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黄昏に鳴らぬ鐘、イシュタムの魂を宿すさえない俺  作者: 和泉發仙


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アウライ浮都、風環の試し



1)空を渡る帆


 翡青(ひせい)列島の港から、空行きの帆船は静かに持ち上がった。

 船腹に張られた薄布は風骨(かぜぼね)を掴む織りで、透明な羽のように脈打つ。船底の“浮嚢《ふのう》”に封じられた軽気《かるけ》が、ぱん、と小さく笑っては、ふわりと船を押し上げる。


「安全帯、締めたかー?」

 よっしーの声が甲板を渡る。セドは今回、浮都の下層に着いてから受け渡しだ。甲板の隅では、リンクが二段ジャンプの素振りを繰り返し、ブラックはマストの先で風を測るように首を傾げた。


「我が主人《あるじ》。“風骨”は機嫌が良いニャ。今のうちに高度を稼ぐニャ」

 ニーヤが杖の先で、見えない輪をひとつ描いた。輪は透明な糸のように空気中にほどけ、船体がそれに乗る。


 あーさんは掌の盃を胸に寄せ、静かに息を吸う。盃の水面に、白い雲と、遥か下に翡翠の海が映って、ふるりと震えた。

「風の面《おもて》、よく澄んでおります」


「クリフさん、周囲警戒。風鬼《ふうき》と……空賊が出るって聞いた」

「承知」


 帆船は雲の群れを割って進む。遠くに、アウライが見えはじめた。

 巨大な浮島に白い塔、その周囲を取り巻くように板橋と桟橋が幾重にも連なり、空の市場が渦を巻いている。塔の先に吊られた風鈴《ふうれい》がひとつ、二つ、チリンと鳴るたび、浮都全体がかすかに身じろぎした。


⸻


2)浮都の門、風鈴の鐘


 着桟の合図は、風鈴の鐘だった。

 帆船がアウライの下層桟橋に寄せると、青布の制服を着た“風吏《ふうり》”たちが縄を打ち、舷梯を固定する。


「旅の者か。風環《ふうわ》章、持ってるか?」

 門番の少年が俺たちを見る。

 ニーヤが杖の中から薄い輪の印を取り出し、胸に当てると、風鈴が一度だけカラリと鳴った。


「通行可。上層へは**風端《かぜば》**を使え。……あ、刀剣と重火器の露出は禁止、魔法は“礼式《れいしき》”に従うこと」


「重火器って……」

 よっしーが肩をすくめる。「ワイのは棒と盾や。銃は持っとらん」


 風端――それは空に向かって斜めに伸びる動く板道で、帆のような板が“風骨”に乗ってゆっくりと移動する。板の端に乗ると、俺たちは風と一緒に上へ運ばれていった。


 上層の市場は、色とりどりの布と旗で埋め尽くされている。

 空の果物、風で回る玩具、雲を編んだような綿菓子、そして風骨そのものを楽器にした輪笛(わぶえ)。

 誰もがよく笑い、よく走り、風に“面”を作って、風と暮らしているのだとすぐ分かった。


⸻


3)風祭の前夜


「うむ、賑やかだな」

 クリフさんが珍しく口元を緩める。

「“風祭《かざまつり》”前夜だってさ。明日、**風王《ふうおう》**へ礼を捧げるらしいで」

 よっしーが屋台の兄ちゃんから聞き込みをして戻ってきた。


 風王――海で海王《うみおう》が眠っていたように、この空の骨にも“主《あるじ》”がいるのだろう。

 胸の指輪が、ちりと小さく鳴った。アンリが「礼を忘れちゃだめ」とでも言うように。


「ユウキさん。明日の礼式に参加するには、**予試《よし》**を受けねばならぬそうです」

 あーさんが盃の内側に書かれた案内を見せてくる。水の面に、文字が細く現れては消える。

「予試は三つ。“風真(ふうま)”“風面(ふうめん)”“風節(ふうせつ)”。三つ合わせて“**三環(さんわ)**の礼”」


「我が主人。ニーヤ、日月二環に“風環”を足して三環の稽古をしたニャ。今なら通れるニャ」


「よし、受けよう」

 俺が頷くと、リンクが胸を張って「キューイ!」と鳴いた。

 ブラックは高い屋根の棟で、東風が変わるのを一拍先に感じている。


⸻


4)予試一:風真(ふうま)――虚と実の骨


 予試は浮都中央の“風塔”前の円形舞台で行われた。

 風吏の老人が、ふわりと軽い足取りで現れる。髭も衣も、風と一緒に揺れながら、まるで重さがない。


「風真。風の骨に虚偽は通らぬ。虚は軽いから楽に見えるが、礼に虚を混ぜると、必ずどこかが重くなる。――さあ、輪を描いてみせなされ」


 俺は旗を胸に、深く息を吸う。

 〈拝〉〈返〉〈送〉……海で覚えた“礼”を、風の拍に合わせて薄く、軽く、速く。

 ニーヤが風環を重ね、あーさんの水鏡が面で角を丸める。

 よっしーは盾で小さな円を、クリフは弦を軽く撫で、リンクは二段で“間”に印を置き、ブラックは上から一振で風の背を整えた。


「ふむ。虚はない。……一人、重いのがいるが」

 老人の視線がぴたりとよっしーの盾に刺さる。


「お、おぉ? ワイか?」

「盾は“守るための重さ”。だが、礼の輪に乗せるときは、その角を落とす。ほれ、ここが“がつん”と鳴る」


 老人が指で盾の縁を弾くと、たしかに小さな“金”の音が残った。

 よっしーが息を吐き、肩の力を抜いて、盾の面を“風の面”に合わせる。

 ――二度目。音は消えた。


「よろしい。風真、合格」


⸻


5)予試二:風面(ふうめん)――面(おもて)を映す水


「次は風面。風の面は、ひとつではない。北東の面、南西の面、空の高みの面、地に近い面。どれを映すか、水の役目じゃ」

 老人が、あーさんに目を向ける。


「承り候(うけたまわりそうろう)」

 あーさんが上体を折り、掌の盃を掲げる。

 水の面に、四つの“面”が重なって現れる。

 俺は旗で〈空白〉を面の“継ぎ目”に置き、ニーヤが風環で薄く繋ぎ、よっしーは盾の角をさらに落として面を撫で、クリフは弦で節を刻む。

 リンクが二段で“高さ”の差を示し、ブラックが上から面を俯瞰して整える。


 舞台を包む風が、ふっと“微笑”んだ。

 風鈴が一度だけ、カラリ。


「よい。風面、合格」


⸻


6)予試三:風節(ふうせつ)――拍の骨


「最後は風節。拍(リズム)の骨。これは難しいぞ」

 老人が舞台の端を指す。そこには三つの風鈴――銀、青、朱。

「三つ同時に鳴らしてはならぬ。順に、しかし重ならず、しかし切らず。――三鈴(みすず)の礼じゃ」


 俺は深呼吸する。胸の指輪がひんやり、喉の奥で涼しい音がした。

 〈拝〉。銀がチ。

 〈返〉。青がリン。

 〈送〉。朱が**――鳴らない。

 ――早い。俺の〈送〉が、風骨の節より半拍早い。

 あーさんの水鏡が面で“待ち”を作り、ニーヤが風環で“遅れ”を微小に足す。

 俺は旗を胸に戻し、空白をほんの針先**だけ伸ばした。


 朱がリ。

 銀が遅れてン。

 三鈴が、チ・リン・リと、切らず、重ならず、滑る。


「よし」

 老人が微笑む。

「お主ら、“三環(さんわ)”の礼、可(べ)し」


 観客の風吏たちが、小さな手拍子で風の拍を刻む。拍手はない。風は音に敏感だから。

 俺は旗を胸に、深く礼をした。

 胸の指輪が、かすかに熱を増した。


⸻


7)風市(ふういち)と、空の昼餉


 予試を終え、風塔から戻ると、よっしーが満面の笑みで手を振る。

「おつかれ! 腹、減ったやろ? たこ焼き会 in 空や!」

 虚空庫(アイテムボックス)から鉄板とソースを取り出すと、あっという間に香ばしい匂いが漂う。

 空の子どもたちが目を丸くし、風に乗って匂いが広がった。


「タコって、空にもおるん?」

「海のタコや。空の上でも旨いんやで」

 串をつまむクリフさんが、珍しく「うまい」と一言。

 リンクは熱いのも気にせず“フーハー”しながら頬張り、ブラックは欄干に置かれた小さな欠片を上品についばむ。

 ニーヤは帽子のつばをちょいと上げ、ソースの香りにうっとり、あーさんは盃の水で口を潤し「香りの拍が楽しい」と微笑んだ。


 そのときだ。

 空のはるか向こう、薄雲の間を縫って、黒い影が走った。


⸻


8)空賊団“裂翼(れつよく)”の旗


「来るで」

 クリフさんが弓を持ち上げる。

 黒い翼布を張った滑空艇が三機、風背(ふうせ)の上を低く掠める。その帆に描かれた紋――裂翼。


「“裂翼”か。風祭の前夜に、物騒やな……」

 よっしーが盾を手にする。

 裂翼の先頭艇が、風塔の方向へ急降下。二番艇は市場の屋根を掠め、三番艇は……こっちへ向かってくる。


「我が主人、対処は任せるニャ。ニーヤ、氷結弾(フリーズ・ブリッド)・風縫(かざぬい)!」

 白い弾が細い縫い目のように連なり、滑空艇の翼布の縁を凍らせる。翼は柔らかさを失い、揚力が崩れる。

 操縦士が舌打ちし、**炎の矢(フレア・アロー)**を射ち込んできた。

 火矢は風を読み、曲がる。


「あーさん!」

「空鏡(くうきょう)・薄面!」

 水鏡の面が、空に薄く展ばされ、火矢の熱を散らす。

 俺は旗で〈空白〉を火矢の鼻先に置き、よっしーが盾で角を落とし、クリフさんの矢が節を断ち切る。

 リンクは二段で屋根から屋根へ跳び、ブラックが上から風をひと筋落として、凍った翼布に追い打ちをかけた。


「降参だ、降参!」

 操縦士が両手を上げる。滑空艇は市場の外れに不時着した。

 しかし、先頭艇と二番艇は風塔へ向かったままだ。


⸻


9)風塔の攻防――白鎖と炎糸


 風端で風塔へ駆ける。

 塔の前では風吏たちが必死に防戦していた。裂翼の先頭艇の上には、見覚えのある二人――白鎖(はくさ)と炎糸(えんし)。

 白鎖は白い鎖を肩に、炎糸は指先で火を転がす。

 二人はアウライの風骨を“試す”つもりらしい。いや、試すという名で、崩すことを楽しんでいる。


「礼の輪、見せてもらおうか」

 炎糸が灼環(しゃっかん)を纏って笑う。

 白鎖は足先で風塔前の“風目”を踏んだ。

 風が低くうなる。塔がかすかに身じろぎし、風鈴が一度、不快な音を漏らした。


「やめろ!」

 風吏たちの叫びは、風にちぎれて飛ぶ。


「ユウキさん……」

 あーさんの盃の面が、少し濁った。

 俺は旗を握り直し、深く息を吸う。

 ――“三環の礼”、いける。


「輪、組むぞ!」

 俺の声に、皆が位置につく。

 ニーヤは杖を握り、「風環・薄拍」を描く。

 あーさんは空鏡をひらき、よっしーは盾で角を落とす。

 クリフは弦を撫で、リンクは二段で“高さ”を示し、ブラックは高所で一振。


 〈拝〉〈返〉〈送〉――。

 風鈴がチ・リン・リと、三鈴の礼に応じた。

 風塔の身じろぎが、ほどける。


「ほぉ」

 炎糸が口笛を鳴らす。「やっぱ旨いな、お前らの礼は」

 白鎖は鎖を肩に当て直し、目を細めた。「続けて」


 ――続ける。

 今度は炎糸が灼環・砂霧で空気を乾かし、火の舌で風の面を焼く。

 白鎖は“風目”の節を一つずらし、礼の骨を抜こうとする。

 黒涌(こくよう)の影は見えない。だが、どこかで見ている。


「ニーヤ!」

「氷結弾・連珠!」

 風に乗る白い数珠が、炎の節を冷ます。

 あーさんの空鏡が面を補い、俺は旗で〈空白〉を“抜かれた骨の座”に差し込む。

 よっしーの盾が風の角を落とし、クリフの矢が節を結び直し、リンクが“間”に印を置き、ブラックが風背を撫でる。


 風鈴はもう、不快な音を立てない。

 風塔が、静かに立っている。


 ――そのとき。

 塔の影のさらに向こう、“風背”の稜線で墨の柱がぼこりと立った。

 黒涌だ。

 フードの女が一瞬、こちらを見た気がした。けれど、影はすぐに薄雲に紛れ、消えた。


「味見は済んだ。……今日はここまで」

 白鎖がそう言って笑い、炎糸が肩をすくめる。

「祭りを壊すのは趣味じゃない。礼があるなら、それを見に来ただけだ」


 二人は滑空艇で風背に乗り、空の向こうへ去っていった。


⸻


10)風王の前庭――三環の誓い


 夕刻。アウライの中央にある“風王前庭”に、白い布が円形に張られ、数千の風鈴が吊られた。

 “風祭”の始まりだ。

 司式の老女が杖で地を叩くと、風鈴が一斉にさざめいた。


「風は気まぐれ、されど骨は真(まこと)。三環の礼をもって、風王に誓え」

 老女の声は柔らかく、それでいて高く響く。

 俺たちは輪の内側に進み出た。予試を越えた旅人として、礼の一節を捧げる栄誉を与えられたのだ。


 ――〈拝〉。

 指輪がひんやり、胸の奥でアンリの笑いが一瞬だけ走る。

 〈返〉。

 潮ではなく、風の匂いが肺の奥に満ちる。

 〈送〉。

 空鏡が面をひらき、風環が薄く回る。


 チ・リン・リ。

 風鈴は重ならず、切らず、静かに滑った。

 輪が、音もなく閉じる。


 その瞬間、前庭の空がすこしだけ低くなった。

 ――“風王”が頷いた。

 誰も見たことのない、けれど確かにそこにある“骨”が、礼を受け取ったのだ。


 風吏たちが、風の拍で手を打つ。

 アウライの子どもたちが笑い、布がひらひらと舞う。

 俺は旗を胸に、深く礼をした。

 あーさんが盃を掲げ、ニーヤが杖を立て、よっしーが盾を下ろし、クリフが弓を背に戻し、リンクが二段でくるりとひと回り、ブラックが高みで円を描いた。


⸻


11)風王の返礼 ―― 指標(しひょう)


 礼が終わると、老女が俺の前に進み出た。

「旅人の旗よ。風王より“指標”を授ける」

 老女が掌をひらくと、白く細い羽が一枚、俺の手の中に落ちた。

 重さはほとんどない。けれど、触れると静かな拍が指先に伝わってくる。


「北北東。玻璃の外輪の外、さらに薄雲のむこう。蒼礫(そうれき)峡に“骨の断章”が眠る。お前の旗に必要な、次の骨だ」


「蒼礫峡……」

 クリフさんが眉を寄せる。「風背が切り立っている。地の骨も混じる。荒い場所だ」


「地図、アップデートや」

 よっしーが虚空庫から昭和の地図帳を出して、ニーヤの風環とあーさんの空鏡を重ねる。

 羽――指標は、確かに北北東を示していた。


「行こう」

 俺が言うと、リンクが胸を張り、ブラックが「ン」と短く鳴いた。

 ニーヤは帽子のつばを下げ、「次は“地の面”の稽古も必要ニャ」と真面目な顔。

 あーさんは静かに頷き「水は、風と地の継ぎを写しまする」と盃に風を落とした。


⸻


12)夜――風見の宿、静かな涙


 祭は夜更けまで続いた。

 俺たちは“風見の宿”に戻り、屋上の板張りに寝ころんで空を眺めた。

 浮島の灯、風鈴の音、布のはためき――空は眠らない。


「ユウキさん」

 あーさんが、そっと隣に座った。

「今日の礼、美しかったです」

「……あーさんの空鏡が、面を作ってくれたから」

「わたくしは、ユウキさんの拍が好きでございます」


 胸が、すこし痛い。

 指輪が、ひんやりと慰める。


「ワイもな、好きな拍がある」

 よっしーが缶を掲げる。「カン・プシュ・グビっていう拍や」

「それは飲み方です」

 ニーヤが呆れ、リンクが真似をして小さな器で「キュ・キュ・キュイ」。

 ブラックは高いところで目を細め、夜風を一口、飲んだ。


 ふと、よっしーが遠くを見たまま言った。

「……日本の嫁はんから、またメッセージ来とった。**“風の上でも、元気でな。無事で帰っておいで”**やって」


 胸がまた、きゅっとなった。

 俺たちは言葉を探し、でも見つからなくて、しばらく風鈴の音だけを聞いていた。


⸻


13)出立の朝――風端の影


 明け方。

 出発の準備を整え、風端へ向かう。

 指標の羽は、北北東を真っ直ぐに示していた。


「セドは下層でピックアップ、バイクは風背を並走。砂舟は現地支給や」

 よっしーが段取りを確認する。

「我が主人、今日は“風地(ふうち)”の継ぎ目を渡るニャ。風環に**土環(どわ)**を薄く足す必要があるニャ」

「任せる」


 そのとき――。

 風端の影から、中年男がひょい、と顔を出した。

 こそこそしているが、どこか憎めない顔。

「お、お前……ハッサン?」

 ティラ砂洲の宿で夜中に捕まえた、下着泥棒……いや、改心してガイドをすると約束した男だ。


「やあ! 覚えててくれたのかい! 風背の細道なら任せな!」

 ハッサンが胸を叩く。「じ、じつはボク、アウライ生まれでね。地の“風穴”にも明るいんだ」


「頼もしいやないか」

 よっしーがニヤリ。「ただし、あの“趣味”は完全に卒業やぞ」

「も、もちろん! あれは……若気の至りで……」


 リンクがじっと見上げ、ブラックが冷たい目を向ける。

 ハッサンは肩をすくめ、「ま、任せてよ」と笑った。


⸻


14)蒼礫峡へ――風と地の継ぎ目


 アウライを発ち、浮島の陰を抜けると、空の色がほんの少し硬くなった。

 指標は北北東。

 やがて、空と地の境が曖昧になる地帯――蒼礫峡が見えてくる。

 天空に逆立つような礫の柱、浮かぶ土塊、風に削られた“風穴”。

 風の骨と地の骨が、きしんで触れ合っている。


「この先、風鯨(ふうげい)の通り道だ。鳴いたら、しゃがめ」

 ハッサンが囁く。

 その言葉どおり、遠くで空が鳴った。

 透明な巨体が、風の層をくぐりながら悠々と泳いでいく。

 俺たちは身を低くし、礼の拍を細くした。風骨が機嫌を損ねないように。


 礫の柱の間を抜ける狭道――そこに、白い鎖がたわむのが見えた。

 白鎖だ。

 すぐ横の風穴の影で、炎糸が火をぺろりと舐める。

 そして、足元の影が、す、と濃くなる。

 ――黒涌が、いる。


「歓迎してくれてるらしいニャ」

 ニーヤが小さく笑い、杖を握り直す。

 あーさんは盃を胸に寄せ、「風地の継ぎ、写しまする」と静かに言った。

 よっしーが盾を上げ、クリフが弓を引く。

 リンクは二段で足場を確かめ、ブラックが上へ一振。


 俺は旗を胸に、指輪を握り込む。

 ――“三環”に、土の薄輪を足す。

 “**四環(しわ)**の礼”。行ける。


⸻


15)風地戦――四環の応酬


「灼環・礫走(つぶてばし)!」

 炎糸の火が礫の表面を走る。熱は風に乗り、風面を焼く。

「白鎖・風目(かざめ)封」

 白鎖が風の目を閉じ、拍の骨を鈍らせる。

 影の底で、黒涌が骨の“座”を引き抜こうと、じりじり動く。


「風環・薄拍/土環・座固(ざがた)!」

 ニーヤが二輪を重ねる。風の拍を薄く、地の座を固める。

「あーさん、空鏡/土鏡!」

「はい」

 空の面と地の面を重ね、継ぎ目を撫でる。

 俺は旗で〈空白〉を“抜かれそうな骨の座”に差し込み、

 よっしーは盾で風角と石角を同時に丸め、

 クリフは節矢で拍の関節を結び、

 リンクは二段で“間”に印を付け、

 ブラックは上から風背を撫でる。


 炎糸の火舌が風鏡で薄まり、白鎖の踏んだ風目は土環に“座”を取られて沈む。

 黒涌の影が、ぱんと弾けた。


「はは。ほんと、旨いな」

 炎糸が肩をすくめる。

 白鎖は鎖を揺らし、「続けて」と目で告げた。

 黒涌は黙ったまま、影の奥に退く。


「送風(そうふう)」

 俺は声にならない声で告げ、旗の先で空をなぞる。

 四つの輪が薄く重なり、風地の継ぎ目が一呼吸、やわらぐ。

 礫の柱が、きしみをやめた。


 指標の羽が、さらに北を指した。

 ――蒼礫峡の奥。そこに“骨の断章”。


「引き際やな」

 よっしーが低く言う。

 炎糸は手を振って、「またな」と笑い、白鎖は「美」の一語を残して背を向けた。

 黒涌だけが、一瞬、こちらの足元を見た。

 リンクがキュと小さく鳴き、ブラックが「ン」と短く応えた。


⸻


16)骨の断章――風地の碑


 峡の最奥。風が止む一瞬の窪地。

 そこに、碑(いしぶみ)があった。風にも土にも属さない、薄青い板石。

 表には刻み、裏には欠け。――まさに“断章”。


 俺が手を伸ばすと、指標の羽が淡く光り、石の表面で拍が小さく鳴った。

 あーさんが盃を掲げ、ニーヤが輪を薄く描く。

 よっしーが盾を傍らに置き、クリフが弓を下ろし、リンクが二段で石の高さを確かめ、ブラックが上で円を描く。


「〈拝〉〈返〉〈送〉……」

 石は、静かに拍を返した。

 胸の指輪が熱を帯び、アンリの笑いが背骨を撫でる。

 ――“骨”が、旗に書き加わる。


 石の裏の欠けに、ほんの小さな文字が見えた。

 〈天裂(てんれつ)の縁、鈴の島にて〉

 ――次は、“空の裂け目”だ。


⸻


17)帰路――風の笑い、車の唸り


 アウライへの帰路は、来たときよりも軽かった。

 四環の礼が通じたからだろう。

 風は冗談を言い、礫は頷き、風鯨は遠くで歌った。


 下層でセドを受け取り、アウライの外縁の石道を車で回る。

「やっぱクルマはええなぁ。荷があっても軽い軽い」

 よっしーがご機嫌でハンドルを叩く。

 バイクのクリフさんは横をぴたりと併走し、リンクはダッシュボードで丸くなり、ブラックは開いた窓から時々風を啄(ついば)む。

 ニーヤは後部座席で杖を抱え、ふにゃ、と欠伸。

 あーさんは盃を膝に、外の風の面を写して微笑んでいる。


「次は“鈴の島”、天裂の縁だってさ」

 俺が地図を指でなぞると、よっしーが口笛を吹く。

「空の際(きわ)か。車が通れる道、あるんかいな」

「風端と吊り橋で行けるらしいニャ。途中、砂舟も借りるニャ」

 ニーヤが眠たげに答え、あーさんが「橋の拍に合わせましょう」と盃の面で足拍子を作る。


「キューイ」

 リンクが小さく鳴いて、俺の袖を鼻でつついた。

 ブラックが「ン」と応え、指標の羽が東北の風で揺れた。


 浮都の灯が背に遠ざかる。

 風鈴が、最後にひとつだけ、カラリと鳴った。

 ――輪は、また次へ。


⸻


次回予告


 “天裂(てんれつ)の縁”、鈴の島。

 空と無の境界で鳴る、鈴の骨。

 橋を食む雲喰(くもは)、空を焼く雷燄(らいえん)、そして裂け目の番人“鈴守(すずもり)”。

 ニーヤの四環はさらに繊細に、あーさんの空鏡は無の面を写す。

 よっしーのセドは吊り橋を唸り、クリフは滑空矢で空域を制す。

リンクとブラックは“空の継ぎ目”を跳び、俺は旗と指標で“送無(そうむ)”の道を拓く。

 白鎖の鎖は鳴らず、炎糸の火は笑い、黒涌の影は音もなく寄る。

 ――輪は軽く、深く。次の礼へ。

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