ソラリスの塔編 第4話 白き眠りの少女
Ⅰ 研究室の扉
第二層の草原を抜け、奥の丘を越えた先。
霧を割るように立っていたのは、白と硝子で形づくられた巨大な施設だった。
塔の中とは思えない、まるで未来の研究所。天井を走る碧い光のラインが、まるで拍動するように明滅している。
「……ここ、未来じゃねぇか」
ユウキが思わず口にした。「令和の最先端どころか、東大先端研が土下座で見学申請するレベルだぞ、これ」
床は磨き上げられた金属。壁には未知の機器。
あーさんはその光景を前にして、小さく息を呑んだ。
「明治の文明から見ましても……これは、はるかなる未来の景でございますね」
「……異界と未来の融合、って感じやな」よっしーが顎を掻いた。
黒髪のメイド姿の少女がオレたち見つめ直す。背筋はまっすぐで、声だけがやさしかった。
「……この塔の主、平塚太一博士は、遠い未来の人です。
異界から来て、この地で研究を続けました。錬金と機械の境を越え、人を癒やし、再生させる術を求めて」
その声音は、祈るように静かだった。
「ある日、博士は瀕死の亜人の少女を救いました。北方の戦で一族を失い、たった一人生き残った子です。
彼女を『娘』と呼び、彼女もまた博士を『父』と慕いました。
ふたりは長い年月をここで過ごしました。小さな畑をつくり、犬を飼い、笑い合って。
……けれどある夜、彼女の故郷を滅ぼした連中がここを襲ったのです」
少女の瞳に、青い端末光が揺れる。
「博士は戦えなかった。護る力を持たなかった。
亜人の娘は立ち向かい、そして命を落としました。
博士は……ただ、泣くしかなかったのです」
沈黙が降りた。
塔の機械音が、どこか遠くの心臓の鼓動のように響く。
「……だから博士は決意しました。娘を、もう一度取り戻すと。
血液、神経、魂の記録まで解析し、数十年をかけて複製した。
それが――」
少女が視線を向ける。
そこには、液体に沈む白い影。
銀糸のような髪がふわりと揺れ、眠るような顔が穏やかに浮かんでいた。
リナが胸の前で両手を組んだ。「……きれい」
ニーヤは尾をたわめて「しかし、孤独な話ですニャ……」
あーさんはまぶたを閉じて、「なんと……近代の世にも、かくも哀しき縁がございますとは」と呟いた。
けれど、その静けさを壊すように、サジが口を開いた。
「なんだよそいつ。泣くくらいなら戦えよ」
カエナも鼻を鳴らす。「だっせー。護りたいなら立ち向かえっての!」
その瞬間、空気が変わった。
リナの耳がぴくりと動く。ニーヤの毛並みが逆立ち、リンクが「キュイ」と短く鳴く。
研究棟の床が低く唸り、光のラインが脈打つ。
少女が振り向こうとした瞬間――彼女の動きが止まった。
肩がわずかに震え、「……警告。バッテリー、残量……」
その声が途切れ、少女の身体が音もなく座り込む。
薄い光が瞳から消えた。
「おい、大丈夫か!」
ユウキが駆け寄るが、彼女は反応しない。完全に停止している。
静寂。
その静寂の中、カプセルの液面が――ゆらり、と波打った。
「……ん?」
ヨッシーが眉をひそめる。
床の振動が強くなる。光がまぶしく、影が消えるほどに広がる。
圧。空気が重い。肺が押される。
「我が主人……これは……?」
「来るぞ、下がれ!」
クリフが弓を構え、矢をつがえる。
リナが木刀を握りしめ、サジとカエナが後ろに回る。
液体が爆ぜた。
ガラスが割れ、光の粒が飛び散る。
銀髪がふわりと宙に舞い、細い腕がカプセルの縁を掴む。
重力を無視するように、白い少女が立ち上がった。
瞳は金属のように光り、まるでこの世のものではない熱を帯びている。
誰もが息を呑んだ。
ヨッシーが盾を前に出す。
「なんやこの圧……!」
リナが喉を詰まらせ、ニーヤが尻尾を丸める。
クリフの指が震え、ユウキの頬を冷や汗が伝った。
——桁が違う。
見ただけでわかる。
これは、神域に近い存在だ。
その瞳がゆっくりと動き、サジとカエナを見た。
静かに、しかし確実に声が響く。
「……誰だ、いま父ちゃんを笑ったのは……」
誰も、息をしていなかった。
少女の足元から風が巻き上がり、光が爆ぜる。
髪が広がり、瞳の奥が紅く染まる。
「——絶対許さんぞ!!」
その一声が、塔の全層を震わせた。
壁のガラスが波打ち、天井の碧光が一斉に閃く。
怒りの音が、鼓動のように世界を叩いた。




