失恋令嬢、陰キャにも振られる!
旧タイトル『お金の切れ目が縁の切れ目?そんな婚約者はお断り。噂の天才と領地を立て直します』からタイトルを変更し、加筆・修正しました。
「知っていますか?ヴィンセントは教授に嫌われて、就職先を潰されたんですよ」
「平民のくせに空気が読めず、首席で卒業するから冷遇されて……」
伯爵代理としての顔合わせと、婚約発表を兼ねた夜会。
リアナとヴィンセントの周囲には、“親切な”貴族たちが集まっていた。
ヴィンセントは、そっと視線を落とす。
「まあ!知りませんでしたわ。成績に空気を読む文化が必要?……そんなはずはありませんわ。皆様、素晴らしい方々ですもの」
リアナはパチンと扇子を閉じ、ヴィンセントの胸元へ手を添えた。
「うちの未来の旦那様のお話を色々とありがとう。これでも不器用で可愛らしいのよ?それなのに、皆様に覚えてもらえるほど優秀だなんて。ふふふ」
「リアナ。アカデミー出身で勉強が出来ない人間はいないよ。……ただ、色々な人がいるだけさ」
――十年の婚約では辿り着けなかった場所に、私達は三カ月で立っている。
ヴィンセントは衝動を抑えきれず、彼女を抱き寄せ、その首元へそっと口付けた。
これも、惚れた弱みだ。
彼女のために、価値を示し続けると誓った。
リアナは真っ赤になった顔を、開いた扇子でそっと隠した。
◇◇◇
――三カ月前。
「……リアナ。すまない」
去年と今年の冷夏のせいで、領地の税収が激減した。
本来なら、十年間の婚約を経て、結婚式の準備に入っているころだった。
そんな時に、父親に呼び出され、婚約解消と我が家の財政状況を知らされた。
持参金が払えない。
相手方に待ってもらえるよう話を切り出したが、聞く耳を持ってくれなかったらしい。
婿入りであっても、婚姻に伴う資金の整理は避けられなかった。
「トビアスは?」
「……この手紙を預かってきた」
『――今回の事は本当に遺憾に思っております。しかし、当家も貴族として対応しなければなりません。困窮されていると聞き、慌てて金銭に換えたものです。少しでもお役立てください――』
それは、ほんの子どものお小遣い程度の金額だった。
慰謝料を請求されないだけ、ましだろうか。
手紙を持つ手が、小刻みに震えてしまう。
「二年くらい待ってもらえないのかしら……」
「あの様子では難しいだろうな。何より、こちらはまだ復興の見込みすら立てられていない」
本当に欲しい言葉も欲しいものもこれではなかった。
優しい。
しかし、その優しさでは何も変えられない。
「お父様、先立つ不幸をお許しください」
「リアナ!?そんなに思いつめなくても……!」
父が慌てて止めに入る。
私はそんな父に、両手を差し出した。
一瞬、父伯爵がぽかんとこちらを見る。
――あら、間抜け面だわ。
私はお母様似だから、大丈夫よね。
「先行投資です!先立つもの(お金)を早くお願いします!」
先日、ご婦人の集会時にお母様が自慢していたではないか。
うちの領地にアカデミーを首席で卒業した天才が帰ってきたと。
『血も涙もない冷血漢』
『女嫌いの天才』
『優秀だけど人格に問題がある』
ここまで言われる人物だ。
きっと普通ではない。だからこそ、期待が持てる。
天才らしく、とんでもない解決法を持っているかもしれない。
「女嫌いな人に好感を持ってもらえる服装って、どんな感じかしら?男装?それとも……。そもそも、女だと名乗らなければいいかしら」
身分を偽ってみる?
でも、こういう人間は怒ったら怖そうだ。嘘をつくのは悪手か……。
とはいえ、相手の出方が分からなければ対策も立てられない。
――行くか。
「ちょっとお待ちください」
「マリー?」
乳母の娘で、姉のような存在でもあるマリーが、私に帽子を被せて日傘を手渡す。
「領地の視察に行ってくるわ。財政回復のヒントも探してくる。そのために、噂の天才、ヴィンセントが必要なのよ」
「なるほど。お嬢様らしいですが。日焼け対策はしてください。……住所は知ってるんですか?あと、彼に何を言われても、暴れないでくださいね」
◇◇◇
彼と挨拶を交わした直後、かなり手痛い歓迎を受けた。
「貴族のお嬢様のお遊びに付き合っていられません。お帰りください。大体、収穫量が落ち込んだ領地をすぐに立て直す方法?そんなものがあったら、どこも困窮しないでしょう」
くすんだ金髪に金茶の瞳。これが噂のヴィンセントか。なかなか整った顔立ちだ。怜悧な瞳がこちらを射貫いている。
正論すぎてぐうの音も出ない。
まぁ、いい。
「お父様から、貴方宛の手紙を預かってきたの。そのお礼もないのかしら」
ヴィンセントが、一瞬喉を詰まらせたような声を漏らす。
「ありがとうございます、お嬢様」
私から手紙を受け取ったヴィンセントは、文面に目を通している。
うちのお父様も、彼を支援していたはずだ。
でも、それはお父様がしたことであって、私ではない。
しばらく手紙を読んでいたヴィンセントの表情が、すっと抜け落ちた。
そして、抑揚のない声で私に告げる。
「ああ、すみません。……やはり、高慢で世間知らずなお貴族様の暇つぶしには付き合いきれません」
「……なっ!?」
マリーが食ってかかろうとするのを、必死に押さえた。
「……あの、その手紙は持ってこない方がよかったのかしら?」
恐る恐る、ヴィンセントに尋ねると、彼は口元を歪めて私に向き合った。
「いいえ。ですが、お嬢様。あまりにもタイミングがよすぎましたね。同時に俺を利用しようとする人間が二人も現れるとは」
ヴィンセントが手紙を乱雑に放り投げた。
「ははは……!領主様の娘でなければ、貴女のような人を相手にする必要もなかったのに」
鋭い敵意に息を呑んで動けなくなる。
――私は、彼に何かしてしまったの?
「俺は、自分で何もしないくせに、ふんぞり返って手柄だけをとる人間が大嫌いなんです。……まさに、貴女のような人がね」
……何も、そこまで無茶を言ったのかしら。
領地の皆を助けようとすることが、そんなにいけないことなの?
「ヴィンセント。あなた、自分のことしか見えていないのね」
「……は?」
ここまで貶められて、黙っていたら領主の娘ではない。
この領地を背負い、苦労してきた父の背中に砂をかけるのと同じだ。
「あなたには期待……していたけれど、本当に用があるのはここのご夫妻よ。……噂では品種改良に力を入れているとか」
そう。外国出身のご主人が、色々な農作物を育てているらしい。
そんな話を聞いてきたのだ。
この地方は、そこまで土壌が悪いわけではない。
ただ、ここ数年は雨が少なかった。
比較的穏やかな気候だから、これほど深刻になるとは思っていなかったのだが――。
やはり、この辺りでは小麦や大麦が優先されている。
でも、それだけに頼っていたら、今回のようなことがまた起きるかもしれない。
土地だって休ませなければ痩せて、生産性が落ちるらしい。
ここまでは、うちの図書室で勉強ができた。
でも、本物の農作物を見ていない。
特に、とある地方の本が面白かった。
ただ土地を休ませるだけでなく――。
「根菜に力を入れているそうじゃないの?……でも、貴方は必要ないわ、ヴィンセント。私を追い返すかどうかは、貴方のご両親に決めてもらうわ」
「……多少は調べてきたようですね。一応、父の畑を見ていきますか。許可が下りればですが」
ヴィンセントは私に、手を差し出して来た。
それに気づかないふりをして、マリーに話しかける。
「もちろん、そのつもりよ。ついでに収穫量と作物も確認したいわね、マリー?それに、美味しいかどうかも」
マリーが答える前に、ヴィンセントが口を挟む。
「しょせん、庶民の食べ物ですよ。お貴族様のお口に合うとは思えませんが……」
ヴィンセントのその口調で試されているのを感じる。
この人は、こうやって人を試して――勝手に失望し続けるのだろうか。
捻くれている。
「あら、ご忠告ありがとう。じゃあ、もう二度と会いたくない紳士の手でも、受け取らなくては淑女の名折れね。……でもやっぱり要らないわ」
しかし、もう体裁もない私にはどうでもいい。
十年婚約していても、あっさりと捨てられるのが現実だ。
今の私には、同じ目的を持つ味方が必要だから、性格の悪さには目を瞑ろう。
夜中に枕を殴れば大丈夫。
「……気がお強い。それでは世の中、難しいでしょう」
「あなたこそ、色々と敵を作るわよ?――実際には、その作物に価値があると認めているんでしょう。それなのに、素直に認めることもできないみたいね」
私の言葉に彼は一瞬黙り込み、軽く頭を振る。
そして呆れ気味に溜息をついた。
「――なかなか図太いお嬢様ですね。婚約が駄目になったら落ち込みそうなものを……」
もう噂になっていたか。
痛い所を突いてくるわね……。
「あら。今度はちゃんと本音なのね。手切れ金が、子どものお小遣い程度だったのよ。悔しいから、私は私の価値を証明してみせると、昨日誓ったのよ」
私は肩をすくめながら、苦笑した。
いくらなんでも……まだ、癒えていない傷口を初対面の男性に抉られるなんて、惨めになったものね。
「……昨日」
くっ!と笑いを噛み殺した彼は、誤魔化すように咳払いをした。
そして、そのまま夫妻のもとへ案内してくれた。
素直じゃないけれど、意外と上手くやっていけるのかもしれない。
『優しい人』より、よっぽどいい。
嘘がないのだから。
◇◇◇
それから、数週間かけて少しずつ私とヴィンセントは距離が近づいていった。
一緒に畑をまわり、根菜について話し合った。
保存がきき、加工次第では色々と使い道がある。
栄養価も高く、畑を休ませる時期に植えれば無駄も少ない。
もとは、外国から入ってきたもので、もっとやせた土地でも栽培可能だということ。
領地の人々を飢えさせない、という目的にはぴったりだった。
小麦、大麦よりも育てやすい。
「それは何をしているの?」
「日誌……ですね。日付けと天候、気づいた点、作物の様子などを毎日書き留めています」
ある日、ヴィンセントがつけているノートについて聞いてみた。
なるほど。確かに、うちの図書室にも似たようなものがあった。
こういう積み重ねが、経験や知識となって後世に残るのかもしれない。
「細かいけれど……。こういう物を残す人間が必要なのね。今、私たちが生きていられるのは、貴方みたいな人がいたからかもしれないわね」
本棚にある古びた日誌を、そっと指でなぞる。
こうして残された記録だけが、過去の試行錯誤を確かに伝えてくれるのかもしれない。
まあ、それは言い過ぎかしら。
「お嬢様は、大雑把ですね。――それで、もう納得出来たでしょう?そろそろ、お遊びは終わりにして、将来を考えたほうがいい。伯爵領の為に、婿入りしてくれる人を探すんでしょう?」
「それは――」
ヴィンセントは正しい。
そうだ、そもそも持参金は用意出来なくてもいいじゃないの。
私がここを継げばいい。
本来はトビアスと結婚して、彼が伯爵領を治めてくれるはずだった。
それが無意味になった今、新しい婚約者を探さなくてはいけない。でも――。
「大切な領地を、信頼できない人間に任せたくないんだもの」
そこで私は、机に座っているヴィンセントの目の前で両手をついた。
彼の視界を出来るだけ奪うために、キスができるほどの距離まで顔を近づける。一瞬だけ、彼の瞳が揺れた気がした。
そのままの勢いで畳み掛ける。
「ねぇ助けてくれない?」
「お断りします」
――あれ?
「ねえ。助けてくれない!?白い結婚とか、契約結婚!そんなものでもいいから、助けてくれない!?」
私は食い下がる。恥も外聞もない、色気すらないプロポーズを申し込む私もどうかと思うけれど……。
あっさりと拒否される。
しかし、本当に簡単に断る男だな!
少しは悩んでほしい。
女心が少しもわかっていない人だ。
後ろでマリーが首を振っている。
「分不相応なのでお断りします。俺は人に頼られるような人間じゃありません」
頑として、首を縦に振ってくれない。やはり駄目か――。
ここ数週間で、彼となら上手くやっていけると思ってしまった馬鹿な私。
勢い任せだったのに、少しだけ視界が滲む。
私はこの短時間に、二回目の失恋をしたのだった。
落ちこんで、彼の家を後にする。早く帰ってしまいたかった。
しかしその前に、マリーがヴィンセントに話があると退席した。私の代わりに怒ってくれるのだろうか……。
――それは恥ずかしい。
でもマリーの思いやりも嬉しい。
まぁ、何を言ってもヴィンセントには響かないから大丈夫でしょう。
(なによ……。ちょっとだけ好きになっちゃってたのかしら。私ってば、チョロい女ね……)
――彼女が去った後。
静かな部屋に、お嬢様のメイドが戻ってきた。
確かマリーという名前だ。
ようやく……煩わしいお嬢様を追い出したのに……。まだ厄介事が。
落ち着かない頭を振って、マリーを促した。
「まだ何か?」
「お嬢様は、自覚はありませんけど。社交界では人気があります。こんなに何度も振られる人じゃないんですよ。……ふん」
それだけ言い残し、メイドは扉を閉めて出て行った。
反射的に、誰もいない空間へ言い返しそうになった。
開いた口を静かに閉じる。
そんなことは、わかっている。
ぐしゃりと前髪をかきあげ、深く息をついた。
――自分には関係ない。
もともと住んでいる世界が違う人だった。
彼女に初めて会った日に届けられた手紙を、もう一度開く。
『俺の補佐役として働かないか?君ほど優秀なら使い道もある。平民なら、大出世だろう。上役にも頼み込んで入れてやるから、連絡をくれ』
アカデミーで同期だった男からだった。
しょせん世の中は、人を利用する奴ばかりなんだ。
リアナお嬢様だけが違うと、何を根拠に信じればいい?
それでも彼女の無邪気な声と笑顔が何度も脳裏に浮かび、ずっと落ち着かなかった。
どうせあの人だって、役に立たないと分かれば、すぐに俺のことなど忘れる――。
そう考えて、手紙を乱雑にしまう。
カーテンを閉じ、苛々しながらベッドへ仰向けに倒れ込んだ。
◇◇◇
「マリー。振られちゃったわ。あぁぁ~……。しくじった。もっと色気で押すべきだったんだわ……」
「色気」
屋敷に閉じこもって、三日。
その間、ずっと雨が続いている。
畑は大丈夫だろうか……。いや、もう私は邪魔なのかもしれない。
専門家を呼び寄せよう。
あ、ヴィンセントにお金を払って正式に雇えばよかったのかもしれない。
でも、それだと話すら聞いてくれなかった気がする。
「お嬢様。雨がやみました。うざったいので、領地の見回りにでも行ってきてください」
「誰も彼も私に厳しい〜〜……」
久々に領地を歩くと、いい気分転換になった。
幼い頃から育った場所だ。
顔見知りも多く、領民のおじさん達が声をかけてくれる。
母と交流のあるご婦人方も気軽に声をかけてくれる……が、お見合い話が大半だ。
――もう。お母様のお陰で私は、『失恋令嬢』と呼ばれているのではないだろうか。
恥ずかしい。
「あ、川の流れ……。雨が続いたから、危ないかもしれないわ。近隣の子どもに、しばらくは近づかないように声をかけてあげないと」
道行く人に、川の増水に注意するように声をかける。
でも、さすがに地元の人たちだ。
私なんかより、よほど詳しい。
その辺りは心得ているようで、笑って頷かれた。
私の存在意義はなんだろうか……。
専門知識もない、実務経験もない。
だから、こんなにも役に立たないのかもしれない。
「マリー……。私、落ち込んでるわ……」
「お嬢様にも魅力的なところがたくさんありますよ。周りの男は見る目がありません」
マリーが優しい声で慰めてくれる。
『川が穏やかに見えても、急に増水して流されるということかあります。水が濁っていたり、流木があると要注意です』
前に、日誌を捲りながらヴィンセントが教えてくれた。
それを役立てようにも、みんな私よりも知識が豊富だ。
ふと、微かに悲鳴が聞こえた気がした。
周囲を見回すと、川の方から助けを呼ぶ声がする。
「まぁ……マリー!大変よ、子どもたちが中洲に取り残されているわ!……川の水も濁ってる……!」
流れも速くなっている。
一刻の猶予もないのかもしれない。
私は近くの家に走った。
◇◇◇
――ヴィンセント視点――
「助けてくれない?」
平民にすぎない自分にも、あっさり助けを求めるお嬢様。
俺が嫌いな人種だ。
そういう人間は、他人を利用することしか考えていない。
——少なくとも、俺が今まで出会ってきた貴族は、そうだった。
そのはずだった。
だから、即座に断った。
『大切な領地を、信頼できない人間に任せたくないんだもの』
その言葉を聞いた時に、少し心が揺らいだ。
無知で、まだ幼さの残る貴族のお嬢様。
そんな彼女が、意地を張らずに人を頼ることは、本当に悪いことなのだろうか。
一瞬だけ、迷いが生まれた。
しかし、その提案を受けることだけはしたくなかった。
今まで自分の力と努力でやってきたのだ。
それなのに、貴族のお嬢様に取り立ててもらって身を立てる?
そんな生き方は、自分には似合わない――。
自分の力だけで出世する。
そのためには、そろそろお嬢様とは距離を置くべきだった。
ずるずると付き合ってしまったのは、意外と努力家な彼女に絆されてしまったからだろうか。
だが、これでお嬢様も諦めただろう。
もう三日も姿を見ていない。
毎日ここに通っていた彼女が来ない――つまりはそういうことだ。
ちくり、と胸が痛んだ。
何故――?
今さらじゃないか。自分から冷たく突き放したくせに。
――くそ!彼女の事を早く忘れたい。
俺も王都で職を探さなければ……。
せっかくアカデミー入学の費用を賄ってくれた方々に申し訳が立たない。
「ヴィンセントさん!大変です!川に子どもたちが……!」
突然、お嬢様のメイドのマリーが家に飛び込んできた。
最悪の事態が頭をよぎる。
だが、今は準備が先だ。
うちの倉庫に杭とロープがあったはずだ。
一刻を争うかもしれない。
状況が見えない中、俺は必要なものをありったけ鞄に詰め込み、マリーの後を追った。
「最悪だ……!」
いつ子どもたちが流されるか、予想もつかない。
ハンマーを持つ手が震える。
杭を上手く打ち込めず、何度か失敗する。
だが、なんとかしなければ――。
子どもは三人。
「誰か!助けて……妹が――!」
「……ごぼ……!おにい……」
岩場にしがみついていた幼い子が、流されかけている。
隣の男の子が、必死にその腕を掴んでいた。
――間に合わない。
あの子は諦めるべきだ。
幼すぎて、この水流に耐えられない。
くそ、一人で助けられるだろうか……。
自分も溺れるかもしれない。
しかし見殺しにはできない。
いや、考える前に行動しなければ。
絶望的な空気を切り裂くように、場違いなほど力強い声が響いた。
「お待たせしました!救出部隊結成してきましたわ!」
後ろを振り返ると、お嬢様が屈強な男たちを引き連れて駆けつけてきた。
彼らの連携は素晴らしかった。
持ってきた杭でロープを固定し、さらに近くの木にも結びつける。
長さが足りない分は、別のロープを繋いで補っていく。
「……彼らは」
男たちはすでに準備を終え、一人ずつ川へ入っていく。
「木こりと猟師と大工の皆さんよ!こんな時こそ、皆に協力を求めなくては。専門家が集まれば出来ることが増えるわ」
いつものように、『助けてほしい』と頼んで回ったのだろう。
お嬢様の小綺麗な服は汚れ、汗で髪は顔に張り付いている。
お世辞にも、美しい姿ではなかった。
――だが、その立ち姿は、とても眩しく見えた。
子どもたちは無事に助かり、再会できた親に泣きついていた。
「ありがとう。みんなのお陰だわ」
「はははは。あの小さかったお嬢様が一丁前に頭を下げるなんてな!」
「本当だ。助けて〜!っていつも木の上で泣いてたのが昨日のことのようなのに」
周りの男性にからかわれて顔を赤くしているリアナお嬢様。
昔から、彼女は変わらなかったらしい。
そして領民から愛されて育っている。
「お嬢様。この間の返事を撤回させてください」
「え?ヴィンセント?」
この人をそばで見守りたい――初めてそう思ったら、言葉が止まらなかった。
「白い結婚、契約結婚でもいいから、助けてほしい……と、おっしゃいましたよね?」
周囲がざわめくが気にもならなかった。
自分の実力を試すには丁度いい。
――伯爵代理?
最高かもしれない。
「待って!あなた、歳はいくつだっけ?後、白い結婚は言い過ぎたかも……!絶対に頷かなそうだったから、つい口から出たのよ」
思っていたよりもずっと可愛らしい妻と共に、生まれ育った領地を守り、育てていく。
それは、とても素晴らしい未来のように思えた。
彼女の細い指を手に取って、自分の口元へ持っていく。
「先日のプロポーズ、お受けさせてください。もちろん、白い結婚は撤回でいいですよ」
瞬時に真っ赤に染まった顔のお嬢様と、悲鳴をあげるマリー。
値踏みするような視線を寄越す中年男性など、様々な反響に溢れたプロポーズ場面になったのだった。
面白い。これから、彼女の隣に立つ為に価値を示し続けなければいけないらしい。
生来の負けず嫌いが顔を出して、思わず口元に笑みが浮かぶ。
――案外、こういう形が自分の性に合っているらしい。
◇◇◇
結婚から一年後。
「今日もお疲れ様。ふふふ、旦那さまは今日も大変だったみたいね?」
「愛しいお姫様と子どもがいるから頑張れるよ」
ヴィンセントはあれからとても頑張ってくれている。
私の愛すべきパートナーだ。
「うー……!好き……!」
見た目も好みなのに、この不器用な愛情がとても愛しく感じる。
マリーにはたまに呆れた目で見られるが。
二人で日誌を書くこの時間は、ゆったりとした一日の終わりだ。
ヴィンセントは今日の天気と小麦の状態を書く。
少しずつ収穫量も回復して、また領地は豊かさを取り戻しつつある。
私は、育児日誌を付ける。
今日の天気と、ミルクの時間。体調。
そして、ベビーベッドで、あうあう言ってる赤ちゃんの様子も一言書いていく。
『今日も元気そうにミルクを飲んで、その後、大量に吐いた』
隣で、フッと笑う気配がした。
ヴィンセントは優しい瞳で私に聞いた。
「じゃあ、今日の奥さんの様子は?」
「愛しの旦那さまと一緒で幸せです、まる」
日誌を閉じる手に、ヴィンセントの手がそっと添えられた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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