第4話MCL4
幸は本来、こんなことは言えない。
では、なぜ幸が本心を口にしたか。それは、彼がそれを口に出すことによって、幸福になるからであった。要するに、この空間、もっというと白鷺桜姫がいる空間に一定時間いた他人というのは、何か超常的な運命力のようなものをもって、自分の意志とは関係なく幸せをつかむよう行動する。或いは、幸せがやってくる。
先ほど隆盛が狙った馬が、競馬で一着を取ったのも同じ理由であった。
桜姫には、こういう特殊な体質があるのであった。
では、幸運をばら撒く彼女が、不幸体質な人間とともにいるとどうなるのか。当然気になるこの疑問を解決するには、この部活の最後の一人がこの部屋に登場する必要がある。
「ちわーっすー。わ、桜姫先輩今日も尊~。めっちゃ顔かわいいー」
泥だらけの少女が一人、部室の戸を引いて入ってきた。背のほどは百五十五センチほど。ミディアムヘアの黒髪である。ごく平均的な容姿で、好きなものはかわいい女の子とイケメン。自分で恋愛するのを半ば諦めて、映画やドラマの恋愛を見て楽しんでいる。
「わ、陽菜ちゃん。今日も大変そうだね~。今回は何があったの?」
桜姫が笑みを向けた瞬間、陽菜は跳ねる心臓を抑えながら平然を装って、
「いつものことながら、ほんと桜姫先輩かわいすぎ」
装えない。
「もーほめ過ぎだよ陽菜ちゃん。陽菜ちゃんもかわいいよ? ほら、タオル」
陽菜はもう慣れている。そして桜姫の特殊体質にあらがえなくなっている。部屋に入った瞬間から、桜姫のほめ返しを期待して彼女を褒めてしまう。だからもう気にしていない。しかし本当は、『ほんと大変だったんすよ~、校庭に居た犬が教室に』と先ほどの自分の経験を語るつもりだった。
陽菜は桜姫から受け取ったタオルを使って制服を拭くが、どんどん泥が広がるだけで一向に取れない。その様子を見た隆盛が、「おい、汚れが広がってるぞ」と呟く。
「良いんすよー。私の制服なんてカスみたいなもんなんで。泥でコーティングした方がむしろ価値上がるくらいなんで」
陽菜は卑屈の権化であった。生まれついての不幸体質によってありとあらゆる、しかし命に関わらない程度の悪い事に遭遇し続けた彼女は、自己肯定感が大きく下落していた。
「そんなことないよ陽菜ちゃん! ほら、保健室に行けば着替えあると思う! 一緒にいこ?」
「わ、良いんすか! 一緒に保健室来てくれるんすか! わーい!」
桜姫が立ち上がり、陽菜が両手をあげて喜んだ。その時、教室の戸が開く。
「あの! すみません! 先ほど校内に迷い込んだ犬の飼い主です!」
三十代くらいの主婦だった。彼女は散歩中に泥遊びをしていた犬の首輪が運悪く千切れ、校内に駆け出していったのを追いかけ、陽菜を襲った後で犬を回収した人物である。
そして、教師やその周りにいた生徒から話を聞き、迷惑をかけてしまった陽菜に会いに来た。
ちなみに犬が泥遊びをしたのも、首輪が切れたのも、公舎に迷い込んだのも、すべて陽菜の不幸体質が呼び寄せたものである。
ここまで行くともはや、不幸体質なんて生ぬるい言葉では片付かないが。
主婦は頭を下げた後、制服のクリーニング代やら謝罪の品やらを置いて行った。
不幸になったのは主婦の方ではないかと思ったそこのあなた。生ぬるい。
謝罪の間、桜姫と同室にいたあの主婦は、この後旦那が買った宝くじの三等が当たってこの損失を取り戻し、帰る途中で大好きな芸能人のロケに遭遇してインタビューを受け、サインをもらうのである。飼い犬が暴走した事で疲弊した心も、癒されるのである。
桜姫はそういう体質なのである。不幸の後の人をこそ、幸運により導く体質である。この先この話を読むにあたって、無関係の人が不幸になった場合、大体はこういう形でつじつまが合うので安心してほしい。
ちなみに陽菜は、謝罪が終わった後自分の制服を床に投げ捨てて踏んづけた。後でクリーニングするからどうでもよくなったようだ。
ともあれ、退室のタイミングを計る間もなく四人の部員が揃った教室で、幸は部活動体験という体で、彼らの雑談を聞いていた。ついでにこの時、沖田陽菜は軽く幸に自己紹介をした。陽菜は冴えない男に興味はない。この部活に在籍しているのは完全に桜姫が目的であった。とはいえいきなり無碍にするほど人は悪くない。というわけで、特筆すべきところもない普通の自己紹介だったので省略させてもらう。沖田陽菜の扱いは、こういう感じが一番相応しい。
桜姫は一人で浦和競馬にいそしんでいる。話を回すのは、基本的に陽菜であった。
「んで、今週末は何するんすか? もー競馬いやっすよ私」
本心である。競馬場の楽しさが全く分からない陽菜であった。桜姫が一喜一憂している姿をスマホのカメラロールに収めるのは楽しいが、それは別に競馬場でなくてもいいのだ。桜姫はたいてい、世の中のどんな娯楽も人並み以上に楽しむ人間だ。
「じゃあ僕を主役にした映画を撮るのはどうだい? 桜姫先輩がヒロインで、僕がヒーローのロマンスだ」
「却下。死んでくれ凛」
即座に陽菜が拒絶した。陽菜は凛と幼馴染で、彼の自尊心がはち切れんばかりに誇大した発言を幼いころから常に聞いていた。辟易としている。
「ああ酷い! なんてことを言うんだ! 桜姫先輩を好きな気持ちは僕にもわかる。だが、」
陽菜は対面に座っている凛の顔面を固く握りしめた拳で殴り飛ばした。凛のブサイクな顔が、さらに捻じ曲がる。
「なーにを言ってんだこのブス!!」
陽菜は激怒した。必ずこの醜形醜貌の幼馴染を除かなねばならぬと決意した。
「わ、凛君!? 大丈夫?」
桜姫が彼を心配する様子を見せるまでは。
「ああ、大丈夫さ桜姫先輩。陽菜は僕の整いすぎた顔を、少し自然な形にしてくれたんだ。さっきまでの僕は、眩しすぎたからね」
凜は立ち上がり、腕を広げてねちょっとした声色で言った。ついでにねちょっとした鼻血がねちょっと鼻からまろび出でた。
桜姫は少しだけ頬を膨らめ、陽菜をじっと睨んだ。
「謝ろう、陽菜ちゃん」
陽菜は「う」と声を漏らす。しかし、この『おこている』桜姫を見られた事は、かわいい女の子が大好きな陽菜にとって眼福であった。
いきなり殴ったことを反省しつつある陽菜は、素直に頭を下げる。
「ごめん凛。殴ったりして」
「だから、大丈夫だと言っただろう? 僕の美貌は揺るがない。桜姫先輩、心配ありがとう。でも、実際どう思うんだい? 僕と先輩のえ・い・が」
「えいが? えっと……何見に行きたいの? 私、土日は中央競馬があるから」
話を聞いていなかった。
部屋の隅に目を向けてみよう。部屋の隅には、頭を抱えてうずくまる幸の姿があった。何やらぶつぶつと呟いている。聞いてみることにしよう。
「女の暴力怖い。死ねって言った。絶対俺に向けて言った。もうダメだ。この部活は……」
陽菜の暴言と暴力に、PTSDを発症してしまったようである。
「あれ……? 幸君大丈夫? 頭痛いの?」
しかしこの部屋は先述の通り、幸運の部屋である。そして、今の幸にとっての幸運は、桜姫に優しくされることであった。
背中を桜姫に摩られて、幸は激しく勃起した。それを隠すために、もはや立ち上がることなど出来なかった。流石のこの部屋も、幸の不純な願望を叶えてやれるほどやさしくはない。彼はこの汚い情欲を抑えつける責任がある。童貞がいきなり女の子に触られたからと言って、激しく勃起するなど言語道断。
気色悪い。そのまま一生うずくまってろ。
陽菜もどうやら、私と同じ気持ちのようである。もちろんいきり立った逸物に気付いているわけではない。シンプルに、桜姫に背中を撫でられている男が気に入らないのである。
「おい新入生! くっ……桜姫先輩! 私もおなかが痛いです! 低気圧が!」
低気圧で腹が痛くなるなど初耳だが、桜姫にはこの一押しがよく効くのだった。
「低気圧!? だ、大丈夫? 病院行く?」
低気圧の意味が分かっていない。危ない病気だと思っている。
この場面を激しく炎の宿った瞳で見つめている男がいた。隆盛である。
隆盛は、陽菜が先程殴り掛かったことでズレた机の位置を元に戻し、大声で叫んだ。
「風水が乱れた!! 窓を開けろ! 邪霊が集っている! 追い出さねば!」
浴衣の袖から数珠を取り出し、部室のロッカーから水晶玉をとりだし、彼は手をかざす。
「クソ! もう遅かったか! みんな! アルミホイルを被れ! 電磁波攻撃が来るぞ!」




