馬鹿な話
ちょっと残酷な表現が入ります。
結局多嶋の病院代を払えなかった私はせめて薬代くらいはと思ったのだがそこも多嶋は譲らず、地元の薬局で変えて貰うからと言って私に支払う隙どころか機会さえ与えてくれなかった。私の分だけの薬を受け取った後、さっさと駅に向かおうとする多嶋を引きとめて私は千円札をなんとか鞄にねじ込もうと薬局横の路地で格闘していた。
「受け取ってよ、でないと悪いもん」
「いらねえって、お前も大概しつこい奴だな。そんなもの受け取る理由が無いし学生同士でお金のやりとりしちゃいけませんって母ちゃんに言われなかったのか!」
「私母ちゃんいないもん!」
「は?いつから!?」
「四歳の時から」
両親の話しをすると周りの子は大抵気遣うような、慰めるような態度をとるのがほとんどだが、多嶋は違った。心底驚いたという様に私に詰め寄ると何かぶつぶつ呟きながら考え込んでしまう。私もどうしたらいいのか分からず頭にいくつものクエスチョンマークを出しながらその様子を眺めていたが、これはチャンスだと思い立ち、そうっと千円札を多嶋のバッグに入れようとした、が、強い力で肩を掴まれじいっと瞳を間近で覗きこまれた為それは叶わなかった。
「新澤、お前叔父さんは?」
「えっ、元気だけど…なんで私に叔父さんがいるって知ってんの?」
「なんでこっちに一人で出て来たんだ?」
私の質問はスルーですか。しかしなんとも真剣な多嶋の様子に茶化す事も出来ずに私は求められた事に淡々と応える。
「…叔父さんに引き取られてからずっとばあちゃんと三人暮らしで、このままじゃ私がヒロくん…叔父さんの幸せを奪っちゃう気がしたし、お父さんが通ってた高校に行きたかったから。そして、両親が出会ったのもこの街なの。
私二人のとの思い出が全然無くて、二人がどんな景色を見たのかとかそういう事を少しでもいいから知りたかったんだ」
「うーん…、多少の差異はあるけど大体は同じか。悪い新澤、俺もう帰るな」
「ちょっと、私に説明しようとかそういう気はない訳」
「別に俺はいいんだけどさ、とりあえず片倉に報告しねえとなんとも。あ、今電話してみっか」
「はあ?ますます話が見えないんだけど!」
「もしもし?片倉?」
聞いてねえこいつ!
私の肩から手を放すと携帯で片倉に電話をかけた多嶋はあーだこーだと電話口で言っているが、私の生い立ちなど片倉に話してどうなるんだ。
またこれも“約束”絡み?私の叔父や両親まで関係しているのだろうか。それともやっぱり小さい頃に会ってたりするのかな。だけど私が生まれてたのは両親が九州に引っ越してからだし、私はもしかして過去にこっちに来た事があるのだろうか。さっぱりわからん。
「だからあ、今新澤と話しててさ、なんだよ別に帰るぐらい…ってあ!!切りやがった!!なんだよもーめんどくせぇ奴だなー!」
珍しく電話に向かって多嶋がキレた。そして振り向いた奴は再び顔を寄せて据わった目を向けてくる。
「片倉が話す前に切ったから保留な、全く短気な奴め。新澤、ヒントの前に片倉と仲直りしろな。ったくよー、さっさと教えちまえばいいもんを俺に丸投げしやがってアイツ。俺が奈津のなんだったか忘れてんのか?」
「…は?あんたが私の、何…?」
「あーもーめんどくせーなー!このままだと俺ぺろっと喋りそうだから帰るな!
帰り道気を付けて帰れよ、奈津!」
頭を掻き毟ったかと思えばいつもの笑顔を向けて私の名前を呼んだ。二人っきりの時に呼ぶと言ってはいたが完全に不意打ちだ。途端に真っ赤に染まった私の耳を軽く撫でて多嶋は走り去っていく。去り際になんて事しやがんだ!
「めんどくせーのはこっちだよ!馬鹿!!」
どんどん上昇する体温を振り払うように私も走って自宅アパートに飛び込むと制服のままベッドにダイブして枕に口を押し当ててあー!と叫んだ。じたばたとひとしきり暴れた後、今更ながら腰の痛みを覚えて私はベッドの中で悶絶する。ベッドの上でジャージ何て、シーツが汚れるから着替えなければいけない…そうは思うも痛みと暴れた後の脱力感でどうにも動く気が起きない。
そうしている内に私はいつの間にか眠りについてしまった。
あ、また…。
まただ…。
今度は覚えていられるだろうか。
そしたらこの訳わかんない日常を、
普通に戻す事が出来るんだろうか。
熱い。
飛びかう怒号と熱気と煙、何百という足音が響いている。
あの人は、あの人はどうしただろう。
「お願い、おねがい、あのひとを…」
奪わないで、お願いだから。
私はどうなっても構わないから。
助けて、この幸せを奪っていかないで。
私を守るように控える侍女達を振り切って彼の許へ走った。
燃える炎の中形振りも構わずひたすらに走った。
踏み倒された襖をそのまま通り抜けた先に彼はいた。
「奈津!」
最後の言葉は私の名だった。私の名を呼んだその顔だけがそのまま地に落ちた。
彼を討った男はその首を腰に括りつけると下卑た笑いを浮かべてこちらに向かって走って来た。すぐに身体を翻して私は走った。
もう彼はいない。逃げた所で意味などない。胸に隠した小太刀でいっそ…。
数人に囲まれ追い詰められた私は持っていた刃を己が首に宛がった。
こんな男達に汚されるくらいならば。私は…
「奈津ッ!!」
懐かしい声が、私を呼んだ。
後ろからかけられた声は……
「…………ッ!!」
はぁ、はぁ、と浅い呼吸を繰り返し、胸を押さえる。喉がカラカラだった。気持ち悪いほど汗をかいていてた為体操着が身体に張り付いて気持ち悪かったが、着替えるよりもまずは水が欲しかった。よろよろとキッチンに向かい、シンクに凭れかかるようにして水を注ぐ。飲み干したカルキの味と温さに、少し気持ちが落ち着いた。
今度の夢は忘れなかった。それどころか、今まで見た夢も思い出した。
あれは、確かに“私”の記憶だ。
「“初対面だけど、今まで会った事がないとは言えない”、か」
思わず乾いた笑いが零れる。ずるずると床にへたりこむと持っていたコップを硬く握りしめた。
前世なんて、そんな馬鹿な話、ない。