い声にドキドキしながらも先生を見た。先生はおかしくて堪らないというように顔を真っ赤にして笑っていて、でもそれは嘲笑なんかじゃない、素直な笑顔だった。
「何笑ってんだよ!」
「おっまえ、変わんない…。っはー、ホント、敵わねえよなあ」
「はあ!?だからお前はどこのどいつなんだよ!?」
「言わねえよ。自分で考えるんだな。先生から反抗期のお前たちに宿題だ」
先生もいつもの気だるげな雰囲気に戻り、私は安ど感から全身の力が抜けていくのを感じた。
そんな私のことも先生は面白そうに見やって笑う。
「悪かったな、新澤。
お前のすきなようにやってみろ。俺はもう何も言わねえ」
「先生…」
「良かったな!新澤!」
「だけどな」
急にさっきのような真剣な瞳と声色に戻った先生に再び身を固くするが、先ほどのような嫌な緊張感は不思議と無かった。
「俺にここまで啖呵きったんだ。絶対、断ち切れよ。絶対だ。死ぬまでになんとかするなんて甘えは許さねえ。卒業までになんとかしろ。俺にはそれをお前に約束させるだけの権利くらいはあるはずだ。
…もう、繰り返させたく、ねえんだ」
「…はい」
「多嶋も、異論ないな」
「おう。おれだって気の長い方じゃねえから、ずるずる先延ばしにさそうもんならケツ叩いても結果出させる」
「乙女のケツを無礼にも叩きやがったら私はあんたをころす」
「なんだよ!言葉のアヤってヤツだろーが!」
少し軽くなった心にちょっとだけだけど余裕が出来た気がする。まずはもう一度片倉ときちんと話し合おう。美織にも、きちんと話さなきゃ。恐れてたって仕方がないから、軽蔑されるの覚悟でも全部、話そう。
「おっし!一個クリアだな、新澤!さて、帰るか!」
「うん。教室に入らず来ちゃったし、もしかしたら美織達も待ってるかも…」
「なーに勝手に帰る雰囲気出してんだよお前ら。そもそもなんでここに呼ばれたか分かってんのか?サボリの件についてだよ。サ・ボ・リ!」
そう言って先生は備え付けられたロッカーから原稿用紙を出すとひーふーみーと数えながら私と多嶋それぞれの前に五枚ずつ配った。
「えーっと、スガセン?」
「200字詰め反省文原稿用紙五枚分な。無駄な改行、句読点の乱用は即刻書き直し。制限時間はねえから頑張って書けよ」
「それって1000字も書けってことかよ!クッソー!」
「お前らが書いている間に俺は保護者に連絡入れるから出来たら職員室に持ってこいな。
勝手に帰ろうもんなら、明日休み時間全部費やして十枚書いてもらう」
「鬼!スガセンの前世は鬼だ!」
「お前は鬼の知り合いがいたのか?ま、精々頑張れや」
さーっと血の気が引いておく音がリアルに聞こえた気がした。保護者に連絡って事はヒロくんに連絡が行くって事で、今は四月末だし、ゴールデンウィークに帰るって約束してるわけだし、つまりは久しぶりにゲンコを貰うかもしれないって訳で…。
「一分一秒でも早く終わらせて断固連絡阻止!!」
「ど、どうした新澤!」
目を剥く多嶋を完全に意識からシャットアウトして私は目の前の原稿に挑んだ。




