混濁
後半どシリアスです。
また、嘔吐表現がありますので苦手な方はご注意下さい。
「楢崎が使ってたのってどれだっけ…。全然、違いが分からん」
僅かな記憶を頼りに化粧品を手に取ってしげしげと見つめる。何故こんなに種類があるのか。どのブランドがいいのか、高いものと安いものの差はなんなのか。
普段さっぱり化粧なんてしない私には違いなど分かるはずも無く、かといってカウンターの奥に立って何か作業をしている美容部員のお姉さんに声をかける勇気も無く、手ごろな値段の“コンシーラー”なるものとオレンジ系のチークを手に取って籠に入れた。あとはメイク落としと、書店に寄って雑誌も買っていこう。
レジに並んでいると、こちらを見つめる視線に気づいた。片倉の所為で私の視線に対する勘がかなり上がっているようだ。
私を見ていたのは、明るい髪の、可愛らしい雰囲気の同い年くらいの女の子だった。
もしかしなくとも、同じ学校の片倉ファンの人だろうか。
じろじろと私を値踏みするかのよなその視線にげんなりする。学校以外でも見られるなんて、勘弁してほしい。
やがてその子はツカツカとこちらに近寄ると、何の躊躇いも無く私の籠に手を突っ込んだ。そしてチークとコンシーラーを抜き取ると化粧品コーナーに歩いて行ってしまった。突然の事に唖然としてしまったが、あれがないと困る。私は慌ててその後を追った。
角を曲がった所で、今度は籠に何かが放り込まれた。
驚きに固まりながらも、中を確認すると、別のコンシーラーとチークが入っている。
「あなたの肌を見るに、あの色は合わない。こっちの方が浮かないと思う」
「え、え?それは、御親切に…、どうも…」
「別に。変なメイクで引かれて嫌われるってのもありだと思うけど、さすがにそれは女子としてどうなのって思うし。私としてもそんな女に負けたなんて思いたくないから」
「負け?えっと…、話が見えないんですが」
「はっきり断られたけど、私諦めるつもりなんてない。正直私の方が可愛いのは火を見るより明らかだし、あなたより私の何が劣っているのかさっぱり見当もつかない。まあ、こういう田舎臭い子が好みって言われたらそれまでなんだけど、それならそれで、好みを変えるまでって思ってる。私にはその自信も力もあるから」
「は、はあ」
この人はアレだ。人の話を聞かない系の人だ。
彼女の話す内容からして、私と、片倉だろうか、誰かが付き合っていると勘違いしていて、それを振られた理由と思っているというところか。
それにしても、清々しい程に自身に満ち溢れた人である。
「ていうか、そのぼろぼろの肌はなんなの?きちんと睡眠は取ってるの?
あんたがブスになればなるほど私がみじめみたいに周りが思うじゃない。私は奪う自身があるから微塵も感じないけど、そういう気遣いって結構うざいの。どうにかしなさいよ」
「そういわれましても、諸々の事情で睡眠が浅くて…」
「じゃあさっさとその事情をなんとかしなさいよ。それにコンシーラー塗るならファンデもきちんとして、ファンデ塗るならシャドウも、シャドウ塗るなら眉毛もやって」
「ちょ、ちょっと」
そういって色々なものがポイポイと投げ込まれていく。量的に明らかに予算オーバーだ。私はヒロくんの仕送りと、両親が残してくれたお金でささやかに生活をしているので無駄遣いは出来ない。
さっき化粧品の値段を見たが、一番安くても一つ五百円くらいだし、高いものは五千円とか、桁が一つ違ってくる。普通ぐらいの値段でも千円前後はするので、そんなに投げ込まれても全ては変えない。
「すいません、とても予算オーバーなんですけどっ」
「はあ?じゃあバイトしなさいよ、バイト!ちなみに今いくらある訳?」
「よ、予算的には二千円から三千円の間で、クマが隠せればそれでいいんですけど…」
「貧乏って辛いわね」
そういいながらも彼女は再び籠から商品を抜くと、別の商品を入れていく。選んでくれているのだろうか。いい人なのか、悪い人なのかさっぱり分からないが、化粧の事が何も分からない私は大人しく任せる事にした。
「コンシーラーで全て隠そうってのがそもそもだめなのよ。クマそのものを消す努力をしなさい。温めた後に保冷剤かなんかで冷やして、また温めるってのを繰り返せば血行が良くなっていくらかマシになるから。
その後まだ気になるようであれば、オレンジ系のコンシーラーにファンデ、パールの入ったゴールドのシャドウもしくはハイライトを目元に入れて目線外しにチークを入れる。分かった?」
「は、はい!」
「化粧を落とす時に擦るのも色素沈着、クマの原因になるから、ポイントメイク落としを使う場合は馴染ませてゆっくり引くの。その後洗顔はきちんとしなさい。っていうかミルククレンジングできちんともう一度落とすのが確実。オイルは週に一度使うぐらいで。皮脂を落とし過ぎるから。
洗顔後はきちんと保湿をして早く寝なさい。全く、なんで私があんたに化粧講座してんのよ」
「本当に助かります、ありがとうございます」
「…なんか気抜けた。とにかく、あんたには負けないって話。分かった?それじゃあもう行くから」
「あの、お名前は!」
「………河南春乃。じゃあね」
河南さんの選んでくれた品を持ってレジに行くと、2625円だった。非常に助かった。それにしても彼女はなんだったのだろう。片倉のファンなのかな。
なかなかな事を言われたが、私は全く気にならなかったし、むしろ明け透けなその言い口に好感を持った。
私は少し浮上した気分で自宅に帰ると、夜ごはんもそこそこに早速言われたとおりに練習を始めた。
「あれ、なっちゃん今日も化粧してる?」
「ああ、うん、少しね。昨日楢崎にやってもらって少し興味出たっていうか」
「いやあ、私の女子力にやっと気づいたか!何買ったの?おお、ナイスチョイスじゃん」
「親切な人に選んでもらったんだ」
「へえ、あ、これ気になってたやつだ」
登校して楢崎は真っ先に私の変化に気付いたようで、鞄に手を突っ込んで無断でポーチを漁る。千夏ちゃんも横からそれを覗きこんでいた。
私はそれを横目で眺めながら、変な所はないか少しそわそわしていた。
夜通し練習したので最初より大分マシになったのではと思うのだが、客観的な意見も聞きたい。二人に小声で評価を聞くと、親指を立てての“いいね”を貰った。まあクマを隠した程度なだけなんだけど。
隣の席の多嶋はまだ登校していないようだ。昨日言っていた話とはなんだったのだろう。美織も鞄はあるものの、どこかに行っているようで、姿が見えなかった。昨日の態度と関係があるのだろうか。
いつもより大分遅めの時間に多嶋が憮然とした表情で登校してきた。こういう顔をするなんて、珍しい。起こる前に何事も笑い飛ばすような奴がどうしたのか。
「おはよー、多嶋君。珍しくフキゲンじゃん」
「ったくよー。村山も石村も意味わかんねー」
「みおりん?と、村山さん?二人となんかあったの?」
「二人って言うかもう、女子がわかんねえ!」
「ちょっと、多嶋君!!」
声を荒らげた多嶋を制したのは、冷や汗を浮かべた美織だった。入口から一目散に多嶋に駆け寄ると、その手を掴んで小声で何か言っている。しかし多嶋はその手を振り払うとぎろりと美織を睨んで低い声を出した。
「うるせえな。俺の事で、石村にあれこれ指図される謂われはねえ。それは石村の都合であって、俺には関係ないことだ。違うか?そんなに新澤に言いたくないなら、最初から俺を巻き込むなよ」
「多嶋君!」
二人の間に何があったのか。というより、また私関係で迷惑をかけたのだろうか。
焦っている美織とは対照的に不機嫌な様子のまま席を立った多嶋はそのまま教室を出て行ってしまった。
「みおりん、どういう事?なっちゃんが、何?」
「あ、え、えと」
千夏ちゃんの鋭い視線に美織が狼狽する。美織の事だから私を気遣って何かを隠してくれているのだろうから、同じく私を思って追求する千夏ちゃんを強く攻める事も出来ない。モテモテか、私。
まあまあ、と二人に割って入った私はふにゃふにゃの笑顔でなんとか緊張感を和らげようとした。
「いいよ、誰にだって隠し事はあるし。美織が言いたくなった時で」
「それでいい訳!?私にはきちんと説明してよね。近衛隊長にはなっちゃんの身辺を知っておく義務があるんだから」
「楢崎」
「…うん、ごめんね。きちんと話すよ、勿論なっちゃんにも。
…実は、ゆずと同じバレー部の子がね、多嶋君の事好きになったみたいで、昨日告白したいから呼びだしてくれってゆずこが頼まれたらしいの」
要約するとこうだ。
それで、何故か私に気を使ったゆずは表立って多嶋を呼びつける訳にもいかずこっそりとうちのクラスにやってきたが、運悪く私に見つかってしまった。メールにて事情を知った美織に協力を仰ぎ、これまた何故だか私に気を使った美織はその事を隠そうとした。多嶋は何も知らないまま待ち合わせ場所に一人取り残され、突然告白をされたかと思えばその後にゆずと美織から告白の事は私に内緒にするように言いつけられと、色々訳の分からない展開に怒っているらしい。
祖父崎君の言っていた女子ってその子の事だろうか。っていうか多分河南さんか。あんなに可愛いのに、何故多嶋…。
「美織、気遣いは有難いんだけど、私多嶋の事はなんとも思ってないし、全然そういうの大丈夫だから…」
「え?だって、ねえ」
「うんうん、みおりんの気持ち分かるよ!本人自覚が無いだけっていうアレだからね!」
「なっちゃんもいい加減認めて前向きになればいいのに」
「…はっきり言っておくけど、多嶋だけは無いから。絶対に」
笑いのトーンなく言った私の言葉に固まった三人は、菅先生の登場によってそれぞれの席へと戻って行った。少し遅れて多嶋が戻って来たが、その眉間にはまだ、皺が寄っていた。
だめだ。眠い。
古典の授業とは何故こうも眠くなるのか。朗々と漢文を読み上げる先生の声が子守歌にしか聞こえない。周りを見ると、他の生徒も何人かが陥落していた。
ゆっくりと船を漕ぎ始めた私の頭を止める事はどうにもできず、私は沈没した。
「これはこれは、どうも失礼致した。あまりに見事な庭なもので、思わず」
「お気になさらず、これほど見事な松はそうそうございません。私も日々この庭に癒しを得ているのです」
「確かに、この天を押し上げるような見事なうねりを見ていたら、何もかもを忘れてしまえそうだ」
「……そう、ですね」
いいえ、忘れられない。
あの人が作った庭にも松があった。これほど立派ではないが、時たま彼が大きく右に曲がった幹に上っては子供のようにはしゃいでいたのを思い出す。
「私も、先の戦で友を失くしましてね。私が心血を注いで修行に明け暮れている最中に、妻を貰ったから祝いを持ってさっさと来いなどと馬鹿な文を送りつけるものだから燃やして焚火の肥しにしたのですが、ようやっと山を降りて顔を見に言った頃にはもう、娶った妻の顔どころか友の姿を見る事すら叶わなかった。
あいつは馬鹿だったが、実に真っ直ぐで、憎めない奴でした」
彼もそうだった。いつも真っ直ぐに向けてくれる笑顔がいつも眩しく、その手の平は温かかった。
「しかし皮肉なもので、今やその友の敵とも言える御方の城でこうしてあいつを思い出している」
「それは…」
「お前をこの庭に通してやること、許可した覚えは無いが」
現れたこの城のあるじに弾かれたように振り返る。その表情は硬く、いつもの彼ではなかった。
「いいえ、違うのです。奥から松を見ていたこの方を私が招いたのです。折角貴方が整えてくれたこの庭を、私が独り占めするのは勿体ないでしょう」
「…一人占めでは無い、私がいつも共に見ているでしょう。さあ、体に障ります。部屋に」
侍女達が私を囲んで部屋へと誘導される。
あの人の“友”を殺したのは、誰なのか。その友とは――――…。
「新澤ッ!」
覚醒しきらない頭に自分の名前が馴染まない。私は、また、あの夢を。
眉を顰めた教師をぼうっと見つめた。
「おい、大丈夫か?」
その声にゆるゆると顔を右に向けた。
これは誰だ。“彼”か。いや、彼は死んだ。彼は、“私”が殺した。
「新澤?」
教師の声か、彼の声か、はたまた全く別の人物のものなのか。
混ざる。
私と“私”が混ざって行く。
記憶も、声も、全てが混ざって、もうぐちゃぐちゃだ。
せりあがる嘔吐感に口元を押さえて教室を飛び出す。トイレに駆け込んでドアも閉めずに全てを吐きだした。
異物と一緒に、記憶も吐きだしてしまえたらいいのに。
水道で口を濯いだが、胃液によって焼けた喉が酷く痛んだ。嘔吐の所為で涙が止まらない。トイレからふらふらと出ると追って来た教師が私を見るなり慌てて保健室へいくよう促した。
声が出ないのでこくんと頷いて壁伝いに歩く。教師は走って教室に戻ると、何事か告げて私に付き添ってくれた。
保健室に着くと養護教諭がすぐさま私に駆け寄ってベッドに寝るよう告げて来た。
私はそれを全力で拒否した。眠るのが怖かった。
私はこれ以上、私を失いたくない。
焼けた喉で叫んでも、掠れた音しか出ない。無理やりベッドに座らされた私は再び嘔吐した。




