骨の総礼(ほねのそうれい)――第八断章
1)霧の名残、耳鳴りの朝
密林の宿が音もなく土に沈んだ夜から、一刻も置かず俺たちは山裾へ退いた。東宙の山間は夜明けが遅い。谷気が冷えて、肺に入る空気がひやりと痛い。
霧の神経毒はもう抜けているはずなのに、耳の奥で微かな**チ……**という耳鳴りが残っている。あの人形の首が一回転した瞬間の、歯車の噛み違いみたいな音――拍を壊す音だ。
「よっしゃ、セド点検。回転数は“芯”に戻っとる」
よっしーがボンネットを開け、平成元年式のエンジンを手でさすった。「あの宿、機械まで凍らせる“黙り”やったな……嫌な静けさや」
「主。霧の残り香、まだ山肌にへばりついてますニャ」
ニーヤが杖の先で石を軽く叩くと、白い欠片のような気配が散った。
「では、まずは“静”で洗いましょう」
あーさんが盃を掲げ、薄い面を二重三重に重ねて空気の襞を撫でる。面が走るたび、耳鳴りが少しずつ緩む。
「うむ、呼吸が楽だ」
クリフが胸鎧の紐を緩めて息を吐く。リンクは俺の膝に額を押しつけ、「キューイ」とひと声。ブラックは肩で羽を震わせ、山風の層を確かめていた。
目指すは東宙の山腹にある祭場――骨の総礼。第五・第六・第七断章を身に刻んだ今、ここで骨の拍を**一まとめ(合符/ごうふ)**に束ねる大試練を受けることになる。
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2)山門の村と、拍の準備
午少し前、山の玄関みたいな小さな集落に出た。石段が斜面に縫い付けられ、屋根には風除けの鈴が連ねてある。
戸口に座った老人が、俺たちの旗を見て目を細めた。
「鈴の旗……“巡礼”か」
「骨の総礼へ」
俺が短く告げると、老人はゆっくりうなずいた。
「なら、ここで息を合わせていけ。ここらは拍の試しがきつい。焦って行けば、足が拍から落ちる」
広場を借りて、俺たちは“合符”の基礎合わせをした。
よっしーはセドを共鳴台にし、二千八百回転を一定で維持する練習。
あーさんは静面+風面+潮面の薄重ねを盃の上で組み替え、負荷が変わっても面が“裂けない角度”を身体で覚える。
ニーヤは返鈴の位相を半拍・三分の一拍・四分の一拍と細かく切り替え、俺の旗の“押す音”と呼吸を合わせる。
クリフは矢を番えない無音矢の節張りで、俺の握る旗の柄に“合図なしで”ぴたりと重なる練習。
ブラックは上空から**風背**の背骨を細く通し、リンクは二段ジャンプで次の一歩を“点”で示してくれる。
四半刻の訓練で汗だくになったが、手の内の**間**が少しずつ軽くなるのがわかった。
「……行ける」
小さく呟くと、あーさんが目尻を和らげた。「三音、整っておりまする」
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3)骨の総礼 ― 山腹の環
集落から石段を千段ほど上った先、山の肋骨みたいな稜線が横一文字に走っている。その内側が祭場――骨の総礼だった。
円形に並んだ骨柱。一本一本が鈴のように中空で、風が吹くと勝手にチ・リン・リと鳴る。
中央には大きな鈴座。そこが俺たちの立つ場所だ。
「ここは“音が先に居る”場所や」
よっしーが低く言う。「ワイらが鳴らすんやない。『ある音』に合わせ直すんや」
「承り候。礼の場にて、礼を取り戻す」
あーさんが盃を鈴座の縁にそっと置く。微かな波紋が、骨柱の影と共鳴して踊った。
俺は旗を胸に抱え、鈴帳を開く。
〈拝〉〈返〉〈送〉――まずは拝の一拍。胸の指輪がちりと鳴った。
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4)総礼の開幕 ― 三輪王
空が少しだけ暗くなった。
骨柱の影が輪になり、向こう側で三つの気配が立ち上がる。
白く細い、炎のように揺れる、そして黒く沈む――白鎖、炎糸、黒涌。
だが、これまでの分体ではない。三つが同じ拍で一人の影に束ねられている。
「名乗れ」
クリフが矢を番えずに言う。
「我ら、三輪王。鎖と焔と黙の三輪、ここに統べる」
声が三重に重なって響くのに、不思議と濁らない。
「骨の総礼に臨む者よ。合符を示せ。三音を崩さず、輪を保て。さもなくば――断拍」
言葉の尾に、鈴座の周りの空気がピシと鳴った。わずかな遅れでも切り裂く、無慈悲な宣告だ。
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5)第一段 ― 断拍の刃
「押す!」
俺が旗を一閃、鈴文を胸に立てる。
よっしーはセドの回転を芯に固定、あーさんが引く音で面を張る。
ニーヤが返鈴を半拍ずらし、クリフが無音の節で支える。リンクが“次の足”を点で示し、ブラックが頭上から風背を一本通す。
その瞬間、地面から白い鎖翔が立ち上がり、拍の間に刃を差し込んできた。
遅れた拍は切られる。焦れば、切られる。
「フリーズ・ブリッド、二重!」
ニーヤの氷結弾が二つ、別位相で鎖の刃を鈍らせる。
あーさんの静面が刃の背を受け、俺の押す音が刃の根元を押し返す。
クリフの無音矢が刃の節を縫い、リンクが踵で“ズレた点”を戻す。
ブラックが斜め上から風背をかすらせ、刃の角を丸めた。
白の刃が一拍だけ遅れ、輪は継続――断拍、回避。
「……美」
三輪王の白い声が、わずかに高まった。
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6)第二段 ― 焔の空拍
今度は空気が急に熱くなる。炎糸の焔輪が、拍の空を焦がす。
空拍が膨張して、返す音が遅れる罠だ。
「氷結弾・露鎧、拍の縁を薄く!」
ニーヤの氷が輪郭だけを冷やす。冷やし過ぎれば拍が割れる。薄さが命だ。
あーさんが潮面と風面を薄重ねにして、熱の層を面で剥がす。
俺は押す音を深め、芯を真下に打ち込む。
クリフの矢が、焔輪のいちばん軽い節を静かに留め、リンクが空拍に踵で点を置く。
ブラックが上から冷たい背風を流し、熱の層を裂いた。
焔の唇が不満そうに歪み、しかし輪は壊せない。
「押す音、見事」
三輪王の赤い声が、唇の端で笑った。
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7)第三段 ― 黙の無鈴封
骨柱の影がぐっと濃くなり、音が吸い取られる。黒涌の黙輪――しかも、今回は無鈴封が重ねられていた。
旗の無鈴に指をかけた瞬間、指が空気に滑る。鳴らせない、触れられない。拍の“居場所”そのものが奪われる。
「あーさん!」
「承り候――引く音、底抜け(そこぬけ)」
盃の面が裏返る。静面をあえて裏返して、奪われた“居場所”の裏側を撫でる。
ニーヤが胸の奥で返鈴を鳴らす。外ではなく、内で。
俺は旗を握りしめ、押す音を鳴らさず通す。
クリフは弦に矢を当てず、指の張りで節だけを残す。
リンクが“裏の足場”を二段で示し、ブラックが翼を止めて、背風を一本固定した。
黙の封がかすかに剥がれる。一拍、返ってくる。
「無鈴封、破り……認」
三輪王の黒い声が、短く認めた。
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8)第四段 ― 三輪合撃
「まだ終わりやないで」
よっしーがセドの回転を一段だけ上げる。「三輪、同時に来る!」
その予告を合図にしたように、鎖・焔・黙が同拍で押し寄せた。
白の鎖が間を切り、赤の焔が空を焦がし、黒の黙が居場所を奪う。
「連環――合符展開!」
俺が旗を立てる。鈴文が胸の奥でパッと開き、五つ六つ七つの輪が一筆書きで連なる。
あーさんが三面重ね(静・風・潮)を十六分の角度で微調整、引く音の襞を厚くする。
ニーヤが返鈴を三相に分け、「半拍・三分の一拍・四分の一拍」を同時に走らせる。
クリフは矢を使わず、弦の張りで三つの節を同時に支える。
リンクは二段からひと呼吸置いてもう一段――三段目の“気持ちの踏み”で刃・熱・黙の隙を示す。
ブラックは斜め上から風背をふた筋、最後の一本を垂直に落とし、三輪の角を丸ごと落とした。
全員の“拍”が一枚に重なった瞬間――
俺たちの足元の鈴座が鳴った。チ・リン・リ――
鎖の刃がわずかに鈍り、焔の空拍が痩せ、黙の封が解けた。
三輪王の影がひとつ、膝をつく。
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9)断拍・星断ち ― “優しさ”の刃
「だが、総礼はこれを最後に問う」
三輪王が立ち上がり、手を空へ伸ばした。
骨柱の先に、星の欠片みたいな白光が集まる。――星断ち。輪の外から拍を切り落とす禁じ手。
光が落ちる。
俺の握る旗の柄が痺れ、腕の中の拍がほどけそうになる。
――あかん、切られる。
指輪が灼けるほど熱くなった。
脳裏に、森の家のアンリの顔が浮かぶ。「優しさを忘れるでないぞ」
イシュタムの魂がざわめき、胸の奥で炎のような何かが立ち上がる。
力づくで叩き落としたら、輪は壊れる。ここで要るのは――
「押す音を、柔らかく」
俺は旗を強く握らない。柄を撫でる。
あーさんの引く音がそれを包み、ニーヤの返鈴が柔らかく戻す。
クリフの節が“力み”を逃がし、リンクが踵で“力を抜く踏み”を置き、ブラックが背風を撓ませる。
星断ちの刃が俺の手前でやわらぎ、輪の内側で丸になった。
拍は切れない。むしろ、丸の内側で増幅して、骨柱の一本一本に返っていく。
――骨の総礼そのものが、俺たちの“優しさ”にうなずいたのだ。
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10)三輪王の礼と、第八断章
「見事」
三輪王の声が一つに落ち着き、輪郭が薄れる。「押すに剛、押すに柔。三音の輪、合符にて保たれたり」
骨柱の上から、青白い欠片がひらりと舞い降り、旗の裏へ吸い込まれていく。
胸の鈴文が光り、第八断章が刻まれた。
「骨の総礼、これにて授与。汝らの拍、次は灰港シャルナの**骨灯**へ至り、潮と火と鈴の灯を掲げよ」
声が消え、祭場はただの風鳴りだけになった。
俺たちは一斉に息を吐いた。膝が笑う。肩が重い。けれど、全員の眼は笑っていた。
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11)それぞれの“手土産”
「成果、確認や」
よっしーが手帳……じゃなくて、平成メモみたいな小さな板切れを取り出して笑う。「みんな、何が“身”についた?」
「主、拙は氷結弾・連珠を覚えたニャ。三相の位相を同時に撃てるニャ」
ニーヤが杖の先で白珠を三つ転がし、ち・ち・ちと鈴の裏声みたいな音を出す。
「あーさんは?」
「“鏡面三重”。静・風・潮の面を三重に重ね、角度を一息で撫で替えられまする」
盃の面が三枚の花弁みたいに開閉し、光を柔らかく揺らす。
「拙者は、無音矢・三連。張りだけで三節を同時に保てる」
クリフが弦を指ではじかず、張りだけで的の影を三つ描いてみせた。
「リンクは?」
「キューイ!」
リンクが二段――からの**月面**みたいなひっくり返りを追加し、空中で一瞬止まった。「月面二段、やってやったで」と言わんばかりだ。
「ブラックは風背・長綾。一本の背風を長く引けるようになったみたいやな」
よっしーが肩の上の相棒に親指を立てる。「ワイの方は平成共鳴・二段回転。回転の芯をちょい上げ下げして“焦り拍”にも芯を合わせ直せる。つまり――セド、さらに頼れるってこっちゃ」
「俺は……」
旗の柄を撫でる。胸の鈴文が短く鳴った。
「鈴座展開――輪の内側に“小さな鈴座”を一瞬だけ作れる。押す音をそこに置いて、みんなの拍が崩れかけた時に“立ち直る足場”を出せる。そんな感じだ」
「ええやん」
よっしーが笑う。「“優しさの足場”やな」
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12)山を下り、次の海へ
山風が乾いて、遠くに白い尾を引く鳥が見えた。
祭場を後にして石段を降り、集落の広場で一度だけ深呼吸。
老人が手を振ってくれた。「骨灯の港は南東へ。灰港シャルナは煙たいが、灯はきれいだよ」
「ほな、セドで下りきってから海路へ出るぞ」
よっしーがハンドルを握る。
セドは山道をすべるように降り、時折、平成のラジオみたいな雑音が**ジ……**と鳴っては消えた。
あーさんは盃を膝に置き、静かに目を閉じている。
ニーヤは地図を覗き込み、リンクは俺の肩に顎をのせ、ブラックは後席の窓枠で羽を撫でていた。
クリフは軽く舟をこぎ、矢羽根を整える癖だけは寝ても忘れない。
山が終われば、また潮の匂い。次は“灯”を掲げる旅になる。
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13)黄昏の野営、ささやかな宴
峠道を抜けた丘で野営を張った。
よっしーが虚空庫からタコ焼きを取り出し、缶――もちろんノンアルだ――を配る。
「かんぱい」
「「かんぱい」」
油の香り、粉の甘さ。ふざけたみたいに場違いな味が、骨の総礼の緊張をやわらげる。
あーさんが盃で水を分け、ニーヤが塩をひとつまみ振って「旨味、倍増ニャ」。
リンクはタコ焼きの角を小さく齧り、ブラックは一番小さい欠片だけもらって満足げに羽を震わせた。
クリフは遠くの星を眺め、「拍、よく保った」と短くいう。彼の「よくやった」は大抵この一言だ。
「――そうだ」
缶を置いて、俺はみんなを見回した。「登場人物紹介・特別篇、やるって言ってたろ。次の港に着いたら、いったん“拍の棚卸し”しよう。今の自分たちを、ちゃんと言葉にしておきたい」
「賛成や」
「猫印の見開き、準備オッケーですニャ」
「承り候」
「うむ」
「キューイ」
「ン」
焚き火がぱちと鳴る。山の星が近い。
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14)夜――それでも残るもの
眠りにつこうと天幕に潜り込むと、耳の奥で一瞬だけ、あの**チ……**という嫌な耳鳴りがした。
人形の笑い声でも、老婆の舌でもない。ただ、拍の“傷跡”だ。
胸の指輪が、ゆっくり温かくなった。
アンリが言った。「優しさを忘れるでないぞ」
優しさは刃にもなる。今日、骨の総礼はそれを教えてくれた。
あーさんの寝息が隣の天幕から微かに聞こえる。
「おやすみ、あーさん」
小さくそう呟くと、リンクが胸の上で丸くなり、ブラックが梁で羽を畳んだ。
――チ・リン・リ。
旗の裏で第八断章が光り、音は静かに夜へ溶けていった。
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次回予告
• 灰港シャルナへ。煤けた港町と、三色の骨灯。
• 灯を掲げる儀、潮と火と鈴の“灯音”の試練。
• よっしーのセドが港の“浮き桟”を渡り、あーさんが三面で灯を写し、ニーヤが“灯返し”を覚える。
• クリフは無音矢で灯の節を結び、リンクとブラックが灯の風を読む。




