10 ちょっと大人の時間
クリスタちゃんがすやすやと寝息を立て始めて、私はそっとリビングに戻った。本を読みかけながらうとうとしているテオくんに声をかけて、お風呂に促す。昨日遅くまで手伝ってくれたし、今日も朝からフル回転してくれたもんね。そりゃ眠いでしょう。私だってちょっと眠いもん。
そのとき玄関を遠慮がちにノックする音が聞こえた。扉を開けると、マリウスさんが一瞬びくっとする。
「マリウスさん…?」
「あ…ええと、遅い時間にすみません。クリスタちゃんはもう寝てしまいましたか?」
ええ。うちは未就学児は八時までには寝かせる方針ですから。さらに今日は誕生日会で興奮したのか、クリスタちゃんはいつもより早く寝てしまいましたとさ。
「クリスタちゃんに誕生日プレゼントを持ってきたんです。これから寒くなるので…手袋を」
「わ、ありがとうございます。無理を言っていちごを手配していただいたうえに、プレゼントまで」
果物屋だからって安直に「果物の盛り合わせ」じゃないところが嬉しい。いや盛り合わせでも嬉しいけどね?普段果物と言えばりんごしか食べてないから。いや私が嬉しくても仕方ないんだけど。もらうのクリスタちゃんだから。
私は「飲み物でも」と彼をリビングに通して、クリスタちゃんがいちごのホールケーキをとても気に入ってくれたことを報告する。マリウスさんは何故だかほんのり赤い顔で嬉しそうに聞いてくれたあとで、ふとこう聞いた。
「サティさん、何かありましたか?」
「何かって?」
「何だか、楽しいだけという感じではない表情なので」
勘が鋭い人だな。
「クリスタちゃんは誕生日を怖い日だと思ってたんです。それで…ちょっとびっくりさせちゃいました」
「そうなんですね」
「私、思いつきもしませんでした。自分の誕生日を嫌がったり怖がったりする子どもがいるだなんて。私が知っている子どもたちはみんな、誕生日を楽しみしてたから…」
そう。保育園のみんなは、誕生日はにこにこだった。
「自分の常識の範囲でだけ考えてて、恥ずかしいです。それに、これからも…二人と過ごしていくならそんなことがたくさんあるのかなと思って」
今日は「誕生日は楽しい日」なんだと、クリスタちゃんの思い出を少し上書きできたと思う。だけどまた私が知らずに辛い思い出を掘り返してしまって、リカバーできなかったとしたら…?
怖い。
あの子たちにどう関わったらいいのか。
そんなつもりはなくても、傷つけてしまいそうで。
そんな風に思うなら、連れて来なければ良かったのに。
「サティさんは本当に優しい人ですね。血のつながりもない、ただ街でぶつかっただけの子どものことを、そこまで真剣に考えられるなんて」
「いや…」
「大丈夫です。行き違いがあってもきっとやり直しできますよ、サティさんとあの子たちなら」
マリウスさんが優しく緑の目で微笑んでくれると、そうかもしれないと思える。
「そうですね。ありがとうございます」
そのとき「お風呂の栓抜いといたよ」とテオくんが帰ってきた。うん。さっぱり清潔になってハンサムだね。お疲れなんだから、早く寝な。
けれどテオくんはマリウスさんと私を見て目を点にする。
「何してんの」
「マリウスさんがクリスタちゃんに誕生日プレゼントを持ってきてくださったんだよ」
「で、何で我が物顔でまったりお茶なんて飲んでんの」
「こらこら、プレゼントだけ受け取って”はいさようなら”は失礼でしょ」
立ち上がった私の格好を見て、テオくんは目を見開いた。
「てかサティ、寝間着じゃん!そんな恰好で男とこんな時間にっ…」
「え、だめ?」
だって、前世の寝間着みたいな擦り切れただるだるのジャージと首元よれよれのTシャツじゃなく、ちゃんとしたワンピースタイプの寝間着なのだ。前世ならば「森系コットンワンピース」として外出着でも通るような。ちゃんとショールも羽織ってるし、大丈夫でしょ?
「だめに決まってるだろ!しかもよく考えたら髪も下ろしてるしっ…」
この世界では、成人女性は人前にでるときには髪をまとめている。髪を下ろすのは家族の前だけだそうだ。しゃらくせえ。テオくんって、意外にこういうマナーの部分は厳しいんだよね。
「はいはい、ごめんよ」
「真剣に考えてないだろ!」
「いや悪いと思ってるって。以後気をつけまーす。はい、今日は疲れただろうからもう寝な。私もマリウスさんをお見送りして寝るからさ」
まだ抵抗しながら小言を言っているテオくんに「クリスタちゃん寝てるから静かにね」と言うと、すぐ静かになる。いい子。
マリウスさんも空気を呼んで立ち上がった。
「長居しました」
「いえ…私が話を聞いていただいてたので。ありがとうございます。少し気が楽になりました」
マリウスさんを玄関まで見送る。彼は「その服装と髪型は…僕は大丈夫ですが、他の男性の前ではしないほうがいいかと」と、赤い顔で言い残して帰って行った。やっぱりこの世界では、はしたなかったのか。
「がさつな女と思われたかな」と思うとちくっと胸が痛くて、私はショールの胸元をぎゅっと手で合わせた。




