不幸な日
「お前、大丈夫か?顔が凄い色してるぞ」
「せめて“顔色が悪い"って言ってよ」
早めに登校して机に突っ伏していた私に声をかけてきたのは多嶋だった。時計を見るとまだ七時四十五分で、いつもギリギリに滑り込んで来る多嶋が居るには早すぎる時間だ。
「今日なんかあるの?やけに早いけど」
「昨日片倉と話したんだろ?まぁこうなるんじゃねぇかなって、勘だな」
「…多嶋のくせに、当てすぎ」
二カッといつもの如く笑って見せた多嶋に見透かされた事が悔しいやら恥ずかしいやらで私は再び顔を下に向けて頭を抱える。
勝手な自己嫌悪中だが、今は放っておいて欲しかった。
しかし勘は冴えても空気は読めない隣の男は完全拒否の態勢を取る私に構わずアレコレと話しかけて来る。
ああ、とかうん、とかのおざなりな返事からやがて無視に移行した私を気にしていない多嶋は、暫くくだらない話を一人でしゃべって満足したのか下手な鼻歌を歌いながら机の中を漁り始めた。
ガサガサうるさい。外れた音程がしぬほど気になる。
静かなところへ行こう。
そう思い席を立つと、耳障りな鼻歌をやめて多嶋がこちらを向いた。
「あれ、どこ行くんだよ」
「ここではないどこかへ」
「ネタが古いぞ、新澤」
幸い追いかけては来なかった多嶋を置いて、私はラウンジへと向かった。
お茶を買って時間を潰した私は、予鈴が鳴る十分前に教室へ戻り、美織たちと挨拶を交わした。少し早いが筆記用具を出しておこうと右側にかけてある鞄に手を伸ばすと、あるはずのものが見当たらない。
「あれ?」
椅子の下に置いたのかな、と思い覗くも何もない。立ち上がって見渡してみても私の鞄はどこにも無かった。
私の記憶違いか、それとも小さい嫌がらせが遂にまぁまぁの嫌がらせにレベルアップしたのか。
「なっちゃんどうした?なんか落とした?」
「楢崎、悪いんだけど私の携帯鳴らして貰えないかな。朝来た時寝ぼけてたから、自分の鞄どこに置いたか忘れちゃって」
「このドジっこめ」
楢崎が私の携帯に着信をかけると、教室のどこかからくぐもったバイブ音が響いた。
近い所で良かった。
そう安堵の息をついて音の方向を探ると、なんとなく私達の会話を聞いていたクラスメイト達がみんな一緒に辺りを探してくれた。
「あ、ここじゃね?でも新澤さん、寝ぼけすぎ」
美織の隣の席の河原くんが私の鞄を見つけ、笑う。そして掃除用具入れの上に置いてあるバケツの中にあったそれを、降ろして渡してくれた。
「ありがとう。なんだろう、夢遊病かな」
「それか誰かのイタズラじゃない?くだらない事するやつがいるな」
「うーん、あはは…」
「うわ。埃まみれ、外ではたいた方がいいぞ」
「そうだね、そうする」
有難いアドバイスに従ってベランダに出た私は白くなってしまった鞄の埃を払う。大体落ちた所で教室へ戻ると、千夏ちゃんがウェットティッシュをくれたので、お礼を言ってそれを受け取り軽く拭った。うん、これはバケツに入る前より綺麗になった気がする。
拭き終えた所で菅先生が入って来たので、私は席に着いてこっそり鞄のチャックを開けてみた。
特になくなっているものはないようだが、またしても丸められた紙が一つ、底の方に押し込められている。
やっぱり同一犯の犯行か。
溜息をついてその紙をポケットへ入れ、前を向くと、何か言いたげな先生の瞳とかちあう。
ぱちぱちと瞬きをしてその目を覗きこむと、先生は軽く首を振って朝の連絡を続けた。
「それにしても、結局なんだったの?やっぱりイタズラ?」
「たぶん。でも何も盗られてなかったし、気にするほどの事じゃないよ」
「なっちゃん、本当に何かあったらすぐに言ってね。ファンクラブとの事だって、結局私達に何にも言わずに一人で話つけちゃったし…」
少し怒っているような、寂しそうな顔の美織にごめんと素直に謝る。しかし、私は今受けている嫌がらせに関しても言うつもりはなかった。
心配をかけたくないというのもあるが、折角手に入れた普通の日常を壊されたくないというのが本音だ。幸い怪我をするような内容では無いし、そこまで害もない。
トイレでこっそり開いた紙を広げてみる。
そこには可愛らしい丸文字で、“あんたなんか消えればいいのに”と書いてあった。
二限目は科学だ。
理科室へと移動が必要な為、一限目の眠い日本史が終わるや否やクラスメイト達はみな大口であくびをしながら教科書を持って教室を出て行く。
理科室は特別教室棟という別の棟に入っているので、移動に時間がかかる為だ。
私は念の為鞄ごと持って美織達と一緒に教室を出た。こうやって起こりうる可能性と言うものは一つづつ潰していけばいい。
「あ…」
流行りのバラエティ番組の話に花を咲かせていた中で、千夏ちゃんが小さく声を漏らした。その目線の先には先生と話す片倉の姿がある。
き、きまずいぞ。
相手の様子を窺いつつ、しかし平静を装いつつ隣を通る。
しかし片倉は私を一度も見ることはなかった。
少し離れた所を通ったし、気付かなかったのか。いや、やはり私を許せないと言う事なんだろうな。
変なものを見る目で三人が私を見て来たが、「先生と話してたし、そんな中私にわざわざ話しかけたりしないって」と言って笑ってみせると納得のいかない顔をしたが、やがて頷いた。
楽しい実験を終えて教室に戻り、恐る恐る机の中に手を入れてみる。
しかし丸められた紙が入っている様子はない。さりげない振りをしてノートや教科書を捲って見てもラクガキが増えている事もなかった。今日の嫌がらせはあの鞄で終わりなのかもしれない。
ふう、と息を吐いてなんとなく隣を見ると、一枚のプリントの皺を懸命に伸ばしているバカ、いや、多嶋の姿があった。
「…あんた何してんの」
「いやそれがよー、昨日机にプリント入れて帰ったのはいいんだけど、さっき授業が終わった後何にも考えずに教科書突っ込んだらクシャクシャになっちまって。
っていうか若干破れた。なあこれ、テープで貼って便覧とかで挟んでおけば綺麗になると思うか?」
「多少は伸びると思うけど、ほんとに多少だと思うよ」
「だよなあ。まあやれるだけやっとくか」
そう言って国語の便覧にプリントを挟み、上に地図帳や世界史の教科書などの重たく分厚いものを乗せ机に仕舞った多嶋は満足そうに笑った。
少し不安を感じて私はプリントを探した。二組二人とも皺くちゃのプリント持参とか笑えない。しかし昨日確かに机に入れたはずのそれは、どこにも無かった。
やられた!
一応全てを引っ張りだして教科書の間なども確認してみたがどうにも見つからない。
「なんだ新澤、プリント結局持って帰ったのか?俺のコピーさせてやろうか?」
「…昼休み先生に貰うからいい」
「じゃあ俺の分も頼んだ!」
「貰えたらね」
はあ、ともう一度溜息をついて思う。今日一日で何回幸せが逃げて行ったのだろう。
「先生、委員会のプリント忘れたので、貰ってもいいですか。ついでに多嶋の分も。クシャクシャにしちゃったらしいので」
「…はあ、折角忘れないよう忠告してやったのに、しかも多嶋はそういうオチか」
はあっ、と大袈裟に溜息を吐いて肩を落とした菅先生は散らかり放題の机を嫌そうに睨みつけた。
「ちょっと待ってろ」
捜索は難航した。菅先生の机は本にプリント、日誌、何故かDVDプレーヤーや何が入っているのか分からない謎の小包など、様々なものが積み上がり今にも崩れ落ちそうだ。飲みかけのコーヒーも本が重ねられた不安定な場所に置いてあるし、見ているこっちが零れやしないかとハラハラする。
「ッあー、クソッ」
「仮にも教師が生徒の前でそんな悪態ついてもいいんですか?」
「うるせえ、そもそも新澤が忘れるのが悪いんだろうが。あー、ここの下に置いたんだっけか…」
「だからいつも言ってるじゃないですか菅先生。きちんと片づけないといざと言う時に必要なものが出てきませんよって」
「…そーですね!」
向かい側に座る近藤先生の呆れた顔に拗ねた顔でおざなりな返事をした菅先生はイラついた様子でプリントの束を山の中腹辺りから引き抜いた。
ずるっ、ばしゃっ。
「……………」
「…………あーあ」
「ほら、見なさい。いつかこうなると思った!」
ドヤ顔で覗きこむ近藤先生にを無視して先生は凄い勢いで私を振り返るとすぐさま給湯室から布巾をあるだけ持ってくるよう命じた。
「急げ新澤!」
「菅先生、ちゃんと後で布巾買い足して下さいね」
布巾を鷲掴みして急いで戻ると、先生達が菅先生の机に集まってティッシュで応急処置をしていた。私が戻って来たことに気付いた先生方は布巾をそれぞれ手に取って床を拭き始めたので私もそれに倣って椅子の足を拭く。
「ちょっと勘弁して下さいよ!菅先生!俺完全にとばっちりじゃないですか!」
「コーヒー染めって流行ってるらしいし、良かっただろ」
「良くないですよ!!」
あらかた拭き終えた所でやってきた菅先生の隣だったらしい国語の立花先生が茶色い染みが出来た自分の鞄を抱き上げて半泣きで叫んだ。立花先生はまだ新米教師のさわやか100%で人気の男の先生だ。しかし今は怒りと悲しみに打ち震え、そのさわやかさは失われている。
立場上優位に立てる菅先生は最低発言をぶちかましているが、周りの先生方も苦笑いすらしていなかった。
「さあ新澤、行くぞ」
「菅先生!俺これまだ買って一カ月経ってないんですけど!」
「逃れられない運命てのもあんだよ」
逃げるように職員室を飛び出した先生は社会科準備室に小走りで飛び込むと額の汗をぬぐった。
「先生シャツにコーヒー飛んでます」
「ああ?あー、んだよ、あれもこれも新澤のせいだぞ」
「どう考えても先生の怠惰な心が原因だと思いますけど」
「あーあ、立花のやつ暫くうるせえだろうな…」
私の言葉なんか聞いちゃいない菅先生は埃っぽい準備室の椅子に腰かけると眉を顰めて黙り込んでしまった。
一応黙って待ってみたが何もアクションを起こさない先生に痺れを切らし、ちょいちょいとシミのついたシャツをつついてみる。
「せんせー、昼休みは有限なんですけど。プリント下さい」
「目の前で見ただろうが。あの通りプリントは茶染めだ。諦めて他のクラスの奴にコピーさせて貰えよ。あ、三部な。お前と俺と多嶋の分」
「先生の事情に生徒を巻き込まないで欲しいんですけど!!」
「まあそう言うなって、職員室のコピー使わしてやるから」
生徒が私用でコピーをしたい場合は図書室にある有料の者を使わなければいけない。モノクロオンリーで価格は一枚十円である。
たかが十円、されど十円。
ここで粘ってもどうしようもない事を悟った私は諦めて誰かに頼み込むことに決めた。
しかし委員会内の知り合いとなると、高場さんか片倉の二択だ。
うん、ちょっと気まずいけど高場さんだな。
埃で曇った準備室の時計を見上げると何だかんだでもう昼休みも半分終わってしまっている。お昼だってまだ食べていないのだ。
踵を返した私に、背後から菅先生が声をかけてきた。
「頑張れよ、若者よ」
「…失礼します」
この人は、どこまで知っているんだろう。




