第2話 MCL2
「私、競馬予想で生計建ててるの」
そう。幸が気づいていなかったこの女、白鷺桜姫の致命的な欠点。それはまさに、
バカな事である。
それも並みのバカではない! この女は先ほど三年生と名乗ったが、正しくは、『三回目の三年生』なのである!
二回も!! 留年しているのである!!
そしてこの留年さえも! この女のおかしい頭を考えればまだまだ軽い方!
幸は目の前の女が、本気で競馬で生計を立てるつもりになっていることなどいざ知らず、軽い冗談だと思って作り笑いを浮かべた。
「白鷺先輩は高校生ですよね?」
「うん。そうだよ。なんで?」
桜姫は体を起こす。幸としては、ギャンブルできるのは二十歳からという方向で話が展開していく予定であったが、桜姫としては、当然そうはならない。
桜姫の誕生日は四月二日、既に成人済。そして彼女はバカなので、自分が成人しているということを相手が分かっていないことに気づいていない。
「がっはっは! 白鷺は五年生といった方が分かりやすかったな!」
大男が笑う。桜姫の留年を笑い飛ばす。幸は意味を考えて眉を寄せた。
桜姫はさして気にしていない様子で、首を傾げ、しばらく考えて気づいた。
「ああ、なるほど? 高校生が馬券購入できるのはなぜかって話?」
幸は「え?」と声を上げた。当然である。彼女が馬券を買っているとは思っていない。
桜姫は勝手に話を進めていく。
「ネットなら大丈夫だよ! 現地行くときは私服だし、運転免許持ってるから、年齢確認されても大丈夫! 高校生はパチンコできないから、その時も同じ! 年確は全部免許証で!」
彼女はバッグを漁り、財布から免許を取り出した。後光が見えるほどの、どらえもんがポケットから道具を取り出したときと同じくらいの、秘密兵器扱いの声色と表情である。
まぁ実際、その免許証に移る桜姫の笑顔には宝物級の価値があるのは間違いない。容姿だけは飛びぬけていい女である。
ちなみに桜姫は、免許の筆記テストに二十三回落ちている。一年目の留年は、初の高校三年だった時、余りにも免許が取れな過ぎて、学校を疎かにし過ぎたためである。
そして二十四回目の試験で合格したのは、全くの奇跡的幸運によるものである。
彼女は筆記テストで鉛筆を転がし続けて合格した。
幸は桜姫の言葉を聞いて考える。年齢確認をパスできるということは、もしかして目の前のこの女、白鷺桜姫は十八歳ではなく、大男の言葉の通り五年生というのを解釈すれば、二年留年しているという一つの推測が導き出された。
しかし、当然聞けない。聞けるわけがない。留年はデリケートな話だし、家庭の事情や本人の事情が深くかかわってくる。
幸は聞かずにおくと決めた。しかしその決意の直後、大男は自分の胸をドンと叩いて、次に桜姫の肩に手を置いた。
「白鷺は二年留年しているからな! ガハハ!」
幸は目を見開いた。
「やっぱり二年留年してる!??」
思わず声が大きくなった。自分が立ち上がっている事に気づいた幸はゆっくりと座る。そして、桜姫の表情を窺った。大げさにリアクションしたので不快に思われていないか気になった。しかし桜姫は「そうだよ?」と平気な顔して頷いた。
「俺は九条隆盛。 三回留年している!」
いきなり自己紹介した大男に驚いた幸は、顔を向けながらまた立った。
「いやアンタ生徒なのかよ!! しかも三年留年!??」
幸は叫んだあと、自分で自分に驚いた。なぜこんな大声で、なぜため口で、初対面の大男に向かって叫ぶことができたのか。しかしこのとき、心の中にあったモヤが晴れたように、幸は心地よかった。
そりゃそうだ。大男は制服を着ておらず浴衣だし、身長は二メートルあるし、顎髭が生えている。どう考えても生徒の風格ではない。風流を好む体育教師にしか見えない。休日には自宅の縁側で桜餅を齧りながら、風鈴の音色に浸っているような、絶滅危惧種的日本男児(40)に見えた。
「俺は九条隆盛。二十歳だぞ?」
二度目の自己紹介である。今回は年齢を添えて。
「全然二十歳に見えません!」
隆盛は扇子を取り出し、バッと広げて仰いで見せた。その風格は、将棋歴二十年の中年がプロの仕草と恰好を真似ているようにすら見える。縁側でくつろいだ後は春の風がそよぐ和室で、さてと一人で棋譜並べをしては頷いていそうな男である。
いや、というか、恐らく街の将棋道場に現れればだれもが、プロ棋士が戯れで訪れたのだと錯覚してしまうような、そんな風格がある。
「三回留年!? 何があったらそんなことに……」
「卒業するのが偉いのか? 生きる上で、卒業とはそんなに大事な事か?」
幸は思った。大事なことだろと。しかし何故か黙ってしまった。なんとなく彼が言っている事の方が正しい気がしてしまったのだ。
この男、九条隆盛には、天性の風格があった。どこに居ても、年齢離れした風格によって何か偉い存在なのではと周囲に勘繰らせてしまう風格、才能があった。
才能というと大げさだが、要するにおっさんくさいのである。
今のところ、何の役にも立ったことがない才能だ。
「紛らわしくてすまんな! 放課後になるとちっさくなった制服から、この浴衣に着替えるんだ。入学してはや五年、身長も三十センチほど伸びてな!」
「そこまで伸びたら……最早、小さいという次元ではないのでは……?」
どう考えても破けているはずだ。
「ああ! パツパツだ! ボタンはつけても弾けるので付けていない!」
「いや、それ先生に注意されないんですか」
この私立学校の制服は学ランである。
この質問には、桜姫がくすくすと可愛らしい笑みを漏らしながら答えた。
「こいつのおじいちゃん、ここの理事長だから」
「理事長の孫!?」
幸は立ち上がって叫んだ。
本来ならちょっと驚く程度のことだったが、理事長の孫が三年留年している事実が不可解すぎて立ち上がってしまった。
普通理事長パワーで卒業したりするもんだろと、ネットで育った幸は安直に思ったのだ。
実際のところ、九条隆盛の祖父や父親は隆盛のことを立派に育て上げたいと考えており、その過程で自分たちの権力が影響することを良しと思わない健全な人間なのである。
まぁ、しかし、それはそれとして、隆盛の留年を笑い飛ばす程度には奔放主義が行き過ぎている家庭ではある。
「あはははは! なんで立つの? ツッコミ方が芸人みたーい」
桜姫が鈴を転がしたような笑い声をあげた。机の下でパタパタと両足を上下しながら、幸を指している。幸は顔を赤く染めながら着席し、なんで立ち上がってしまったんだと頭を抱えた。
「どれ、俺も賭けるか。次は大井でレースがあるな」
隆盛は桜姫の隣に座り、自分のスマホで競馬サイトを開いた。平日でも開催している地方の競馬である。それにしても、隆盛と桜姫が並んでいる姿は、美女と野獣そのもの。
男性ホルモンの化身たる彼を見て、幸は少し妬ましい気持ちになった。
桜姫の隣に平然と、自然に座ったという所も、勿論この感情の発端になっている。
「競馬サークルですかここは」
幸は小さな声で呟いた。彼らが先ほどから何でも笑い飛ばす人たちなので、少し気が緩んで本心がまろび出た形だ。当然彼は発言の直後、少し皮肉がきいてていた気がして顔を青くした。気を悪くしていないだろうか、と。
「そだよー」
桜姫は笑顔でスマホを弄っている。
「断じて違う! MCLは現代文化を研究する部活だ!」
否定した隆盛も、太い指先で必死になって馬券購入を進めていた。
幸はこの光景に馴染めない存在だ。なぜなら未成年だから。十五歳だから。目の前で五歳も年上の二人が競馬を楽しんでいても、参加することはできない。
幸は名残おしく思いながらも、席を立った。桜姫と仲良くなれればと思ったのは確かだが、流石に無理筋だ。分を弁えようと考えた。五歳も年上だ。
高校に五歳年上の生徒がいるという状況の異常もよく考えればおかしい。近寄るべきでない。絶対に良い影響はない。
そんな当然の感想を抱きながら、幸はドアを開けようとした。
その時だった。教室の戸が開き、一人の男子生徒が入ってきた。ホストのように髪の毛を逆立たせた、幸よりも身長の低い男である。幸は百六十七センチだが、この男は百六十五を割っている。
「こんにちは。あれ? 誰だい、君は?」
ねっとりとした声色でその男は幸を見ていた。
本日5話まで投稿します。




