ユーゲンティアラ王国—忍びの里編その2 炎弾と忍び影
「くっそ、重っ……!」
よっしーの盾がぐぐっと押し下げられる。ホブゴブリンの肩と腕の筋肉が甲羅みたいに盛り上がってて、真正面からはどう考えても分が悪い。
「よっしー下がって! いったん距離ニャ!」
「いけるかどうかはニーヤの腕次第やでぇ!」
ニーヤが杖を前に突き出す。空気が一瞬、高く鳴った。
「炎弾魔法――特大ですニャ!」
さっきよりもふた回りほど大きな火球が、ボァアア音を立てて生まれた。
ホブゴブリンは馬鹿だから止まらない。まっすぐ突っ込んでくる。そこへ火球が正面からぶつかった。
ボァアアアっと燃え盛るボブゴブリン。
「さらに……爆発魔法ですニャ!!」
ボカーーーン!!とものすごい音を立てて爆ぜた。
木の葉が裏返る。焦げた匂いと熱風が一気に広がる。ホブゴブリンは跡形もなく吹き飛んだ。
片目があーさんのところに飛んで来て「きゃあーー!!」と悲鳴をあげている。うぇえ!!…これはさすがに怯む。よっしーはその隙に一歩うしろへ転がるように下がる。
「むむ……なんという破壊力!!!」
「おっしゃー!ナイスやニーヤ!」
「でも外れたら死んでましたニャ……!」
ただ、炎のあとって視界が悪い。白い蒸気と煙が地面すれすれをもくもく漂う。そこへすかさず、白い影がくるりと舞った。
ブラックだ。
翼をひとふりすると、さっきまでの熱気が水に変わるみたいに和らぎ、薄い水の膜がぶわっと前方に広がる。熱で膨張した空気が整えられて、代わりに上のほうへすっと風が抜けた。
「キューイ!」
それを待ってたみたいに、リンクが飛んだ。
小さなウサギの魔物のくせに、脚だけはとんでもなく強い。
ブラックの起こした上昇風に乗るように、ひょい、と二段目の跳躍。空中でくるっと体をひねり、ホブゴブリンの後頭部めがけて踵を落とす。
ガンッ!
鈍い音がして、ホブゴブリンの首ががくんと前に倒れた。完全には倒れないけど、脳天に衝撃は走ったはずだ。
「いいぞリンク!」
俺が叫ぶと、リンクは空中で「キューイ!」と短く鳴いてから、ブラックの水膜を足場にしてふわっと降りた。あれはもう完全に慣れてる動きだ。
ナイスコンビプレイじゃん!!!
……が、終わりじゃない。
焼けたホブゴブリンが怒りでぶるっと震える。後ろにいた小型ゴブリンが、焦げたやつの背を押して再突撃させようとしてる。それに、まだ森の奥からぱたぱたと足音が近づいてきていた。
「まだ来る……!」
あーさんが二鈴を鳴らす。澄んだ音が、森のざわめきを少しだけ押し下げた。
「防御の結界を張ります。皆さま、まとまって!」
俺たちは反射であーさんの周囲に集まる。足元の土が薄く光り、音の膜みたいなものが周囲を包む。完全防御じゃないけど、矢や石くらいなら防げる。
「くるぞおおお!」
よっしーが叫ぶ。
焦げたホブゴブリンがまた突っ込んでくる。今度は炎は間に合わない。ニーヤの魔力も一発大きいのを撃ったあとなので回復が要る。
クリフが前に滑り込む。
「ここは私が――」
言い終わる前に、横から別の音が割って入った。
「そこまででいい。あとはこっちでやる」
乾いた声。
森の上の枝がひとつしなる。次の瞬間、細長い影が地面に突き刺さるように降りてきた。短槍を二本持った男――ラキだ。その後ろから、蛙顔のフログ、そしてちいさいラッシが続く。
「おや、クリフ殿。こんなところで」
クリフが目を見開く。
「ラキ……!」
「話はあとだ。いまは押し返すぞ」
ラキはそう言うなり、焦げたホブゴブリンの懐に一気に踏み込んだ。俺たちがさっきまで苦戦してた相手なのに、まるで人間相手みたいな距離感で入っていく。槍の石突きでホブゴブリンの膝をカン、と打ち、その反動で体をひねって喉元へ柄を当てた。呼吸を止める一撃。大きな体がぐらりと揺れ、その隙にフログの刀が横からスッと走る。
「ふっ」
その一太刀で、ホブゴブリンは崩れた。本当に、音もなく。
森が、また静かになった。
ラッシはすでに小型ゴブリンを二、三体まとめて縛り上げていた。足音をほとんどさせない
森が静かになった。
焦げた臭いと、さっきまでの怒鳴り声だけがじわじわと消えていく。よっしーは「ふー……」と大きく息を吐いて盾を下ろし、ニーヤは杖を胸の前で抱えるようにして耳をぺたんと寝かせる。ブラックはひとまわり空を巡ってからユウキの肩にとまり、リンクは「キューイ」と短く鳴いて草むらに着地した。
「……助かったニャ。ほんとにもうちょっとで囲まれてたですニャ」
「俺もだ。ニーヤの一発なかったら、あれ正面からはきつかったな」
ユウキがそう言うと、前に出てきた赤髪の男が「おう」と軽く顎を上げた。短槍を脇に抱えた、冒険者寄りの装束――こいつら忍者!?
「こっちも、ちょうど見回りでな。ギリ間に合ってよかったわ。あのホブの押し、森でやられると誰でもきついんだよ」
後ろにいた蛙顔の男が一歩出る。静かな声で淡々と続ける。
「名乗る。蛙のフログ、鼠のラッシ、そして今しゃべったのがラキ。……油断をしたな。森で視界を切られれば、お主らの力量ではひと押しで落ちるであろうの」
「うーーん辛辣ですニャ……」
ニーヤが眉をハの字にする。だがフログの目は怒ってはいない。言ってることは怖いが、雰囲気は“注意してる先生”に近い。
クリフが一歩進み出て、ラキに向かって笑った。
「驚きましたよ。まさかこうしてまた会えるとは」
「なんだ、覚えてたか。よかったぜ」
ラキも笑い返す。
「昔、アンタの村に狼だか小鬼だかが群れで出て、冒険者ギルドから俺らのところに遠征依頼が来たってやつ。あのときはアンタは優秀な狩人で、弓当てまくってたよな!」
「ええ。その節は本当に。あの時あなた達冒険者の応援が来なければ、村は半分は焼けていた」
あーさんが「まぁ」と小さく目を丸くする。
「知り合いなのですか?」
「はい。私がまだ聖教国内の村の猟師だったころ、こうして遠方からはるばる助けに来てくれたんです。――たしか彼は、このあたりの人間ですよ。今も……そうなんでしょう?」
「ああ。大体はな」
ラキは槍を肩に乗せなおす。
「で、その“領内”の見回り中にお前らがこんな派手なケンカしてるから見に来たってわけだ。……ここで長く話すのはおすすめしねえ。血のにおいが残ると、今度は獣が来る」
それはそうだ。俺たちもテントの中の二人を見てるからわかる。ここで立ち話する場所じゃない。
「この辺の山の奥に、うちらの住処がある。クリフが一緒なら案内は通る。ついてこい。うちのお館様にも、“聖教国からの亡命者が入ってきてる”って伝えたほうが話が早えからな」
「この辺の山の奥に、うちらの住処がある。クリフが一緒なら案内は通る。ついてこい。うちのお館様にも、“聖教国からの亡命者が入ってきてる”って伝えたほうが話が早えからな」
その言葉に、俺たちは思わず顔を見合わせた。
“お館様”――その響きに、ただならぬ統率の匂いがあった。
「お館様、ですか……?」
あーさんがそっと問い返す。声の調子はいつもの丁寧さのままなのに、どこか探るような色があった。
「ああ。俺らの頭であり、この山の主だ」
ラキが短く答える。
「ジョージア・フォン・ギルバート子爵だ。……近隣の町や村で聞いたことくらいはあるんじゃねえか?」
「うーーーん……?」
俺はみんなの顔を見回した。
よっしーが肩をすくめ、あーさんは静かに首を振る。
ニーヤは尻尾をぱたぱた揺らしながら、
「知らないですニャ……それ、美味しい名前ですニャ?」
と首をかしげる。
「残念ながら、料理ではありません」
あーさんの返しに、よっしーがぼそっと笑った。
クリフだけが少し考え込むように目を細めた。
「……確か、古い地図で見たことがあるような。
でも記憶があいまいだ。……悪い、はっきりとは言えない」
「まぁそうだろうな。あんたら聖教国側から来たんだ、知らなくて当然だ……ま、会えばわかる」
フログが森の奥を顎で示した。
「まぁ良い……とりあえず移動する。死体はここでよい。こちらで処理するゆえ」
「すまない。こっちで埋葬してしまったが」
「それでよい」
「では行くぞ!」
俺たちは自然と黙り、彼らのあとを追うように歩き出した。
霧が深まる。風が、方向を変えた。
ニーヤがもう一度だけテントの方を見た。
あの若い男女に布をかけて、あーさんが短く祈りを捧げた場所だ。
黒い血の跡をブラックの小さな風がふわっと散らし、跡を目立たなくしていく。
「……我々も行きましょう」
あーさんがそう言うと、全員がうなずいた。




