決心
「おー、新澤。偶然だな」
「…おはよ」
決心した翌日にこうして並んで登校してるとは、私の流されやすさは天下一品だと我ながら思う。周りの誤解を助長させるだけだと分かっていても、元夫で、兄の様に慕っていた彼と同じ笑顔で声を掛けられてしまえば強く拒否する事が出来ない。
私の中の奈津がそうさせなかった。
溜息をつきながら微妙に距離をあけて歩いていると、校門前でもっと嫌な人物に遭遇してしまった。
「相変わらず二人は仲がいいみたいだね。俺なんかこの前先に帰られたっていうのに、一緒に登校だなんて」
「いやいやいや!そこで偶々!偶々会っただから!
そ、それにこの前は私お邪魔かなー、と退散したまででありまして…」
「すっぽかしはまずいだろ。ちゃんと片倉に謝れよな」
「あ、う、ごめんなさい」
「…多嶋君に指示されて謝られても俺はちっとも嬉しくないばかりか憎しみさえ覚えると言うこの心境をいつになったら二人に理解してもらえるのかな」
「相変わらずお前はめんどくさいなあ。もっと気楽に生きろよ。疲れるぞ」
「君が俺を疲れさせる一番の原因だと言う事を自覚して欲しい」
「俺もお前といると疲れるよ」
なんだこれ。
朝からどっと体力を奪われた気がする。この二人のやりとりはヒヤヒヤするというか、露骨に三角関係を意識する片倉に何にも考えてない多嶋と、波風立てたくない私の三人での会話は神経を使った。
ていうか片倉よ、憎しみとかいうな。あんたが言うとガチ感が凄いから。
このまま二人で言いあいながら私を置いて行ってくれはしないかと徐々に二人から距離をあけて生徒の群れに紛れこもうとするのを、電波少年は許してはくれなかった。笑顔でこちらに駆け寄ると、まるで騎士のように横に付き従って私を群れから引き離したのだ。
麗しい笑顔が怖い。
私はきっと、約束を守れない。
私は“奈津”であったが、今は別の人間なのだし、片倉に全てを捧げてもいい程彼を愛してなんていない。なんなら『好き』という感情より『怖い』という気持ちの方が大きいくらいだ。
それを伝えた時、片倉はどうするのだろうか。
多嶋は彼を解放してやりたいと言った。
それは私も思う。“光景”のまま今世を生きる彼は、記憶が最初からあったからか、その言動は時にとても稚拙で子供のようだ。いや、子供のままなのだろう。
記憶に引きづられるまま青年になった彼は大人になる過程を経ていない。“片倉光景”と“光景”が全く違う人間だと言う事を理解していないのだ。だから平気で人を傷つけるような事も言えるし、一つの事にばかり固執する。
光景は彼の様な言動はしなかったし、他人に対する思いやりは確かに持っていた。今の彼にはそれを感じられない。
だから私が決着をつけなくてはいけないのだ。彼を過去から解放し、片倉光景としての自分を取り戻す為に。これは奈津の気持か私の心か分からないが、約束を果たせないならばせめて、と思っている。
「どうしたの、思いつめた顔をして。何か不安な事でもあるの?」
「…えっと、なん、でもないです」
しかしその前に、このチキンな性根をなんとかしなくてはならないらしい。
昇降口で靴を履き替えようと上履きに手を掛ける。だが私はすぐにその手を引っ込めた。
人差し指でつんつんとつついてみると、確かに私の上履きは濡れそぼっていた。びしょびしょというほどではないが、履くには困る程度に。
…終わったんじゃなかったんだっけ。
そんな思いとともに小早川さんの顔がフラッシュバックする。彼女は嘘を吐くようなタイプではないし、きちんとFCの方々に声掛けをしてくれたのだろうが、中にはまだ私を疎む人もいたということなのだろうか。
今の面子に溜息を禁じえない。
多嶋はともかくとして片倉に見つかるのはなんだかめんどくさそうだ。私が怪我をした経緯は伝えていないので本当の事を知っているかどうかは分からないが、この状況は私のうっかり☆ドジで誤魔化せる状況じゃない。
固まったまま思案している私を、隣でもう履き替え終えた多嶋が不思議そうにのぞきこんできた。
「どうしたー、新澤。蜘蛛でも死んでたか?」
「そ、そうそう!ちょっと気持ち悪くてこの上履き履きたくないから職員玄関からスリッパ借りてくる!先に行ってて!」
「おお、片倉にも伝えとくわ」
多嶋の少々アレな台詞に便乗した私は靴を下駄箱の上に乗せ、靴下のまま職員玄関へと小走りで逃げた。上履きは帰りに何食わぬ顔で洗うと言って回収すれば問題ないだろう。
傍にある事務員室で事情を告げて、スリッパを一つ借りた。それは派手なオレンジ色で『客員用』と大きく書かれていて、今日は一日これでからかわれるんだろうなあと情けなくその文字を見つめた。
「どうしたの、新澤さん」
「あ、どうも」
立ちつくす私に声を掛けて来たのは小早川さんの取り巻きの一人だった。告白大会の時にも見た顔だ。上履きの事もありなんとなく身構えてしまったが、彼女は私のスリッパを繁々と見つめていぶかしそうに眉を顰めており、少なくとも私を笑いに来た犯人ではなさそうだ。
「上履き、どうかしたの?」
「実は、朝来たら濡れてて。誰がやったかは分からないんだけど…。
聞きにくいんだけど、まだやっぱり私は片倉君ファンの間で疎まれてたりするのかな」
「まさか!あの放課後の一件で新澤さんに感謝してる子も多いし、塔子が皆に呼びかけたからそんな馬鹿な真似をするような子はいないはずなんだけど、私もちょっと周りに聞いてみるね」
「あ、ありがとう」
塔子というのは確か、小早川さんの下の名前だったっけ。
取り巻きさん、志倉さんは私に笑顔でそう告げると階段を上がって去って行った。片倉ファンの仕業でなければ、誰がやったのか。人から嫌われるというのは中々精神衛生上良くない事実であり、私は肩を落として教室へと向かった。
「なっちゃん上履きの中にゴ○ブリ死んでたんだって!?」
「いや蜘蛛ね、蜘蛛。片づけて来たからもう平気だけどさすがに履くのはアレだしスリッパ借りて来た」
「災難だったね。なっちゃん一度お祓いでも受けた方がいいんじゃない?」
「考えとくよ」
千夏ちゃんの提案に本気で乗ろうとしている私はやはり疲れているのかもしれない。
本当の事は三人にも伏せておくことにした。この程度の事なら我慢できるし、やっとひと段落して喜んでいる皆にこれ以上心配も迷惑もかけたくない。
朝のHRが終わり、一限目の教科書を出そうと机の中に手を入れると、何かが入っていた為にガサリと大きな音が鳴った。
不審に思って中を覗き込むと、そこには丸めた紙が幾つも入っていたので私はそれをこっそりとブレザーのポケットに入れて、トイレに行ってくると教室を出た。
人気のないところでそれを開くと、それは無地のわら半紙で下の方にすごく小さな文字で「早く別れちゃえ!」と書いてあった。別れるって誰と?そんな疑問を抱きながら二つ目を開くと次には「あんたなんか可愛くないんだから勘違いしないで!」とか三つ目には「バーカ!」とある。
「小学生か!」
思わず小声で突っ込んでしまうほどにそれは幼稚で、またその小さな女の子らしい可愛い丸文字も緊張感を欠いている。馬鹿らしくなった私は廊下のゴミ箱にそれを捨てて教室に戻った。




