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その1

―――ルサリス

 花の季節は初夏 花の色は赤 希に白

 樹高は二フォールから、希に五フォールを越すものもあり

 濃い紅色の花を咲かせるが、ごく希に白の花色のものが確認されている

 花弁は六枚 花は、葉が出る前に一斉に咲き、葉が出ると同時に散る

 花が完全に開くと、芳醇な香りを放つが、その期間は大変短い

 地の大陸グラセールにある、カセルア王国にて白色花の栽培法が確立される

 白色花は、花の期間が過ぎても、その花びらに香りが残留し、香料として利用可能

 その栽培法は、王家の極秘事項とされ、今現在も明かされたことはない


   

 国花のルサリスの白い花が咲き乱れ、新緑と鮮やかな対比を見せる頃に、カセルア王国にもたらされた報は、王宮内にのみ、激震を走らせた。

 王はその手に握られた早駆けの羊皮紙に、周囲が見てわかるほどに顔色を青くした。

 その知らせには、手紙が二枚。一枚は、国境警備隊からの物で、もう一枚は、ブレストア国王からの親書だった。

 国境警備隊からの知らせは、ブレストアから貴人が到着した旨を知らせる、通常任務上の知らせであり、今国王が握りしめているのは、その国境警備隊を経由して渡された、親書のほうだった。


 ブレストアは、先王が病に倒れた直後、周囲の二国に攻めいられ、一時は王国崩壊かと思われていた。それが、第一王子が戴冠し、今まで秘されていた第二王子が、ブレストアの最大戦力である黒騎士団の長として封じられた時から、一気にそれらを駆逐し、さらに相手国へ攻め入り、あっさりと戦況を覆した。

 その後、その二国とは、なにかと諍いが絶えず、今に至るまで何度も小競り合いが続いていたが、その度に、件の黒騎士公はその小競り合いを勝利で終らせている。戦力差が圧倒的だったはずの二国は、その度に戦力を削られ、今は均衡し始めていた。

 ブレストアとカセルアの間には、越えるのに命を掛けねばならない山脈が横たわっている。山岳地帯の中央に位置するブレストアから、カセルアに来るためには、ホーセル王国を経由するのが、普通に取られる道だったが、今は戦乱の直後という事で、距離はホーセルより遠くなるが、まだ国交が正常なドミゼアという国を経由してくるのが一般的だった。


 しかし、その客人は、そのどちらでもなく、山脈側の国境に現われたらしい。


「……して、ブレストアからお見えになったのは、噂の黒騎士公ですか?」


 王の顔色を見ながら、できるだけ平静を装った大臣が、硬い声をかけた。王が真っ白になっている今、大臣の己まで狼狽するわけにはいかないという、ある意味天晴なほどの職務遂行精神であった。

 王は、恐る恐るといった具合に、その大臣の表情を伺っている。その表情を見れば、己の言葉が正しいことが証明されているようなものだった。


「ご用件は何と伝えられたのでしょうか?」


 たとえばそれが、ブレストアからの和平条約の申し入れだとしても、宣戦布告の使者だったとしても、大臣は己を見失いはしなかった。


「……その、黒騎士公から……うちの姫に……婚姻の申し込み……だ」


 王が、喉の奥から絞り出した言葉に、大臣はそのまま気絶してバッタリ倒れることになった。

 王も、倒れられるなら倒れてしまいたかった。

 出せないのだ。あれを嫁に出すなど、考えたこともなかったのだ。そもそも、姫の絵姿も出したことがなければ、婚姻の打診もしたことがない。姫は重病で、他国へ嫁がせることはできないと、散々情報を流したはずなのに、なぜこんな事になったのか。

 ブレストアの軍事力は、ここ最近の戦で十分理解できた。その中でも黒騎士公と呼ばれた王弟の勇猛果敢な戦いぶりは、戦神の降臨とまで言われたという。

 その人についた二つ名は、紺碧の死神。

 敵対した国の兵どころか、自国の兵達にもそう呼ばれたと言う百戦錬磨の王子に、うちの姫は嫁に出せないなどと言えるのか。もし戦になったとしたら、それこそ三十年にわたって他国との戦がなかった、平和慣れしたカセルアなど、獅子の前に飛び出す小鳥のようなものだろう。

 王は、側近が大臣の介抱をするのを横目に、奥宮にいるはずの王妃の元へ、足取り重く大広間を後にした。



 庭の温室での、家族揃ってのお茶は、王妃のなによりの楽しみだった。

 王妃の趣味である園芸は、王妃の努力で国民にまで広がりを見せるようになり、その趣味から、いつしか香水や石鹸、化粧品が作られるようになり、それらはこの国の主要産業として、知られるようになった。諸外国からも人気が高く、近年では化粧品や香水と言われると、カセルアの名が出るまでになっていた。

 いつか王子が結婚したら、王太子妃とともに薬草を世話したり、薬草のブレンドをしたり、香草から一緒に小物を作ったりしたいというのが、王妃の夢になりつつあった。

 ……本当は、自分が産んだ姫と、そういうことがしたかったのだ。


 だが、できなかった。


 王女を産んで、一八年。はじめの六年は、首をかしげた。その後二年、まさかと思いながら必死で自分をだまし続けた。それから三年、厳しくしつけ、なんとかなると思っていた。そして三年。己の不甲斐なさに、王に侘び、涙に濡れた。そして今。悟りと共に、諦めた。


 姫は14の時以来、重い病を患い、離宮で闘病生活を送っている……事になっている。

 目の前に、男性としては少々線の細い、一九になる王子がいる。王も王妃も、武よりも知を好み、賢く丈夫に育った次代の王を、頼もしく思っていた。自慢の王子だった。

 そしてその隣。ありえないことに、その王子に瓜二つの人物が座っている。

 王には、子供は二人だけだ。王子と王女しかいない。王子に双子の兄弟がいるようなことはないし、なにより、出産した王妃は、その時お腹に一人しかいなかったことを誰よりもわかっている。

 この温室付近は、王家の憩いの場であり、それに連なるものと、ごく側近しか近寄れないとされている。しかも、王子に瓜二つ。他人ではありえない。


 その人物こそ、この国の姫、サーラ=ルサリス。国の花の名を冠し、この国で誰よりも尊い血を持つ姫君、のはずだった。


 兄王子より健康的で、知より武に優れ、およそ女性らしいことはすべて苦手、趣味が遠乗りの、この国唯一人の王女。

 当然、この王女は、王妃と共に薬草園にはいてくれないし、その香りを楽しむようなこともしてくれない。年頃の女性が夢中になる化粧などには当然興味もない。針と糸は使えるが、実用的な衣類の修復か馬具の修理でしか使わない。当然刺繍などもできないし、お茶も飲むのはよくても入れることはできない。味の違いもよく分からないらしく、お茶よりも酒を好む。


 なにより致命的なのは、ドレスが嫌いなことだった。


 今も、当然のように、兄王子と同じ衣装を身につけている。こうして見ると、本当に、瓜二つの双子がそこにいるようだ。おまけに声も似ている。王子の影武者として、王の隣に立っていても、誰も気が付かない。あまりに完璧に、男らしすぎた。

 男性としては線の細めな王子と、女性にしては大柄すぎる王女。

 いつもの風景ではあったが、王妃はなぜか、心が遠くに旅立ちそうになっていた。


「母上、どうかなさいましたか?」


 自分を見ているはずなのに、心ここにあらずの母を見て、その姫が不思議そうに首をかしげた。


「……いいえ、なんでもないの。なんでもないのよ。ホホホ……」


 容姿や資質は完全に男だが、心の優しい姫だ。頼めば隣にいてくれるし、無理強いさえしなければ、こちらの要望はできる限りかなえようとしてくれる。

 ただ、ドレスは着てくれないし、男性の手を取りダンスをするようなことは、全身全霊で拒否をするのだ。

 男に、手以外の場所に触られるのは気持ち悪いと言って、力の限り抵抗をするため、相手の命の危険まであるとなっては、王妃も無理強いできなかった。

 公には、重い病を患っていることになっている王女は、どんな儀式も祭典も顔を見せることはないし、おそらく国民すらも、姫の顔はわからないだろう。

 この姫が公に姿を見せるときは、男の名前を名乗り、王子の側近として出ているのだ。

 王妃は、めまいを起こしそうだった。

 ……でも、しょうがない。それが、この姫なのだから。

 王と兄王子にそう説得され、諦めたのだ。

 大きく出そうなため息をぐっとこらえ、健康が一番よね、と小さく呟く母親を、子供二人は不思議そうな眼差しで見つめていた。


「そういえば、サーレス。今、ブレストアの黒騎士公がこの国に来ているらしい」

「……は?」

「カフラの砦で入国審査を受けたという話が来ている。父上には、もっと詳細な話が来ているだろうな」

「ブレストアって……黒騎士公と言うことは、王弟のクラウス殿下ですか?」

「ああ」


 二人が同じ顔を見合わせる。まるで鏡のようなその顔を見て、王子は一つ、ため息をついた。


「お噂の死神殿だ。何をしに来たんだろうな?」

「戦になるんでしょうか?」

「さあ。そもそも、先のブレストアとホーセル、アルバスタの戦は、二国が先に攻め込んだものだったからな。うちは静観をしていたから、その難癖をつけてというのも考えられるんだが……あそこのランデル陛下は、そこまで欲の強い方とは思えないんだよな」

「そういえば、兄上と同じ歳でしたよね」

「ああ。一四の時に、ファーライズ国に共に招かれてしばらく共に学んでいたが、楽しい人物だったぞ。王位を継がれて、その心持ちが変わったとかいう話も聞いていない。だが、弟王子の評判は全くわからない」

「そういえば、それも不思議だったんです。一切、話を聞いたことがないのに、突然第二王子が表れたんですよね」

「そうだな。ランデル陛下からも、話を聞いたことがない」

「……本物の弟なんですかね」

「さあ。だが、ランデル陛下自身が有能なことは知っている。だから、王位を継いで、すぐに起ったあの戦況の盛り返し具合も、納得はできる」

「……容姿は?」


 その妹の疑問に、兄はふむ、と一つ頷いた。


「ランデル陛下は、金茶の髪に、碧眼だった。クラウス殿下も、噂では、同じ色合いらしい。二つ名の、紺碧の死神というのも、その瞳の色から来たものだろう。それは見事な、サファイアの瞳だったからな。あの眼は、一度見ると忘れられない色合いだぞ」

「噂、ということは、本人の姿絵とかはないんですか」

「ああ。なにせ、第二王子の存在が知られたのは、戦時中だ。姿絵など、用意する暇などあるはずもない。今に至るまで、小競り合いには必ず姿はあったようだが、我が国まではその容姿は伝わっていない」

「では、ここに来ているのが、本当に王子かどうか、誰にもわからないじゃないですか」

「それは本人の名乗りと、国王直筆の手形と証書、それから部下二人。こちらは黒騎士団の精鋭だ。名前も顔も知れ渡ってる。これがある意味、一番の身分証明になるな。あそこの黒騎士団は、自らが主と認めた相手以外には従わないことを正式に許されている集団だしな」

 

 ブレストア黒騎士団は、特殊な集団だ。

 騎士の子じゃなくとも黒騎士にはなれるが、実力が伴わない限り、生き残れない。彼らは常に、戦の前線に送り込まれ、遊撃手となる事が多い。彼らは敵対国にもっとも印象付ける最大の恐怖として存在する。

 前線に送り込まれる関係上、国王の指揮権からも外れており、その団長の権力は絶対。一度黒騎士団長に任ぜられると、その死をもってしかその役職は降りられないともいわれていた。実際、黒騎士団長の多くが、戦中に壮絶な死に様を迎えたことで知られている。

 少なくとも、一国の王子が、その身分だけで就ける役職ではないし、そもそも王子がつくような役職でもない。

 つまり、黒騎士団長というだけでも、その実力が読み取れる。少なくともその黒騎士公は、団長になって二年近く。出陣回数は百以上あるだろうが、今もって生き残っている。


「……いったい、何の用で、わざわざ山を越えてまで、うちに来たんだ?」

「それは、これから教えてくださるようだぞ」


 兄の視線を辿り、そこによろよろと左右にブレながら歩いて来る影を見つけた。


「……父上?」


 その顔は、この世の終わりかと思うほどに、明らかに精彩がない。そんな夫の様子に、王妃も驚きの表情で、王に駆け寄った。


「あなた。どうなさいましたの?」


 王は、その場にいる三人に視線を向ける。そして、二人の子供たちを交互に見比べた。見比べながら、なぜかその瞳が潤んでいるような気がした。


「ジーナ……尋ねたいことがあるのだが」

「なんでございましょう?」


 かわいらしく首をかしげた王妃に、王は、まるで己の墓場の位置を訪ねるような口調で質問した。


「……今の王女に合う、ドレスはあるかな」


 その言葉に、その場にいた三人が目を剥いた。


「……ございません」

「だろうな……は、ははは」


 呆然とした王妃のつぶやきに、虚ろな笑いを返す王に、目を剥いた王子が尋ねた。


「なぜ、サーラにドレスが必要になったんです? たとえ隣国の王族がお見えでも、病で療養中のあれが出てくる必要はないでしょう?」

「……ダメだ。それでは、おそらく納得されない」

「……意味を測りかねますが」

「求婚に来たんだ。黒騎士公自らが」


 その場が沈黙で支配される。王子も王女も、王を支える王妃も、先程よりさらに目を見開いた状態で、完全に静止した。


「……なんの冗談ですか?」


 王子の言葉に、王が首をフルフルと横に振る。


「冗談ではない。入国と同時に、私に向けて正式な書状が来た。公とサーラの結婚を打診する、ブレストア国王からの書状だ。黒騎士公は、明後日には、こちらに到着する」


 それまで唖然としていた王女が、はっと息を吹き返した。


「……お断りしてください」

「私とて、断れるものなら断りたい。だがな、サーレス。我が国からは、断り辛いのが現状だ。この前の戦争で、まだ安定してないところはあるが、結果的にブレストアは国力が向上した。現在、我が国が主な貿易のルートとしているアルバスタ経由の道は、完全にブレストアに押えられている。もともと、近日中に、我が国とブレストアで、その事に関する話し合いを持つことになっていた。この状況で、あちらから提案として持ってこられた婚姻は、断り辛い」

「でも、現実的に考えましょう、父上。この、どう見ても男にしか見えない私で、あちらが納得すると思うんですか?」

「……」

「私は嫌ですよ。女であることを証明するために公の前で脱げなんて言われるのは。でも、私が女であることを証明する方法は、はっきり言えば、それしかないでしょう」


 実際に、その通りなのだ。明らかに、ドレスよりも騎士の礼服のほうが似合う我が娘に、父親が嘆息する。


「だから、せめてドレスを着てみればどうかと……」

「父上。それは、男が女装していると言われます。以前、一度やってしまったじゃないですか。王女を守るためによりによって男を出したのかと言われそうですし、ますます、脱いで見せろと言われますよ?」


 兄王子も、首をひねりながら妹を援護した。

 どうしても納得しなかった王妃のために、一度だけ、王女はドレスを着た。そして、ものは試しに、何も知らせていない仮面舞踏会に出席してみた。

 結果、ものの見事に、女装した男だと思われた。

 それを見て、王妃は娘を、王女として見るのは諦めたのだ。

 今は、その当時よりさらに背が伸び、ますます女性の体からは遠退いている。ごまかすのもムリがあるのは間違いない。


「別人を仕立てるのも……無理があるな」


 すっかりと頭を抱えた父と、その隣でまだ呆然とする母を見ながら、そっくりな兄妹はお互いの顔を見合わせた。


「……嫁に行けるか? サーラ」


 兄は、ここしばらく呼んだことのない、妹の本当の名前を呼んだ。


「行けるわけないでしょう、兄上」


 その兄そっくりな、青年にしか見えない妹が、吐息と共に呟いた。


「私は男性に触れられると相手を殴りますよ。手袋越しの握手でギリギリです。夫となった相手に、気持ち悪いから触れるなと言えばいいんですか? それこそムリでしょうが」


 それこそが、この姫が、最終的に重病の噂を流すことになった原因だった。

 どうしても、男性に触れられるのがだめだった。

 父と兄相手なら、ぎりぎり我慢できるが、それ以外は全く受け付けない。触れられようものなら、本人も意識しないうちに手が出る。もしくは、蹴り上げる。なまじ、力が強いので、殴られたり蹴られたりしたら被害は大きい。

 まだ、十歳くらいの時まではよかった。十三を過ぎ、体が大きくなるにつれて、体を鍛え始めたことも災いして、最終的には、相手の骨を一撃で折ってしまった。

 黒騎士公は武勇を誇る人らしいが、まさか夫となるその人を、触られたからという理由で半殺しにしてもいいはずがない。

 父王と兄妹は、揃って大きなため息を一つ吐いた。

 母である王妃だけは、何かを夢見るような表情で、空中を見つめている。王子は、何気なく、その母のつぶやきを耳にした。


「……花嫁衣装を用意しないと」


 そのつぶやきは、けして妹に聞かせられないものだと言うことだけは、よく理解できたのだった。


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