夕闇に染まる
「今日は一緒に帰ろうね、奈津。友達なんだし、なんら変な事はないよ」
委員会が終わるなり私の所へ直行して来た片倉は笑顔でこう言い放った。
こいつ、友達という言葉をなんか勘違いしてやがる。
そうは思うが歩み寄ろうと決めたのは私だ。覚悟を決めるか、と鞄を持って席を立ち、なんとなく一緒に廊下に出ると後ろから多嶋が追いかけて来た。
「俺も帰る!」
「お前はいらない!」
そうか。多嶋も巻き込んでしまえばいいんだ。
心の中でぽんと手を打った私はなんとか多嶋を追い払おうとしている片倉をじっと見つめ、たじろいだその美しい顔面ににっこりと微笑みかけた。
「私以外にも友達作れって言ったでしょ。多嶋なんて色々、知ってるわけだし丁度いいじゃん。同性の友達は大事だよ」
「だって、こいつはアイツだよ!?仲良く出来る訳なんてない!」
「貴方は彼とは違う。多嶋も彼とは違う。私も。三人ともまっさらから始めよう」
「…………」
「よろしくな!片倉!」
押し黙った片倉にお気楽王多嶋が笑いかけると、片倉は渋々頷いて見せた。
ほんの思いつきから多嶋を巻き込んだ訳だけど、この二人は中々気が合うのではないかと思う。一つの事に囚われすぎる片倉と、垣根の何もない多嶋では正反対だけど互いに補い合える関係性が気付けそうだ。
珍妙な掛けあいを始めた二人を微笑ましく見ていると、頭にぽん、と心地よい重みが掛けられた。顔を上げて見ると、同じく二人を見つめる菅先生が私の後ろに立っており、その眼差しは優しい。
「うまくいってるみたいだな、新澤」
「…とりあえず、一歩です。こんなやり方でいいのか分からないけど、私なりの一歩をようやく踏み出せました」
「…そうか」
「菅先生、女生徒に対して気安く触るなんてよくない事だと思います。淫行で捕まっても知りませんよ」
多嶋との掛け合いをうっちゃり、憎々しげな瞳で私の頭におかれた先生の手、その一点を睨みつける片倉に苦笑しながら菅先生は手をぱっと放した。
「怖ぇ怖ぇ。そんなに睨むな、もうしねえよ。
まあそんな事言われた後に言うのも何だが、お前ら二人先に帰っとけ。新澤、ちょっと時間貰うぞ」
時間?予期せぬ言葉に首を傾げつつ先生を見ると、意味ありげに目配せを寄こされた。また何か、前世に関することだろうか。
しかしそんな事は分かるハズもない片倉は納得いかない様子で私の腕をとって自分の方へ引き寄せると先生と睨みつける。
「放課後に女子生徒と二人で何をしようっていうんですか。本当に捕まりたいんですか」
「バーカ。お前はエロ漫画の読み過ぎなんだよ。新澤の家庭に関する話だから人の多い時には出来ねえだろ。生憎と十代は射程範囲外なんだ」
「僕はそんな低俗なもの読んだりしません!」
「俺は女性教師モノがすきです!」
多嶋が空気を読まずに参戦して来た所で私は腕を掴む片倉の手を外し、先生の肩を押して廊下を歩きながら後ろの二人に言った。
「いいから先に帰ってて。普通に同性の友人同士で親交でも深めててよ。
ていうか私のビッチ疑惑をこれ以上広めたくなかったら二人で帰って。協力してくれるよね?友達なんだから」
「…行こうぜ、片倉」
多嶋に背を押された片倉はまだ何か言おうと開口したままこちらを見ていたが、さっさと彼らに背を向けて歩き出した私はその口が何を象ろうとしているのか見ることは出来ず、背後から声を掛けられることもなかった。
「まあなんだ、適当に座れ」
「…掃除してないんですか?ここめちゃくちゃ埃っぽいんですけど。しかもあの缶コーヒー書類積んでありますけどいつのモノなんですか?っていうかまさか中身入ってないですよね」
「…そこを掘り下げない方がお前の身の為だ」
菅先生に連れてこられたのは社会科準備室だ。昼休みに一度来たが、その時はさっさと出て来たのでじっくりと見る余裕などなかったが、改めて見て見るととにかく汚い。ラックの上には乱雑に地図やら地球儀やらが積まれていてどれも埃がつもっている。奥にある机の上には幾重にも書類の層が積み重なっている。
「…っていうかここ他の先生も使うんですよね?うちの社会科教師って全員お片付けの出来ない人なんですか?」
うちには六名もの社会科教師がいる。世界史、日本史、地理、公民などそれぞれ授業が別れているというのもあるが、中・高とも殆ど兼任なのでそれぞれの教科につきそれなりの人数がいるのだ。ちなみに地理担当の柏木先生は大人な雰囲気の美人先生だ。そんな柏木先生が片付けの出来ない人だななんて信じられない。
問い詰めるように菅先生を見つめると、先生は降参とでもいうように両手を軽く上げて溜息を吐いた。
「…うちは広いからな、社会科準備室は二つあんだよ。こっちは第二で殆ど使わねえ。だから場所の有効活用で、俺が色々と使ってんだ。だからか他の先生方も気を使ってあんまりこっちに出入りしねえんだよ」
「それ絶対気を使ってるんじゃなくてこの惨状に耐えられないだけだと思いますけど」
「うるせえ、ほっとけ」
私は座るよう促された椅子の埃を手の平の端っこで軽く拭い、一応ハンカチを敷いて座った。その様子を菅先生は不服そうな顔で見ていたが、何も言わなかった。
「それで、話っていうのは?本当に家庭の何かですか?」
「…いや、察しの通りだよ。お前にちっと言っておきたいことがあってな」
「…なんでしょう」
やっぱり先生の話は前世関係の事らしい。なんとなく佇まいを直して真っ直ぐ菅先生を見つめると、めずらしく真剣な瞳とぶつかった。
「お前、片倉と友達になったのか?」
「へ?え、はい。
…私は私な訳だし、彼の気持ちには応える事が出来ないし、かといって完全に拒絶する事も出来なくて、そういう事になりました」
「そうか。さっきあいつに言ってた『貴方は彼とは違う』ってのは?」
「そのまま、片倉は“光景”じゃないし、私も“奈津”じゃないって事です。だからちゃんと、今の自分で始めようって…」
先生は何が知りたいのだろう。何が引っかかっているのだろう。
話の本筋が分からないまま答えられた問いに答えると、先生の瞳がきらりと光った気がした。
「片倉“光景”ではなくお前も“奈津”では無い。そう言ってあいつは納得したのか?」
「…………彼は私は“奈津”と違うと言いました」
だけど、“自分”の事は?彼は本当に今、“片倉光景”としているの?
じくりと心の端が淀み始め、不安が少しづつ広がって行く。でも、彼は私が奈津と違うと確かに言ったし、それに、光景のものでも、今までの片倉のものでもない表情をしてみせた。それは、光景から解放された事になるんじゃないの?
先生は、何も言わない。静寂が私をより不安にさせていく。先生は私に何を言いたいのか。何を気付かせたくてここに呼んだのか。
「全ての記憶は明らかになったか?」
先生の言葉に俯きかけていた頭をはっと上げて、私はこくりと頷いた。
「多嶋にも、片倉にも話を聞きました。その上で、私は…」
「その上で、お前はお前のかけた呪いに、気付かなかったか?」
先生は笑っていた。
「呪い…?」
「そう。呪いだ。“因果応報”って言葉、知ってるか?良い行いをすれば良い事が、悪い行いをすれば悪い事が自分の身に返ってくる。
今の状況を起こしたのはお前だよ、新澤。片倉を無限の輪廻に閉じ込めて、呪いをかけた」
何を、何を言っているのか。全く思考が追いつかない。
「お前の業を話してやるよ」
私はただ、夕日と共に陰る埃臭い準備室の中、昏く笑う先生をじっと見つめていた。




