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記憶の追想


ゆらゆらと揺らぐ景色が、段々とクリアになっていく。


ああ、ここは。


「千代丸、そんな所で何をしておるのです」

「奈津さま、私はもう元服を終え、光影と相成りました。どうか、幼名で呼ぶのはお止め頂きたく」

「では光景、元服を終えてもそなたと私は幼馴染み。父上の前で崩せとは申すまいが、二人の時ぐらいその堅苦しい敬語を止めよ」

「しかし…」


じと目で睨めば私に甘い光景はもう何も言えず、不承不承こくりと頷いた。

それに機嫌を良くした私は再び同じ質問を繰り返す。


「それで、そのような庭の片隅で何をしているのです。何かめずらかなものでも見つけたの?」

「…まあ、もういいか。こちらに来て見て御覧」


促されて私も庭に下りる。女中が居ればはしたないと叱責が飛んだのだろうがこっそり抜けてきた私の周りには今、誰もついてはいなかった。


「おお、狂い咲きの椿ね」

「以前から一つだけ蕾をつけているものだから、気になっていたんだ。咲いたらすぐに、奈津に知らせようと思っていた」

「…光景、これ、摘んでもいい?母上に見せて差しあげたいの。母上はもうこの庭まで下りる事は出来ないから、だから…」

「どうぞ。ここは貴方の庭なのだから、自由に摘むといい」


ゆったりと微笑んだ光影は一歩下がって私に場所を譲った。私は枝に手を掛け力を込めてその真っ赤な椿を手折るとにっこり笑って光景に礼を述べた。


「ありがとう。お陰でいい土産が出来たわ。実は私、手習いを抜けて母上の所へ行くところだったの」

「また抜けだしたのか。ほどほどにな。そして、私がこの椿を奈津に教えた事は誰にも言わないように。でないと、抜けだした姫を何故諌めなかったのかと君の乳母やに叱られてしまう」

「ふふふ、では、ここで出会った事は二人の秘密にしましょう」

「それは、すごく魅力的な響きだ」


光景と二人でいる時間はいつも穏やかだった。何にも脅かされず、二人でひっそりと小さな発見や幸せを共有する。私達はきっと一生このままなのだろうと、私はちっとも疑いなんてしやしなかった。


この一月後、元々病弱だった母が亡くなり、父も戦でその後を追う事となった。あとを継いだのはまだ年若い叔父だ。その隙に付け込むように周りの国の動きは一気にキナ臭くなった。

同盟関係をより強固なものとする為に私は隣国へと嫁ぐこととなった。

不安がなかったかと言われれば、嘘になる。しかし嫁ぐこと(それ)(わたし)の役目であったし、叔父や、亡くなった両親の為にも勤めてみせようと腹を決めたのだ。

その時に光景は本当にいいのかと私に問うた。私は必死に作った笑顔で頷いて輿に乗った。


ほの暗い予感は杞憂で終わり、彼との生活は満ち足りたものだった。彼は私をとても大切に想ってくれたし、何より女である私の目線に立って物事を共に見てくれるのが嬉しかった。だから、叔父からの書状を持ってやってきた光景に私は正直に答えたのだ。私は今、とても幸せだと。その時の光景の表情は、正直よく覚えていない。彼はすぐに帰ってしまったから。


それから少し経った頃、戦が始まった。勝てる相手だと彼は言っていた。しかし耳に入る戦況は日に日に良くない方向へと進んでいる。そして遂に城攻めにあった。

私は女中に連れられ城を抜け出そうとしていたが、私は彼を置いてはいけないとその手を振り切って走った。

愛していたから。彼がいなければ生き延びても仕方がないと思ったから。

そして彼は私の目の前で首を落とされた。

こんな世の中だ。覚悟はしていた。私は袷に忍ばせておいた短刀を首に宛がった。

今行くからと、憎き敵の腰元で揺れる彼の首を見つめて。

私を止めたのは光景だった。群がる輩を躊躇なくなぎ倒して私の手を取った。


城から逃がされ、半狂乱のままの私が彼の部下に連れられたのは光景の屋敷だった。

自責の念から体調を崩した私は母と同じく床の住人となった。

献身的に私に尽くしてくれる光景に、もう貴方は私の家臣ではないのだからと告げても、彼はひたすらに私の世話をしてくれた。


三つの季節が過ぎた頃、ようやく起き上がり歩けるようになった私は、庭の片隅に見なれぬ坊主を見た。その坊主は龍のようにうねる松を下から真っ直ぐに見上げていて、空を見ているのか松を見ているのか分からなかった。私は思わず、声を掛けた。

坊主は言った。友の敵の城と。光影も武士であるから人を殺す。それが当たり前の世だ。そういえば、彼は誰に殺されたのだろう。責めていたのは隣の国と言っていたが、それにしては戦況がおもわしくなかったし、数も多かった。

私はの頭に何故か、光景の顔がよぎっていた。思えばこれは、予感だったのだ。


その夜、私は彼に想いを告げられた。私もまた、この長い月日の中で確かに彼に惹かれていたから、心が揺らいだ。しかし、あの人への想いもまだ、確かにこの胸にはあったのだ。

光景は焦らずともいいと言ってくれた。


ゆっくりと流れる温かな箱庭が壊されたのは、何気ない女中の言葉だった。


「奈津様、お加減は如何でございましょうか。よろしければ庭に出られてはどうでしょう。昨日から一つ、狂い咲きの椿が咲いているのです」

「狂い咲きの、椿…。是非、見たいわ」


幼い日々のなんと尊く無垢な事だったか。そこには一滴の血も滲まず、ささやかな幸せだけがあった。かつての秘密を思い出し、私は椿を見て笑った。


「…昔、狂い咲きの椿を病床の母に持って行った事があったの。光影が見つけたそれを、私が摘んで。手習いを抜け出した私に巻き込まれては叶わないから、自分が教えた事は黙っているように光景が言うものだからその通りにしたのだけど、乳母やに怒られる私のもとに慌てた光景が部屋に飛び込んで来て言ったの。椿が咲いているからと、誘い出したのは自分だって。そして二人で怒られて、部屋を出るなり私に言ったの。なんで言わなかったんだって。

あの時は分からなかったけど、思えば昔から私はずっと、光景にまもって貰っていたのね」

「ええ、光景様は本当に奈津様の事を想っていらっしゃいますわ。先の戦が始まる時も、敵方の奥様でいらっしゃった奈津様の御身を大変心配なさって…、私達とこの屋敷を奈津様の為に整えなさったのです」

「…待って、光景は友軍としてあの時現れたのではないの?」

「あっ、いえ…、その…」

「答えなさい。決して光景に言ったりしないから」


私は何も知らなかった。叔父が毒殺された事も、従兄弟を擁立したのが光景の一族である事も、同盟を破り、彼を責めるよう進言したのが光景である事も…。


「今日は庭に出たんだね。庭の椿は見たかい?本当は俺が奈津に教えようと思っていたんだが。あの椿、幼い頃を思い出さないか?」

「…ええ、本当にあの時咲いていた椿そのもののようだったわ」

「知っていたか?あの椿は実は宗春様が気にしていらした椿だったって」

「お父様が?まあ、悪いことをしたわ…」

「今日は顔色があまり良くないね。早く休むといい」

「待って、光景」


どうして本当の事を教えてはくれなかったの?

どうして私を助けたの?

どうして、

どうしてあの人を裏切ったの?


聞きたいことは山ほどあった。だけどそれを言ってしまえば、この幸せは崩れ去ってしまう。


「どうしたの、奈津」


この愚かな男がすきだ。一度は失った光を、私に灯してくれた。絶望の淵から救ってくれた。

それが例え、彼自身が用意した絶望だろうと、確かに私は救われたのだ。

しかし、この男は同時に憎い仇でもある。夫を裏切り、私からあの人を奪った。だけど…。


「…いいえ、ごめんなさい、ありがとう」

「やはり疲れているのか?こういう時は、おやすみなさい、だろう」


そう言って笑った光景を責められない、私はなんとずるく醜い女なのだろう。



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