11.狡猾な大人の愛
エレオノーラ獲得に、
王弟、テネシーの大人の愛が動き出す。
重い空気の王宮の一室に、扉を叩く音がする。
「スミス公爵が参られました。」
護衛の一人がそう報告すると、恭しく礼をしたスミス公爵が立っていた。
「人払いを頼む。」
短くそう告げたのは、国王陛下だった。
顔を上げた公爵が、円卓に座る人物に気づいて息をのむ。
「公式な場ではない。まずは席についてくれんか。」
大きな戸惑いはあるものの、陛下の言葉に逆らうことは許されない。
公爵が軽く一礼して部屋に入る。
そして、案内役の騎士が重い扉を閉じた。
***
「公式な場ではないけれど、今日のわたしは王族としてここにいる。」
王宮でエレオノーラが王妃や王太子妃と過ごす間、護衛の任務から離れていると聞かされていた。
その護衛、テネシーが、王弟としてこの円卓に座っている。
「陛下、殿下、ご説明をお願いします。」
いくら公爵家とは言え、王族と円卓に座る身分はない。
公爵は少なからず憤りを覚えながらも、冷静に状況を理解しようと試みる。
「唐突な呼び出しで申し訳ない。これは、わたしが兄に頼んだのだ。」
「……。」
「エレオノーラ嬢のことで、大事な話をしたい。」
言葉の真意がつかめないまま、空気が張り詰める。
「対等な立場での意見交換という意味で、あえてこの場に席を設けた。参加いただけるか?」
護衛であるテネシーは、どこかいつも飄々としている。
だが、王弟としてこの場に存在する彼の瞳には、王族としての威厳と静かな決意が満ちていた。
「失礼します。」
公爵は一言告げると、扉に一番近い末席に座った。
これ以上の無言は、かえって失礼だろうと、判断したからだ。
***
「単刀直入に話す。わたしはエレオノーラ嬢を妻として迎えたい。」
「なっ!」
公爵があわてて口を噤む。
「この場での発言は、一切不敬とならない。兄も同意している。父としての立場で、答えてくれ。」
テネシーの目に覚悟の色が宿る。
安易な気持ちでこの場を設け、好奇心で話したわけではないようだ。
「公爵家としては、ありがたいお話です。しかし――」
テネシーの覚悟に、公爵も父としての覚悟で答える。
「親としては、承服しかねます。」
その答えを知っていたかのように、テネシーがゆっくりと息を吐く。
「王族との婚姻に抵抗が?」
「いえ。」
公爵が、短く答えて首を横に振る。
「エレオノーラが修道院行きを決めております。」
「なっ!」
反射的に上げた声に、今度はテネシーが口を噤む。
「我々は、それほどまでに彼女を追い詰めていたのか。」
陛下のつぶやきに、深い後悔の色がにじむ。
「自分の過去の行いを恥じ、奉仕活動をしてもなお、悪評ばかりが広がり続けたのです。」
公爵が短く息をついた。
「修道院は、あの子の決断です。」
「……。」
「わたしは親として、あの子を悪意から守ってはやれなかった。」
テネシーは、裏路地で真っ赤になって、手を拭い続けていた彼女を思い出した。
自分が無価値だと涙したことも、はっきり覚えている。
年齢相応の可愛らしい反応に好奇心が湧き、折れない心に、どうしようもなく惹かれた。
「公式な名誉回復はなされたではないか。」
国王の静かなつぶやきが落ちる。
兄上、それは王家の言い訳と体裁だ。
不用意な兄の発言に、心の中で悪態をつく。
あんな茶番で、エレオノーラが救われているはずがない。
わたしは彼女が欲しい。
だからエレオノーラに逃げ場を与えない――我ながら狡猾だな。
テネシーは自分の狡さに呆れる。
それでもノーラを失いたくないのだ。
焦る気持ちが思考を散らし、計略が上手く浮かばない。
「陛下、失礼を承知で申し上げます。」
公爵の鋭い声が、分散した思考を一気に現実に引き戻す。
「あの子の心の回復は、なされておりません。」
子を持つ父としての、一歩も引かない強い一言だった。
公爵のその言葉に、テネシーも自分の覚悟を告げるタイミングだと直感する。
「公爵。わたしにチャンスをいただきたい。」
「チャンス?」
「修道院への護衛を任せてもらいたい。」
真摯な気持ちをぶつけるように、公爵を見る。
「その間に彼女の同意が得られれば、婚姻を許してもらえないだろうか?」
その一言に、公爵が驚いて目を見開く。
「わたしに、エレオノーラを守らせてほしい。」
円卓に重い沈黙が流れる。
「あなたは王族です。命令されれば、いかに公爵家とはいえど、逆らえません。」
「だからですよ。」
テネシーの少し困った顔とその柔らかい声が、空気をわずかに緩ませる。
計算じゃない本意を示す。ここで手をうたなければ、後がない――。
「王族として彼女を奪うのではなく、わたしは娘婿として、あなたに認めてもらいたい。」
裏のない本音に、公爵が言葉を失くす。
「もったいないお言葉です。」
冷静さを取り戻すように一息ついて、公爵がテネシーに改めて問いかける。
「しかし、婚姻の答えはエレオノーラ自身に決断させてもよろしいか?」
「もとより、そのつもりです。ただ、彼女の性格からしても、あなたの承認は必須だと思う。」
テネシーがいたずらっぽく笑う。
「あなたの了承を得ていれば、わたしは全力で彼女を口説くことができる。」
「やはり、策士ですな。」
テネシーの笑みに空気が緩み、公爵もポツリと本音が出た。
「兄上、この件に関して、王家と王宮はあらぬ噂の改善をされるよう頼みます。」
低くなったテネシーの声に、陛下の肩が揺れる。
「わかっておる。王妃の目も光っておるのだ。」
不意打ちに動揺したことをごまかすように、陛下が小さく咳払いをした。
「お前と王妃を敵にするほど愚かではないわ。」
あっけにとられる公爵の目の前で、どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかわからない会話がなされていた。
***
ノーラは、戸惑いつつもテネシーが護衛につくことを承諾した。
どうやら公爵の説得が上手くいったらしい。
「修道院までは、結構な道のりですよ。大丈夫なのですか?」
「大丈夫だ。優秀な部下がいるって言ったろ?」
「相変わらず、余裕ね。」
テネシーは軽く笑みを浮かべた。
久しぶりの会話のかけあいだ。
王宮の一件から、ノーラには得体のしれない理由で避けられていた。
交わす言葉は短く、笑顔はほとんど見ることができなくなった。
笑顔が消えた理由を知りたい。
その衝動に背を押されるように、出発前日、テネシーはノーラには内緒で公爵邸を訪れた。
「護衛の姿ですが、ウィンスレット公爵としてご報告をさせてください。」
改めた口調に、公爵夫人もライル公爵子息も姿勢を正す。
「先日、公爵よりエレオノーラ嬢が修道院へ行く決意をしていると聞きました。そして公爵にその護衛許可をいただいた。」
テネシーが拳を握り込む。
「その道中で彼女から婚姻の同意を得たいと思っています。」
あまりの驚きに、ダンッと音を立ててライルが立ち上がる。
「婚姻の同意ですかっ!?」
「わたしはエレオノーラ嬢を一生かけて幸せにしたい。」
テネシーが驚きに声を上げたライルを見る。
「彼女にとって家族は、誰よりも大切な存在。だからこそ、あなた方からその許可をいただきたい。」
テネシーが頭を下げた。
王族としてはあるまじき姿に、夫人もライルも動揺が隠せない。
二人はあわてて公爵を見る。
「わたしは、公爵殿の誠実さに賭けてみようと思う。」
心を決めていたのだろう公爵の、落ち着いた声がした。
「そうね、修道院になど行かせたくはないのですもの。」
公爵の意図を理解した夫人も、落ち着いた声で同意する。
「お願いしますわ。あの子を説得してください。」
家族から無事に了承を得た後、テネシーは自分の最大の疑問をぶつけてみた。
誰もが躊躇し、答えづらそうな雰囲気の中で、テネシーは一歩も引かず答えをもぎ取った。
そしてその答えが、ずっと理解できなかったエレオノーラの拒絶の理由に繋がった。
――けれど同時に、あまりに想定外の事実をどう扱うべきか、慎重にならざるを得なくなった。
***
ノーラの旅立ちは、公爵邸にとって大きな意味を持っていた。
公爵夫妻をはじめ、ライルも使用人たちも、エレオノーラとの別れを惜しんだ。
ノーラが馬車に乗り込むと、テネシーは公爵と目があった。
無言で大きく頷きあう。
「出るぞ。」
短く告げて、テネシーは馬に乗る。
御者がゆっくりと馬を走らせ、公爵邸を後にした。
窓の外を流れる景色を見つめているノーラの瞳には、何も映っていないかのようだ。
目が合って微笑みかけるが、スッと視線を逸らされる。
「今夜の宿だ。俺はお前の隣の部屋いる。」
鍵を渡す手が行き場を失っている。
仕方なく鍵を手渡し、宿の周囲の安全確認に向かう。
テネシーは確認を終えて宿に戻ると、ため息をついた。
公爵邸を去ってからの、ノーラの寂しそうな横顔がちらつく。
「このまま心を閉じてしまうつもりなのか。」
急激に距離をつめるのは得策ではないだろう。
カタン……
考えあぐねていると、ベランダの扉を開く音がする。
テネシーは静かに部屋を出ると、ノーラの部屋の前に立つ。
ノックをしようとあげた手を止めて、自分の行動の意味を考える。
あいつを、あいつの心を、俺は守ってやれるのか?
柄にもなく弱気になった自分を振り切るように、首を振り、軽くノックする。
「はい。」
返された静かな声が、逆にテネシーを不安にさせた。
「俺だ、入るぞ。」
本来なら返事を待つべきだとわかっている。
それでも、ノーラを一人にしてはいけないと直感した。
「テネシー。」
ベランダにたたずむノーラが、月明かりに浮かんで、今にも消えてしまいそうだった。
肩にかけたショールが、風に揺れている。
「ノーラ。」
二人の間に流れる時間が、緩やかになった気がした。
震えている肩は、寒さのせいではないだろう……。
ゆっくりと抱き寄せ、いつものように髪を撫でる。
「怖いよ。」
ノーラがようやくつぶやいた。
それが、公爵家を去った孤独のせいか、不確かな未来におびえたものなのかは分からなかった。
ただ純粋な恐怖心が、彼女を脅かし震えさせている。
「大丈夫だ、俺がいる。」
ゆるゆると力なく首を振るノーラが、たまらなく愛おしい。
「お前は俺が守る。」
「……わたし、自分の未来を自分で決めたの。」
「知ってるよ。」
「修道院へ行くって自分で決めたのよ。」
「あぁ。」
「でも……幸せになれるのかな。本当に、これでいいのかな……?」
消え入りそうなノーラの声が震えている。
「ひとりに……ひとりぼっちになるのに。」
小さな身体を守るように、抱きしめる腕に力を込める。
「お前は一人じゃない。一人になんかさせない。」
震える小さな身体を抱きしめて、その背中をゆっくりと撫でながらつぶやく。
「俺はお前が好きだよ。」
共に生きてほしい。
その自分の気持ちこそが、エゴのような気もした。
テネシーが泣き疲れて眠る彼女をベッドに横たえる。
清廉な美しさに引き寄せられるようにその寝顔に顔を寄せる。
俺は何をしてるんだ。
自虐的なつぶやきを落とし、やり切れぬ想いをかけたまま、静かに部屋を後にした。
***
初日に不安を吐き出したのは、ノーラにとってはいいことだったようだ。
残りの移動では、景色に笑顔する姿も、会話する余裕も見ることができた。
「ねぇ、テネシー。今夜は一緒にご飯を食べない?」
どこか吹っ切れた様子のノーラが笑った。
「そんな素敵な笑顔で誘われちゃ、断れないな。」
いつもの調子で切り返す。
「ねぇ、テネシーはどれくらいわたしの……知ってるの?」
食事を終えるころ、ノーラが小さく声を震わせて尋ねてきた。
何か、気づいたのか?
その言葉に、柄にもなく焦る。
「まあ、君のことは大体な。」
軽くウインクして流してみる。
言葉の真意を探ろうと、可愛らしく戸惑っているノーラをじっと見つめる。
視線に気づいて、上目遣いになった表情に鼓動が大きく跳ねる。
今はまだ、君にも知られちゃいけない。
今ほど王族であることに感謝した瞬間はなかった。
そうでなければ、この無敵のかわいらしさに射貫かれていただろう。
言葉を失って真っ赤になる。
そんな情けない姿をさらしていたかもしれない。
冷静沈着であれ。
感情を表に出すな。
あの王族の訓練は、まるで人形になれと言われているようなものだった。
思わぬところで役に立つものだな。
思わず苦笑いした。
***
移動日数も、残りわずかとなっていた。
ノーラの気持ちも少し落ち着きを取り戻したように見える。
あの不安定な夜のこともあって、テネシーは肝心なことを切り出せずにいた。
一緒に夕食をとった後、夜の散歩の護衛を頼まれた。
「テネシー。いつもありがとう。」
「改まって言うことでもないだろ。」
「あら、大事なことよ。」
笑顔に曇りはないが、どこかぎこちない。
「ノーラ、君は俺の言葉を信じられないか?」
無言でノーラが首を横に振る。
「君が思うよりずっと、俺は君に夢中なんだ。その溺愛ぶりは、王宮では周知の事実だぞ。」
テネシーがにかっと笑う。
肝心な場面で逃げ腰になる自分の不甲斐なさを、笑ってごまかす。
「締まりのない顔。」
ノーラが微笑む。それだけで追い詰めなくて良かったのかもしれないと安堵する。
「照れ隠し……だろ?」
心の奥に隠した醜い独占欲を、厚いベールで覆い隠してからかう。
こんな曖昧なやり取りも、もうできなくなる。
明日の夜が過ぎれば、彼女が目的としている修道院へ到着してしまう――。
テネシーが決意をノーラに告げる。
彼女を守り切るために残された時間は、一瞬たりとも無駄にできない。
――タイムリミットは、あと一日となっていた。
守ることも、救うことも、覚悟を決めたテネシー。
けれど、想いが募るほど、彼を縛る枷は重くなっていく――。
次回「第十二話:もう隠さない溺愛」
エレオノーラ目線で紡がれる、テネシーとの旅をお楽しみください!




