確かな変化
昇降口に着いたところで私は我に返り、握られていた腕を高く上げて多嶋の手を外した。
多嶋は少し笑って、大袈裟だな~とかなんとか言いながら私の靴箱からローファーを出してくれ…ようとしたのだが、私の靴箱は萌えキャラが可愛くポーズをとる下敷きが接着剤でがっちり留められており完全に密封されていた。視線を感じて後ろを見ると、犯人なのか単に私を嘲っているだけなのか。数人の女子のグループがにやにやしながら私達を見ている。
悲しみと言うより呆れが勝った私がぼうっとツインテロリ巨乳キャラを見ていると、多嶋はうーんと唸って下敷きからこちらに視線だけを寄こした。
「なあ新澤、これお前のか?」
「んな訳あるかっ!」
「じゃあいいな」
「あんた何す」
ボグォッというプラスチックが割れる音が、それなりにざわざわしていた昇降口を静かにさせた。多嶋はボールペンを握った手で下敷きの顔面めがけて思い切りストレートをかましたのだ。ずぼっと拳を引き抜いた多嶋は穴の開いた所から力任せにべりりと下敷きの残骸を剥がすと傘置き横のゴミ箱にそれを捨てて茫然とする私にローファーを出す。
「ほら、靴」
「…ああ、うん。ありがとう………」
「別に!」
にかっと普通に笑った男がちょっぴり怖かった。真顔でそんな事をやってのけけるなんて正気の沙汰じゃない。再びちらりと後ろの女子グループを見ると彼女らは一様に顔を青ざめて俯いていた。いや、彼女達だけじゃなく普通に下校をしようとしていた生徒達は皆固まったまま眉を潜めて私たちを凝視している。
そうだよね怖いよね。私も怖いよ。
「石村達来ねえなぁ、まあいいか。行くぞ」
「う、うん」
我が近衛達はまだ階段で固まっているのだろうか。しかし多嶋はもう既に靴を履き終え催促するように私を見ているし、そもそも私の下校に付き合って貰う事自体申し訳ないので私は靴の中に変なものが入っていないかを確認してから靴を履いて多嶋と共に昇降口を出た。
私に詰め寄る気だったのか朝に見た女子が昇降口付近に何人か居たが、多嶋に怯えているらしくこちらに来る気配は無かった。とりあえず今日はこれ以上の面倒は起こりそうにないので少しほっとする。
取りあえずバスに乗って駅前に出た私達は目についた雑居ビルの二階にある少し古い整形外科に入った。受付に声をかけて保険証を出し、問診票を受け取る。記入をする為ソファに座ると隣に田嶋も座った。
私は一応病院なので小声で、後は一人で大丈夫だからありがとうと伝えて帰るよう促したのだが、多嶋はここまで来たら最後まで付き合うと言って譲らなかった。しかも相変わらず声がでかいもんだから近くに座っていたおばあさんから「優しい彼氏ねえ」というなんともビミョウな一言を頂き、咄嗟に否定の言葉を出すもそれを遮るようにまたしても爆弾を投下したのは多嶋だ。
「いえ違いま」
「そうなんですよ、こいつ中々素直に人に甘えられない奴で、こうやって強引にいかないと」
「あらあら、理解ある彼氏でいいわねえ」
「おい!!」
「本当のことだろ?」
「彼氏は本当じゃないっ!!」
「気にすんなって」
多嶋はそう言って笑うと書き終えた問診票を私の手から抜き取って受付まで持って行ってくれた。
やっぱり土曜日の電話からなんか違う。いや、正確には委員会が終わった後からだが。なんか優しいというか変だ。明らかに何かが違う。別に多嶋の事をそこまで深く知っている訳ではないし、付き合いもまだ経った一週間かそこらだ。しかし明確に奴の何かが違う事だけは感じる。
思い出した途端にそうなるなんてそんなに過去私と多嶋は親しかったのだろうか。そして片倉。さっき多嶋が言った“三角関係にしたい”という言葉はどういう意味なのだろうか。
仮定の話として、あくまでも仮定だが、そう仮定の話で、恋愛面での三角関係を望んでいる、という事だと色々とおかしい。普通すきな子をとりあう為にライバルの好感度を上げてやろうなんてお人よしはいないし、そこにメリットなどない。
しかしそれ以外に三角関係となるとなんだろう。三人全員がライバル?それともまたそこにもあの“約束”が絡んでくるのだろうか。
考え込む私の視界に看護師さんと話す多嶋の姿が映った。私を指さしていることから直接看護師さんがこちらに問診に来てくれるようだ。
しかし看護師さんはその指さす多嶋の手を掴むと眼前に引き寄せてまじまじと見ている。多嶋は少し焦ったようにそれを軽く解くと、こちらに向かって歩いて来た。
「看護婦さん、患者はこっちだって」
「看護“師”ね。君もその手怪我してるでしょ?」
「今日は俺はいいっす。ていうか痛くねーしすぐ治るよ」
「それさっき怪我したばかりでしょう。だとすると傷はすぐには痛まないのよ。いいから見て貰いなさい」
「いいって、それより新澤を見てよ。こいつ結構酷いんだ」
言われて多嶋の手を見ると擦り傷の様な線が何本も走り、結構腫れていた。もしかしなくともさっき下敷きを破った時に負傷したのだろう。
自分の馬鹿さ加減に本当に嫌になる。私は多嶋を見ると奴は珍しくばつの悪そうな顔で視線を外した。
「多嶋、ごめん。気付かなかった。お金なら私が出すから掛かって」
「いいって、新澤も大袈裟だなあ」
「大袈裟じゃないの!怪我をしたらすぐに専門家に見せる、これ基本よ!ほら保険証出して」
「ええ~?今日持ってたかな、あーもう、平気なのになあ」
看護師さんの一喝に観念した多嶋は鞄をごそごそと漁って黒の折りたたみ式の財布を出した。口を真横に引きのばしてのろのろと保険証を看護師さんに渡すと「問診票今持ってくるから座って待ってて」という言葉に従い再び私の隣に腰を下ろした。
「ごめん」
「だから新澤の所為じゃねーって。普通にカッターとかで切ればよかったのを横着したのは俺だし、ていうかそもそもあんなの貼った奴が一番悪いだろ?」
「それは、そうだけど…。でも私と帰ってなければ」
「帰ってなければ入口にいた奴らに新澤が連れてかれて更に怪我が酷くなった。違うか?」
「そんなの、可能性の話じゃん!」
「ほらほら、痴話げんかはそこまで、貴女の怪我を診せて」
「……はい」
先ほどの看護師さんは多嶋に問診票を渡すと私たちに向かって口に人差し指を当てて見せ、その指を周りに示す。夕方とはいえ普通に他の患者さんも居る事を今更ながら思い出して私は赤面した。大人しくなった私の足を取って傷の具合や腰の痛みの程度を聞かれた後、多嶋の問診も取って看護師さんは受け付けの奥に消えていった。
落ち着いた心は次第にマイナス方向に傾いていく。理由はどうあれやっぱり多嶋の怪我は私の所為だ。しかも全く気付けなかった自分、阿呆過ぎる。自己嫌悪で落ち込んでいると、多嶋は私の頭をぽんぽんとまあまあ強めの力で叩いていつも通りにかっと笑った。
多嶋のこういう所には救われる。いつもお気楽能天気な多嶋だが、私に怪我を隠していた辺り人に気付かれないように気を回す事も出来るようだ。ただの馬鹿だと思ってたよごめん。
「新澤さん、新澤奈津さん」
名前を呼ばれた私は初老の先生に診察を受け、湿布を処方してもらった。続いて多嶋が呼ばれ、多嶋には塗り薬が処方されたようだ。
会計の際多嶋の分も一緒にと受付にこっそり頼んでいるところで私はがっちり肩を掴まれ奴にじろりと睨まれた。
「だから、自分で払うって」
いつもニコニコしている人間の凄んだ顔というのはある種の怖さがあって、私は思わず頷いてその言葉に従ってしまった。不覚。
会計が終わった後、ぺこりと受付に頭を下げると先ほどの看護師さんが笑って言った。
「二人とも怪我が痛むようならすぐ来る事。でも次はケンカはなし。いいわね?じゃあどうぞ、お大事に」