〈そして死神は消えた〉
そこにはすでに一機のプライベートジェットがエンジンをかけ、もうあとはタラップを
外すだけ、という状態でスタンバイしていた。一見しただけではどこの国の機体かは判ら
ないが、エアフォース・ワン並の大きさで、中身も実際同様の機能があるのだろうと予想
できた。
正直、ディーとソナタはここまで来れば大丈夫だろう、と気を緩めてしまったことは否
めない。非公式とはいえ軍の協力もあるのだ。これ以上何も起こりようがないはずだ、と
思っていた矢先に、決定的なそれは起こってしまった。
二人の『顔のない死神』はヘリから降りるとすぐさまタラップを駆け上がり、前を行く
セヴェラがあと数段上れば機内へ入れるという所で、背後から頭を撃ち抜かれた!
「「!!」」
糸の切れた人形のように、いきなり力が抜けガクンと崩れ落ちるセヴェラ。ディーとソ
ナタ、ダウドが皆『しまった!』と思った。
撃たれたセヴェラより2、3段下にいたもう一人のセヴェラが、弾丸が来た方に振り向
く。他の者も一斉に同じ方向を見た。
その先には空港の建物の屋上、ライフルを構えた黒い人影があり、まだ残ったセヴェラ
を狙っている。続けて彼女を始末する気に違いない。
考えるよりも先に体が動き、反射的にソナタが銃を抜いたその瞬間、
「止めろ!!」
というダウドの大声が耳に突き刺さるようにとどろいた。その場にいた誰もがビクリと
体を強張らせ、自分に向けられた言葉じゃないのは解っているのに、ソナタは中途半端な
格好のまま動けなくなってしまった。屋上のスナイパーも撃てなくなったようで、まるで
見えない何者かが銃を押さえつけてでもいるかのように腕を震わせている。
「もう終わりだ。帰れ!」
ダウドがさらに強い口調で言い放つと、スナイパーは苦々しげにサッと姿を消した。
『アクロード』が我に返り、再びセヴェラに注意を向ける。
「セヴェラ!?」
撃たれたのは『本物』じゃない方であることを願い、立っているセヴェラはどちらだろ
うと息を殺して見守っている中、そのセヴェラも不意にスイッチが切られたかのように脱
力し、ひざから倒れ込んだ。
「!?」
なぜどちらも倒れてしまったのか、やはり撃たれたのが『本物』だったのかと二人が驚
いていると、プライベートジェットの扉が開いて、中から黒髪の長い、日に焼けた肌の官
能的な美女が顔を出した。
「!?」
何事が起きたのかとディーとソナタは眼を見張る。
「ありがとう、二人とも!」
美女は軽くウインクして明るく言うと、人形と化したセヴェラ達を手早く機内へ回収した。
「それじゃあね!報酬はちゃんと振り込んでおくから安心して!」
彼女はまだ状況を把握できない『アクロード』に愛想よく手を振り、てきぱきとタラッ
プを向こうに押しやってから扉を閉める。そして準備が整った某国のジェットは、エンジ
ン音をさらに大きくさせながら滑走路をゆっくりと走り始め…、やがて離陸して空の彼方
へと飛んで行った。
「………」
ディーとソナタはそれら全てを呆気に取られたまま見つめていた。あまりにも予想外の
ことが立て続けに起きたために、最後に姿を見せたあの黒髪の女が『本物』(といっても
やはりサイバーロイドだろうが)だったのだと気付くのに、しばらくかかった二人だった。
「…やられましたね」
ため息混じりにソナタがつぶやいた。
「ああ。しかし上手くいったのは確かだ」
ディーも頭をかきながら同意する。
「ダウド、あなたは知ってたんですか?あのセヴェラのどちらも本物じゃないってこと」
顔を見る限りはそんなに意外そうでもない様子のダウドにソナタは尋ねるが、ダウドは
首を振った。
「いいや、知らなかった。というか、『顔のない死神』が自分の計画の全てを明かすはず
がないだろう?そして見事に自分を囮に下っ端の殺し屋どもをあぶり出し俺達に始末させ、
馬鹿共がそっちに気を取られている隙に、まんまと本物が国外へ脱出できたということだ」
「?ちょっと待て。下っ端の殺し屋達をアンタ達が始末しただって?」
ディーが眉根を寄せて問いただすかのような声を出すと、さも当然だろうと言わんばか
りにダウドが説明する。
「そうだ。『顔のない死神』が引退するって情報、偶然か何かで洩れたとでも思ってたの
か?あれは死神がわざと流した情報だ。そうすれば『死神』を始末したがってる奴らが食
いついてくるだろうと思ってな。そしたら紅家の『首斬り人』までが引っかかってきたん
だからな、さすが『死神』だよ」
「なぜわざわざ情報を流し自分を囮にしたんでしょう?」
「それが政府との条件だったのさ。国外へ出るのを黙認する代わりに、ただの人殺しのく
せに殺し屋を気取ってるクズどもをあぶり出し、始末させると。チンピラ崩れの奴らや快
楽を求めて殺しを請け負ってるようなどうしようもない連中は、警察の余計な仕事を増や
すばかりで社会的にも迷惑この上ない存在だからな。俺達の部隊は常にあんたらをトレー
スし、あんたらの見えない所で襲撃者の数を減らしてたのさ。まあ、仲間はまだ奴らの相
手で忙しいみたいだが」
「そうだったんですか…」
ソナタは大きな息を吐いた。今までは依頼が急なこともあり、すぐに襲撃者達とかち合
う羽目になったので内容の小さな不自然さなど考える余裕がなかったが、こうして聞いて
みると実に納得できるものがあった。
つまりは全部、『顔のない死神』の計画だったのだ。
「それじゃあ、さっきのスナイパーはかなり予想外のことだったんですね」
「アンタらの部隊の目をかいくぐってここまで来たんだからな。意外にスゴ腕のヤツだっ
たのかもしれない」
改めてさっきの危機を思い返すソナタとディー。まあたとえセヴェラが二人とも撃たれ
ていたとしても、どちらも遠隔操作のオートマタンだったわけだから、土壇場でも『顔の
ない死神』は勝っていたのだが。自分を囮にする以上、その安全対策は完璧に成されてい
たのだ。
「いや、あれは殺し屋じゃない」
「「え?」」
ディーとソナタが同時に声を上げる。
「政府要人が使用するこの特別滑走路に、簡単に殺し屋なんかが近づけると思うか?それ
ほどここの警備は甘くない」
ダウドはまだ殺し屋が現れるのを危惧しているかのように、さっきのスナイパーがいた
場所を見上げた。
「アイツは俺達と同じ、軍の人間だ」
「なんですって?」
ソナタが小さく驚き、
「どうして軍の人間がセヴェラを狙うんだよ?政府は黙認することにしたんだろう?裏切
ったのか?」
ディーの目付きが厳しくなった。ディーはこの世界では信用が大事だというのを知って
いるし、たとえどんな世界でも、それが裏の世界だとしても、ある程度のルールがあると
知っている。どこかの世界に属するにはそのルールを守ることが最低限必要なことだと、
若いうちからこの世界に属してきたディーには嫌と言うほど染み付いているのだ。それゆ
えに約束やルールを破ること、裏切りとか嘘というのが嫌いなのだ。
ディーの変化に若干の意外性を感じたダウドだったが、あくまでも感情を表に出さず答
えた。
「政府の意思はひとつじゃないのさ。『顔のない死神』の条件をのんで黙認を決めた奴ら
もいれば、まあ、そいつらはたいがい弱みを握られてる奴らだろうが、殺し屋というもの
を絶対に認められない奴もいる。後者の方が、これに乗じて『死神』を殺っちまおうとし
たんだろうな。この状況なら確実に襲撃者のせいにできるからな。あのスナイパーはそっ
ち側の人間だったんだろう」
「…なるほどな」
不承不承ディーがうなずいた。
「納得したか?」
「別に。政府ってのにうんざりしただけだ」
そっけなく言ったディーは、ダウドの顔がどことなく楽しげなのを認めてさらに言う。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、おかしくはない。ただ、政府っていうのは政治的駆け引きと称した欺瞞が日常的
に平気であるところだ。もしかしたら裏の世界よりも裏切りが行われている世界かもしれ
ない。あんたらみたいな世界にいる人間なら、もうとっくにそんなこと知ってると思って
たがな」
「ディーはこう見えて真面目なんです。普通の世界に憧れを持っているところがあって、
意外にロマンチストなんですよ」
ムッとしたディーの横から、ソナタが本当にそう思っているのかふざけているのか判り
にくい感想を述べる。何だかバカにされたような気がして、ディーはソナタをにらみ付けた。
「悪かったなあ」
不機嫌を前面に出したつもりだったが、慣れているソナタには効かなかった。
「そんなことないですよ。そこがディーのいいところですから」
「…そうだな」
ダウドはフッと笑った。その思いがけない穏やかな言い方に、ディーとソナタは奇妙な
優しさを感じた。
「あんたはそのままでいい、と俺も思う」
「………」
ディーとダウドは束の間視線を合わせ、ディーは態度を和らげる。ダウドはきっとそん
なに嫌な人間ではないと判断したのだ。裏切りや嘘の世界に属しながらもそれに染まりき
ることなく、そんな体制を少なからず良くは思っていない人間なのだろう。
「ま、とにかくこれで依頼は完了ですね」
ソナタが話題を変えるように明るいトーンで言った。
「あんたらのことは覚えておこう、『アクロード』のディーとソナタ」
「こっちもあなたのことは覚えておきますよ、特殊能力部隊の『ダウド』」
「アンタには助けられたからな、一応礼は言っておく」
ディーが義理堅く謝意を伝えると、ダウドはそれ以上馴れ合うのを拒むようにディーに
向き直る。
「礼はいらない。あれも任務の一環だ。…それじゃあな」
改めて『アクロード』の二人をしっかり見てから、ダウドは身を翻してヘリの方へと歩
いて行った。
「…腹減ったな」
ダウドの乗ったヘリが飛び去って行くのを見届けて、ディーが思い出したように洩らした。
思えばセヴェラと会ってから今まで、何も口にしていなかった。
「せっかくですから、ここでご飯食べて帰りましょうよ!ここには有名韓国料理店の支店
が入ってるんです!一度食べてみたかったんですよね~♪」
ソナタが喜々として提案する。
ここの国際空港は名産品などの土産物はもちろん、高級レストランやブティック、エス
テ、スパ、スポーツジム、映画館など、あらゆるものがそろっている複合施設なのだ。
「ああ、それは構わないが…」
とディーはちょっと顔をしかめながら、ソナタを上から下まで眺めた。
「お前、ちょっと臭わないか?」
「はッ!!」
ソナタはビックリするほどの速さで、一気にディーから5mほど離れた。
「私としたことが!!すっかり忘れてました!!」
あああ~とさも取り返しのつかない失敗でもしたかのように頭を抱える。地下道にいた
時はものすごく気になっていたのに、出てからは自分の臭いだったので慣れてしまい、ゴ
タゴタのうちに忘れてしまっていたのが悔しすぎる。常に自分の見た目や他人に与える印
象に気を配っていたソナタにとって、これはあり得ない不覚だった。
「ど、どうしたんだよ?セヴェラと逃げてる時に何があったんだ?」
あまりにもショックを受けているソナタに戸惑いながらもディーが近寄ろうとすると、
ソナタはきっぱりと手の平をこちらに向けて突き出し、それを止める。
「こっちへ来ないで下さい!ここへ来る途中に何があったのかは言いたくありません!で
すが大至急私の指定する服を買って来て下さい!!私はスパに行ってこの臭いを何とかしな
い限りは出歩けませんから!!」
「ああ?なんだって?いちいちフロ入って着替えるのか!?」
「そうです!いいから、早く行きましょう!私が戻るまでご飯はおあずけですからね!」
ソナタはスタスタと空港構内へ向かう。
「なに!?なんでお前待ちなんだよ!?待てよソナタ!!」
後を追いながらディーが抗議するが、結局ソナタの言う通りになってしまうのが彼らの
日常なのだった。