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正体

「新澤さん、取りあえずご家族には連絡を入れました。今菅先生がタクシーを手配しているから、少しそこで休んでいなさい。ベッドが嫌なら長椅子に凭れて」


最悪だ。ヒロくんに連絡までされてしまった。

渡瀬先生は心配そうな表情で、天を仰ぐようにして長椅子にもたれる私の背中に手を差し入れて、ゆっくりさすってくれている。俯くと、また吐きそうだった。


「新澤、タクシー来たから病院行くぞ」


ああ、そっか。この人だったのか。


タクシーに乗り込んだ私は道中、窓ガラスに映る菅先生の姿を見ていた。

病院に着くと、救急の受付前で座るよう指示され、私は壁に寄り掛かるようにして前に座る親子を見つめた。七歳くらいだろうか。額に大きなガーゼを付けている。その横では男の子のお母さんが本を読み聞かせていた。


「お母さん、他に無いの?ぼくその本好きじゃいよ」

「そうねえ、後はたっくんには難しい本ばかりしかなかったの。でも、今日はいい事したから、帰りに好きな本買ってあげる」

「やったあ。ぼく、みくちゃんまもったんだよ。やっくんがみくちゃんを押そうとしたから、代わりにぼくが落ちたんだ。おでこは切れちゃったけど、いたくないよ」

「名誉の負傷だもんね」

「メイヨノフショーってなあに?」

「新澤、まだちょっとかかるらしい、待てるか?」

「は、ぃ」


私の隣に腰を下ろした菅先生は、腕を組んで私と同じく目の前の親子をぼうっと見つめてた。


「…せんせ、私、じ、こ、でりょぅしん、なくしたん、です」

「辛いなら喋るな、それとも何か、買ってくるか?」

「せんせ、聞ぃて。せんせ、は誰か、大切なひと、なくしたこと、ぁ、る?」

「………そら、おっさんだからな。新澤の倍以上生きてんだ。それなりに大事なひととの別れもあったさ」

「その、大事、なひとが、自分の、せ、で、しんだ、て知ったら、ど、する?」

「…難しい質問だが、それには答えられねえ。

それは罪を知ったその時の自分が導きだすものだ。ただ、逃げるってのも一つだと思うぜ」

「は、は。でもね、せんせ、私はせん、せを、うらむよ」

「新澤?」

「貴方が私に、その罪を、知らしめた」

「お前………」

「そして私は、逃げ、だした…」


あの時貴方があの場に現れたのはあの庭が、あの松が見事だったからなんて理由じゃない。私に真実を示す為にやってきたのだ。

私こそが友を殺した元凶だと。巡り巡った運命の贖罪を突きつけた。


先生は長椅子から立ちあがると、どこかへ立ち去ってしまった。私はその背中を見送って再び襲い来る睡魔を拒否した。


「そら」


先生はどうやら飲み物を買ってきてくれた様だ。スポーツドリンクを流し込むと、仄かな甘さが喉に優しかった。まだ焼けた喉が痛かったが、無理に喋ったお陰でいくらか、無理やりにだが声が出るようになってきた。


「お前は、覚えていたんだな」

「いいえ、先生。多嶋と片倉くんの所為で、思い出しました」

「そうか…」

「でも、先生は私に、記憶を取り戻させたかったん、でしょう?だから私と多嶋を、委員に指名した。

私が、最初の委員会を早退する時に先生が言った、“お前たちにとっていい方向にいけばなあと思った”って言葉、聞いた時、変だなあと思ったんです。まあ、あの時はいっぱいいっぱいで、すぐに忘れちゃいましたけど…。先生のセリフは、私が“何の”所為で具合が悪くなったか分かってた、言葉だった」

「そりゃあ、迂闊だったな。

でもな、新澤。お前は一つ思い違いをしている。俺は別にお前が誰かを殺したとか、そのツケを払えなんて昔も今も微塵も思っちゃいない。俺はただ、教師として、昔の友人として、お前達に答えを見つけて欲しかった。全ての感情や真実を明らかにして、その上で新澤に選択して欲しかったんだ。片倉も多嶋も、いい加減決着付けなきゃなんねえだろ。お前の事も、自分の感情にも」

「…鬼、ですね」


その真実を知った私は昔、全て見ないふりをして逃げた。彼の追って来れない、永遠の闇へ。まさかこんな続きが用意されているんなんて思いもよらなかったけど。


「新澤、お前はまだ全てを知らない。それを知る前に、いっそ全て忘れた振りで逃げるってもの勿論オーケーだし、それはお前次第だ。

俺はアイツの友だったが、今はお前の担任だ。まあこれも悪い大人の愛と思って、踏ん張ってみてくれや。いつでも相談乗るからよ」

「ほんと、鬼畜、最低、嫌なオヤジ…」

「…最後のはグサッと来たぞ」


点滴を打っている間も、先生は傍に付いてくれていた。二時間ほどしてようやく打ち終わり病院を出る頃にはとうにお昼を過ぎていて、美織たちもさぞや心配している事だろうと学校が気になった。しかし先生は学校に戻ることを許してはくれず、そのままタクシーで私の家まで送ってくれた。

支えられるようにしてアパートの階段を上がると、そこにはうろうろと狭い廊下を動き回る心配性な叔父の姿があった。まじで。来ちゃったのかよ。


「奈津!!」

「ヒロくん、来たの、なんで、馬鹿じゃん」

「馬鹿はお前だ馬鹿!」

「申し訳ありません、奈津さん今点滴打ったばっかりなんで、説教は後日にしてやって下さい。申し遅れました、担任の菅と申します」

「こ、こちらこそ失礼しました。叔父の新澤弘達です。このたびは大変ご迷惑をお掛けいたしまして…」

「挨拶の前に、中に入って奈津さんを休ませましょう」

「ああッ、奈津、鍵だ、どこに入ってる」


テンパっているヒロくんはダサかった。先生から受け取った私の鞄のあっちこっちに手を突っ込んでは無い無い騒いでいる。私が内ポケットから鍵を取りだすと、それを受け取って私を抱えて中に入った。

先生はあとはお任せしますと言って帰って行った。後日お礼をしなければ。


「大丈夫か、なんか欲しいもんあるか」

「へーき。それよりヒロくん、仕事、平気なの?」

「馬鹿、姪の一大事に仕事なんてやってられっか。おふくろも心配してたし、休んだら声聞かせてやれよ。寿命が縮んだら困るからな」

「…ごめんね、ありがと」

「いいから寝ろ。ゆっくり休め」


ヒロくんの固い手が私のおでこのかかる前髪をそっと払って、ゆっくりと目を覆った。その温かい手が懐かしくてぎゅっと握ると、そっと握り返してくれる。思わず溢れる涙を拭う事無く私は深い眠りに落ちた。



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