↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

森を焼くドワーフなんて大嫌いでした――あなたに嫁ぐまでは

作者: わかめ
掲載日:2026/09/21

森を焼いたドワーフなんて大嫌いでした――私が嫁ぐまでは


「ドワーフのところへ嫁いでもらう」


父からそう告げられたとき、私は冗談だと思った。


だから笑った。


「まあ、お父様。ずいぶん趣味の悪い冗談ですこと」


「冗談ではない、リュシア」


父は笑わなかった。


その瞬間、私はようやく理解した。


これは本当なのだ。


私、リュシア・エル・ファレノアは、二十三歳の春。


生まれ育った森を離れ、よりにもよって――。


森を焼くドワーフの男へ嫁ぐことになった。


⸻


私たちエルフと、北の山岳地帯に暮らすドワーフは、長い間争ってきた。


原因は単純ではない。


川。


森。


鉱脈。


街道。


国境。


百年以上も隣り合って暮らしていれば、争う理由などいくらでも生まれる。


ただ、私が子供の頃から最もよく聞かされた話は一つだった。


――ドワーフは森を焼く。


五十七年前。


まだ父が幼かった頃、国境争いの最中にドワーフ軍が森へ火を放った。


炎は三日続いた。


古い樹々が倒れ、獣が死に、いくつもの集落が焼けた。


戦争のためだった。


侵攻するエルフ軍を止めるための防火帯を作ろうとして、火が予想以上に広がったのだと、後になってドワーフ側は説明したらしい。


けれど。


焼けた側にとって、その理由がどれほど意味を持つだろう。


私たちの国では今も、その一帯を《灰の森》と呼ぶ。


だから、私はドワーフが嫌いだった。


彼らは山を掘る。


木を切る。


石炭を燃やす。


炉から煙を吐く。


大地を傷つけることを、まるで当然の権利のように考えている。


そう教えられてきた。


もちろん、戦争はもう終わっている。


正確には、私が生まれるより前から大規模な戦闘は起きていない。


交易もある。


街道も通じている。


それでも国境では小さな揉め事が絶えなかった。


そして今年。


両国は正式な和平条約を結ぶことになった。


その象徴として選ばれたのが、私だった。


父は森西部を治める公爵。


相手はドワーフ領東部を預かる辺境伯。


地理的にも、身分的にも、ちょうどよかったらしい。


「ちょうどよかった、で娘を嫁がせないでくださいませ」


私がそう言うと、父は困ったように眉を下げた。


「すまないと思っている」


「でしたら断ってください」


「できるならそうした」


その言い方で、私はそれ以上責めることができなくなった。


父は政治家としては甘い。


でも、父親として私を粗末に扱ったことは一度もない。


そんな人が断れなかったのだ。


それほど重要な婚姻なのだろう。


「……相手は、どんな方ですか」


「ガルド・ヴァン・ドルグレン。三十六歳。ドルグレン辺境伯家の当主だ」


「三十六」


「ドワーフでは若い方だ」


「存じています」


エルフほどではないが、ドワーフも人間より長命だ。


それでも、私たちほど時間の感覚がゆっくりしているわけではない。


父は続けた。


「先代の急死で十年前に家督を継いだ。鉱山経営と治水事業に詳しい。軍歴もある」


「森を焼いた経験も?」


父が黙った。


「冗談です」


あまり面白くはなかった。


⸻


結婚ではなく、まずは婚約。


半年間、私はドルグレン領で暮らすことになった。


それで双方に重大な問題がなければ婚姻を成立させる。


表向きはそういう話だった。


けれど国家間で正式に発表された政略婚だ。


実際には、よほどのことがなければ破談になどできない。


私は覚悟を決めた。


少なくとも、礼儀だけは失わないようにしよう。


相手がドワーフだからといって、初対面から敵意を向けるのは品位に欠ける。


そう思っていた。


――ドルグレン領へ入るまでは。


馬車の窓から巨大な煙突が見えた。


黒い煙が立ち上っている。


「ああ……」


私は思わず声を漏らした。


これがドワーフの国。


森よりも煙。


鳥の声よりも槌の音。


予想していた通りだ。


ところが。


「……あら?」


しばらくして、私は窓へ顔を寄せた。


妙だった。


森がある。


思っていたより、ずっと多い。


山肌すべてが削り取られているような光景を想像していたのに、斜面には針葉樹の森が広がっている。


伐採された場所もある。


だが、そこには規則正しく若木が植えられていた。


さらに妙だったのは川だ。


鉱山地帯を流れる川など、泥と鉱毒で濁っているものだと思っていた。


けれど窓の下を流れている水は、底の石が見えるほど澄んでいた。


「どういうこと……?」


私が呟くと、同行していた侍女のミアが首を傾げた。


「綺麗ですね」


「ええ」


気に入らない。


とても気に入らない。


もっと分かりやすく酷い場所でいてくれた方が楽だった。


⸻


ガルド・ヴァン・ドルグレンは、想像していたより大きな男だった。


ドワーフと聞けば背が低いと思う者もいるが、彼らは人間よりやや低い程度で、横幅がある。


特にガルドは肩が広かった。


焦げ茶色の髪。


短く整えた顎髭。


華美な装飾はなく、濃紺の上着に革のベルト。


領主というより、工房の親方のように見える。


「リュシア・エル・ファレノア嬢」


低い声だった。


「長旅、ご苦労だった」


「お迎えいただき、ありがとうございます。ガルド様」


私たちは形式通りに礼を交わした。


彼は私をじっと見た。


値踏みするような目ではない。


けれど愛想もない。


「部屋を用意してある。今日は休むといい」


「ありがとうございます」


以上。


私は拍子抜けした。


もう少し何かないのだろうか。


政略結婚とはいえ、婚約者である。


「何か?」


立ち去ろうとした彼が、私の視線に気づいた。


「いえ。随分あっさりしていらっしゃると思いまして」


「疲れている相手を立たせて話し込む趣味はない」


「……なるほど」


間違ってはいない。


むしろ気遣われている。


それが妙に腹立たしい。


私は多分、彼に失礼なことを言ってほしかったのだ。


そうすれば、嫌う理由が増えるから。


⸻


翌日。


ガルドは領内を案内すると言った。


私はまず製鉄所へ連れていかれた。


「いきなりここですか」


「見たいかと思った」


「どうして?」


「昨日から煙突を睨んでいた」


見られていた。


少し恥ずかしい。


巨大な炉の前では、何十人もの職人が働いていた。


熱い。


うるさい。


空気には金属と石炭の匂いが混じっている。


私は眉を寄せた。


「やはり、かなり煙が出ますのね」


「ああ」


「森には良くありません」


「ああ」


「否定なさらないのですね」


ガルドは私を見る。


「煙が身体にも森にも良くないのは事実だ。否定して何になる」


私は言葉に詰まった。


もっとこう、


これは必要な産業だ、とか。


エルフには分からない、とか。


反論されると思っていた。


「では、なぜ?」


「必要だから使う。ただし減らす」


彼は工場の奥を指した。


煙道が途中でいくつかの大きな箱状設備を通っている。


「煤を落とす装置だ。完全ではない。炉の改良も続けている」


「そこまでして製鉄を?」


「鉄を使わないのか?」


「使いますけれど」


「鍋は?」


「使います」


「農具」


「……使います」


「釘」


「使います」


「剣」


「使いますわ」


「なら、誰かが作る」


ぐうの音も出ない。


ガルドは別に勝ち誇らなかった。


ただ事実を述べている。


「俺たちは鉄を作る。だから、作る責任も俺たちにある」


その言葉だけは、少し意外だった。


⸻


次に連れていかれたのは鉱山だった。


私は覚悟した。


今度こそ酷い場所に違いない。


実際、山は削られていた。


巨大な坑道が開き、岩が積み上げられている。


私は胸が痛んだ。


「これは……」


「ああ。山を削っている」


「平気なのですか」


「何がだ」


「こんなふうに大地を傷つけて」


ガルドはしばらく黙った。


怒らせたかと思った。


けれど彼は、静かに訊いた。


「君は木を切ったことがあるか」


「ありません」


「畑を耕したことは?」


「ありませんわ」


「家を建てたことは」


「……ありません」


「俺も、自分で全部やるわけではない」


彼は坑道を見上げた。


「だが、生きるというのは何かを変えることだと思っている」


「それは、都合のいい言い訳ではなくて?」


「そうなることもある」


即答だった。


「だから限度を決める」


ガルドは地図を広げた。


採掘区画。


保全区画。


水脈。


崩落危険地帯。


細かく色分けされている。


「この山は十五年後に採掘を終える」


「終わったら?」


「坑道を閉じる。斜面を整える。土を戻す」


「木を植えるのですか」


「森には戻す。ただし同じにはならん」


その言葉に私は顔を上げた。


「戻せないものもある、と?」


「ある」


ガルドは平然と答えた。


「だから掘る前に考える」


私は彼を見た。


今まで私は、ドワーフは山を壊しても気にしないのだと思っていた。


違う。


少なくともこの男は、壊すことを理解している。


その上で掘っている。


だからといって、私は納得できなかった。


「それでも、森を壊していることには変わりありません」


「ああ」


「腹が立たないのですか」


「君がそう思う理由は分かる」


「……ずるい方ですわね」


「なぜだ」


「もっと怒ってくだされば、こちらも怒りやすいのに」


初めて。


ガルドが少し笑った。


⸻


数日後、私は川辺を歩いていた。


ドルグレン領へ来てから、一番気になっていた場所だ。


鉱山のすぐ近くなのに、水が澄んでいる。


水辺には小さな魚までいた。


「不思議そうだな」


背後から声がした。


ガルドだった。


「尾行ですか」


「俺の屋敷の庭だ」


「……それは失礼しました」


彼は私の隣へ来た。


「川が気になるか」


「ええ」


「鉱山排水は直接流していない」


「どうして?」


ガルドは呆れたような顔をした。


「流したら魚が死ぬ」


「それはそうですけれど」


「魚が死ぬ水を飲めるか?」


「飲めませんわね」


「畑に使えるか?」


「難しいでしょう」


「下流には村がある」


そこでようやく分かった。


環境保護。


そんな大層な理念ではない。


生活のためだ。


「沈殿池を通して、石灰で処理する。それでも駄目なら使わず溜める」


「費用がかかるでしょう」


「かかる」


「採掘量を増やした方が儲かるのでは?」


「短期ならな」


ガルドは川へ小石を投げた。


「鉱山を十年持たせるために、村を百年住めなくする理由がない」


私は黙った。


その考え方は、私たちと意外なほど近い。


ただ方法が違う。


私たちは森を残そうとする。


彼らは使いながら残そうとする。


「エルフは、森に一切手を入れないと聞いた」


「一切ではありません。枯れ枝を拾ったり、薬草を育てたりはします」


「大木は?」


「もちろん切りません」


「倒木は」


「森へ還します」


ガルドは眉を寄せた。


「全部か?」


「ええ。それが自然ですもの」


そこで彼は、妙な顔をした。


「……見てみたい」


「何を?」


「君たちの森を」


少し腹が立った。


その言い方が、まるで問題があるように聞こえたから。


「よろしいですわ」


私は言った。


「でしたら、お見せします。あなた方が失った、本当の森を」


⸻


一月後。


和平協議の一環という名目で、私とガルドはファレノア領へ向かった。


正直に言えば、少し楽しみだった。


彼が私たちの森を見て、言葉を失うところを見たかった。


ドルグレンの森も悪くはない。


でも、人の手が入っている。


木々はある程度の間隔で植えられ、枯木は片付けられている。


森というより管理された庭に近い。


それに比べて、私たちの森は違う。


古い樹。


苔。


倒木。


幾重にも重なる緑。


何百年もの時間がそのまま積み重なっている。


「どうです?」


私は少し得意になって訊いた。


「綺麗でしょう」


「ああ」


ガルドは素直に頷いた。


満足する。


ところが。


しばらく歩くうち、彼の顔が険しくなった。


「リュシア」


「何です?」


「この辺り、去年も乾燥したか」


「ええ。今年も雨が少ないですね」


「倒木が多すぎる」


「自然に還る途中です」


「枯れ枝もだ」


「だから?」


ガルドはしゃがみ込み、地面から乾いた枝を拾った。


簡単に折れる。


「火が出たら止まらんぞ」


私は眉を寄せた。


「森は昔からこうです」


「昔から雨量も同じか?」


言われて。


私は答えられなかった。


近年、この辺りは雨が減っている。


夏も以前より暑い。


それ自体は皆知っていた。


「それに、この木」


彼が一本の古木を指す。


葉が少し変色していた。


「病気じゃないのか」


「老木です」


「隣もだ」


確かに。


同じような葉をした木が数本ある。


私は急に不安になった。


「そんなはずは……」


その年の夏。


ファレノア領で山火事が起きた。


⸻


幸い、大火にはならなかった。


落雷が原因だった。


ただし。


燃え広がるのが早かった。


地面に積もった枯れ枝。


乾いた倒木。


密生した樹々。


森を守るために残してきたものすべてが、火の道になった。


ドルグレンから来ていた技術者たちが防火帯を作り、私たちエルフが水の精霊術で延焼を抑えた。


三日目。


ようやく鎮火した森を見ながら、私は座り込んでいた。


黒く焦げた地面。


焼けた木。


五十七年前の《灰の森》の話が頭をよぎった。


「リュシア」


ガルドが隣へ座った。


顔も服も煤だらけだった。


彼自身、消火に参加していた。


「……あなたの言った通りでした」


私は呟いた。


「火事は予言できん」


「でも、危険だと分かっていた」


「可能性の話だ」


「それでも」


悔しかった。


何より、自分が正しいと思い込んでいたことが。


「私たちは森を守っていたはずなのに」


ガルドはしばらく黙っていた。


それから言った。


「守っていただろう」


「守れていません」


「全部間違っていたわけじゃない」


私は顔を上げた。


「古い木を残したから育つ菌もある。倒木で暮らす虫もいる。俺たちの森には少ない」


「……」


「俺たちは片付けすぎることがある」


意外だった。


今、この人は勝てたはずなのだ。


ほら見ろ。


エルフのやり方が間違っていた。


そう言えた。


でも言わなかった。


「問題は、どっちかだけで全部やろうとすることかもしれん」


ガルドは焼けた森を見ながら言った。


「残す場所と、手を入れる場所を分ければいい」


その言葉を聞いて、胸の奥で何かがほどけた。


⸻


その秋。


ファレノアとドルグレンの共同森林管理計画が始まった。


名前だけ聞けば随分立派だ。


実際の仕事は地味だった。


森を歩く。


木を見る。


土を見る。


水を見る。


地図へ記録する。


残す場所。


伐る場所。


若木を植える場所。


倒木をそのまま残す場所。


火災に備えて取り除く場所。


私たちエルフは、どの木がどれほど長く生きるかを知っている。


どの虫が何の木に付き、どの鳥が種を運ぶのかも。


ドワーフたちは水の流れを読む。


斜面を測る。


土砂崩れを予測する。


道を作る。


橋を作る。


意外なくらい、互いの知識は噛み合った。


もちろん揉めることもある。


「この木は伐れません」


「倒れたら道を塞ぐ」


「まだ二百年しか生きていません」


「十分長いだろ」


「若木です!」


「その感覚は理解できん!」


そんな言い争いを何度もした。


けれど。


以前と違って私は、ガルドが森を嫌っているとは思わなくなっていた。


彼は必要なら木を切る。


山も掘る。


川の流れすら変える。


でもそれは、壊して終わるためではない。


人が住み続けるためだ。


そして彼もまた、私たちから学んでいた。


ある日、ドルグレン領へ戻る途中。


伐採地で馬車が止まった。


「少し待ってくれ」


ガルドが降りた。


何事かと思って窓を見る。


作業員たちが若木を植えている。


以前なら同じ種類の木ばかりだった場所に、何種類もの苗が混ざっていた。


私は馬車から降りた。


「変えたのですか」


「ああ」


「どうして?」


「君が言っただろう。種類が少ない森は病気が広がりやすい」


覚えていたらしい。


「全部変えるには時間がかかるが、試す価値はある」


私は思わず笑った。


「何だ」


「いえ」


「言え」


「あなた、意外と素直ですのね」


「良い方法なら使う」


「エルフに教わった方法でも?」


「誰が言ったかで木は育ち方を変えん」


その答えが、とても彼らしかった。


そして。


少しだけ、好きだと思った。


⸻


婚約期間の半年は、驚くほど早く過ぎた。


最初はあれほど長く感じていたのに。


期限が近づくにつれ、私は落ち着かなくなった。


和平条約の条件上、問題がなければそのまま結婚する。


問題などない。


だから私はガルドと結婚する。


そう決まっている。


なのに。


なぜか、それでは嫌だった。


政略だから結婚する。


国同士が決めたから結婚する。


それでは、嫌だった。


ある夕方。


私はガルドを庭へ呼び出した。


「話があります」


「分かった」


「まだ何も言っていません」


「顔を見れば分かる」


腹が立つ。


でも以前ほどではない。


「婚約のことです」


「ああ」


「半年が経ちます」


「そうだな」


「正式な婚姻について、両家から確認が来ています」


「俺にも来た」


「……ガルド様は、どうするおつもりですか」


彼は私を見る。


「君は?」


またそうやって。


「私が聞いています」


「なら答える。君が望むなら結婚する」


胸が少し沈んだ。


「望まなければ?」


「破談にする」


私は思わず彼を見た。


「できますの?」


「簡単ではない」


「和平は?」


「婚姻だけが和平じゃない。共同事業も始まった。半年なら時間を稼げる」


「そんなことをしたら、あなたの立場が」


「悪くなるだろうな」


「でしたら!」


「嫌がる相手を妻にするよりましだ」


本当に。


ずるい。


この人はいつもそうだ。


必要なことだけ言う。


格好つけない。


恩着せがましくもしない。


だから余計に、こちらが困る。


「最初」


私は言った。


「私はあなたが嫌いでした」


「知っている」


「知っていたのですか」


「顔に出ていた」


恥ずかしい。


「ドワーフも嫌いでした」


「それも知っている」


「森を焼く、野蛮な人たちだと思っていました」


ガルドは黙って聞いている。


「実際、あなた方は森を焼いた」


「ああ」


「五十七年前のことを、なかったことにはできません」


「できん」


「今でも、許せないと思う人はたくさんいます」


「当然だ」


私は深く息を吸った。


「でも」


言わなければ。


これは、国に決められた婚姻のまま終わってしまう。


「私は、あなたのことを知らなかった」


ガルドの眉が少し動いた。


「ドワーフのことも。山のことも。鉱山のことも。あなた方がどうやって暮らして、何を考えているのかも」


「……ああ」


「そしてあなたも、私たちの森を知らなかった」


「そうだな」


「だから」


自分でも驚くほど緊張した。


外交の場で何十人を前に話すより、ずっと。


「これから一緒に知りませんか」


ガルドが黙った。


長い。


「何か言ってくださいませ」


「考えている」


「今ですか!?」


「大事な話だろう」


「そこはすぐ答えるところでしょう!」


初めて本気で怒鳴った。


ガルドが笑った。


声を出して。


「悪かった」


「もう!」


「リュシア」


彼が私の手を取った。


大きな手だった。


木を切り、岩を割り、鉄を扱う民の手。


でも私の手を握る力は、とても慎重だった。


「俺も、君と一緒に知りたい」


それだけだった。


愛している、とは言わなかった。


永遠を誓う、とも。


でも。


それで十分だった。


⸻


私たちの結婚式は、翌春に行われた。


場所について最後まで揉めた。


私は森がいいと言った。


ガルドは山がいいと言った。


結局、国境に新しく作った共同管理所の庭になった。


我ながら色気がない。


けれどエルフとドワーフの双方が集まれる場所だった。


式の途中。


私は遠くの山を見た。


木のない場所がある。


鉱山だ。


昔の私なら、あれを見ただけで顔をしかめただろう。


今でも、美しいとは思わない。


山を削ることが正しいとも思わない。


ただ。


必要なものを得ながら、どこまで残せるか。


壊したものを、どこまで戻せるか。


戻せないものを、どう減らすか。


そういう問いから逃げずに暮らしている人たちがいることを、私は知っている。


そしてガルドも。


鬱蒼とした森を見て、以前のように「全部伐った方がいい」とは言わなくなった。


残すべき倒木がある。


残すべき古木がある。


手を入れないからこそ守れる場所がある。


彼もそれを知った。


「リュシア」


式の後、ガルドが私を呼んだ。


「何です?」


「贈り物がある」


渡されたのは、小さな木箱だった。


開ける。


中には銀色の腕輪が入っていた。


葉と槌の模様。


エルフとドワーフの意匠が絡み合っている。


「あなたが作ったのですか?」


「ああ」


「領主が?」


「元々鍛冶師だ」


そうだった。


ドワーフなのだから当然と言えば当然なのに、なぜか忘れていた。


腕輪の内側に、小さな文字が彫られている。


私は読んだ。


『知らぬものを、知るために』


思わず笑った。


「結婚の贈り物としては、随分堅い言葉ですこと」


「嫌か?」


「いいえ」


私は腕輪を着けた。


少し重い。


でも、不思議と心地よかった。


「気に入りました」


「そうか」


「ただ、一つだけ」


「何だ」


私は夫になる男を見上げた。


「次はもう少し、甘い言葉も覚えてくださいませ」


ガルドは本気で困った顔をした。


それがおかしくて、私は笑った。


森を焼いたドワーフなんて、大嫌いだった。


多分これからも、理解できないことはたくさんある。


私たちは長く生きる。


彼らは山を掘る。


私たちは古いものを残したがる。


彼らは必要なら作り替える。


違う。


だから争った。


けれど。


違うからこそ、一人では見えないものもある。


結婚式の向こうでは、エルフの森林官とドワーフの技師が、早速何か言い争っていた。


どうやら新しい水路の位置について揉めているらしい。


私はガルドを見る。


彼も同じものを見ていた。


「行きますか」


「ああ」


私たちは並んで歩き出す。


森と山の間へ。


まだ誰も、正しい答えを知らない場所へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。