第8話 明治の乙女と語る夜、それぞれの故郷
(主人公・相良ユウキの視点)
メルサローネたち冒険者と別れ、俺たちは再び旅路についた。ゴブリンに襲われた村の光景が、頭から離れない。特に、よっしーの優しさが通じなかったあの瞬間は、この世界の厳しさを痛感させられた。
日が暮れ始め、俺たちは森の奥深くで野営の準備を始めた。よっしーの**虚空庫**から取り出したテントを張り、焚き火を起こす。パチパチと音を立てて燃える炎が、暗闇を明るく照らした。
皆で火を囲んで座ると、自然と沈黙が流れた。誰もが、昼間の出来事の衝撃から立ち直れていないようだった。特に、あーさんは、ずっと俯いたままだ。
「あーさん、大丈夫か?」
俺は、心配になって声をかけた。
すると、あーさんは、ゆっくりと顔を上げた。その目は、赤く腫れていた。
「はい……。大丈夫、ではございませぬ……」
か細い声で、あーさんはそう言った。
「すまぬ、ユウキさん……。わたくし、ああいうの、生まれて初めて見てしまって……」
あーさんの言葉に、俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。
「当たり前だよ。あんな光景、見慣れてる人間なんて、この世界でもそう多くはないはずだ」
クリフさんが、優しい声であーさんに話しかける。
「わたくしのいた世界では、そのような残酷なことは……」
あーさんは、言葉を詰まらせた。
「なあ、あーさん。あんたのいた世界って、どんな世界だったんだ?」
よっしーが、いつもの明るい口調で、あーさんに尋ねた。
あーさんは、少し迷った後、静かに語り始めた。
「わたくしのいた世界は……」
明治の乙女、あーさんの物語
あーさんの本名は、相沢千鶴。彼女がこの世界に転移してきたのは、明治38年(1905年)のことだった。
「わたくしは、東京の華族の家に生まれました。父は、陸軍の将校で……。母は、病弱ではございましたが、とても優しい方でございました」
千鶴の家は、裕福で、何不自由ない暮らしを送っていた。彼女は、女学校に通い、良家の子女として、琴や三味線、華道や茶道を習っていた。
「わたくしが転移してしまったのは、ちょうど女学校の帰り道でございました。いつものように、人力車に乗って帰路についておりましたら、突然、目の前が真っ白になって……。気づいたら、見知らぬ場所に立っておりました」
千鶴は、当時の様子を思い出しながら、震える声で話した。
「わたくしがいた時代は、まだ電気もガスも、ごく一部の地域でしか普及しておりませんでした。汽車や人力車はございましたが、よっしーさんが取り出す『自動的に走る車』や『空を飛ぶ鉄の鳥』などは、想像もできません」
よっしーが、虚空庫から取り出したダイハツのミゼットや、ボーイング747の写真を見せると、千鶴は目を丸くして驚いていた。
「なんじゃ、これは……! まるで、夢物語のようでございます……」
よっしーは、千鶴の反応を見て、得意げに胸を張った。
「だろーっ! ワイらの時代には、こんなもんが当たり前やったんやで! それに、もっとすごいもんがいっぱいあるんや!」
よっしーが、ポケットベルや黒電話、ファミコンなどを取り出すと、千鶴はさらに驚いた。
「すごい……。本当に、すごい世界でございますね……」
千鶴は、まるで子供のように目を輝かせていた。彼女の笑顔を見て、俺たちは少しホッとした。
しかし、よっしーの出すものに、俺は少し違和感を覚えた。
「おい、よっしー。お前が言ってた『携帯電話』とか『テレビ』は、どうしたんだよ?」
俺がそう尋ねると、あーさんとクリフは首を傾げた。
「携帯電話? テレビ? なんだそれは?」
「え? 携帯電話だよ。スマホとか……。それから、テレビとか……」
「あー携帯電話ってあの肩にかけるやつや!」
俺が説明すると、よっしーは今ひとつ理解できていないようだった。
「なんや、スマホって? それ、ワイらの時代にはなかったで。肩にかける携帯電話とかテレビはあったけどな、それに、インターネットってのも、なんや知らんけど、ワイらの時代には存在せえへんかったで」
俺は、よっしーの言葉に愕然とした。
「え? あれ、令和から来たんじゃないのか?」
「令和? なんやそれ? ワイは、平成元年(1989年)から来たんやで」
俺は、自分の勘違いに気づき、頭を抱えた。俺は、令和から転移してきた。よっしーは、平成元年。あーさんは、明治38年。クリフさんは……この世界の人間だ。
俺たちの間には、百年以上の時間の隔たりがある。だから、俺の知っていること、よっしーの知っていること、そして千鶴の知っていることは、全く違うんだ。
俺は、スマートフォンやAI、インターネットの話をしてみたが、皆は「???」という顔で、全く理解できていないようだった。
「ユウキさん、それは、本当にすごい世界でございますね……。まるで、魔法のようじゃ」
千鶴は、目を丸くして、俺の話を聞いていた。
それぞれの想いと、イシュタムの魂
千鶴が語り終え、今度はクリフさんが口を開いた。
「千鶴殿、わたくしの故郷は、ルーデンス聖教国でございます。しかし、その国は、もはや私にとって、帰るべき場所ではございません」
クリフさんは、遠い目をして、故郷への複雑な思いを語った。
「千鶴殿の世界も、私の故郷も、そしてユウキ殿やよっしー殿の世界も、それぞれの文化や歴史がある。しかし、この世界は……。この世界の理不尽な現実に、私自身もまだ慣れておりません」
クリフさんの言葉に、千鶴は深く頷いた。
「わたくしも、この世界の現実に、まだ心がついていけておりませぬ。元の世界では、女性は人前で肌を見せることも憚られる、慎み深いことが美徳とされておりました。しかし、この世界では、まるで動物のように、獣のように、無残な姿で……」
千鶴は、震える声で、ゴブリンに襲われた村の惨状を語った。
「わたくしは、あの光景を、決して忘れることはできませぬ、そして、もう二度と、あのような光景は見たくありませぬ」
千鶴の言葉に、俺は強く共感した。
「ああ。俺も、同じ気持ちだ。だから、俺は強くなりたい。この世界を変えるために……」
俺がそう言うと、クリフさんが、俺の顔をじっと見つめた。
「ユウキ殿……。貴殿が身に宿すイシュタムの魂の力があれば、それは可能かもしれません」
「イシュタムの魂……。あの魔女が言っていた言葉か……」
「はい。その魂は、この世界を滅ぼすほどの力を持つと、古文書に記されております。ですが、その力を制御できるのは、貴殿の優しさ、ただ一つです」
クリフさんの言葉に、俺は再び、あの魔女アンリの言葉を思い出した。
『お主の心が弱ければ、たちまち闇に染まってしまう。ゆえに、お主の優しさが、その力を制御する鍵となる。決して、その優しさを忘れるでないぞ』
「なあ、ユウキ。あんた、そんなすごい力を持っとるんか?」
よっしーが、興奮した様子で俺に尋ねる。
「まだよく分からない。でも、もし、俺が本当にそんな力を持っているなら……。この世界を変えるために、使いたい」
俺は、そう心に誓った。
「わたくしも、ユウキさんと共に、この世界を変えとぉございます。そして、もう二度と、あのような悲しい出来事が起きないような世界にしとぉございます。」
千鶴が、俺の目を見て、まっすぐに言った。
その夜、俺たちは、それぞれの故郷の思い出を語り合った。
よっしーは、バブル景気で浮かれていた日本の様子や、カラオケ、ディスコの話を楽しそうに話した。千鶴は、鹿鳴館での舞踏会や、日本の伝統文化の美しさを語った。俺は、スマートフォンやAI、インターネットの話をしたが、誰も理解してくれず、少し寂しかった。
しかし、俺たちは、この世界の理不尽な現実に直面しながらも、お互いの故郷の思い出を語り合うことで、少しだけ、心が軽くなったような気がした。
そして、俺たちは、もう一度、前を向くことができた。