早朝の奇襲
「おはよーなっちゃん!」
「……なんでいんの」
「いやあ昨日は朝の一人の時やられたじゃん?だから朝も一緒に行こうと思って!」
「ありがと…。でもね楢崎、まだ朝の六時なんだけど」
早起きは三文の徳って言うでしょ!と言って楢崎はまだ覚醒しきっていない私の横をすり抜けて問答無用で室内に入って来た。
そう、まだ朝の六時。普段の私ならばまだ夢の中にいる時間だ。そう、夢の…。
「楢崎の所為でいらん事思い出しちゃったじゃん!!」
「えっごめん!それって昨日の事?帰りに多嶋君となんかあった系?ときめきイベント起きちゃった系?」
「病院行って湿布貰って貼って寝た系だわ!!何もなし男だわ!」
「なっちゃん朝からテンション高いなー。いやむしろ朝だから?もしかして寝起き悪い人?」
鞄を置いて我が物顔でテレビの前に座った楢崎を見て追い返す事を諦めた私は、朝食の支度を始めた。一応聞いてやると楢崎はもう食べて来たらしいので自分の分の食パンをトースターに突っ込んで、卵を出してスクランブルエッグを作る。その端っこでウインナーを焼いていると、楢崎が私の肩口から中を覗きこんできた。
「あれ?ウインナーは一人一個?私もっと食べるよ」
「楢崎の分は作ってないよ」
「なんでよーケチケチすんなよー」
「食べて来たんじゃないの」
「でもまだいけるんだな、これが」
楢崎はにんまりと笑って勝手にトースターへもう一枚追加しやがったので、私も仕方なくウインナーと卵を冷蔵庫からもう一人分出した。
二人で早めの朝食を取っていると、楢崎の携帯が鳴った。着信の長さ的に電話だと思うのだが、楢崎は素知らぬ顔でそれを無視している。画面を覗きこむと、それは保護者兼彼氏の祖父崎君からだった。
「出ないの?」
「…食事中は携帯をいじってはいけないんだよ!」
「いやいやいやこの前泊まりに来た時食事中片膝立てながら肘ついて携帯いじりつつご飯食べてた人が何を言っているのか」
「あーもーどいつもこいつもうるさいな!はい!!」
楢崎は電話を取るとそのまま私に向かって携帯を投げて来た。なんとかキャッチして画面を確認するとばっちり繋がっている。慌ててそれを差し出すも楢崎は背中を向けて受け取りを拒否した。
「ちょっと楢崎!!」
『もしもし、誰?その声、なっちゃん?』
「うあ、そうです、ごめん。楢崎が携帯受け取らなくて」
『いやこっちこそ迷惑掛けてごめんな、こんな朝早くから。実は昨日ちょっとケンカして、っつーかなんでか愛実が一方的に怒ってんだけどさ、朝迎えに行ってもいないから電話したんだけど、なっちゃんちに行ってたのか』
「さっきね。エート、どうしようか」
『迷惑でなければ付き合ってやってくんないか?フテると長いんだ、愛実。勿論邪魔なら力ずくで引き取るけど』
「はーん!なっちゃんの親友たる私が迷惑な訳ある訳ねーだろクソジジー!!
バーカバーカ!!」
会話の途中で私から奪い取った(正確には取り返しただが)携帯に向かって小学生並みの罵詈雑言を叫んだ楢崎は携帯の電源を落として電池パックを抜いた。
「はいこの話おしまい!ごはん冷めないうちに食べな!」
「何をケンカしたの、めずらしい」
「おしまいって言ったでしょ!さっさと支度しないと遅刻しちゃうぞっ!」
「いやまだ六時半にもなってないし。私家近いから出るの七時五十分ぐらいだしで全然余裕」
「くっそー羨ましいなー。さあそんな訳で制服に着替えておいでよ!」
「それで、原因は?」
はぐらかし方が見え見え過ぎていっそ痛々しい。楢崎っててっきりこの手の話はむしろ自分からガーっと愚痴ってくるタイプだと思っていたので少し意外に感じた。
楢崎はうぐっと詰まったまま頭をテーブルにゆっくり降ろすと、珍しく気弱な顔でぼそりと声を漏らした。
「…松太がバイト先の女の子を送ってさー。それは別にいいんだ、夜道危ないし。…でもそのまま告白とかされやがった上に返事する前に逃げられたとか何なの!?っていうね!!しかもこれがもう超?美少女?みたいな?
美少女ってのは自分が振られるなんて頭に無いんだからハッキリ言わないと彼女の気分でいるぞっつってんのにあのクソジジー『次のバイトで会う時でよくね?』とか言うし!!『だって俺の彼女はお前なんだし』とか言われてもそーゆー問題じゃない訳!!私の沽券の話な訳!!なっちゃんついてきてますか!!」
「う、うん、なんとか」
「メールしろよっつっても『アド知らない。番号なら分かるけど』とか言って!!とか言って!!バイトの連絡もいちいち電話でやりとりしてたんですか!?ていうね!!ほんとあの天然男!!ビーエーケーエーBAKA!!」
「楢崎ごめん、近所迷惑だから声抑えて。早朝だし」
「しかも履歴の通話時間見たら一時間!!寡黙なあいつが一時間!!『今度の月曜のシフト変ったよ』の話で一時間!!あほか!!」
「分かったからまじで抑えて隣はいないけどうち二階だから下はいるんだ」
「私がそれにキレてたら『愛実どうしたん?腹減ったのか?』とか言うしね!カルシウムウエハース出してきやがっったので即叩き割ってやりましたわ!!なっちゃんどう思う!?私がおかしい?この怒りおかしい?」
「いや、祖父崎君が悪い。楢崎はおかしくないから一旦休憩しな。ほらお水飲んで」
顔を真っ赤にして肩で息をしながら鬼気迫る形相をしている楢崎に冷えたお水を渡して半ば無理やりに飲ませた。
あんな完璧な彼氏って思ってたけど、祖父崎君は重度の天然のようだ。しかも鈍感。イケメンの天然て無自覚にばしばしフラグを立てそうだし、意外と楢崎も苦労しているのかもしれない。
コップ一杯の水を一気に飲み干した楢崎は、顔の赤みもひき、先ほどの勢いはどこへやら、話しだす前のローテンションに戻っていた。しかもそのバイト先の女の子はうちの学校の先輩らしい。それは確かにあんまり心中穏やかではないかもね。
それにあんなに一緒にいる楢崎を彼女と認識していないのか、それとも気にしていないのか、彼女持ちの祖父崎君に堂々と告白するなんてなかなかな性格の持ち主だ。これはあれだ。女子に嫌われて男子に好かれるパターンの女子だ。
「でもさ、勿論祖父崎君だって断るんだし、楢崎の事大事に思って電話まで掛けてくれたんだから。いい彼氏じゃん、早く仲直りしなよ」
「やだね!しかもあいつの電話なんてさしたる意味はないから。あたしの逃亡もハムスターの脱走くらいにしか思ってないし。
いっつも私ばっかりこんな思いしてさ、皆は私が一方的に松太に愛されてるように言うけど、本当は逆なんだ。面倒見てるようで凄い淡白なんだよ、あいつは。あの世話焼きも弟見てる感覚と一緒。あーなんかまた腹立って来た!!」
「いやいや、落ち着こう、落ち着こう。
うーん、私は祖父崎君は楢崎の事すごく大事に思ってると思う。
楢崎って友達多いけど、でもその中でもやっぱり祖父崎君は特別なんだなあって見てて感じるし、祖父崎君もそれを感じてるからこそ楢崎も同じ気持ちだと思って、心配する意味が分かんないのかも」
傍にいるのが当たり前の関係だからこそ愛されている方はその奥の気持ちに気付けないことだってある。そしてそれが分かるのは、全て壊れた後だ。
息が少し浅くなり、じんわりと額に汗がにじむのが分かった。だめだ。こんなバカみたいな事、考えたくないのに。
「なっちゃん?」
楢崎の不安げな呼びかけに私は慌てて垂れていく頭を上げた。なんでもないように首を振って笑顔を浮かべてみせるも、楢崎の眉はより訝しげに顰められた。
「顔色悪いよ、よくみるとクマもひどい。本当に昨日また何かあった?」
「ううん、寝ようと思ったんだけど横になると背中と腰が痛くて、あんまり寝れてないだけ。昨日は多嶋のスーパーパンチで事なきを得たから大丈夫」
「何それ!」
上手い具合に釣られてくれた楢崎に昨日の一件を話す。楢崎は一転して笑いながら床をばんばんと叩いた。それはそれでやめて欲しい。
「よっしゃ、なっちゃんいつもすっぴんでしょ?今日は私が化粧してやんよ。コンシーラーにチークのせるだけでもクマは大分目立たなくなるし、気分上げてこーぜ!」