二度目の初対面
さすがマンモス校という事だけあって、体育館は大きかった。
しかしそれでも初等部、中等部を含めた全校生徒は入らない為、初・中・高と日程をずらして入学式を行うらしい。うちには少し小さい初等部用、一般の学校に比べると1.5倍はあろう中・高等部兼用と二つの体育館がある。今私が眠気と戦っているのは勿論大きな方で、その広い体育館に所せましと並んだイスに全員が着席し、学長の長~い子守唄をBGMに多くの生徒が船を漕いでいた。
もう、限界――――…、意識が夢の国へ旅立つ刹那、ひと際大きな歓声と拍手が上がった。あの学長の話のオチがそんなに素晴らしいものだったのだろうか、と落ちる瞼を押し上げて壇上を見上げると、そこには既に誰の姿もなく、裾のマイクの前に年配の女性教員が誇らしげな顔をして立っているだけだった。
小首を傾げてその誰もいない教壇を凝視していると、さきほどまでの喝采が嘘のようにぴたりと止み、何百人といる人間の息遣いさえ感じないほど静まり返り、私はますます何が始まるのだろうと首を長くして目を凝らした。
静寂のなか、きゅ、きゅ、という音だけが広い体育館内に響き、皆その足音の主の一挙手一投足に注目していた。
少し茶色掛ったさらさらヘアーをなびかせ、背筋を伸ばして壇上にあがっていくのは、昨日の、あの青年だった。
―――――そんな馬鹿な。ベタすぎる。少女マンガじゃあるまいし。
目を見開いたまま固まった私は彼の流れるような礼を見て、ひどく違和感を感じていた。姿かたちは同じであれど、壇上の彼は本当に昨日の彼なのだろうかと。
「新入生代表、1-7片倉光景」
広い体育館のあちらこちらから女子の黄色い声が上がる。そんなものには表情筋を一つも動かさず、“片倉光景”は朗々と祝辞を読み上げた。
私はその間視線を外すことが出来ずじっとかれのその薄いブラウンの瞳を見つめていた。彼は校長よりもしっかりと祝辞を述べ上げると何かを探すように体育館内を右から左へとゆっくり見渡し、ある一点へくるとその動きをぴたりととめた。新入生は各クラス2列ずつで並んでおり私の席は右から4番目、前から25番目とステージからは少し離れた場所である。ちなみにそこは私のいる辺りであったが常時眼鏡をするほどではないが人より若干視力の弱い私では彼がどこをピンポイントで見ているのかははっきりとは分からず、しかしなんとなく目があっている気もしないでもなかった為、昨日の事もあり目を伏せて彼が壇上を降りるのを待った。
しばらく目を伏せていたが次第に大きくなるざわめきにそっと視線をあげてみる。すると彼は固まったようにまだ壇上に立っており、身を乗り出すようにしてこちらを見ていた。今度は確実に目が合ったと断言出来る。なぜならその瞬間彼はどこか挙動不審になり、早足にステージを降りて行ったからだ。私が同じ学校にいることに気付いたのだろうか。それとも変な病気でも持っているのだろうか。
騒然とした空気の中彼はうつむいたまま自らの席に座り、それを驚愕の表情で追った教師は慌てて進行に戻る。こうして色々な波紋を残し、入学式は終了した。
「なんかすごかったよな、代表の挨拶。なんか、レベルちげーってか、8割何言ってっかわかんなかったわ」
「それはちょっとやばいんじゃないかな、多嶋君」
「やっぱり“片倉くん”って感じだったね、完璧で、堂々としてて、最後はなんか変だったけど…」
「美織、やっぱりあの人って有名なの?内部の人?」
私たちは教室に戻ると担任が来るまでの間雑談に励んでいた。私たちでなく周りの子たちもその話題はやはり、先ほどの入学式の“片倉光景”についてだった。
「そっか、外部の子は知らないよね。片倉君は初等部からの子で成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能ってほんと王子様みたいな人で、一部の女子の間では『見守る会』なんていうファンクラブみたいなものがあるくらい人気なんだよ。
人当たりはいいんだけどどこかいつも冷静で冷たい感じがするっていうか…。だから私はちょっと苦手だったんだけど、さっきみたいに固まって動かなくなるなんてすっごい以外で、片倉くんでも緊張するんだなあって親近感湧いちゃった」
「そんなに四文字熟語の躍るやつがなあ、緊張なんてするんだな。まあ俺は緊張なんてほとんどしたことないからわかんないけど」
「多嶋君ってそんな感じだよね」
「さっきから俺に失礼だぞ、新澤!」
笑い合っているうちに先ほどの気だるそうな教師がめんどくさそうな顔をして入ってきたため、生徒たちは皆各々の席に着いて佇まいを正した。彼はそれをなんとなく見るとぱちぱちと瞬きをして簡素な挨拶を述べた。
「俺が今日からお前らの担任になる菅 正仁だ。まあ、よろしく」
これまただるそうに諸注意や親へのプリントなどを配ると私たちに簡単な自己紹介をさせた。美織の番には男子達が唾を飲み込む音が聞こえた気がする。多嶋君は予想通りあの人懐っこい笑みで早くもクラスのムードメーカーとなっていた。私は可もなく不可もない一般的な挨拶を述べたがやたら隣の多嶋君が絡んできてうざかった。自己紹介後、前の席の楢崎さんがふりむいて私に顔を近づけるとトンデモ発言を小声でかました。
「新澤さんと多嶋君て知り合い?付き合ってるの?」
丁寧に否定をしておいたが他にも誤解した人がいるかもしれない。とんだ弊害だ。
全員の自己紹介を終えるとまたもや簡単なオリエンテーションを行い、明日のもろもろを確認したのち終了となった。さっさと出て行った菅先生にいくらかの不安は感じつつ私は多嶋君に向き合った。
「おい多嶋、変に絡むのやめてよね。楢崎さんに付き合ってるの?なんて言われたじゃん。徹底的に否定しておいたけど」
「ふーん、女子って変だな」
まるでわかっていない多嶋を出来る限りの冷たい目で一瞥すると私は帰り支度をして美織のもとへ向かった。
「美織、一緒に帰ろう」
「うん、だけど私の友達も一緒でいい?他のクラスの子なんだけど…」
「もちろん、むしろお邪魔しちゃってごめんね」
「全然そんなことないよ!1-7みたいなんだけど、一緒に行こ」
さっき離れてしまったと言っていた内部の子だろうか。友達になれるといいなあ、と淡い期待を抱いて私はプリントでいっぱいになった鞄を持って廊下に出た。他のクラスはまだ終わっていないようで隣のクラスの先生の説明の声が聞こえた。やはり菅先生はテキトウに終わらせたらしい。
同じ一年生であっても、十二組まである為六組以降は半階上となっている。私たちは六段ほどの階段を上がって七組の前に立つと入口の窓から少しだけ中の様子を窺い見た。
こちらの教室もまだHR中であった為私たちはそっと顔を引っ込めて談笑を始めた。
五分程経った頃、一斉にイスを引く音が聞こえHRが終わったことを私たちに知らせる。再び窓を覗き込むと中年の担任女性教師が退出する姿が見えた為、ドアの傍に立って美織の友人が出てくるのを待った。
「あっゆずこ、お疲れ~」
「美織~!クラスどころか階まで離れちゃったね。それと…こんにちは?」
「あ、どうも。邪魔してごめんね、同じクラスの新澤奈津です」
「いえいえ。村山ゆずです、ゆずとかゆずこって呼んで」
「私も奈津で、よろしくね」
「なんか自分の友達が友達になるのって変な感じ」
村山ゆずはショートカットの似合うとても懐っこい子で、私たちはすぐに打ち解けることが出来た。彼女は中等部からの内部生で、バレーボール部に在籍しているらしい。アクティブな雰囲気のゆずにぴったりだ。
「二組ってどんな感じ?今度遊びに行っていい?」
「うるさい男子が一人いるよ。ぜひおいで」
「なっちゃん、それじゃあ多嶋君が見世物みたいだよ」
「といいつつ爆笑する美織なのであった」
「この子は意外と腹黒だから。愛してあげて」
「違うって、もう、やめてよゆずこ」
意外な美織の一面をゆずから聞いていると、突如、黄色い悲鳴が上がった。自然と向いた視線の先にはあの“片倉 光景”が立っており、またしても不自然な格好で固まったままこちらを凝視していた。壇上より近いこの距離で確認して確信を得たが、やはり彼はあの時の彼である。
「な、なんか片倉くんすっごいこっち見てんだけど、ゆず、同じクラスで仲良くなったとか?」
「い
や、女子の目が怖くて話しかけらんないし、ていうか、なんか、奈津の事…」
「二人とも、帰ろう。私この辺に越してきたばっかりでさ、お店とか全然詳しくなくって。いい所あったら教えてよ」
不吉な言葉と視線は自己防衛反応により強制排除して私は困惑する二人の肩を押し、無理にあの視線から逃れる。階段近くまで二人を引っ張り、ちらりと振り返った向こうの彼は驚きの表情から憎々しげなものへとその様相を変えて私の双眸を完全に捉えていた。私はしっかり絡まったその視線を外して、もうここには近づくまいと心に決めて、駆け足で階段を降りた。
「奈津って片倉君と知り合いなの?」
「…知らない、はずなんだけど。向こうは私のこと知ってるみたいで、でもそれも勘違いっぽくって、なんか…私もよくわかんない」
「何それ、要領を得ないなあ」
「でも気をつけた方がいいよ、片倉君て結構熱狂的なファンも多いし、外部生ならなおさらよく思わない人もいるかも知れないし…」
「………うん」
気遣うような二人の視線が私の心をより沈ませる。結構ヤバイ人と関わってしまったのかもしれない。まだ学園生活一日目だというのに、気分は最低辺だった。
見るからに気落ちした私の背中をゆずがばしばしと強めの力で叩いて笑った。
「でもさ、勘違いならいつか解けるだろうし、奈津は外部生だから顔が割れてない。こんなマンモス校にいたら噂なんてすぐに埋もれて消えちゃうって」
「そうそう、それになっちゃんには多嶋君がいるしね!」
「だから違うって!」
あからさまな慰めの言葉でも、落ちていた気持ちがぐんと上昇する。やはり友達って偉大なものだ。
私たちはその後ゆずお勧めの駄菓子屋さんで三百円分の駄菓子を大人買いして、そのチープさや人口着色料いついて熱く語り合いながら帰途に就いた。