32 村には帰るな
カウベルフェルトの街から歩いて帰る私たちを道の途中で出迎えてくれたのは、おじいちゃんだった。なんと、一番私の帰りを待っていてくれたのがおじいちゃんだったとは。
「おじいちゃん!待ちきれなくてここで待っててくれたの?あのね、ブラオバーデンは本当にお湯が青くてね、お土産は靴下でね…」
話し始める私の口を、おじいちゃんはぱっと押さえる。そして低い声で言う。
「小屋には…村には帰るな」
「どういうこと?また悪い病気でも流行り始めたの?それだったらむしろ早く帰って治療しないと」
「違う」
だったらなんだろう。出稼ぎから帰ってきたら妻子がいなくなっていたエマちゃんのお父さんが、怒鳴り込んできた?
「レオを探しに来た連中がいるんだ」
「それってアロイスさんじゃないの?」
「違う、あいつらは…いや、そんなことはどうでもいい。とにかくサティ、考えてる暇はない」
おじいちゃんは私の両肩を掴んだ。
「村に来た奴らはサティの小屋を荒らしたうえに燃やして、村人にもレオの行方を聞いてはひどく乱暴した。危険だ。村には戻らず早くカウベルフェルトに引き返せ。そこで馬を借りるか馬車に乗るかして、どこでもいい、遠くに逃げるんだ」
おじいちゃんの目は血走っていて、よくわかんないけど緊急事態なんだってことはわかる。
「おじいちゃんは?おじいちゃんも一緒に行こう」
「いや、俺は少しでも奴らを引き止める」
「放火して暴力を振るうような人達なら、危なすぎるよ!一緒に行こう、おじいちゃん!!おじいちゃん一人で何ができるって言うの!?」
おじいちゃんは首を振った。
「心配するな。これでも昔はベルント軍のミケルっていやあ、ちっとは名の知れた兵士だったんだ」
そして骨ばった手でテオくんの頬に触れる。
「お前さんはわしの弟に似てるよ。弟も火の魔力をもっていたんだ。けれどわしは優しくしてやれなかったし、弟を幸せにもできなかった」
おじいちゃんはテオくんを抱きしめた。
「じいちゃん…?」
「元気でな、テオ」
それはまるで今生の別れの挨拶のようで、私の目に涙が滲んでくる。こんな挨拶をしなきゃいけない状況なんだと、思い知らされる。
おじいちゃんは「なに?」「おじいちゃんどうしたの?」と笑うクリスタちゃんとレオくんにも頬ずりした。そして私に目を向ける。
「サティ、子どもたちを守れ。守ってやってくれ。赤い服の奴らに見つかるな。行け」
「…わかった」
そのままおじいちゃんは村に向かって引き返した。私はカウベルフェルトに向かって急ぎ足で歩き出す。振り返らない。おじいちゃんも私も、最優先は子どもたちだ。二人で三人を守る。
「サティ、何で戻るの?」
「お家に帰らないの?」
レオくんとクリスタちゃんが不思議そうな声をあげる。テオくんだけは、何か良くないことが起こっていると察して、クリスタちゃんの手をとった。
私は二人に向けて、「ごめんねぇ。私がマリウスさんのおうちに忘れ物しちゃったんだ」と無理やり口角を上げた。不安にさせたくない。
「ええ?サティ忘れんぼ!」
「そうだねぇ」
「おうちに帰るの遅くなっちゃうよ」
「早くお風呂に入りたいのにぃ」
「ごめんねぇ」
「マリウスさんのおうちにもお風呂はあったけど、うちのほうが深くてあったかいんだよ」
「そうなんだぁ」
もうおうちには、ずっと帰れないかもしれない。うちのお風呂にも入れないかもしれない。りんご園も、レオくんが描いてくれた素敵な絵も、ブランコからの景色も、もう見られないかもしれない。
一年も住んでいないのに思い出が多すぎて涙が出そうになるけど、今は泣いている場合じゃない。逃げないと。守らないと。
「サティ!」
テオくんの声で後ろを振り返る。馬に乗ってこっちに向かってくる、赤い服を着た一団。
《赤い服の奴らに見つかるな》
おじいちゃんの声が蘇って、心臓がどくんと跳ねる。
きっと彼らが、レオくんを探しに来た乱暴な連中だ。
このままじゃ追いつかれてしまう。どうしよう。どうしたら。
テオくんがブレスレットを外して、私たちに背を向ける。クロがふわりとテオくんの肩に乗った。
「俺が止めるから、サティは二人を連れて逃げろ」
「テオくん、だめ!」
だってあんなにたくさんいる。いくらテオくんの魔力が強くても、きっと無理だ。
「テオくん、一緒に…」
言いかけた言葉を、もうそこまで迫った馬のいななきと足音がかき消す。剣や槍がこすれ合う音なのか、金属音もする。きらりと刃物が夕陽を反射する。
テオくんの足元に、熱が集まっていくのがわかる。大地が焦げる匂いがする。クロが威嚇するように吠えて火を吐く。
「行け、サティ。必ず追いつくから」
テオくんが横顔で小さく笑った。笑顔があまりにも大人びていて、頼もしいというよりも悲しくなる。そんな顔をしてほしくないの。まだ十四歳だよ。
私は「だめ!」とテオくんを抱き止める。彼の体が熱い。
「サティ…!」
「一緒に走るよっ!!」
次の瞬間、大きな音が轟いた。




