6.一癖も二癖もある護衛
絶体絶命――最大の窮地を救ってくれたのは、
確かに聞き覚えのあるバリトンの声の持ち主だった。
安堵したのも束の間、
エレオノーラは思わぬ場所で、再び彼と顔を合わせることになる――。
「感心しないな、こんなところで、ご令嬢が何をしているんだ。」
聞き覚えのあるバリトンに、思考が奪われる。
気が付くと、わたしを掴んでいた男は、もう地面に転がっていた。
「あなた……。」
誰?と尋ねる前に、もう一度、落ち着いたバリトンが重なった。
「動くな」
次の瞬間、その声の主は、鋭い身のこなしで男たちを次々に制圧していく。
「すごい。……剣の腕もそうだけど、所作が――きれい。」
それは、訓練で身につくものとは、明らかに違う。
美しい剣技の"品"に、実践で磨かれた独特の"殺気"が溶け合ったような……。
上手く説明ができない"何か"に、エレオノーラは目を奪われた。
「もう大丈夫だ。怪我はないか?」
圧倒されているうちに、襲ってきた賊はすべて倒されていた。
声を頼りにその人を見上げると、そこには地味な服装の大人の男性が立っていた。
「そんな格好をしていても、かわいさは隠せてないぞ。」
「……。」
「以前にも、気をつけろって言わなかったか?」
「えっ?」
鍛え上げた身体に似合わない、少年のような笑顔にドキッとする。
嘘がないって、本当にわかるものなのね。
笑顔を見た瞬間にそう思って安堵している自分がいた。
思ったよりもずっと、心は疲弊していたようだ。
自分へ向けられる悪意や悪評。
反省と後悔の中、状況改善のために突き進んだ日々。
それでも評価されない毎日に絶望さえできないでいた自分。
「わたしには、やらなければいけないことがたくさんあるんです。」
目を奪われた自分を慌てて否定しようとして、語気が強くなる。
ははっ
「邪魔して悪かったな。」
ムキになった自分を笑われたようで、なんだか納得がいかない。
「邪魔なんてしてないじゃないですか。助けてもらったのはわたしなのに……。」
「お前は、頑張りすぎだ。」
大きな手がふわりと頭を撫でる。
あったかい……。こんなふうに言ってくれる人、いなかったのに……。
ぬくもりが心地いい。
優しい手つきに、小さなころ、両親に褒められた時の感覚を思い出した。
「子供じゃありませんわ。」
その手のぬくもりに、いつまでも包まれていたいと願ってしまいそうだった。
そんな気持ちを否定したくて、さらに口調が強くなる。
「そうだな。」
憎まれ口を何とも思っていないかのように、真っすぐ微笑みかけてくる。
調子……狂う。
そんなことを考えながらも、嬉しく思う気持ちを否定できずにいた。
「衛兵は呼んだ。あとは、頼んだぞ。」
「まっ、待って!」
呼び止めるころには、大きな背中が遠くなっていた。
おかしな人……でも、どこかで会ったことがある気がする。
誰だったかしら?
どれだけ記憶をたどっても、彼が誰だったのかは思い浮かばない。
もっとも、彼が平民というならば、公爵令嬢の自分との接点はないだろう。
剣術も所作も、平民とは思えない。でも、あの人、街にすごくなじんでいるのよね……。
混乱を極める思考を持て余している間に、衛兵たちがやって来た。
思い出そうともがくのを一度諦めて、事後処理を手伝う。
わたしの周りで見事に拘束された男たちを見て、衛兵たちはひどく驚いた。
けれど、事情を説明すると、納得して彼らを詰所へ連行していった。
***
事後処理を終えて教会にたどり着くと、事情を知ったシスターがお茶を用意してくれた。
カタカタと手が震えだす。
いまさら恐怖を感じてる……。
正直、怖かった。
どれだけ抵抗してもほどけなかった腕。
助けを望めない絶望的状況。
あの人が来てくれなかったら、わたしはどうなってしまったんだろう。
考えるのも恐ろしくて首を振る。
震える手を合わせ、目を閉じた。
「助けてくれて、ありがとう。」
この言葉が、彼に届かないとわかっていても、つぶやかずにはいられなかった。
あの現場で倒れずにいられたのは、彼の優しい笑顔のおかげだったのだろうと思う。
体格に似合わず、満面の笑みなんだもん。
思い出す眩しい微笑みに、鼓動が少し早くなる。
笑顔しかおぼえてないわ。
名前……聞くのも忘れて、お礼さえいえてないなんて。
わたしとしたことが……もう、情けない。
冷静になると、自分のとんでもない行いが次々に思い出される。
あれ、見られていたかしら。
思い切り足を踏み、肘鉄をくらわすなんて……令嬢にあるまじき、だわ。
あぁ~。
両手で顔を隠しうつむく。
「おねぇちゃん、どうしたの?」
子供たちに顔を覗かれて、ここが教会だと思い出す。
「お茶、冷めちゃったよ?」
どこか落ち着かない様子に、子供たちが次々と心配して話しかけてくる。
その笑顔に、恐怖も羞恥もどこかへ飛んでいった。
***
教会から帰宅する頃には、支援物資が狙われて、荷馬車が襲われたことは両親に報告されていた。
帰宅するとすぐ、両親から応接室に呼び出された。
これは、言い訳無用のお説教コースだな。
自分の行動が無謀だったことも、無茶をして心配させたこともわかっていた。
だから、今回はもう、叱られることを覚悟して応接室へ入った。
「失礼します。」
一礼して両親を見ると、父にソファーへ座るよう促された。
「言いたいことは、分かっているな。」
「……。」
「無事だったから良かったものの、肝が冷えた。」
令嬢とわからない格好をしていたとしても、公爵家の支援馬車が襲われれば醜聞だ。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」
父が深いため息をつく。
「エレオノーラ、そうではありません。」
母がピシャリとわたしを窘め、父に向き直る。
「あなた、それでは気持ちは伝わりませんわよ。」
気まずそうな父の様子と母の言葉で、自分の言葉が間違っていたことに気づく。
「お父さま、お母さま、ご心配をおかけしました。申し訳ありません。」
母の微笑みに自分が正解にたどり着いたのだと確信した。
わたしの言葉に、父がゆっくりと息をついて尋ねてきた。
「襲われたからと、支援活動をやめる気はないんだろう?」
これは確認だ。やはり、あんなことがあっても、わたしの気持ちを優先しようとしてくれる。
「はい。これからは、もっと気を付けてまいります。続けさせてください。」
心からの気持ちを告げて、頭を下げた。
「そういうだろうと思ったからな。護衛を見つけておいた。」
父の言葉に驚いて顔を上げると、扉の横に立っていた大柄な男性が近づいてくる。
「護衛任務に就きます。テネシーと申します。」
聞き覚えのあるバリトン。トクンと心臓が跳ねる。見上げた先に、あの屈託のない笑顔があった。
一瞬で彼に思考を奪われる――同時に、会いたいと願った人を目の前にどうしようもなく高揚した。
「あなた、あの時の!」
思わず大きな声が出て、慌てて口を紡ぐ。
「これから、お前の護衛についてくれるそうだ。」
「エレオノーラ・スミスですわ。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
サミュエルとは違う、落ち着いた大人の男性。
低く落ち着いた声に、あの時の安心感が蘇る。
「お父さま、ありがとうございます。」
教会へ行くことは禁じられることも覚悟していた。
けれど両親は、護衛をつけてまで、わたしの気持ちを尊重してくれた。
ちらりとテネシーを見る。
「テネシー……」
小さく名前をつぶやくだけで、不思議と心が落ち着いた。
ただの護衛にしては、やはり所作がきれいすぎるのよね……。
結局は、護衛についてくれるということと、彼の名前以外は謎のままだった。
それでも、その"謎"が違和感を生むことはなく、なぜか逆に安心できる気がした。
***
テネシーの役目は、慈善活動中だけではないようで、公爵家の一室で生活することになっているらしい。
わたしの活動を制限しないための考慮のようだ。
彼は外出の時の護衛でなく、わたし個人につけられた護衛だった。
「ねぇ、どうしてあの時、名乗ってくださらなかったの?」
思わず責めるような口調になる。
あんな無茶……テネシーが来てくれなかったら、本当に危なかった。
命の恩人の名前も知らないなんて、許されないもの。
じっとテネシーを見つめる。
「名前はテネシー。それ以外に必要か?」
軽く肩をすくめて笑い飛ばされる。
「それじゃあ、わたしはあなたのことを何も知らないままじゃない。信頼関係は必要なのに……。」
なんだか駄々をこねているみたいで、語尾が小さくなる。
「俺は、テネシー、三十歳だ。剣術も体術も得意だぞ。護衛に必要なのは、それくらいだろ?」
「三十……歳!?」
思わず驚いた声が出る。落ち着いた所作や優しい笑みから、年上だろうとは想定していた。でも、まさかの実年齢二倍……。
想像より年上だったわ。
「覚えておけよ、ノーラ」
「えっ……?」
何を言われたかわからなくなって、頭が一瞬真っ白になる。
「……ノーラって、わたし……?」
テネシーは、いたずらが成功した子供のように笑う。
「そうだ、これからはそう呼ぶぞ。それとも、ご令嬢のままの方がいいか?」
「それは嫌です!」
間髪入れずに大きな声が出て、頬が熱くなる。
「俺も、テネシーでいいからな。」
「少し、馴れ馴れしいんじゃありません?」
文句を言う声が、なぜか小さくなる。
信頼と特別な距離感を感じる――この人を前にすると、すごく安心できる。
愛称で呼ばれることに反論できないまま、気が付けば、自分も彼を名前で呼ぶことになっていた。
「街中でお前を名前で呼んでみろ。一発で誰かバレちまうだろ?」
彼が言うことに間違いはない。
良くも悪くも……この場合は、最悪のパターンで、エレオノーラは有名人だからだ。
「悪名高きエレオノーラは、城下でも有名ですものね。」
皮肉めいた言葉が反射的に出た。
「支援活動に熱心な公爵令嬢、エレオノーラだろ?」
「そんな……認めてくれている方なんて、ほんのわずかなのに……。」
「それでも努力をやめない。俺は、そういうお前を守りたいと思ってるんだ。」
少し低くなった声に心臓が跳ねる。
こんなふうに認めてくれているなんて、嬉しくて泣けそう。
テネシーのきれいなアメジストの瞳に捕らわれる。
「だから、釣り合うように、お前も俺を名前で呼べばいい。」
顔を覗き込まれてドキッとする。
「……分かりました、テネシー。」
「おう!俺は頑張り屋が好きだ。だから、安心して守られてろ。」
平気なフリをして名前を呼んではみるものの、自然と顔が熱くなる。
テネシーの励ましに、鼓動が速くなり、心の中で膨れ上がった嬉しさが爆発しそうだった。
同時に、なんだかとても照れくさかった。
こうして、少しだけ近くて、特別な人
――テネシーの護衛としての日々が、始まった
護衛テネシーとの日々が始まった。
その時のわたしは、ただ純粋に嬉しくて、残り僅かな自由を精一杯楽しんでいた。
この距離感がもたらす混乱も迷いも、予想さえしていなかった。
――安心できる距離で守られることに、安堵していた……ただ甘えていた。
次回「第7話:断れない提案」
お楽しみに!




