不和
「おはよう、光景くん」
「お、おはよう…。おはよう!」
声を掛けられた片倉は驚いて双眸を見開いたが、やがて嬉しそうにはにかんで手に持っていた靴を慌てて下駄箱にしまった。
「どうしたの?今日は早いね。そ、それに、奈津の方から声を掛けてくれるなんて」
「私達、友達なんだし、普通だよ」
「そっか、友達だもんね!普通だよね!」
私の横に駆け寄って来る片倉を待って横並びで歩く。
「今週から交流会準備が始まるね。って言っても今日はまだ準備班の顔合わせで解散だけど。…良かったら、今日一緒に帰らない?解散も同じなんだし、友達、だし…」
「…うん、いいよ。帰ろう」
「え!?本当!?そ、そっか。そっか!」
頬をほんのり赤く染めて小さく拳を握る片倉を周りの女子たちがきゃあきゃあと小さく声を上げて遠巻きに見ている。私は彼女達をなるべく視界に入れないようにしながら階段を上がり、片倉と別れた。
「おはよう。なっちゃん早いね」
「おはよう、たまたま早く起きちゃって。千夏ちゃんはいつもこの時間なの?」
「殆どは、そうかな。私乗り換えがあるし、結構止まりやすい路線だからあんまりギリギリに来ると遅刻になる可能性が高くなるんだよね」
「そっか、電車組は大変だね」
「でもこの皆が来る前の静かな教室の感じとか結構すきなんだ。本を読んだり、宿題見直したりして、愛実がいると出来ないし」
「おっはよー!」
噂をすればなんとやら。楢崎と美織が現れ、特に声の大きい楢崎のせいで一気に先ほどまでの静けさは消え失せる。千夏ちゃんと顔を見合わせて苦笑していると鞄を置いた二人がやって来た。
「おはよう、なっちゃん。今日は早かったんだね」
「いると思ってピンポン押したのに出て来ないしさ―。寝坊かと思って電話したんだけど気付かなかった?」
「え、ごめん、気付かなかった。今日は偶々早く起きちゃって早めに家出たんだ。もしかして待っててくれた?」
「いや、もともと朝一緒に行こうって約束してる訳じゃないし、そんな恐縮しなくてもいいって」
快活に笑い飛ばす楢崎に私はもう一度ごめんと謝ってゆるく口角を上げた。
私は今、うまく笑えているのだろうか。
「そういえば今日から6限目は交流会準備だね。なっちゃん、うちのクラスはどこと一緒になったの?」
「調理班は二組、三組と九組と、準備班は四組と七組と一緒だよ」
「でかしたなっちゃん!と言いたいとこだけど七組とはまた、くじ運がいいんだか」
苦笑いを浮かべる楢崎に私は言葉ではなく笑みだけを返し、そのまま会話は流行りのドラマの話へと移行した。
「なっちゃん帰らないの?」
体育館にて顔合わせを終えた後そのまま簡単なHRをし、その場で解散となった生徒たちは適当に会話をしながら荷物を持って出口へと移動して行く。その中に混じって昇降口へと足を向ける皆が鞄すら手に取らない私を不思議そうに見つめて立ち止まった。
「うん、ごめん。ちょっと用があって。先に帰ってて」
「待ってようか?委員会?」
「え!おれ聞いてねえよ!」
慌てて鞄をひっくり返してぐしゃぐしゃになったプリントの皺を伸ばしながら委員会の予定を確認する多嶋に呆れながらも手を振って異を示した。
「委員会じゃないよ。個人的な用事。
ごめんね、先に言っておけば良かったんだけど」
「ううん、じゃあうちら先に帰るね」
「うん、また明日」
私は軽く手を上げて挨拶を交わし、鞄を手に体育館を出た。ただし昇降口とは反対の、中庭に続く出口からだ。
噴水の前、落ち着きなく歩きまわりながら片倉は水面を覗き込んでいたりしたが、それを見る私に気付くと嬉しそうに笑ってこちらに駆け寄ってきた。
「か、帰ろうか!」
「うん」
すでに靴に履き替えていた片倉をそのまま中庭に待たせて昇降口で靴に履き替えた私は再び中庭へと戻った。
「裏門から帰ってもいいかな。桜がきれいだよ」
「もちろん!裏門には躑躅も咲いてるよね。
…なんだか夢みたいだ。あの時見れなかった花を、こうして二人で見る事が出来るなんて」
「………そうだね」
ひとつずつ、望みを叶えて、小さな約束もぜんぶ叶えて、でも結局最後に残る彼の望みはやはり、約束が果たされることなのだろう。
私は彼に彼とは違うといい、彼も私に彼女とは違うと言ったけど、こうして楽しそうに思い出を語る彼はやっぱり彼のままなのだ。そうしてしまったのは私。
『私を、私と貴方の罪を忘れない』という私のつぶやきは新たな約束となって彼を縛り、魂は想いと記憶を引き継いで時の経過と共に『私を忘れない』という至極簡単な残滓になった。
それをすくうのは私でなければならない。断ち切らなければいけない。何度かの生を彼は私の為に犠牲にしたのだから、それに見合う対価を私は支払わなければならないのだ。
「また、一緒に帰れるかな」
帰り際、熱っぽく瞳を潤ませて小さく言った片倉の言葉に、私はもちろんと頷いた。
それから何度か二人で帰る私たちを、皆が何か言いたげな目で見ていたのを気付いていたが、私はつまらない話で場を誤魔化して説明から逃げていた。
私の行動について多嶋を除いた皆に前世のことを抜きにしたうまい説明を思いつけなかったし、それ以前にここまで色々してくれた皆の努力を無駄にするような行為を面と向かってなじられるのが怖かったのが一番の理由だ。
しかし、作ったような笑顔で笑う私たちの間は少しずつぎこちなくなっていき、俯くことの多くなった美織の姿に罪悪感でどうしようもなくなった頃、私はまじめな顔をした楢崎に呼び出された。




