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その4

 その日、王妃は、困惑しながら、客を招待したお茶会の用意をしていた。

 昨夜、息子から知らせをもらい、急遽客人を招くことになったのだ。

 その手伝いに、子供達が二人ともそろっている事に、訝しげな視線を向けつつ、首をかしげた。


「あなたたち……どちらがお茶会に出るの? そろそろ時間ですから、どちらかは帰ったほうがいいのではなくて?」


 その言葉に、トレスが首を横に振る。


「大丈夫です、母上。クラウス殿はご存じでしたから。その事を母上にご説明することも含め、今日、こちらに殿下を招待していただいたんです」


 王妃の顔色が、さっと変わった。

 王妃は、どちらかと言えば、日々の大半を己の趣味に生きているように見えるが、政治に興味がないわけではない。

 むしろ、彼女は、経済力も軍事力も、王家と二分するとまでいわれた侯爵家の女性だけあって、実は政治や経済に関してもかなりの知識がある。

 本来国王となる可能性の低かった第三王子が王となることが決まったときに、彼女は王の知識不足を補い、国王の片腕となるべく、王妃に選ばれたのだ。

 情勢を読む力は父親より上と言われた姫君は、王家に嫁ぎ、夫のためだけにそれを披露した。そして、今の豊かなカセルア王国がある。

 その能力は、ほぼ、トレス王子が継いでいると言われていた。

 己と似た思考を持つ息子の言葉を、ほぼ正確に読み取った母は、顔色を変えると同時に、姫に向き直った。


「……サーラ。否やは言わせません。ドレスを作りますよ」


 ひっ、と、サーレスの喉から小さく悲鳴が漏れた。


「もう、サーレスが何者かは、知られているのでしょう? それなら、あちらに隠し事はできません。どのような条件が持ち込まれるのか分かりませんが、どちらにせよ、あなたが姫として出るしかないでしょう。もう、ドレスが着たくないとは言わせませんよ、いいですね」


 王妃は微笑んでいた。

 だが、子供達は、その微笑みが恐ろしかった。

 笑顔の王妃の背後に、立ちのぼる獅子が見えた気がしたのだ。


「王妃様。お客様がお見えです」


 部屋から、王妃付きの侍女の声が聞こえた。


「あら。ほら、二人とも、お出迎えに行きますよ」


 こうなると、子供達には、母に逆らうことなどできはしない。

 母の背中を追いかけて、部屋の入り口に向かった。

 侍女に案内され、現われたクラウスは、手に花籠と、リボンを掛けた箱を持っていた。


「本日は、お招きいただきありがとうございます。クラウス=ノルド=ブレスティンと申します」


 まるで少女のような、艶やかな微笑みだった。王妃は、その姿に好感を持ったようだった。


「ブレストアの王弟殿下をお迎えできることをうれしく思います。王太后陛下はお元気ですか?」

「はい。母から、こちらを王妃様にと預かって参りました。どうぞお納めください」


 そう言うと、直接王妃に花籠と箱を渡した。


「まあ……これはブレストアのスノウレストかしら」

「はい。母が、王妃陛下なら、使い方も栽培方法も心得ておられるので、お持ちするようにと言付かりました」

「ありがとうございます。枯らしてしまって、今ちょうど、探しておりましたの。お預かりした株は、きっと大切に育てますわ」


 手に持った籠を侍女に預け、次は箱を開ける。そこから出てきたのは、一枚のタペストリだった。


「まあ。美しいこと。ブレストアの模様ですのね」

「母と私で刺しました。以前、母が、カセルア模様のタペストリをいただいたので、そのお礼だそうです」


 サーレスは、首をかしげた。今、母と私で、と言ったか?


「……クラウス殿下は、刺繍をなさるの?」


 母が、サーレスと同じ疑問を口にした。


「ええ。母から一通り教わりましたので。我が家に伝わる図案は、すべて刺せます」


 思わず、ぽかんと口の開いたサーレスの顔を見ながら、母がため息をついた。


「うちの姫は、少々手先が不自由で、刺繍は刺せませんのよ。器用ですのね」


 その問いにも、クラウスは微笑みを返した。


「幼い頃、城から出てはならないと言い含められていましたので、母と乳母が、一通り、教えてくれたのです。今は、趣味の域を出ません。団長職が忙しく、なかなか時間も取れませんので」

「まあ……」


 それで、王妃はある程度事情を察したようだった。席を勧め、自ら茶を入れてもてなした。

 しおらしく着席した子供達の前にも茶を用意すると、王妃は自分も席に戻り、茶を一口含んだ。


「クラウス殿下は、ずっと王宮でお育ちでしたの?」

「いえ。母の実家である、レイティス子爵領にある別邸で育ちました。いつもは乳母と私と数人の使用人のみでしたが、一年のうち数回、母も尋ねてきてくれて、共に過ごしていました」

「まあ……。レイラ王太后陛下が、姫君をご出産あそばされたとは噂で聞き及んでいましたけれど、その御子がご実家でお育ちだとは、存じませんでした」

「……私がその姫だと、やはりお気づきなのですね」


 クラウスは、苦笑した。王妃は、にっこり微笑んで、頷く。


「時期的なことを考えると、それ以外に考えられませんし……。私は、レイラ様がご実家に帰られたあと、産み月間近のあの方をお見舞いしたことがありますの。私も母親です。あのお腹に、二人も入っていたはずがないのはわかります」


 昔を思い出したのだろう。王妃は、懐かしそうな表情で、クラウスの顔を繁々と見つめていた。


「……本当に、似ておられること」

「母にですか」

「ええ。笑顔も同じですわ。違うのは、色合いだけですもの。……あとは、性別ですか。でも、今その姿で、お母様と同じようなドレスを身につけられたとしても、違和感がありませんわね、きっと」

「母は、私が五歳の時に、自分に似ていてよかったとおっしゃいました。国王に似ていては、令嬢として隠せる期間が短くなるからと」

「そうですわね」

「今も、私の体が小さくてよかったと、会うたびに言われます」

「あら……でも、もう令嬢である必要はありませんでしょう?」

「そうですが、とりあえずドレスが着られる間、令嬢の身分もそのまま残してくれと母に言われまして」

「あら……」

「突然、娘が一人消えるようで寂しいと言われては、さすがの兄もいきなり抹消はできなかったそうです」


 苦笑したクラウスに、王妃も笑顔になる。そして、己の娘に視線を向けた。


「……私の場合は、娘と言うより、息子が二人いるような気分ですわ。王太子が、早くかわいいお嫁さんをもらってくれないかと願っていましたの」


 そう告げると、不思議そうに、クラウスを見つめた。


「……本当に、姫に求婚にいらしたの?」

「はい、そうですが」

「己の娘に対して、こんなことを言うのもなんですけれど……姫は、娘らしいことは何一つできませんよ?」

「存じ上げてます」

「何度教えても、ダンスで女性のパートは踊れませんでした」

「それも存じ上げてます」


 その言葉に、トレスとサーレスは驚いた。


「女性のパートは、というよりも、男性と踊ることができなかったと伺いました」


 にっこり笑ったクラウスは、視線をサーレスに向ける。


「もしも、私がサーレス殿と踊れたならば、私の言葉を信じていただけますか?」


 そう言うと、クラウスは立ち上がり、サーレスに手をさしのべた。

 その意図は明白だが、母の前ではまずい。なにがまずいといって、手を取って触れると証明するのが、恐ろしい。

 硬直したサーレスの隣から、妹の窮地に気付いたトレスが慌てて止めに入った。


「いや、クラウス殿。疑ったりするわけじゃないんだが、これと踊るのはやめた方が」

「大丈夫ですよ。たとえ不意を突かれても、受け身くらいは取れる程度に格闘の修練は積んでいます」

「いや、そういう話じゃ……。もしかして、踊りの相手を殴り倒したのもご存じか?」

「ええ、存じ上げてます」


 にっこりと微笑むが、笑って言える事ではない気がした。


「でも、大丈夫ですよ。とりあえず、踊ってみないと始まりません。踊っていただけますか? 女性パートが踊れないというのも心配ありません。私が女性パートを踊ればいいだけですから」


 王妃とトレスは、驚きで目を剥いた。

 サーレスも、そこまで言われては、さすがにそれ以上、逃げることはできなかった。

 覚悟を決めるように、一つ大きな息を吐き、さしのべられた手を恐る恐る、取る。

 その時点で、王妃は驚愕の眼差しをクラウスに向けた。

 今現在、クラウスは薄い布の手袋をしている。サーレスは、いつものように薄い革手袋をしたままだが、それでも全く反応しない娘の姿は、王妃にとってはじめて見るものだった。

 サーレスは、クラウスの手をそっと握り、女性をエスコートするように、腰に手を添えた。クラウスは、その回された手に、軽く手を添える。

 触っても、触られても、何も起こらない。手を添えた本人も唖然としているくらいなので、もちろん、横で見ている二人は、驚愕したまま、硬直していた。


「音楽はありませんので、口で拍子を取りましょうか。では、いきましょう。……さん、はい……」


 優雅にワルツを踊る姿は、二人とも男装ではあるが、様になっていた。

 サーレスは、呆然としたまま、クラウスに従って、体を動かした。クラウスは、優雅に、サーレスにリードされているように見せながら、自分がゆっくりとリードしている。

 サーレスは、踊りながら、見上げてくる青い瞳を見つめていた。そして、その揺れる瞳に、記憶が揺さぶられた。


「……クラリス……嬢」

「はい」

「あの日、踊ってる」

「そのとおりです。だから言ったでしょう、大丈夫だって。あの日、あなたは私と踊ってくれました。姿は違っても、あの日踊れたものが、今日踊れないはずはありません」


 男性とは思えないほど、優雅に女性パートを踊り、花開くように微笑む。

 その笑みは、あの日、見られなかったものだ。

 笑えばさぞ美しい令嬢だろうと思ったことを覚えてる。

 人形のように、表情の無かったあの子が、今、令嬢としてではなく、本来の姿で微笑んでいるのだ。そう思うと、妙に心が高鳴った。

 最後のステップで優雅にターンをして、クラウスは礼をした。

 騎士服のクラウスの姿に、あの日の白いドレス姿のクラリスが重なる。

 踊り終えた二人の横で、王妃は、いつの間にか立ち上がっていた。


「……どういう、ことなの? サーレス。あなた、本当に、大丈夫だというの?」


 その母の問いに、サーレスは答えられなかった。


「……どうしたんだい?」


 奥の間から、ゆったりと国王がテラスに出てくる。今来たところなのだろう、その場の異常な空気に、不思議そうに王妃に問いかけていた。


「それじゃあ、もう一度。踊っていただけますか?」


 クラウスは笑顔で、呆然としたサーレスの手を取った。そして、その手を、今度はサーレスが女性の姿勢になるように添える。


「……ステップは、ご存じのようですから。きっとこちらでも踊れます」


 それだけ言うと、その手をそっと、サーレスの腰に当てる。そして、そのまま、リードするように踊り始めた。

 不思議なほど、体が動く。

 ステップも、どう動かしているのか本人もよく分からないが、次にどちらの足を動かせばいいのか、無意識のうちに理解している。

 このステップを教えた母は、すぐ横で、顎が落ちそうなほど口を開けて、気絶しそうな様子だ。

 自分が、女性のステップを、普通に踏めていることが、まず信じられない。

 正面の、揺らめく海の色の瞳が、悪戯を仕掛ける小悪魔のように、魅惑的にきらめいていた。


「ほら。女性のステップでも踊れていますよ」


 この場にいる、クラウス以外の全員が、茫然自失していた。

 そして、踊っている本人も、何が起っているのか分かっていない。

 最後のステップで、先程クラウスは優雅にターンをしたあとお辞儀をしたが、サーレスは、お辞儀ができなかった。

 リードによってターンはしたが、手を離されたときに、呆然と突っ立っていたのだ。

 かわりとばかりに、優雅に礼をしたクラウスが顔を上げた。

 嬉しそうに微笑んだその表情を見た瞬間、サーレスの頭に一気に血が上った。

 顔が熱い。

 とっさに片手で顔を隠し、いたたまれなくてきびすを返し、その場から遁走した。

 そんなサーレスを、家族三人は呆然と見送り、そして、目の前にいる小柄な少年に、恐る恐る視線を向けた。

 笑顔のままサーレスを見送っていたクラウスは、その視線に気付いてゆっくりと振り返った。

 クラウスの目に、王妃の視線がぶつかった。


「うふふ……うふふふふ」


 にこやかに微笑む、なにやら恐ろしい雰囲気をまとう貴婦人に、クラウスは悠然と微笑みを返した。

 その様子を見て、国王とトレスは、思わず一歩、後ずさった。



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