ユーゲンティアラ王国忍の里編その6 滞在許可と義賊の約定《やくじょう》
【前書き】
不法で来たからって、不法のままにしとくと面倒になる。
これはどこの世界でも同じらしい。
で、ここの領主はそのへんがめちゃくちゃ現実的だった。
──ユウキ
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翌朝。
忍びの里の屋敷は、昨日のドタバタが嘘のように静かだった。畳は整えられ、床の間には山で採れた百合が一輪。窓の外では子どもたちの声がする。ここだけ切り取れば平和そのものだ。
しかし、座敷の中央には書類が積み上がっていた。薄い紙に細かい文字。朱色の印を押すための印鑑と墨壺。ジギー──いや、今日はちゃんと領主としての“ジョージア・フォン・ギルバート子爵”が着席している。黒ドレスじゃなくて、落ち着いた羽織姿だ。昨日の鞭と電撃の女とはまるで別人の空気。
「よし、全員いるな。じゃあちゃちゃっと済ませちまおうか」
ジギーが扇子で紙束をとん、と叩いた。
「まずはお前らの身分の話だ。昨日言ったように、今のところお前らはこの国から見れば“未登録入域者”になる。放っときゃ後で役人がうるさい。なのであたしの権限で“滞在許可を申請中”という状態にしてやる。これなら検問でも文句は言われん」
「“申請中”……」俺は首をかしげた。「それって、もう滞在していいってことですか?」
「そういうこと。紙はあたしが書くけど、王立の方に回すには一日二日はかかる。印を運ぶ奴もいるしね。だからすぐには手に渡らない。……というわけで」
ジギーはぱしんと扇子を閉じる。
「できるまで、ちょっと遊んできな。街一つくらいなら出ていい。どうせお前ら、南の“スタロリベリオ”に行きたかったんだろう?」
よっしーがぱっと顔を上げる。
「おお、ようわかったなぁ? 酒もあるしなぁ? 冒険者ギルドもあるしなぁ?」
「顔に書いてあった」
ジギーは笑う。
「ちょうどいい。スタロリベリオは領境の港町だ。人の出入りも多いし、物資もある。服でも薬でも揃う。こっちの生活用品もそこで一度見とくといい。……それと」
ジギーの視線が横へ流れる。襖がすっと開いて、エリンが無音で入ってきた。いつものおかっぱ、メガネ、黒い忍び装束。手には小さな封筒が三つ。
「申請番号だけ先に渡しておきます。通行の際はそれを示してください」
「助かるよ、エリンさん」
エリンは俺たちに一つずつ封筒を配る。中は紙片一枚──番号と朱印だけ。
あーさんがそれをじっと見て、
「これで……わたくしたち、少しは胸を張って歩けますね」
「そういうこと。建前って大事なんだよね」
ジギーは椅子の背にもたれ、今度は奥の戸を顎で示した。
「んで、もう一件。お前らが捕まる直前にやり合った奴……剣鬼カイル。あいつも呼んである」
ちょうどそのとき、廊下で足音がした。
ガラリと戸が開き、頭を包帯ぐるぐるにしたカイルが額を押さえながら入ってくる。顔がちょっと焦げている。昨日の雷撃周囲魔法のダメージがまだ残ってるらしい。
「……来たぞ。おい、なんで俺がこんな格好で客の前に出なきゃなんねぇんだ……」
「自業自得です」エリンが即答した。冷たい。
カイルは渋々正座すると、ジギーの方を向いて頭を下げた。元A級の男がだ。なかなか見られない光景だ。
「おうカイル。昨日までいい感じに暴れてくれたじゃないか」
「よくねえよ! 正体隠して潜り込んでるなら先に言っとけ! 雷ぶっぱなす領主ってなんだよ!」
俺たちはちょっと笑ってしまった。
ジギーはその反応も楽しそうに見てから、表情を少し引き締める。
「…今からお前の処遇を極めようと思うんだが……
お前は腕もあるし、地の者との繋がりもある。半分野良みたいな暮らしも慣れてる。……だから決めた。お前、このまま“山賊頭”を続けろ」
「はぁ!?」
カイルだけでなく俺たちも声が揃った。
「殴られて配下になれってのはわかるけどよ、なんでまた山賊のままなんだよ!」
「山賊“のふり”ができるやつは貴重なんだよ」
ジギーは扇子で空を指す。
「この領の北側、聖教国の裏でちょろちょろ動いてる“北の国”がある。あそこは表向きは交易商人、裏では奴隷と武具の流通をやってる。正規の兵や役人が近づいたらすぐに隠れる。そういう連中は“お前みたいなやつ”には近づくんだよ。わかるだろ?」
カイルの顔つきが、少しだけ真面目になる。
元A級冒険者の目だ。
「……つまりギルバート卿はおれを間者に使うってわけか」
「そう。表向きは荒くれの頭。実際は情報を拾ってエリンに流す。やれるだろ?」
「……ちっ」
カイルは舌打ちしたが、次の瞬間ふっと笑った。
「まあいい。雷はもう食らいたくねえしな。ギルバート卿の犬にも、義賊にもなってやるよ」
“義賊”という言葉にジギーが目を細める。
「気に入った。じゃあうちの文書じゃそう書いといてやる。“山間部治安協力者”ってな」
「かっこよくねええ!」
部屋に笑いが走った。
よっしーなんかは「おお、治安協力者て。公務員やん」とか言ってる。
ジギーはそのまま俺たちのほうへ向き直る。
「で、お前ら。許可証ができるまでの間、危ない橋は渡るな。里でぼーっとしててもいいが、どうせならスタロリベリオを見てこい。……」
「うむ……確かに冒険者ギルドやダンジョンなども気になる」
「あっしも色々、買い揃えたいですニャ」
「そうだ。補給をして、状況を見てこい。街は噂が早い。聖教国の動き、北の国の船、港の税の変化──そういうのはすぐに出回る。あんたらがこれから行く場所の地図にもなる。……どうせ長居はしないんだろ?」
「ま、そうですね」
俺は頷いた。
ここで根っこを張る気はまだない。けど、堂々と出入りできるのはありがたい。
「じゃあ話は終わり。あとはエリンに細かいとこ聞きな。カイル、お前は二刻後には出ろ。北のルートの見張りが薄くなる時間だ」
「へいへい。……おいガキども、後で柿もらって帰るから残しとけよ!」
カイルはそう言って立ち上がると、ガラリと戸を開けて出て行った。
あんな豪快なのに、今日はちゃんと正座してた。領主の前ってこうなるのか。
ジギーはふーっと息を吐いて立ち上がる。
「さて、あんたらの許可もほぼ通る。だから──“しばらく待ってろ”。でき次第、里から連絡を飛ばす。うちの子らは《伝音》が使える。どこにいようと聞こえるはずだ」
「じゃあ……ほんとに、次の町に行っていいんですね」
「ああ。スタロリベリオへ行け」
ジギーはにっ、と笑った。
「街に出たら存分に遊んでこい。あんたら今までずっと緊張続きだったろ。たまには普通に飯食って、港でも歩いてこい。……それでまたここに戻ってきてくれればいい」
そう言って、扇子をひらひら振る。
その仕草は黒ドレスのときと変わらず、軽やかだった。
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屋敷を出ると、外はもう昼近くになっていた。
子どもたちが「もう行っちゃうのー?」と駆け寄ってくる。
よっしーは干し柿を三つも四つも持たされて、「うおお荷物になるなる!」と悲鳴を上げている。
ニーヤは耳をすりすりされて「やめるですニャ、毛並みが崩れるですニャ」と言いながらもまんざらでもない。
クリフが里の門を振り返る。
「……良いところですね」
「ああ。逃げ場所があるってだけで、だいぶ楽になる」
俺は空を見上げた。
霧はもう薄い。
この先には、隣町のスタロリベリオ。
まずは冒険者ギルドだな。新しい依頼が待っているかも?
「よし、行くか」
「行こかー!」
「スタロリベリオ……なんだか楽しそうですニャ」
俺たちは山道を下り始めた。
背後でジギーの屋敷の戸が静かに閉じる音がした。




