表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

その13


 結局、トレスはその夜、書類と共に離宮に宿泊することになった。

 夕食のあとに、ガレウスとサーレスも呼ばれ、結局三人で積み上がった書類を片付けるべく、机に向かっていた。


「どうしてこんなに貯まったんですか。私とガレウスがこちらに来る前は、これほどじゃなかったでしょう」

「父上が、急な用件で城を空けることになった。あちらに積み上がっていた物が、私に来たんだ」

「父上は、どちらに行かれたんですか?」

「ドミゼア国境の、レボルス領の夜会だ。そこに、ドミゼアの外相が来る予定になっているらしい。今回、たとえお前が話を断っても、ホーセルとの諍いは避けられない。話が公になる前に、ドミゼアと街道の通行料に関する話をしてくるらしい」

「……父上」

「最も、真相は、父上があまりに鬱陶しいからと、母上が追い出したんだが」


 サーレスとガレウスは、同時に手を止めた。


「どうしたんですか、陛下は」

「母上は、今回の話に乗り気だ。逆に、父上は、あまり乗り気じゃない。今回のレボルスも、本来母上が出席予定だったのを、母上はお前達の経過が気になるからと城に残ることにして、心配のあまりほとんど仕事が手つかずになっていた父上を、無理矢理出席させたんだ」

「……父上が乗り気じゃないのは、あの人が、元暗殺者だからですか?」

「いや。それは、父上はもうご存じだった」

「……え?」

「父上は、ご存じの上で、お前に判断を任せたんだ。父上は、クラウスが国境を越えてきた時点で、情報収集をしていたらしい。本人が到着する時には、ほぼ全て調査は終わっていたようだ。ただまあ、父上は、お前を溺愛しているからな。相手がどんな名のある相手だろうと、複雑な心の内は変わらないだけだ」


 サーレスは、いつも穏やかな父に、甘やかされて育てられた自覚がある。

 男に触れない、ドレスを着たくない、結婚したくない。散々そんな事を言い張っても、普通の国の王女なら、認められるはずがない。

 だが、父は、あっさりそれらを認め、重病の噂を流し、サーラを守ってくれていた。

 その優しさに甘えたツケが、今一気に押し寄せている。

 サーレスは、そこに思い至り、表情を曇らせた。


「兄上……私は、行ってもいいんでしょうか?」

「お前が鍛えはじめる前までは、母上はたとえどんなことがあっても、どこかには嫁に出すつもりだったんだ。少し遅くなったが、今から行っても問題はないだろう」

「……あの頃と今では、大きく違いますよ。私の頭の中には、この国の軍事情報が詰まっています。兵数、拠点の設備、兵器の在庫から糧食の備蓄量まで。詳細な地図もです」

「まあ、記憶を消すのは、容易ではないからな」


 そう言って、トレスは、手を止め、ふっと息を吐くと、柔らかく微笑んだ。


「なんだ……行きたくなったか?」

「……そうかもしれません」


 そうつぶやいたサーレスを、兄と、兄同然に育った二人が驚いて見つめていた。


「クラウスは、私を同じだと言ってくれました。確かに、側にいると、落ち着くんです」

「……同じか。確かにな」


 苦笑した兄に、戸惑いの視線を向けたサーレスは、兄の言葉を待った。


「お前はルサリスだ。カセルアの豊穣を約束する王女。お前は産まれたその時から、その名前で縛られた。だが、生き方まで、縛られることはないだろう」

「兄上……」

「お前の記憶は消せない。だから、クラウスには、あえてそれを告げた。だが、あれの返事は、至極単純だったぞ」

「え……」

「サーラをブレストアの駒にはしない。黒騎士、ノエル=ラーゲルハイドとして、サーラ=ルサリスを娶るのであって、王弟として娶るわけではない」

「そんなこと……」


 できるはずがない。王女の身分は消えないのだ。

 たとえどこに行こうが、自分にはカセルアがついて回る。兄が即位し、さらにその子が王太子として立つまでは、サーラが兄に次ぐ、王位継承者であることに変わりはない。

 そして、それは、クラウスも同じはずだった。


「迎えに来るのに、王弟の名は必要だった。だが、娶るのにそれは必要はない。お前が、カセルアの王女であるのなら、自分はただ、サーラ=ルサリスの騎士となる。お前の隣に立つのなら、ただ、騎士としての腕で立つと。よくもまあ、こんな台詞を、私の前で堂々と吐いたものだ」


 トレスは、複雑な胸の内が、そのまま表れたような表情をしていた。

 サーレスは、そんな兄を見ながら、自分がどんな表情をしていいのか、わからなくなった。

 影武者として、ただ、同じになるように。もう一人の王太子となるように。いつか、戦が起きた時、表に出られない兄に変わる身となるように。

 その表情仕草、何一つ見逃さないようにと言われていた。

 だけど、今のこの表情は、自分にはできない。

 できない代わりに、サーレスは、混乱を表したように、ただ、沈黙した。


「私では、お前を騎士にすることはできない。どれだけ騎士としての才能があろうと、私の側にいれば、お前は一生、私の影でしかないだろう。だが……クラウスなら、隣に立つお前が黒騎士となろうが、そうでなくサーラのままであっても、己の腕だけで、お前の隣に立つだろう。……たしかに、ある意味、同じ生き物だ。お前も、あれも、己の腕を誇る騎士だ。だからこそ、自分の隣に、自分の命を預けられる相手として、同じだけの技量を持つ騎士を求める。その域に達するまで、常人なら一生を費やすその腕を、ただ求める。贅沢な二人だ」

「……あに、うえ」

「サーラ=ルサリス。カセルアの豊穣を約束する王女。だが、お前がいないと国が成り立たないわけじゃない。……私の言葉、信じるか? サーラ」

「……はい」

「好きに生きろ、サーラ。それが、両親の望みだ。そして、お前がどんな結論を出しても、私達は生涯兄妹だ。信じろ、サーラ」

「……―――はい」


 兄の、毅然とした言葉に、サーレスは、ただ頷いた。



 仕事が半分も終わらないうちに、トレスはサーレスを部屋から追いだした。

 あとは悩めとばかりに、今日はいつも渡してくるパズルすら渡してこなかった。

 ため息をつきながら、サーレスは寝室に入り、服を着たまま、ベッドに横になった。

 もう、深夜と言っていい時間だ。

 それなのに、頭の中は、考えることが多すぎて、整理がつかなかった。そのせいか、妙に頭が冴えて、眠れそうになかった。

 

 サーレスは、自分の名前の、ルサリスを思った。

 

 白のルサリスは、カセルアの象徴。

 カセルアに豊かな実りを与える花。


 幼い頃から言い聞かされた話が、思い浮かぶ。

 白く咲くルサリスが赤に染まるのは、カセルアでは不吉とされていた。

 ルサリスは白に近いほどいいとされていたが、何十年かに一度、国内のほぼ全ての花が赤に染まる事がある。

 それは、国内の混乱を予見すると言われていたのだ。


 実際、赤い花が咲いた数年後、サーレスの祖父である、父の二代前に当たる国王は亡くなり、父の一番上の兄が国を継いだ。

 父は第三王子で、本来一番王位からは遠かったのに、その兄も、二番目の兄も、結局子を残さぬまま暗殺され、好き勝手に放浪の旅に出ていた父だけが残り、王となった。


 カセルアでは、不吉な赤の花が咲いたあと、はじめに産まれた王女に、ルサリスと名付けることが決められている。

 建国の時、初代国王の后がその名を持ち、民衆をまとめ、国を救った事からの故事に由来するものだが、歴代のルサリスは、皆その名に相応しい活躍をしていた。

 あるものは、隣国との戦を、身を挺して停戦させ、相手国と交渉し、和平に導いた。

 あるものは、大凶作で飢えた民を、新たな作物を見つけ出し、救った。

 

 だが、自分は、そんな事をする必要がなかったのだ。

 育った頃には、父は国内を掌握し、反乱の目は全て潰えていた。

 母は、弱った国の民を、新たな産業を興し、他国との流通を通じ、救っていた。

 自分は、ただ産まれただけのルサリスだった。


 重い名でしかないルサリスは、それでも、国の民達の希望だった。


 赤の花を、白に変える、幸運の娘。


 重いけど、捨てられない名前だった。

 出番なんか、なくてもいい名前だ。混乱など、ない方がいい。

 小さな頃からそう思っていた。

 だから、ずっと影でいいんだと思っていた。

 兄を守る影でいいと、それだけが自分の役目なのだと、思っていた。

 だけど。

 今になって、新しい道が示された。

 

 クラウスの瞳に、髪に、声に、匂いに、強く魅せられる。

 頭で考えるより先に、体はもう、隣にいるのはあれだと示していたのかもしれない。

 どんなに混乱していても、サーレスがすでに選択していることに、兄は気付いていた。

 だから兄は、その背中を、押したのだ。


 ルサリスを捨ててもいいと、背中を押すことで、選択をさせてくれるのだ。


 サーレスの瞳から、静かに、ひとしずくの涙がこぼれていた。



 明朝、まだ夜が明ける前、サーレスは一人馬を走らせていた。

 月明かりだけでも、迷わず進めるその道は、王宮の裏にある、王妃管理のルサリス園に向かう唯一のものだ。

 昨日の今日で、一人出かけることになるが、一睡もできなかったサーレスは、そのまま人のいる離宮にいられなかったのだ。

 少しの間でいいから、誰もいない場所に行きたかった。

 その思いで馬を走らせた先に、夜になり、花を閉じたルサリスが見えた。

 今、その場所のルサリスは、月明かりを受け、白銀に輝いて見える。

 国内で、最も白く咲くこの場所のルサリスも、自分が産まれる前に、赤く染まったのだ。

 

 静かな木立に、昼とは対照的なほど、体を冷やす風が吹き抜けている。

 その肌寒さが、静寂に似合っていた。


 一番大きな樹にフューリーをつなぎ、その近くの木の根元に腰掛けた。

 そこで、大人しく、夜明けまで、花を見ていようと思った。

 少しずつ、空が明るくなっていくその様子を見ていた。

 だが、明るくなる前に、サーレスの耳に、馬の嘶きが聞こえた。

 遠くから聞こえたそれは、瞬く間に近づいてくる。


 夜明けの、微かな明かりで見えるそれは、黒い風のようだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ