整理整頓
裏庭の奥まで歩いてようやく立ち止まった多嶋は、振り向くや否や厳しい顔で私をじっと見つめた。
「お前、スガセンになんか言われたのか」
「…なんで?」
「あの放課後以来、新澤変だし。そのせいで石村達も変だし!片倉も、スガセンも全員変だろ!」
「…変なのは、今に始まったことじゃないじゃん」
「はぐらかすなよ。お前が話すまで、教室に戻らせないからな。ここならサボったって見つからないだろうし」
嫌な所で変な男気を発揮するめんどくさい男多嶋のそのまっすぐすぎる瞳から視線を外し、私は諦めのため息を吐いた。
「…別に、何にもない、し」
「うそだな」
間髪いれずに言葉を返してきた多嶋のその言葉の強さに思わず私は顔を上げてもう一度ヤツを見る。多嶋は少し怒ったように眉を顰めてまっすぐこちらを見ていた。だけど私は知っている。これは怒っているのではなく、心配している時の顔だということを。そして奴も知っているのだろう。私が嘘を吐く時の事も。
正直、迷っていた。多嶋には記憶があるし、前世で先生とも面識がある。片倉と会って記憶を思い出した多嶋は幸いにも一回分の記憶しかないようだし、相談するなら多嶋がいいのかもしれない。
だけど、非常に癪だけど、夫であり兄のようでもあった彼に幻滅されたくないという私の中の奈津の想いが全てを話す事を阻んでいた。そして、恐らく私自身も…。
「…………」
「…話さないなら戻らせないし、こうして睨みあってても時間の無駄だからおれの考えたこと、勝手にしゃべる。
スガセンも記憶があって、そして約束の事、何か言われたのか?
新澤が前に授業中倒れた時に付き添ったのスガセンだったよな。その後、お前顔色は暫く悪かったけどなんか、ふっきれたっつーか、一区切りついたみたいな顔してただろ。その時からスガセンと何か話してたんじゃないのか?あの後おれにも色々昔のこと聞いてきただろ」
逃げられない、そう思った私は言葉を選びながらゆっくりと頷いた。
「…そうだよ。先生も、記憶を持ってる。私は先生に“全ての事を明らかにした上で選択する”ように言われた。だから知って、それで、選択したんだよ」
「選択した結果が、あの片倉とのまま事みたいな友情モドキごっこだっていうのか」
「その言い方は、きついよ。今の私には、きつい…」
私の潤む瞳を無視をして、多嶋は尚も言葉を続ける。
「きついのは、新澤が無理してるからだろ!そんなのは選択したって言わねえ!新澤は本当に自分の意思で、他の選択肢を考えたうえでその答えを選んだのか?
…もし、そうならおれは頑張れとしか言えないけど、今のお前見てるとつらそうにしてるばっかで、とても十割新澤の意思で選んだとは思えねえ」
「だって、私に選ぶ権利なんて…」
多嶋は私の肩を押して、地面に座らせた。枯れ葉の上に尻もちをつく形になったけど、汚いとか、ここが地面だとかいう事よりその真剣な瞳から目が逸らせずに私は固まったまま正面に膝立ちで座った多嶋を見る。
「おれ、一緒に考えるから。一番良い答えが出るように考えるから。だからいつまでもそうやって自分を責めて独りで抱え込むのやめろよ。
泣きたきゃ泣けばいいし、つらかったらつらいでいいんだ。権利なんていちいち必要ない。新澤が泣いて、責める奴がいるならおれが殴ってやるから」
一度決壊してしまうと留まる事を忘れた感情が溢れて、みっともない顔面を多嶋に晒すというとんでもない失態を犯してしまった。
ひとしきり泣いて落ち着いた頃、羞恥に顔が真っ赤に染まったが多嶋はいつものように笑っているだけだった。
慌ててブレザーのポケットを探ると入れっぱなしにしてしまっていたクタクタのハンカチが出てきて、少し悩んだがやむなくそれで顔を拭く。あとで絶対もう一度顔を洗おう。
「結局さ、新澤は奈津だった。片倉は光景だった。そこは変えようのない事実だけど、今は平成で、おれたちは全く違う人間として生まれて、生きてるわけだしおれは責任とか新澤がとる必要は無いと思ってるし、片倉もそこまで期待してた訳ではないはずなんだ」
「それは…どういう意味…?」
そこまで期待していた訳ではないというのは、私が記憶を取り戻さない、もしくは取り戻しても拒絶される可能性は理解していたという事だ。
それはつまり、片倉は口にしている言葉より心の中は冷静であったのだろうか。
「アイツはさ、ずっと光景として生きていたから今さら他の自分…『片倉光景』にはなれないと思ってる。だけど俺やお前みたいに記憶を持たずに生まれて過ごしてきた人間に過去の人間そのままに考えろというのは無理な話だし、そもそも“自分”ですら無い人物の約束を本当に果たして貰おうなんて少なくともおれと話した時には考えちゃいなかった。
それでもアイツは“光景”だから、頭では理解できてもずっと抱いてきた感情はそうもいかない。だからおれをけん制したり、お前に必要以上に固執したりしてたんだけどな。
だから新澤、お前はもっと自分の感情に素直になって、したいようにすればいいんだ。
キツイ言い方をすれば、確かにお前が片倉にそうやって同情すれば自己満足程度にはなるかもしれない。けどな、卒業したらどうすんだ?大人になって働きだしたら?そこんとこもう一度よーく考えろ。俺も考えてやるから」
正直、そんな未来の事まで考えていなかった。多嶋は私なんかよりずっと大人らしい。一時の感情を騙すことは出来ても、それは永遠ではない。私がゆっくり多嶋の言葉に頷いて見せるとヤツはいつも通り笑ったあと、気まずそうに目線を逸らし、頭の後ろを掻いて唸った。何事かと目を瞬いていると多嶋は目線をこちらに合わせぬままぽつぽつと言葉を漏らしたので私は耳を傾けた。
「…新澤、気付いてるか分かんないけどさ。お前、俺の名前分かるか?」
「名前って…。多嶋、貴一でしょ?」
「あー…、そっちじゃなくて…」
またもや髪をぐしゃぐしゃにかき乱しながらちらちらと私を窺う多嶋に、前の名前を紡ごうとして、私はフリーズした。
“あの人”の名前が、思い出せない。
“私”の記憶ではないので思い出せないという日本語は正しくないのかもしれない。それでも私は賢明に奈津の記憶を手繰ってみるが、全く持って思い出せない。
私の名前は新澤奈津で、前でも奈津だ。片倉も今も昔も光景で、多嶋も貴一のままなのだろうか。…思い出せないが、違う気がする。
すっかり黙ってしまった私にもういいというように少し落ち込んだ顔で眼前に手の平を突き出してきた多嶋に、私は申し訳なくも謝るのも違う気がしてぱくぱくと唇だけアホみたいに動かした。
「もう、いい。いや、覚悟はしてた。してたけど…はあ…、やっぱり自分の奥に忘れ去られるってのは結構さみしいもんだな」
「えっと、なんていうか…私が思い出した奈津の記憶って、すごく断片的で…その…」
「謝るなよ、おれがみじめだろ。こうなるのが嫌で言ってなかったけど、お前と片倉は何故か名が変わってないんだよ」
って事はやっぱりあの人の名前は貴一ではないらしい。適当な事を答えなくて良かった。
「…だからさ、これもきっとなんか意味があると思うんだよな。別にお前を炊きつける訳じゃないけど、おれらっていうよりお前と片倉は会うべくして出会ったっていうか、安い言葉でいえば運命っていうか…。
だからやっぱりアイツを光景から救ってやれるのは新澤なんだとおれは思う。奈津じゃなく、新澤なんだ。そこを間違えるなよ」
「奈津じゃなく…、私………」
「そ!だからしんどいけど、頑張ろうぜ。気負いすぎないで、ゆっくり、な」
ぽん、と載せられた手を退けなかったのはそこにあの人以上に多嶋に対する信頼が私の中であったからで、この妙に懐かしい感情を理解した途端私の中で感情が一気に整頓された気がした。
なんだかちょっと嫌だけど、似てるんだ。ヒロくんに。
叔父さんで、お父さんで、お兄ちゃん。間違っても多嶋に恋をしなくて良かったと、私はなんだか安心した。
親愛は恋情よりも深くて優しい愛だから。
でもこんなこと、口が裂けても天地がひっくりかえろうとも、絶対誰にも言えない。




