〈顔のない死神〉
「どうしたんです?『顔のない死神』がなんですって?」
ディーの電話の意味が解らず問い返すソナタに、ディーもよく解らないんだが、と前置
きして言った。
『オレの口座に金が振り込まれてるんだよ。《顔のない死神》から。オレには覚えがない
から、お前かなとも思ったんだが…、それにしたっておかしいよな。お前の口座はどう
だ?』
「死神からの振込み?いえ、私にも覚えがありませんよ。…分かりました、私も口座を見
てから、折り返し連絡します」
全く不可解なことになってきた。ソナタは電話を切ってすぐ、ナビで自分の銀行口座を
見てみたが、なるほどディーの言うとおり、本物かどうかは分からないがとにかく『顔の
ない死神』から結構な金額が振り込まれていた。しかも、仕事用の口座とプライベートの
口座は別にしているのに、死神はわざわざプライベートの口座に振り込んでいるのだ。一
体どういうことだろう。プライベートの口座番号などどこにも洩らしていないし、『顔の
ない死神』とは面識すらない。
と一人悩んでいると、いつも冷静で余裕の表情を崩さないソナタがこんなふうに悩んで
いるのがよほど珍しかったのか、ゴッセンが意地悪そうにニヤニヤと口元を歪めながらこ
っちを見ているのに気付いた。
「で、死神がどうしたって?」
「いえ、何でもありません。また来ますね」
ソナタは噂のネタにされるのはご免なので、それ以上の質問を打ち切るようにニコリと
笑ってから、さっさと『陰陽門』を後にした。と言っても、もしこれから『顔のない死
神』と何らかの接触があった場合、そのうちに『陰陽門』のサイトで彼らのことが一部流
されるだろう、ということをソナタは知っていた。
店を出てからすぐ、ディーに電話する。
「ディー、私の口座にも死神から振込みがありました。…ええ。とにかく、ディーもすぐ
に家に帰って来て下さい!いいですね!?」
言いながらソナタは早足で自分のマンションに向かった。
ディーとソナタの仕事というのは、端的に言えば探偵だ。しかし浮気調査だの人探しだ
のという、普通『探偵』と聞いて連想されるような仕事はやらない。彼らは増え続けるサ
イバーズが関わっていると思われる依頼を請け負うのだ。
対サイバーズ探偵、『Attacked Cyber-Roid Detective』の頭文字を取って『ACRODE』
というのが彼らのコンビ名だ。ちなみに、『ディー』と『ソナタ』というのも本名ではなくコード
ネームである。
相手がサイバーズならそれだけ危険が伴うし難しい依頼内容のものが多い。当然凶悪犯
罪に巻き込まれたり殺されかけたり戦闘型のオートマタンと戦ったりすることがほとんど
だが、彼らはそれらと互角、またはそれ以上にわたり合い、できる限り依頼主の希望に沿
うよう依頼を解決し、強さも信頼度も高く、業界内では名も通っているのだった。
そんな彼ら『アクロード』と、『顔のない死神』はほとんど接点がない。
『顔のない死神』は、裏の世界では№1と言われる殺し屋、そして世界一とも言える腕
を持つ、超ウィザード級のハッカーなのだ。誰もその本当の姿を見た者はおらず、依頼人
ですら死神の代理らしき遠隔操作のオートマタンとしか会っていない。そして標的がどん
なに警備の厳重な要人であっても、いつの間にか近くの電脳を持つオートマタンや操作可
能な義身躯を持つサイバーロイドに侵入し、それを操り標的に忍び寄り、確実に殺すのだ。
今までに仕事を失敗したことは一度もない。
周りを武装したサイバーズ化していない人間だけで固めた政府の要人も、分厚い鋼鉄の
壁に囲まれた部屋に一人引きこもった裏社会のボスも、『顔のない死神』に殺されたと言
われている。
殺されるその一瞬まで死神がどこに潜んでいるのか判らず、殺された後もどこに行った
のか判らない。正体不明で、本当に存在しているのかすら定かではないのに命だけは確実
に刈って行くところから、いつの間にか『顔のない死神』と呼ばれるようになったのだっ
た。
『アクロード』は死神の仕事を邪魔した覚えもないし、今までに一度も遠くから見かけ
た程度のことすらない(たとえ見たとしても誰が死神なのか判らないが)。ディーやソナタ
も死神のことは噂だけでしかその存在を知らないのだ。死神も『アクロード』の存在くら
いは知っているかもしれないが…、
(なぜウチに?)とソナタは思う。
『顔のない死神』なら自分で何でも解決できそうだし、もし何か助けが必要なら他にも
腕利きの人間を知っているはずだ。『アクロード』に興味があるとも思えない。そこでソ
ナタは待てよ、と思い当たった。
口座に振り込まれた金は、前金のつもりなのだろうか?死神なら自分らのプライベート
な口座など簡単に調べられるだろうし、自分達の仕事を知っているなら、金を振り込んだ
と言うことはそういうことなんじゃないか?依頼をするのに通常の手順を踏まないのは気
に入らないが、いきなり前金を振り込むことからすでにこちらのペースを乱し、向こうに
交渉が有利なようにペースを持って行こうとしているのかもしれない。
では『顔のない死神』の依頼とは?人殺しの手伝いだろうか?まさか、超一流の殺し屋
がそんなことを他の、しかも本業でない業者に頼むなんてありえないし、ソナタ達もそん
なことを依頼されたとしても、たとえ報酬が高額でも受ける訳にはいかない。
なら、死神の依頼とは…?
そういえば、さっきゴッセンが死神が引退するとか言っていなかったか?
「………」
ソナタの心に、嫌な予感がじわじわと広がっていくのだった。
マンションの前までたどり着くと、同じようにディーが着いたところだった。
「ディー!いいタイミングですね」
「ああ、そうだな。他に何か分かったことあるか?」
二人並んで自分達の部屋に向かいがてら話す。
「ええ…、関係あるかどうかはまだ分かりませんが、『陰陽門』の噂で、『死神が引退す
る』というのがあるそうです」
「死神が引退?まさか…」
「ですよね…でも…」
いかにも胡散臭げに眉をひそめるディーに同意を示すソナタだが、その時、別の声が割
って入った。
「それが本当なのよねえ」
「「!!」」
ディーとソナタが反射的に振り向き、ディーは身構え、ソナタは懐の愛銃、コルトガバ
メントM33に手を掛けていた。
「待った待った!」
「私達に敵意はないわよ」
そう言ったのは、双子の若い女だった。外見上は、である。二人とも全く同じ顔をし、
同じ服装をしていて、争う意思がないことをアピールするために両手を軽く上げていた。
ソナタはすでにこの二人がオートマタン、もしくは脳以外は義身躯というサイバーロイ
ドであると見抜いていた。実は彼の右目は義身躯で、本来の緑の瞳とは違う赤いサイバー
アイなのだ。銃を撃つ時正確な照準をつけたり、こういうふうに人かオートマタンかくら
いは見通せたり、暗闇でも見ることができたり、あまり大っぴらに言えない秘密の機能が
あったりする(笑)。この義身躯の右目を隠すため、ソナタは顔の右半分を前髪で隠してい
るのだった。
背はソナタより少し低いくらいだろうか。双子の外見は二十歳そこそこに見え、青い目
が大きく、まつ毛がパッチリ、細面の美人なのはもちろんだが、どこか幼さも残る顔立ち
だった。オレンジに近い金髪は肩より若干短めのボブで、毛先を自由にハネさせるお洒落
な髪型をしている。どちらか片方にはほくろがあるとか、そういった違いはまるでない。
服装も動きやすい、ライダースーツのような上下が繋がったものを着ていた。身体にフ
ィットしているので、程よい大きさの胸とくびれた腰、ヒップから長い足にかけての身体
の線がセクシーに見える。均整の取れたプロポーションは、特注と言うよりは大量生産の
機体のようだ。身体と同じく服の形も全く同じで、グリーンと白を主に使ったデザインの
どこにも、二人の服に差異はない。
この2体をどこからか本当の『顔のない死神』が操っているのだろう。サイバーズは外
見を自由にオーダーメイドできるので、機体が若い美女だからといって本物もそうとは限
らない。
「あなた達は何者です?」
用心深く、ソナタは言った。
「…この辺りでは見ない顔だ。オレ達に用か?」
ディーも険しい顔をして彼女達をねめつける。彼女らの気配に気付かなかったことを密
かに悔しく思いながら。
「私達は今あなた達の話に出ていた、」
と右の彼女が言うと、左の彼女がその先を引き取って、
「『顔のない死神』と呼ばれているわ」
と言った。
「「何!?」」
ディーとソナタは驚いた。まさかもう向こうから出向いてくるとは思ってもなく、心の
準備ができていなかったので、完全に不意打ちを喰らった気分だった。
「どうしてアンタら『死神』がここに?」
ディーの表情はすでに冷静のように見えたが、実はまだ面食らっているに違いない、と
ソナタは思った。
「もちろんあなた達、『アクロード』に依頼するためよ」
「はあ?」
ディーはクールな彼らしからぬ声を上げた。もちろんこのリアクションは正しいのだろ
うが、ソナタはさっきちらと予想していたことだったので平静を装うことができた。だ
が、この時点ではまだ死神の意図が読めないので、依頼というのが本気なのか何かの罠な
のか図りかねていた。
「『顔のない死神』が、私達に依頼?何の冗談です?」
同じ表情で彼女らはソナタを見る。
「冗談なんかじゃないわよ」
「依頼をするのに通常の手順を踏まなかったのは悪いと思ってるわ」
「だけどこっちも緊急なの。ホントはこんな部屋の鍵なんて簡単に開けられるんだから、
あなた達の部屋に入って待っててもよかったんだけど…」
「そこまでするのはさすがに遠慮したのよ。だから中で話を聞いてくれないかしら?」
『死神』を名乗る双子は交互に言う。
ディーとソナタはまだ完全に納得はいかなかったものの、お互い顔を見合わせ警戒を解
き、結局死神の言う通りに彼女達を部屋に招き、話とやらを聞くはめになるのだった。