その11
街に到着し、馬宿にディモンとフューリーを預ける。ディモンは、フューリーが入ると、大人しく自分もそこに入っていった。
「……フューリーが居ると大人しいんでしょうか。ぜひ、言うことを聞かせるコツを学びたいところです」
「女の前でいい格好をしたいのは、どこの男も変わらないんじゃないか?」
その言葉に、クラウスは、しばし考えた。
昨夜、クラウス本人が言った事と似たようなものだ。主従よく似ているとでも言えばいいのだろうか。
クラウスは、大きなため息ひとつ吐き、顔を上げた。
「いつかフューリーがディモンの花嫁になればいいんですね。私も頑張ります」
サーレスは、愕然として、何を頑張るのか問おうと思ったら、クラウスは勢いよく歩き始めた。
慌てて追いかけ、クラウスに追いつく。
クラウスはサーレスを見上げて、にこっと微笑むと、そのまま腕を回してきた。
「店の場所は……」
「大丈夫、わかっています。時間もありませんので、行きましょう」
そう告げると、迷うことなくサーレスの腕を引きながら、歩き始めた。
自分達が並んで歩くと、よほど目立つらしい。
サーレスは、周囲から向けられる視線の多さに辟易した。
その視線の大半は、この隣にいる、なまじな少女達より女性として可愛らしいクラウスに向けられている。
男女ともに、まさに目を奪われるという表現が似合うほど、クラウスを見つめているのだ。
クラウスは、自分に向けられる視線を感じていないはずがないのだが、平然と歩いている。見つめられている本人がそうなのに、サーレスが挙動不審ではあまりに不釣り合いだった。
心の中で、気合いを入れ直した。
「あ、このお店です」
クラウスが指差した先に、可愛らしい意匠の看板が掛かっていた。
糸や針をモチーフにしたそれは、常ならばサーレスは見向きもしない看板だった。入ろうとも思わない場所だが、クラウスは迷うことなく店の扉を開けた。
店の中は、まだ開けて間もないからか、女性の店主一人が店の棚を整理していた。
クラウスの姿を認めて、にっこりと微笑む。
「いらっしゃいませ」
「夜会のドレス用にレースが見たいのですが、幅広の、花の意匠の物はありますか」
「ございます。すぐにお持ち致しますね。よろしければ、こちらにお座りになってお待ちくださいませ」
店主に勧められ、クラウスは椅子に座った。
サーレスは、自分が常には見ることのない店の中を、恐る恐る眺めていた。
うかつに触れたら、綺麗で繊細な飾りを全部台無しにしそうだった。
そんな様子を見たクラウスは、クスクスと笑った。
「難解な戦術書でもお読みになっているような表情をなさってますよ」
「私にとっては、戦術書より難解だ。なにより、この棚の飾りがどうやって作られているのか、さっぱりわからない」
そこに並んでいるのはボタンだった。小さな、透明の小瓶に入れられ、所狭しと並ぶ様は壮観だった。
一つ一つ、手の込んだ色づけがなされており、さらに並べ方を工夫しているらしく、色合いがまるでモザイク画でも見ているように美しかった。
「そこに並んでいるボタンは、この国の有名な工芸品を、全て集めているようです」
カセルアのことを、他国からの客人であるクラウスに教えられるのも、不思議な話だ。
奥に入っていた店主が、レースを巻き付けた木の糸巻きのような物を、いくつも手に抱えて出てきたので、サーレスは口を噤んだ。
「お待たせ致しました。花の意匠と言うことですから、このあたりいかがでしょうか」
持ち出してきたレースは、どれも大変細い絹糸で織られている。これだけ細かい細工は、簡単には織れない。
「さすが、カセルアのレースですね」
クラウスは、そのレースを自らの手で品定めしながら、感嘆のため息を吐いた。
「綺麗ですね。他の色に染めるのが惜しいくらいです……」
「この糸は、他の色に染めても、輝きが落ちることはありません。きっと、夜会でも、ろうそくの明かりの下で、見事な輝きを放つことは間違いありませんわ」
「これなら、母へのお土産にしても、喜ばれるでしょう。サーレス、どれがいいと思いますか?」
「え」
ずっとボタンを見つめていたサーレスは、急にクラウスに問いかけられ、慌ててそのテーブルの上に並ぶレースを見た。
「色は、あとでドレスに合わせて染めることになりますから、デザインで。どれがお好みですか?」
そう言われても、繊細な細工は、どれも優劣つけがたい。
悩みに悩んで、結局、クラリスが白いドレスを着用した時に頭につけていた花飾りに似ている小花の模様を選んだ。
「では、このスノウレストのレースを、一巻いただけますか」
「ありがとうございます。すぐにご用意いたします」
「それと、ディセル村の飾りボタンを……五つ、お願いします」
「かしこまりました」
店主が、奥に引っ込むと、クラウスがサーレスに向き直った。
「すごく、不思議そうなお顔をなさってますよ?」
「……あの小花が、スノウレストだったのか?」
母に手渡されていた苗を思い出し、首を傾げる。濃い緑の、肉厚な葉しか付いていない苗は、花の姿を想像させるものではなく、それがこんな可憐な花をつけるのだというのが意外だった。
「ええ。山岳地帯に咲く小花です。カセルアだと、その意匠は、ディセル村がよく使っています」
「ああ、だから、飾りボタンもそこの物にしたのか……」
「ディセル村は、薬草と香油の産地です。スノウレストは、強心剤に加工できる薬草なんですよ。ですから、ディセル村の意匠には、スノウレストが使われているのだと思います。紺地の布ボタンに、白いレースで小花がつけられているボタンがありませんか。それです」
クラウスの指し示す場所に目を向けると、確かに言った通りのボタンが飾られている。繊細な糸で編まれた小さな花が、ボタンにつけられている。立体的なその作りに、感心した。
「私では、一生かかっても、こんな物は作れそうにないな」
「私でも無理ですよ。その製法は、各村で独自のものだそうです。他では、なかなか真似できません」
「そうなのか?」
「はい」
「あなたは刺繍ができるくらい器用だから、レース編みもできるんだと思った」
「レース編みもできますけど、さすがにここまで細かい細工を作れるほどは、修練していませんよ」
店主に渡された荷物を、サーレスはごく自然に小脇に抱えた。
クラウスは、はじめ困ったような表情をしていたが、最後は折れて、ありがとうございますとだけ告げた。
二人で並んで歩けば、あきらかに、サーレスは男性にしか見えず、クラウスは女性にしか見えないのだ。そうなれば、荷物持ちは、自然とサーレスの役目と言うことになる。
店主に見送られ、店をあとにした二人は、どこに向かうともなく、立ち止まっていた。
「買い物は、これだけかな?」
「できるなら、布も見たいです」
その言葉に、サーレスは一瞬返事に詰まったが、頷いた。
そんなサーレスの様子に、クラウスは苦笑した。
「サーレス、どんな色のドレスがお好きですか?」
「ん?」
「あなたのお好きな色を教えていただければ、布は自分で選びますから」
「それは、あなた用のものか?」
「はい」
サーレスは、しばらく考え、やはりその瞳に視線を向けた。
「……青、はだめかな」
クラウスは、サーレスの視線の先を指差した。
「それは、この瞳の色のような、と言うことでしょうか?」
「ああ。……その色、私は好きなんだ」
そう告げると、クラウスは、一瞬、泣きそうに顔をしかめた。そして、唇をかみしめ、そのままふっと息を吐くと、微笑んだ。
「……そんな事を私に仰るのは、あなたくらいのものですよ」
そう告げると、一人で布地屋に入っていった。
店の外で、クラウスが出てくるのを待っている間、さりげなく周囲を見渡す。
頬を染めた少女達、屋台の威勢のいい女将さんの声、休憩時間なのだろう、職人達の陽気な笑い声、荷馬車から荷物を降ろす、商人達。
日常の生活を送っている人々の隙間を縫って、微かな違和感があった。
まるで、たった一本の蜘蛛の糸が、素肌に触れた時のような、本当に微かな、だが確かにある気配に、サーレスは頭の中が冴えてくるのを感じた。
自分の感覚を研ぎ澄ませ、視線を慎重に辿るように、先を探る。
視線の先には、屋台で飲み物を注文している、旅行者の姿があった。
どこにでもいそうな服装だが、この距離で、こちらに悟られないように顔を背けながら、しかし視線だけは向けているその人物は、サーレスにとっては十分異様に見えた。
店から出てきたクラウスを、さりげなく広場から連れ出す。
おそらく、クラウスもその違和感を感じていたのだろう。何も告げることはないが、サーレスに促されるまま、ついてきていた。
先程の旅行者も、距離を開けて着いてきているのが、視界の端に見えた。
「……心当たりは?」
「つい先日、できたところです」
あの時は、ならず者風だった。どうやら、今回は、旅行者風らしい。
サーレスは、旅行者がふらりと来ても違和感がなさそうな宿が多めにある道を選ぶ。そして、少しずつ、人の少なくなる道に誘導した。
「……さすがに、確保したいんだが、いいかな」
「……あなたの顔を見られたのですから、仕方がありませんね」
「私のせいにするか」
「そうとでも理由付けしないと、私の手続き的にも面倒なんです」
「了解」
サーレスは、クラウスの体を、すぐ横の路地に押し込んだ。
そこからすぐの場所にあった路地にクラウスを誘導し、自分はもう少し先の路地に体を滑り込ませる。
しばらくすると、誰かがその場所に足早に駆け込んできた音がした。
その人物は、息を詰め、少しずつ、進んでくる。
音で距離を測り、その人物が、自分の潜む路地にさしかかるその時を狙い、飛び出した。
息を飲んだその相手は、先程の旅行者だった。
「何かご用かな?」
サーレスがそう声をかけると、刺客はじりじりと後退していった。
距離が離れたとたんに振り返り、走ろうとしたが、路地にさしかかる寸前でクラウスが出てきて道をふさぐ。
クラウスならば、たとえドレスでも、身を潜めることができるだろうと踏んだのだが、どうやらその意図を察してくれていたらしい。
クラウスは、その旅行者に、にこやかに声をかけた。
「功を焦るとは、なってませんね。ちょっとカセルアで、密偵のなんたるかを教わってくるといいですよ」
刺客は、クラウスから視線を外すことはしない。未知数のサーレスより、標的となっていたクラウスの情報の方が多いからだろう。うかつに背後を見せればどうなるか、理解していたのだ。
サーレスは剣を持っているが、あえて抜かずに様子を見ていた。クラウスは、おそらく先日のように、あらゆる場所に武器を忍ばせているはずだった。
息の詰まる瞬間、刺客は懐から短剣を抜き出し、クラウスに向かって構える。
クラウスは、微笑みを浮かべたまま、その様子を見ていた。
刺客は、素早く的確に、クラウスの胸のあたりを狙い、武器を振りかぶった。
だが、クラウスは、襲いかかった相手の攻撃を、難なく避けて、そのまま地面に刺客を引き摺り倒した。
その後、あっけなく、クラウスは、素手で相手を昏倒させた。
「……ほんとうに、なってませんね。修練が足りません。私を仕留めたいなら、せめて戦場か何かで、私の意識が分散している時を狙わないと、あなた程度の腕では無理ですよ?」
サーレスには、手も口も出す暇はなかった。
なるほど、前回の悲鳴は、この人にして予想外だったのだというのがよく分かった。
その辺に転がっていた樽に、がんじがらめに縛り上げ、さらに猿ぐつわをはめた旅行者を黙々と詰め込み、逃げられないように蓋をしたあげくに、荷物を積み上げた。
その作業をしているのが、可愛らしいドレスに身を包んだ少女というのが、少し異様に見える。
クラウスに、積み上げるための箱を渡しながら、サーレスは樽の中身に少々同情した。
「ずいぶん念入りだな」
「人のデートを邪魔した報いです」
笑っているが、実はかなり機嫌が悪かったらしい。その立ち上る殺気に、サーレスは思わず一歩、後ろに下がった。
「これだけしておけば、迎えが来るまでじっとしているでしょう」
「……これを抜け出せるようなら、中にいるのは魔術師だ。素直に諦められるな」
「そんな特殊技能がないのは、確認が取れていますから、これで大人しくしているでしょう」
「そこまで調べてあるなら、ついでにこれの情報は、兄上に知らせておいてくれ」
クラウスは、大きなため息をついた。
その樽は、のちほど兵士に運ばせることにして、二人、並んでその場を後にした。
「……よく見つけましたね。私は、いるのはわかったんですが、特定はできてなかったんですが」
「ああいう勘は、外したことがないんだ」
サーレスの言葉に、クラウスは驚いたように目を剥いた。
「勘、ですか?」
「じろじろ見られるのもちらちらと覗き見られるのも慣れているんだが、じっと見てるのに気配を殺す相手には、あまりお目にかかれない。なんとなくでも、嫌な視線を感じたら、あとは目で探す」
「それで見つけられるなら、すごいです。なるほど、だから、カセルアに入った密偵は、みんな見つかるんですね」
「最も、あなたは見つけられなかったんだが……」
「私の視線は、日頃あなたに向けられた視線とたいして違いがなかったから、引っかからなかったんですね」
言われて初めて、納得した気がした。
納得してはいけないことに気が付いたのは、離宮に帰ったあとだった。
広場の中央に戻ってきた二人は、適当な屋台のそばにあった椅子に落ち着いた。
気が付けば、かなり時間がたっており、朝食を食べずに出てきた二人は、空腹を覚えていたのだ。
「この辺で、休憩しましょうか。なにか買ってきます」
「それなら私が行く」
立ち上がろうと腰を上げたサーレスを、クラウスは肩を押えて再び座らせた。
「付き合ってもらったお礼です。待っててください」
ひらりとドレスを翻し、広場の屋台が集まった一角に滑り込んでいく。
こんな時でも、動きは優雅で、この場で一人、異彩を放っていた。
あれは演技ではなく、クラリスという名の女性そのものなのだろう。
サーレスは、昔から、体の線こそ細めだが、背が高かった。そして、剣術を始めてからは、どんどん体は男に近づいた。少女らしい、細く柔らかそうな、という印象とは対極にある我が身を改めて見つめて、いつもため息を吐いた。
母が作らせたドレスを纏い、初めて女性の姿で出た舞踏会。
思い出すのは、周囲の女性達の可憐なドレス。そして自分に向けられる奇異の眼差し。動けない、拘束具のようなドレスで、耐えるばかりだった時間。
幼い頃から、ドレスは嫌いだった。そして、あの舞踏会で、決定的になった。
ドレスを見るのは、好きだった。ドレスを着こなす女性達は、綺麗だと思った。ただ、その仲間になる事はできない。性別は同じでも、彼女たちは、自分とは別の生き物だった。
……そう思っていたのに、目の前に、性別が男なのに、女性以上にドレスを着こなす人が現われた。
数多いる女性達より綺麗な顔で、綺麗な声で、自分達は同じだと、手をさしのべて言ってくれた。
―――ああ、そうか。同じだと言われて、嬉しかったんだ。
クラウスの青い瞳は、サーレスのドレスだ。
ドレスを着られず、表に出られない王女の自分。
すとんと、何かがあるべき場所に落ち着いた気がする。
クラウスも、嬉しかったのだ。
ただ、呪いに捕らわれていた瞳が、別の意味を持つことになって。
ただ、綺麗な色だと思う人間がいるのだとわかって。
サーラは、男に触れられない。姫として大事な、血を繋ぐ行為ができない。
だけど、一人だけでも、例外はいたのだ。
その、ただ一人の例外で、ただ一人の同類が、ひらひらとスカートを捌きながら、自分の元へ帰ってくる。
両手に、飲み物と軽食を持っているのに、危なげない足取りで人を避ける姿は、まるで踊っているようだった。
こちらを見て、嬉しそうに微笑み、足を止めることなく帰ってきたクラウスは、テーブルの上に手に持っていた物を置くと、ピタッと静止した。
「……どうかしたのか?」
「……」
なぜか、しばらく視線を周囲に向け、突然、にっこりと微笑む。
その微笑みに、なぜか剣呑なものを感じたサーレスは、慌ててクラウスの視線を追い、周囲を見渡したが、特に変わったことは……。
やけに、ドレスが多い気がした。
通常、この場所は、近くで働いている者や、職人達が食事を取ることが多い。
朝食というには遅く、昼食というには早すぎる今、確かに人はまばらだったが、少なくとも、年頃の着飾った少女が連れだって来るような場所ではないはずだった。
そして、周囲に気を取られている間に、自分の膝に、ふわりと何かが乗っている。
視線のすぐそばに、クラウスの笑顔があった。
クラウスは、なぜかサーレスの膝の上に座り、手袋を外した指で、持ってきた軽食を摘んでいる。
「……おい?」
「はい、あーん」
摘んだものを、サーレスの口に持ってくるクラウスは、とてもとても嬉しそうだった。
「……ええと、クラリス」
「はい」
「どうしたんだ?」
「……ちょっと威嚇したい気分になりましたので。はい、食べてください」
指をくいっと差し出され、思わず苦笑した。
自分の懐で青い瞳が笑っている。それがなんだか、幸せだった。泣きたいほど、嬉しかった。自分だけを見て、そばに来てくれたことが、なんだか、泣きたいほど、嬉しかった。
ここでその思いを告げるのは躊躇われて、そっと、クラウスの眦に口付ける。
クラウスは、大きく目を見開き、そして次の瞬間、柔らかく微笑んだ。
その笑みは、クラリスのものではなく、クラウスの表情だった。
その瞬間、周囲からは、ため息と小さな悲鳴が沸き上がった。
食事をはじめてしばらくして、周囲の少女達の人垣をかき分け現われたガレウスは、二人を見るなり凍り付いた。
しばし無言のまま、サーレスとガレウスは見つめ合う。
「……それで」
目の前で、表情が消えたガレウスが、椅子に座るサーレスと、その膝の上に座る笑顔のクラウスを見下ろしていた。
「なんでこんな場所で、これ以上ないほど目立つ羽目になったのか、ご説明いただきましょうか……」
ガレウスが、ようやく絞り出したことへの答えは、他に言いようがなかった。
「ええと……成り行き?」
サーレスの言葉に、一瞬でガレウスの怒気は膨れあがる。
それは、その場で食事中だった職人達まで、思わず椅子ごと後ずさるほどだった。